魔法の軌道変更実験
ここ数日、すっかり寒くなった。最初は吐き出す息もわずかに白かっただけなのに、今では真っ白だ。今のところは外套と手袋でしのげているけど、更に冷えたら耳当てが欲しいな。
屋外はそんなふうに冷え込んできているけど、屋内はまだましだ。限られた空間に多人数が密集しているので、その分暖かいからである。吐く息も白くならない。
時間は確実に試験期間へ向かって俺達を押し出しているわけだが、日々学生を観察していると、やっぱりわずかずつ緊張感と悲壮感が高まってきているのがわかる。これは研究室でも補習授業でも同じだ。
そして、以前にも説明したが、その試験期間の前に横たわっている冬休みをどう乗り越えるかで勝負は決まる。たまに「試験に合格する程度しか遊ばないようにする」なんて言う奴がいるけど、それは留年フラグを立てるだけだ。安心して試験に合格したいなら、「もっと遊んどきゃよかった!」と後悔しておくべきだろう。遊ぶのは試験後の春休みにすればいいんだからな。
今の研究室内の雰囲気は先月に比べて緊張感が漂っている。少し前までは余裕な態度を見せていた学生も、改めてやるべきことと時間を比較して慌てていた。だから急げとあれほど言ったのに。
それに対して、俺と作業員はいつも通りだ。何しろやることが決まっているのだから緊張するようなことはない。俺の場合は今回初めての役職だからたまにわからないことはあるものの、やることを聞けばいいだけだしな。
スカリー、クレア、シャロンの三人は、今日も何やら作業をしている。スカリーは実験結果を見ながら論文を書いており、クレアは治療院での調査結果をまとめている。そしてシャロンは、今日行う予定の実験の準備に忙しい。
この三人の中で、まだ主要な実験が終わっていないのはシャロンだけだ。半年前に射出される攻撃魔法の弾道を曲げて以来、日々研究に勤しんでいる。俺は半年前以来見ていないが、スカリーとクレアの話によると、紆余曲折はあったものの、研究は前進しているらしい。
そして本日、ようやく最終実験を実施することになったのだ。予定よりも完成は遅れているものの、まだ慌てるような時間じゃない。
「できましたわ!」
シャロンの明るい声が聞こえた。どうやら実験ができる状態になったらしい。
立ち上がったシャロンは、スカリーとクレアに何かを話しかける。そして、俺の方へと向かってきた。いよいよか。
「ユージ教諭、魔法操作の調整が終わりましたわ。つきましては、お昼から実験を実施しますので、お付き合いくださいませんか」
もちろん俺は頷く。何しろ興味のあった研究だったから、それが完成したところを見たい。
俺は作業員のお魚君を呼ぶと、訓練場にいるはずのアリーとカイルに使いとして向かわせた。昼ご飯を一緒に食べた後、みんなで実験に協力するためだ。
さてそうなると、朝の間にある程度は仕事を片付けておかないといけない。俺は明日以後の仕事が差し支えないように、作業の中から今日中に片付けないといけないものだけを抜き出した。
昼下がり、俺達六人は半年前に実験した空き地にいる。あれからシャロン達は何度もここを使っているので、久しぶりと感じているのは俺だけだが。
「ようやく完成したそうだな、シャロン」
「本当に完成したかどうかは、これから確かめるところですわよ」
俺とスカリーが土人形と水壁を用意している横で、アリーとシャロンが言葉を交わしている。そういえば、アリーも俺と同じようにこの実験にはほとんど関わっていなかったんだっけ。
「しっかし、すっかりこの原っぱも茶色うなったな。火ぃ点けたらよう燃えそうやん」
「うっ、いつまでその話を引っぱるつもりですの?!」
半年前のあれか。あれには慌てたよな。
あのときは瑞々しい生命力を青々と漲らせていた草木も、今やその多くが枯れている。触ってみてもかさかさだ。確かによく燃えるだろう。
俺が思い出していたのはあの頃のものだが、後で聞いたところによると、カイルが指摘しているぼや騒ぎは半年前のものではなかった。実は、一ヵ月前にも再度やらかしていたらしい。俺以外の五人が集まって実験していたときに、やっぱり火属性の魔法を使って燃えたそうだ。
どうしてそんなにシャロンが火属性の魔法にこだわるのかというと、一番使いやすいからだ。最も得意な魔法を使うことで、問題が発生する箇所を開発した魔法に限定したいからである。
ただそうは言っても火事を起こされては困るので、消火体制は以後しっかりと敷いてもらっている。それが水属性の魔法を使える人を最低ひとりは同伴させるという決まりだ。スカリーから指導を受けたらしい。
「シャロン、こっちは用意できたぞ」
約四十アーテム先には、小さな円を描くように土人形がぐるぐると歩き回っている。そして、それの十アーテムほど手前には、縦二アーテム、横四アーテムの水壁が設置されている。これを一組として、全部で三組を横一列に並べた。
どの土人形も透明に近い水壁越しにしか見えない。今回は攻撃魔法を自在に動かしてこれらを撃ち抜く。
アリーとカイルが左右に散って、四十アーテム先にある土人形を側面から観測できる位置に移動した。最近では命中することが当たり前になってきたので、攻撃魔法がどのように当たるのかを観察するためだ。手には板に貼り付けた用紙にペンを持っている。
スカリーとクレアは、シャロンと土人形の中間に立つ。アリーとカイルと同じように左右に散ってだ。これは軌道の観測と消火活動のためである。もちろん用紙とペンを持っている。
四人が全員手を振った。配置についた合図だ。
「では、いきますわよ!」
しばらく呼吸を落ち着かせた後、シャロンは魔法操作を発動させる。すると、直径五十イトゥネックの白い真円が現れた。半年前に見たものよりも直径は半分になり、円の色も輝いていない。改良した結果なんだろう。
そして、そこへ俺が半年前見たときと同じように火槍が撃ち込まれる。
白い円を突き抜けた火槍は、まず、真ん中の土人形に当てるため、大きく上方へそれる。俺なんかは一瞬大丈夫なのかと思ったが、水壁の手前から火槍は下方へと急激に向きを変えた。
標的である土人形は円を描くように動いているため、ここから更に軌道修正をしないといけない。しかし、火槍は動く土人形に合わせて滑るように移動し、難なく命中する。その瞬間、土人形の頭は爆発四散した。
「おお!!」
俺は思わず声を上げた。すげぇ、まるで自動追尾しているみたいだ!
向こうで観測班をしている四人が、今目の前で起きたことを用紙に記入している。しばらくすると、書き終わった順に手を上げてきた。
シャロンはそんな様子を見ながら何かをつぶやいている。その目の前には白い真円が浮かんだままだ。毎回用意しなくてもよくなっているのか。
二回目の試験は、左側の土人形を狙うようだ。火槍を二つ出現させる。え、同時に撃つの?
驚いている俺をよそに、シャロンは二本の火槍を同時に撃ち込んだ。やはり白い円を突き抜ける。
見ていると、二本のうち一本は先ほどと同じように上方へと軌道を変える。ただし、先ほど激しい変化ではない。もう一方は右横へとそれてゆく。壁の横から土人形を狙うのか。
今度の火槍も水壁の手前で軌道を大きく変化させる。しかし、上方からの攻撃は命中したものの、側面からの攻撃は外れてしまう。
「ちっ、魔力を惜しみ過ぎましたかしら」
険しい表情のシャロンが独りごちた。四人が用紙に結果を記録している最中は、あごに手を添えて何かを検討している。
その間に、用紙への記述が終わったスカリーが、外れた火槍の着弾した周辺に水球を撃ち込んで、燃え始めた草木を消火していた。何度もやっている作業なのであろう、かなり手慣れている。
三回目の試験は、最後に残った右側の土人形だ。シャロンは右手を軽く払うように振り、目の前にある白い真円を消す。そして、再び魔法操作を発動させた。仕切り直しか。
今度も火槍は二本だ。そして一呼吸おいて射出する。
二本の軌道は二回目とほぼ同じである。違いは横にそれる火槍の軌道が、右横から左横へと変わっていることくらいだ。
水壁手前で大きく軌道を変化させるところまでは同じだったが、横からの火槍はさっきよりも軌道の変化が更に大きい。
そう思った直後、上からの攻撃が土人形に命中し、続けて横からの攻撃も命中して土人形は爆発四散した。今度は成功したようだ。
「はぁ、やりましたわ」
シャロンは喜びよりも安心の方が大きいらしい。全身の力を抜いていた。
「すごいな! あれだけ自在に命中させることができるなんて!」
「ありがとうございます。でも、まだ魔力消費の面で効率はあまり良くありません。改良の余地がありますわ」
とりあえず完成したのかなと思ったが、まだ駄目らしい。厳しいな。
「ということは、まだ論文には書けないのか」
「理論に関しては完成したと言えますから、書き始めることはできるでしょう。でも、まだ時間はありますから、どうせなら可能な限り魔法の完成度も高めて起きたいですわね」
俺とシャロンが話をしていると四人が集まってくる。
「いや、相変わらず強烈に曲がっとったな。二回目の横からのやつは曲がり方が甘かったけど」
「そうだな。ただ、上方からの火槍もぎりぎり当たったというものだったが」
用紙をシャロンに渡して、カイルとアリーが大まかな感想を伝える。用紙にはあらかじめいくつもの項目が用意されており、みんなはそこに結果を記入していく形式のようだ。備考欄までびっしり書き込まれている。
「けど、水壁の手前までは三回ともほぼ同じ速度やな。速度はいじってへんのか?」
「三回目は魔法操作をやり直したわよね? もしあのとき速度も調整していたのなら、問題あるわね」
スカリーとクレアはシャロンに質問を投げかける。こっちは仕切り直し前後の速度に関する疑問点についてだ。
「二回目の実験のときは、魔力を抑え気味にしましたの。角度を調整しましたが、どうも魔力が足りなかったようですわ。それと、速度は三回とも同じです。何も変えていませんわ」
実験を観察していた四人にシャロンは返事をする。その間も渡された実験結果から目を離さない。
「ユージ教諭から見て、先ほどの実験はどうでしたか?」
「すごかったと思う。これが二百年前の魔王討伐のときにあったら、もっと楽に戦えていた」
特に空を飛んでいた奴に苦労した。だって全然当たらないんだもんな。あーもう、今思い出しても腹が立つ。
「おお?! まさかの高評価やん、シャロン!」
「ス、スカーレット様!」
スカリーが我が事のように喜んでくれているのを見て、シャロンは感極まる。お、顔が赤いぞ。
「師匠、具体的にはどのようなときに有効なのですか?」
「空を飛んでいる敵を打ち落とすのに役立つ。例えば、龍の山脈の飛翼竜や空飛ぶ魔族なんかは、相当苦しめられた。」
まぁ、数の暴力という面もあるが、それ以前に飛んでいる相手に当てることが難しかった。飛べない身からしたら反則だ。
「そういえば、お芝居なんかで魔族が飛んでいる場面がよくあるわよね」
「全員が飛べるわけではないぞ。かつての魔王軍では、空を飛べる者を集めて精鋭部隊としたと聞いたことがある」
クレアの疑問にアリーが答えた。そうだろうな。全員が飛べるなら、空から一方的に攻撃すればよかっただろうし。そんなことをされたら、ライナスが生まれる前に王国は滅亡していただろう。
「皆さんが記録した結果を見て、大体わかりましたわ。これを踏まえた上でもう一度実験をしましょう」
シャロンが明るい声で宣言すると、全員が応と返事をした。
その後、夕方まで実験を繰り返す。途中、なぜか俺が標的になって大変な目に遭ってしまったが、実験としては成功したらしい。これで失敗だったら泣ける。
何にせよ、シャロンの実験は終わりの目処がついたようだ。