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転移した前世の心残りを今世で  作者: 佐々木尽左
4章 夜明け前の助走
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教会の治療院

 先日、サラ先生から呼び出しを受けた。最近はこれといった問題もなかったので何事かと教授室へと赴いたら、補習授業の制度化についての話である。モーリスから提案を受けたからその相談という名目だ。


 では実質的に何を話したのかというと、どうしてモーリスが提案する形をとったのかということを詰問されたのだ。てっきり俺が提案すると思っていたらしい。


 こうなることは予想していたので、俺は丁寧に説明をした。提案された補習授業の形はモーリスの功績が大きいこと、派閥の問題のこと、そして来年の春から俺が学校をしばらく離れることをだ。もちろん、サラ先生への渡りをつけたことは話していない。


 これだけの理由を並べられると、さすがのサラ先生も納得してくれた。話せばわかる人なので助かる。ただ、俺の勘違いかもしれないが、どうも俺に手柄を立てさせたがっているように見えるんだけど、どうしてなんだろうか。仕事で使う分には今のままでもいいような気はするんだけどな。


 それが一段落してから、今年も最後の月へと突入した。試験期間まで二ヵ月を切る。今度は俺がやって来てから四度目の試験となるが、卒業試験が他人事ではないのは初めてだ。


 進級試験の場合だと、一月から準備を始めて二月前半に試験を実施し、そして二月後半には全てが終わる。その成績を元に進級・留年の振り分けなどの作業を含めると三月前半までかかるが、それはまぁいいだろう。


 一方、卒業試験はまた進級試験とは異なる。


 魔法探求と魔法技術の研究系は、一月末日までに学生が研究室に論文を提出しなければならない。提出された論文は査読という検査がなされるが、これは主査一人に副査二人の三人体制で実施される。ちなみに、主査は研究室の先生で、副査は他の先生だ。ここで問題点があれば学生に返却されて再提出を求められる。もしあまりにも酷い場合は不合格となり、留年が決定だ。そして、首尾良くその査読を通過すると、学生は二月後半の研究発表会で発表することになる。毎年九月にある演舞会の学生版だ。


 軍事教練と護身教練の戦闘系は、二月後半に卒業試験があるだけだ。試験の手順としては研究系よりも単純だが、中身はなかなか過酷だ。学生単独あるいは複数人で土人形ゴーレムと対戦することになる。教員採用試験に近い。このときは訓練場を四面に分けて戦うわけだが、隣の試験場から飛んでくる流れ魔法については一切考慮されていない。そのくらい自分たちで何とかしろということだ。


 そして、三月前半に卒業ということになる。


 これのどこに俺が関係しているのかというと、論文の査読だ。基本的に査読をするのはサラ先生なわけだが、自分の研究室の主査だけでなく、他の研究室の副査もいくつか兼任している。そうなると何十という論文を見ないといけないわけだが、全部をきっちりと見ることはできない。そこで、俺は作業員と一緒に、誤字脱字やあまりにおかしい表現へ朱入れすることになった。


 何人かの作業員からは、かなり根気のいる作業だから大変ですよ、といい笑顔で忠告してもらえた。くそ、仲間が増えて喜んでいやがる。


 遠くない未来にげんなりする作業があると落ち込んでいる俺だったが、学生達はそれどころではない。何しろ何度も実験を繰り返し、そして論文にまとめなければいけないからだ。


 ここで忘れてはいけないのは、何十ページという論文を全てペンで記述しないといけないということだ。場合によっては図も自分で描かないといけない。例え提出すれば合格確実の優等生であっても、腱鞘炎にかかるくらい腕を酷使しなければならないのである。


 だから今、スカリー、クレア、シャロンの三人は真剣な表情で作業をしていた。


 スカリーはもうほぼ実験は終わったらしいが、クレアとシャロンについてはこれから大詰めを迎えることになる。だから微妙に温度差があるのだが、邪魔をしてはいけないことに変わりはない。


 作業が終わったのか、クレアが身の回りのものを片付け始める。ああ、そろそろか。


 「ユージ先生、行きましょうか」


 クレアに声をかけられた俺は、既にきりのいいところで作業を終えていたのですぐに立ち上がる。こっちは手ぶらだ。


 一方、クレアは大きめの鞄をよいしょっと持ち上げた。あそこには大量の紙束が入っているのを俺は知っている。


 俺は冒険者時代から使っている外套を身につけると、コートを羽織ったクレアに続いて研究室を出た。


 「実験の成果はどうなんだ?」

 「やっと思うような成果が出てきてくれたところです。一時はどうなることかと思いましたけど、信者の皆さんが頑張ってくださったから、何とか間に合いそうです」


 校内を正門に向かって歩いているときに、実験の状況について尋ねる。すると明るい声で言葉が返ってきた。


 クレアは後期に入ってすぐに動物実験から人体実験へと切り替えた。こう書くと随分とおどろおどろしいが、やっていることは治療行為である。ただし、動物のときと違って人間を傷つけるわけにはいかない。そこで、教会付属の治療院という病院で実験をすることにしたのだ。


 治療院の院長は快く承諾してくれたのでクレアは早速治療という名の実験を始めたのだが、ここからが大変だった。何しろ、クレアはノースフォート教会が認める、あの勇者ライナスと聖女ローラの子孫だ。信者にとっては生き神様である。その神様が治療してくださるということで、治療院や教会では大変な騒ぎになった。


 もちろん、クレアはひっそりと治療院の片隅で作業をやるつもりだったわけだが、相手にそんなクレアの思惑を察してくれる信者はひとりもいない。みんなが我も我もと押し寄せてきた。


 「クレア様! どうかわたしの痛風を治してください!」

 「聖女様! わたくしめの腰痛を治してください!」


 しかも治療院に入院している患者を差し置いて、なぜか噂を聞きつけた人ばかりだ。全体的に裕福そうな人が多いのは気のせいか?


 信者側の期待はさておき、クレアとしては色々と考察しながら治療をしないとやっている意味がない。そのため、改めて治療院の院長と教会の司祭に頼んで人数制限をしてもらう。


 大体、今回クレアが開発している魔法はひたすら回復効果を高めるものではない。少ない魔力でもある程度の治療効果のある回復魔法を開発しているのだ。そのため、どんな傷や病気も一発全快というわけにはいかない。


 ということで、原則として治療院に入院している患者のみに治療するということになった。騒がなかったらこんな制限はなかったのにな。慌てる何とかはもらいが少ないというが、何ももらえなくなってしまったのだった。




 レサシガムの中にある光の教団の教会はそんなに大きくはない。それはそのまま、レサシガム共和国における光の教団の浸透ぶりを表しているわけだが、それは治療院の規模にも影響している。


 庭を挟んで教会の隣に立てられた治療院は、雰囲気としてはひっそり建っていると表現した方が似つかわしい。まぁ、冬だから全体的に暗く感じてしまうのかもしれないが、少なくとも明るくはない。


 クレアは既に三ヵ月近くもここに通っている。さすがに毎日というわけにはいかないが、二日か三日に一度は訪れて色々と実験しているのだ。


 「おお、クレア様。ようこそお越しくださいました」

 「こんにちは、院長」


 その治療院の正門から俺達二人が入ると、院長と看護師が暖かく迎えてくれた。俺も十月から週に一回一緒に訪問しているので、すっかり顔なじみになっている。


 周囲を見渡すとベッドは患者で一杯だ。しかし、この中でクレアが治療院に来た当初に入院していた患者はひとりもいない。一部を除いて全員が怪我や病気を完治させて退院していった。一ヵ月半くらい前に入院した患者が最長だと聞いている。


 クレアがこの治療院に来た当初は、床にも溢れかえるほどの患者がいたそうだ。しかし、実験のための治療を頻繁に繰り返すことで、みるみる患者が減っていったのである。例え効果が不安定で薄くても、常識外の治療回数を繰り返せば嫌でも快方へと向かう。それは俺もここへ来るようになって一層顕著になった。


 「では、今日も治療させてもらいますね」

 「はい、どうぞ。ご用命がありましたら、何なりと申し付けください」


 しばらくクレアと雑談していた院長が引き下がると、俺達は早速実験を始める。


 本日最初の被験者としたのはか細い老人だ。随分と酒臭い。院長によると、酒の飲み過ぎで肝臓がやられているらしい。


 「クレアです。今日はあなたにお願いがあって参りました」

 「ああ、治療の実験か。よっしゃ、好きにしてくれや」


 しわがれた声で、その老人はクレアに返事をする。なんか明らかに身持ちを崩していそうなんだけど、こういう人でも信心深い人は多いらしい。俺には困ったときの神頼みにしか見えないが、ここで言うことじゃないな。


 クレアは自ら開発した魔法を老人にかける。鳩尾にかざした掌が淡く輝く。その光は老人の鳩尾を中心にクレアの掌より一回り大きい範囲を包んだ。


 「お、おおぉ……!」


 今まで震えていた手がほとんど震えなくなる。そして、老人は明らかに先ほどよりも表情が柔らかくなった。


 次にクレアは、脇に置いていた下敷きに貼り付けた用紙とペンを手にして色々と書き込んでゆく。そして、患者にもう何度も繰り返した質問を順番にしていった。


 「はい、それじゃ今日はこれまでにしますね」

 「おおきに! おおきに!」


 体調が良くなったことが自分でもはっきりとわかったのだろう。老人はクレアにお礼を言いながら、しきりに崇めていた。


 こういったことを夕方までずっと繰り返すのである。


 こちらは実験が目的なので、わざと患者を完治させない。本来なら治療院や患者からすると噴飯ものの行いだろう。しかし、ある程度とはいえ、どんな重症患者でも等しく治療していくところを目の当たりにすると、文句は言えなくなる。


 更に、今回この治療院で実験するに当たって、クレアが開発した魔法を院長と看護師にも伝授している。これは実験データをたくさん取るためだ。しかし同時に、多くの患者を治療するためでもある。あくまでも試作段階であるため、ここの治療院以外に広めないという条件は付くものの、惜しげもなく自分の編み出した回復魔法を教えてくれたクレアに、院長をはじめ看護師はとても感謝していた。


 「ユージ先生、そちらはどうですか?」

 「うん、特に問題ない。魔法の発動も不安定になることはないし、効果も魔力の消費に比例しているよ」


 途中からは二手に分かれて実験と治療を繰り返す。時間が惜しいという以上に、少しでもたくさんの実験データがほしいからだ。


 治療院内に西日が差し始めると、実験は終了である。学校へ戻らないといけないからだ。


 「院長、お世話になりました」

 「とんでもない。こちらこそ、いつもありがとうございます」


 どちらも笑顔だ。これぞウィンウィンの関係というやつだな。


 「では、クレア様、こちらをどうぞ」

 「ありがとうございます。大切に使いますね」


 院長の横に立っていた看護師のひとりが、紙束をクレアへと差し出す。クレアはそれを嬉しそうに受け取って鞄にしまった。


 今のは、クレアの開発した回復魔法を使った院長と看護師の記録だ。毎日全員の分を記録してもらっているので結構な量になる。書くだけでもなかなか面倒な作業だろう。


 その記録をまとめているクレアによると、この二週間くらいにとても大きな進展があったそうだ。そういえば、魔法の発動が安定したのはこの頃だったような気がする。


 俺達は、院長、看護師、それに患者のみんなに一礼すると治療院を出た。




 治療院を出た俺達二人は、徐々に赤く染まってゆく西日を受けながらレサシガムの街中を歩いて行く。


 「今日も問題なく治療できたな。これならもう完成したって言ってもいいんじゃないか?」

 「大まかなところは完成しましたけど、まだ調整しないといけないところがありますよ。年内には完成させるつもりです」


 俺の疑問に対してクレアは自信ありげに答える。


 「論文はもう書けそうなのか?」

 「そうですね。最初の方ならもう書けますけど、まだ実験結果をまとめないといけないので、手は出せそうにありません」


 こっちはちょっとばつが悪いのか、見つかったいたずらをごまかすかのような笑いを見せる。


 「でも大丈夫ですよ。絶対間に合わせて見せます」


 そうかと思うと、急におすまし顔になって言い切ってみせる。


 「まぁ、クレアのことだから大丈夫なんだろうな。うん、心配してないぞ」

 「えー、心配してくださいよー」


 更にクレアの顔はふくれっ面へと変化した。なんか、今日は表情が多彩だな。論文の目処がついて気が抜けたのか?


 「さ、早く帰って食堂でご飯を食べましょう」

 「わかったわかった。研究室に寄って、その鞄を置いてからな」


 どうせなら身軽な方がいいだろう。それに、スカリーとシャロンも呼ばないといけない。運が良ければ、アリーとカイルにも会えるだろう。


 少し強くなった風を外套でしのぎながら、俺はクレアと一緒にレサシガムの街を出て、学校へと足を向けた。

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