卒業試験1
いよいよ二月になった。試験期間の始まりだ。スカリー達五人にとっては三年間の総決算となる。
論文提出組である研究系専門課程のスカリー、クレア、シャロンの三人は、一月末日の時点で論文を提出済みだ。執筆時間に余裕がなかったクレアは、予想通り提出期限ぎりぎりに青い顔をしながら論文を出してきた。いつまで待っても研究室にこなくてかなり不安だったのは内緒である。
これで三人は論文の査読を待ちながら、二月後半にある卒業発表の準備をするだけだ。この査読の結果待ちというのがなかなか胃に悪いらしいのだが、査読をしている先生は論文数の多さに悲鳴を上げながらひとつずつ読んでいく。
まずは俺や研究室の作業員が、サラ先生に主査や副査として割り振られた論文の確認をする。誤字脱字や明らかにおかしい表現、あるいは内容を洗い出すのだ。最初のひとつめを読んだ時点で逃げ出したくなる。
次に、俺達が朱入れをした論文をサラ先生が読んでいく。それがまた嘘みたいに速い。俺からすると一見ぱらぱらっと斜め読みしているようにしか見えないが、それできちんと内容を理解して朱入れをしているんだから、やっぱりできる人は違う。
「あはは、こんなの慣れやで~」
なんて笑顔で言われても信じられない。
各論文に朱入れが終わったら学生に届ける。そして修正してもらって再提出だ。このとき、俺達が朱書きしたページは差し替えた後にもう一度提出してもらう。理由は簡単、どこを直すように指示したのか確認するためだ。もし不合格の学生がいる場合は、この時点で本人に告げられる。留年確定だ。
作業を俺達教師と学生は二週間で終わらせないといけない。もう本当にぎりぎりだ。非公式な話だが、修正量が多くて泣きついてくる学生の場合は、もう何日か延ばすことがある。ただし、それでも本人の卒業発表時までだ。
幸い、サラ先生の研究室では不合格者は出なかった。質・量共に圧倒したのはあの三人の論文だが、あまりにも多くてチェック作業に時間がかかりすぎたので、作業員には不評だった。下っ端にとって論文の内容など関係ないのである。
一方、模擬戦闘試験を受けることになる戦闘系専門課程のアリーとカイルは、二月後半まではひたすら鍛錬に費やしていた。二回生までで取り損ねた単位のある三回生は、二月前半の進級試験を受けなければいけないが、幸い二人にはそれはないので関係ない。
模擬戦闘試験は訓練場を四面に区切って行われるが、その進行は結構せっかちだ。特に護身教練の学生数が多いのと、意外に戦いが長引くことが多いのでそれほど余裕がないのである。
そして、この土人形を使った卒業試験は、卒業発表と同時並行で行われる。でないと間に合わないからだ。俺としては全員の発表と試験を見たいので、可能な限り発表の行われる教室と模擬戦闘試験のある訓練場を往来することにした。
しかし、後で知ったことだが、俺はサラ先生の研究室の管理者なので、所属する学生の発表は全員分見ないといけなかったそうだ。後でサラ先生に怒られてしまった。
俺が最初に見たのは、スカリーの発表だ。論文の題名は『四大系統における各属性の相関と複合魔法の効率化理論』というものだ。一言で言うと、四大系統の属性同士を使って複合魔法を作るときに、どうやったらより効率的に作れるのかということを理論化したものだ。スカリーは四大系統の全属性の対応表を作成し、各属性を組み合わせたときの消費魔力や効果などを詳細に記述してまとめ上げた。
これの凄いところは、四大系統の全属性に対する調査を全て自分ひとりでやりきったところだろう。何しろ火、水、風、土の四つ全部を使えるのだ。スカリーならではの研究と言える。
ちなみに、俺はどの部分を手伝ったのかというと、データ取りの部分だ。データは多い方がいいということで、一時期ひたすらスカリーの言う通り各属性を組み合わせていた。
今現在、スカリーの発表を聞いているが、明らかに専門家でないとその凄さがわからない発表だよな。何しろ基礎研究なので地味なことこの上ない。幸いここは専門家ばっかりなので教師陣からはうなり声が聞こえてくる。作成が面倒な複合魔法の厄介な部分を理論化したのだ。これを使えば、とりあえずそれなりの複合魔法がどんな魔法使いでも作れる。その可能性は計り知れなかった。
しかし逆に、学生からの反応はよろしくない。理由は簡単で、何を言っているのかわからない者が大半だからだ。これは仕方がないのかもしれないが、俺としては寂しい。
「それでは、各属性を組み合わせることでどのような変化が起きるんか、今からご覧に入れます」
微妙に方言の入った言葉を使いながら、スカリーは実際に複合魔法を実演してゆく。とはいってもごく単純なことしかしない。発表時間にも限りはあるからだ。
スカリーが魔法を発動させる度に、発表を見ている教師も学生も声を上げる。四大系統全ての属性を使うというのも凄いが、火と水というように相性の悪い属性同士でもしっかりと組み合わせているからだ。これは俺と一緒に相当練習したやつだけに、壇上できちんと発動して本当によかった。
発表が終わると、スカリーに対して大きな拍手が送られた。こういった基礎研究の発表では実演というのが珍しいということもあるけどな。
次に見たのは、アリーの単独模擬戦闘試験だ。練習場の四面に区切られた一角で試験は実施された。
使われる土人形は一アーテム半くらいと、大体学生と同じくらいの大きさだ。教員採用試験のときとは違って、試験の数をこなさないといけないのでこれ以上は大きくできないらしい。
そしてこの土人形は魔法を使ってくる。しかも四大系統の土属性だ。もちろん大怪我をしないように調整されているものの、被弾した学生を見る限り結構痛いらしい。水属性じゃないのは、土人形の魔法攻撃に被弾しても即座に失格にはならないからだ。痛みに耐えて戦えということである。あと、二回までは被弾しても見逃してもらえるが、三回目の被弾で失格になる。
ちなみに、土人形は腕を使って殴ってくることもある。もちろん、こちらも痛いだけで大怪我はしないようになっている。魔法の被弾と同じように三回殴られると失格だ。
四つの試験場にそれぞれいる主審役の先生が開始を宣言する。それと共に四つの試験が同時に始まるわけだが、何というか、なかなか派手な魔法合戦だ。護身教練の学生の多くが冒険者の魔法使いとなるので、接近戦はほとんど起きない。色とりどりの攻撃魔法があっちへ飛んだりこっちへ飛んだりする。
見ている分には目を楽しませてくれるので飽きない。しかし、試験中の学生はこれがなかなか大変である。何しろ、別の試験場から流れ魔法が飛んでくるからだ。立ち位置によっては、四方から集中砲火を受けかねないので、視界の広さだけでなく、位置取りがかなり重要になっている。
「ひっ! いでぇ!!」
ある学生に隣の試験場から飛び込んできた風刃が当たった。割と容赦のない魔法だったので受けた学生は地面に転がる。
そうそう、学生が本気で撃ち込んだ魔法が別の試験場の学生に当たると危険だ。そのため、試験を受ける学生は学校から支給される護符を身につける。これは、一定以上の威力がある攻撃魔法の攻撃力の大半を減殺してくれるというものだ。結構高価らしい。
これのおかげで、学生は地面に転がっても致命傷を受けないのだ。
さて、こうやって魔法が飛び交う試験場のひとつに、アリーがいる。ここでは、土人形から一方的な魔法攻撃がアリーめがけて撃ち込まれている。接近戦主体のアリーが、近接戦闘に持ち込もうと魔法をほとんど使っていないからだ。最初に木剣へ闇属性魔力付与をかけただけである。
土人形めがけて途中まで突っ込んでいたアリーだったが、隣接する試験場から飛んできた氷槍が進路を遮る。
「はっ!」
短い気合いと共にアリーが氷槍を木剣で弾く。そして、気勢を削がれたのか、一旦後退した。三度目の突撃も不発だ。
アリーの正面からは土槍が一定の間隔で撃ち込まれてくる。土人形からなのだが、アリーの相手だけ改造してあるんだろうか。よく魔力がもつな。
四面の試験場のうち、アリーの斜向かいの試験がまず終わった。さっき風刃を受けた学生は失格したようだ。
アリーは四度目の突撃を試みる。今度は成功して木剣を一閃するが、土壁に阻まれた。あれ、教員採用試験のときより機敏に反応しているような。いや、あのときは動きを止めてから仕留めたっけ。
何にせよ、やっぱりアリーの相手である土人形だけ性能が違う。他の試験場のやつはこんなに魔法を撃ち出してこないし、動きも良くない。成績優秀な学生だけ特別仕様の土人形でも出す決まりなんだろうか。
左隣の試験場での試験が終わった。こっちの学生は土人形を倒したようだ。続けて奥隣りの試験も終わる。あっちも試験に合格した。残るはアリーだけだ。
どうもアリーは土人形に魔法をかけずに仕留めるという縛りで試験に臨んでいるようだが、そのせいで近づくのも一苦労のようだ。自分の武術がどこまで通用するのか試したいんだろう。見る方はやきもきする。
五度目の突撃。今度も土壁が行く手を遮る。しかし、それが現れるということは前回の突撃でわかっていたことだ。アリーはまだ木剣を閃かせず、約二アーテム四方の壁の脇をすり抜けて土人形へと更に肉薄する。
他の試験場のものよりも性能が良さそうだった土人形だが、自らが生成した土壁で視界を遮ったのが仇となる。壁の横から突然現れたアリーに反応しきれない。
「はっ!」
気合い一閃。アリーの振り抜いた木剣は土人形の左脚をきれいに切断した。やたらと切れ味がいいのは、闇属性魔力付与のおかげだろう。
そして、ここで試験終了の宣言が出た。合格だ。
次はクレアの発表だ。論文の題名は『水属性と光属性を使った効率的・効果的な回復魔法の構築』である。以前にも説明した、水属性を使って魔力の消費を押さえつつ、光属性の魔法の効果を相応のものにする魔法だ。これにより、治療回数を増やして多くの患者を救うのである。
クレアがこの魔法を開発しようと思い至ったきっかけは、ノースフォートの治療院の治療風景をよく見ていたからだ。日夜看護師が患者の世話をしているのだが、治療の要は魔法である。しかし、二極系統の光属性は万能ではあるが魔力消費が大きく、ひとりの人間が何十回も使える代物ではない。すると、ひっきりなしに運び込まれてくる患者全てを治療できず、命を落とす者も少なくなかったそうだ。
しかしこれはまだましな方で、地方の教会を巡回したときに立ち寄った治療院では、患者に対して看護師の数が全く足りておらず、そのため過労で倒れたり、常に魔力が枯渇していて治療できなかったりと酷い有様のところもあるらしい。もちろんそこではまともな治療など望めない。
クレアはそういった状況を少しでも改善できるようにと、水付与回復改め、水付与回復を開発したのだ。
卒業発表では発表時間は一応決まっている。大抵はしゃべりすぎで時間が押してしまうのだが、クレアはその辺をうまくまとめて話をしていた。
「さて、皆さん。次にわたしが今回開発しました魔法を実際に使ってもらいます。さぁ、どうぞ」
クレアに案内されて登壇したのは、レサシガムの治療院にいた看護師二人である。さっきから一部の学生がしきりに気にしていたが、このために脇で待機していたのだ。そして更に、ぐったりと横たわっている山羊が運ばれてきた。今回の患者役である。
厚手のシーツが敷かれた教卓の上に横たえられた山羊にクレアは近づくと、あの地下室で散々使った短刀取り出す。
「今からこの山羊を傷つけ、こちらの看護師の方に水付与回復で治療してもらいます」
笑顔で簡単な説明をしたクレアは、左手で山羊の体を押さえると躊躇うことなく短刀を突き刺し、そして切り裂く。実に手慣れた動作だ。それを見ていた教師や学生は絶句する。クレアよ、地下室のときのノリでやっていいのか?
クレアが一歩下がると、看護師のひとりが近づいて水付与回復を使う。すると、傷口から溢れ出ていた血が止まった。しかし、完治したわけではない。更に続いてもうひとりの看護師が反対側から近づいて水付与回復を唱える。これでようやくクレアによってつけられた山羊の傷は完治した。
「今、このお二方に傷ついた山羊を治療していただきました。ご覧の通り、回復ほどの効果はありません。しかし、それ以上に魔力消費を抑えることで……」
顔に一点、服に数点の赤い返り血をつけ、べったりと血糊がついた短刀を右手に持ったクレアが笑顔で説明する。また、両脇に立つ看護師も誇らしげな表情だ。どう見ても危ない集団だな。壇上を見ている教師と学生は何ともいえない表情をしている。
クレアの説明が終わると、今度は看護師がこの魔法によってどれだけの患者が救われたのかということを力説する。実際に役立っているところを話してもらうことで、その有用性を示したいのだろう。
看護師の説明が終わると、最後にクレアが一言述べて終わる。内容としては文句なしなんだけど、見せ方に問題があったと思う。
ちなみに、カイルの単独模擬戦闘試験は見学できなかった。ちょうどクレアの発表と時期が重なってしまったからだ。本人の話によると、やっぱり魔法攻撃に相当手こずったらしい。周囲から飛んでくる流れ魔法が予測不可能で対処に困ったそうだ。
しかし、土人形を倒すことはできたそうだ。魔法を一回受けたそうだが、土人形さえ倒せたら試験は合格なので問題ない。
さて、残るはシャロンの発表と、アリーとカイルの集団戦だ。