今どうなっていて、これからどうするのか
九月、それは後期の授業が始まる時期だ。学校が再び学生と教員で賑わい始める。
そして、後期に入って最初のイベントが演舞会だ。各研究室と教師の紹介の場である。去年までは俺もモーリスと共にその準備で忙しかったが、今年は関与していない。研究室の管理者になったので、他の雑用から解放されたからだ。
もちろん、サラ先生も自分で研究室の紹介をしているが、その準備は作業員がやってくれる。モーリスなどは「うらやましい」と俺に愚痴っていた。そのモーリスは去年と立場は変わっていないので、今年も演舞会の準備に奔走していた。
ということで優雅に演舞会を眺めていたわけだが、今年は魔法技術の専門課程が弱い。やっぱりマルサス先生が抜けた穴は簡単には埋まらないか。他の専門課程は例年通りだ。
今年の演舞会も例年通りに終わる。そういえば、去年はスカリー達がこの時期から専門課程を選び始めていたな。一部随分と揉めたけど。
今年の二回生はどこに行くのかな。留年組も来年の試験で進級できたら選ばないといけない。一応みんなに声だけはかけておくか。
演舞会が終わるといよいよ本格的に後期の授業が始まるわけだが、この時期にスカリー、クレア、シャロンの三人が研究室に戻ってきた。実に三ヵ月ぶりのご帰還だ。長い避暑だったよねー。いや、俺もたまにご相伴にあずかっていたけどさ。
さすがに最も活発に研究をしている三人が戻ってきたとあって、研究室も騒がしくなってくる。ただ、クレアだけはまだ週の半分をペイリン邸で過ごさないといけないらしい。ほら、例の地下室で実験しないといけないから。そのときは俺も高い確率で連れて行かれるんですよね。スカリーとシャロンは笑顔で見送るばかりだ。
そうそう、カイルだがついに俺への借金を全額返済してくれた! 夏休みに相当頑張って稼いだらしく、「もうしばらくは働きたない」と漏らしていた。うんうん、よくやった。
一方、アリーは夏休みから始めた、本に記されている型を練習するのに夢中だ。相当気に入ったらしく毎日熱心に練習している。夏休み中は俺もよく一緒に練習していた。
後期に入ると、俺はアハーン先生に掛けあって、本に書いてある型を習得する鍛錬をアリーとカイルにさせたいと相談した。実際に夏休み中にその効果を俺自身も体験しているので、この修行は有効だと力説する。最初は剣技だけなので渋っていたアハーン先生も、訓練のひとつとして取り入れるのならと了承してくれた。尚、週一回半日は俺がその訓練を担当することになった。
こうして後期の授業が始まった。五人が学業に費やせる期間は残り半年だ。きちんと結果が残せるように頑張ってもらいたい。
期の始まりはいつだって忙しいが、後期は新入生が入ってこない分だけ楽だ。仕事が落ち着くのもそれだけ早い。
サラ先生の研究室も同じだ。学生が研究を続けるのに備品などの不足がないとわかると、後は定型業務が中心となる。すると、補習授業と武術鍛錬の授業を他に持っていても少し余裕が出てくる。
「いやぁ、ユージ先生もすっかりうちのおかーちゃんに取り込まれたなぁ」
俺の隣で休憩しているスカリーが、俺の机の上にある書類の束を見ながら独りごちる。そんなにはっきりと言うなよ。気にしているんだからさ。
「けど、これでも研究室の仕事だけに絞っているんだぞ」
「あれ、おかーちゃんの仕事は?」
「学校運営の仕事は秘書さんの仕事だろう。俺は研究室の仕事だけだ。そういう約束でこの仕事を引き受けたんだからな」
意外そうな顔をスカリーが向けてくる。言いたいことはわかるぞ。俺も頑張って自分の身を守っているんだ。
「へぇ、おかーちゃんのお願いを断れるんかぁ。将来有望やなぁ」
今度は俺が怪訝な表情を向ける。あれ? てっきりその頑張りもいつまで持つかなって返してくると思ったのに。なぜか評価が高い?
「この研究室の管理だけっていう約束で引き受けたんだから、断れるのは当然だろう?」
「けど、前期のときはそれ以外の仕事もさせられとらんかった?」
「ふふん、引き受けた仕事は最低限やって返したし、それ以外は全部断っているんだ」
いやもう、何気なく自分のやらせたい仕事を混ぜてきたり、上手く言いくるめるのが上手なんだよな、あの人。見た目に騙されるというのもあるんだけど。
「それって凄いことなんやで? おかーちゃんのお願いを断れる人って、なかなかおらへんし」
「そういえば、みんなサラ先生と話をするときは緊張しているよな」
あれは偉い人と話をしているからじゃなくて、余計な仕事を押しつけられるかもしれないからだったのか。
「おかーちゃん、『ユージ君がいると便利やからずっといてもらうんや』ってゆうとったで」
「必要以上に仕事を丸投げしてこないなら、文句はないんだけどね」
どうせやらせるなら、きちんと契約を結んでその分の報酬をくださいって言いたいんだけど、言ったら本当に契約しそうで怖いんだよな。なまじっかできる権限があるっていうのが厄介だ。
あーもう、何もかも投げ出したい。
そこへクレアが研究室へ戻ってくる。最近はきつめの香水をするようになったので、近づいてくると一発でわかるようになった。香水をつけるようになった理由は、もちろん例の地下室の臭いが酷いからだ。
「相変わらず自己主張の強い臭いだな。もっと薄くできないのか?」
「う、な、なかなか上手く調整できないんですよ。あの臭いがまだ付いているような気がして」
気持ちはわかる。ただ、慣れていないと鼻がひん曲がりそうなんだよ、獣の臭いとは別の意味で。
「それと、あの地下室に香水を振りまくのはもうナシな。あれはたまらん」
「わ、わかってますってば」
クレアが顔を赤くしながら小声で返事をする。
女の子としてあの獣の臭いを我慢できなかったクレアは、一度あの地下室に香水を振り撒いたのだが、これが獣の臭いと混ざって逆に状況を悪化させてしまったのだ。臭いだけで吐きそうになったのは初めてかもしれない。
人間でそんな状態なんだから、もちろんより嗅覚が敏感な獣にとっては最悪だ。もう暴れてまくって手が付けられなかった。おかげでその日は実験どころじゃなかったんだよな。
「そろそろ実験も次の段階に移そうと思っていますから、獣を使った実験は近々やめる予定です」
「お、いよいよ論文の執筆に入るのか?」
「何を言っているんですか、ユージ先生。人間での実験がまだじゃないですか」
「お?」
何やらすごくいい笑顔で恐ろしいことをさらっと言われた気がする。まさか、あの地下室でやっていたことを人間にするんですか? 普通に犯罪ですよ?
「教会の治療院にかけあって治療のお手伝いをする代わりに、実験に協力してもらうんです」
「ああよかった。てっきり人間をざっくざっく切り刻むのかと思ったよ」
俺が素直な感想を口にするとクレアは口をとがらせた。横にいるスカリーは笑いをこらえている。
「しかし、クレアが患者を治療するとなると騒ぎにならないか? 特に教会の治療院だと」
「聖女伝説の復活やな」
初代の聖女様はその称号を嫌っていたけどな。そしてクレアも困った表情を浮かべる。
「実は、それを少し気にしているんです。ほら、以前学校でもわたしを担ぎ出そうとする動きがあったじゃないですか」
あーあれな。あれ以来ずっとおとなしくしているけど、教会の治療院でクレアの評判が上がったら、また動き出すかもしれないというわけか。
「それは気にせんでええんとちゃうか? だってもう半年したら卒業やで?」
「ああそうか。信者が本格的に動き出そうとするときには、もうここにはいないもんな」
そうなると、後はクレアが治療を担当する度に治療院が大騒ぎになることくらいか。それはもう、こっちの領分じゃないからどうしようもない。
「そっか。それなら、あまり気にしなくてもいいのね」
「そうゆうこっちゃな」
「じゃ、スカリーの方はどうなんだ? やっぱり論文を書くのはまだ先なのか?」
「本格的に書くのは来年の一月やね。けど、うちの場合は理論をまとめるのが中心やさかいに、論文の前半部分やったらそろそろ書けるで」
おお、こっちはもう書けるのか。さすがスカリー、作業が早い。
「ただ、まだやらんといかん実験はあるさかいに、そんときはユージ先生に頼むけど」
「そりゃいいぞ。いつでも言ってくれ」
こうやって周りの学生の研究が順調だと、俺としても嬉しい。
「二人の状況はわかった。あとはシャロンなんだけど、やっぱり順調なのか?」
「研究は進んでいるみたいやで。うち、よう相談されるから、ある程度知ってんねん」
「本人がそこにいるから、呼んできますね」
俺が止めるまもなく、クレアはシャロンを呼びに行く。あの香水の臭いは大丈夫なんだろうか。
呼ばれたシャロンは、ハンカチを鼻に当てて眉をひそめたままやって来た。ああ、やっぱり駄目か。
「クレア、申し訳ないですけれど、できるだけ離れてくださらない?」
「うう、なんだか嫌われているみたいね」
俺も一時的にクレアが離れたせいで鼻の機能が回復してしまい、また香水のきつい臭いを感じるようになってしまった。う、むせる。
「それで、ユージ教諭。お話というのは、研究の進捗についででよろしいので?」
「うん、一回しか実験を手伝ったことがないから、どの程度進んでいるかわからないんだ」
シャロンの研究は攻撃魔法の命中率向上に関するものだ。初めてその実験で攻撃魔法の軌道が曲がるところを見て以来、実は一番興味のある研究だった。それだけに、俺としては是非成功させてほしいのである。
「理論に関しては詰まることなく構築しています。ただ、これが思ったよりも時間がかかっておりますので、なかなか実験できないのが難点ですわね」
俺、スカリー、クレアの三人は微妙な表情をする。大きな問題はないけど進捗は遅れ気味なのか。人が手伝えない部分だけに頑張れとしかいえないな。
「それよりも、別のことで悩んでおりますの」
「え、なに?」
三人とも不思議そうな表情になる。研究以外での悩みってなんだろう。
「わたくし達は来年で卒業するでしょう? その後なんですけれども、実家に帰るか、それとも魔法学園に残るかで悩んでいますの」
なんと、卒業後の進路についてなのか。あ、俺担任だから、これも俺の仕事の一部なんだよな。他の四人の進路は悩むまでもなかったから、意識なんてしていなかった。
「それは、研究者になりたいってことなのか?」
「そうですわね。今やっている研究ですけれど、本当に完成させようとしますと、まだかなり時間がかかりますの。ですからそれを続けて研究したいのですが」
「実家が許してくれるかわからないってことか」
この時代だと十代後半は結婚適齢期だ。二十代になると行き遅れと後ろ指を指される。それはどの身分でも同じだ。そうなるとシャロンの実家としても、今のうちにシャロンに結婚してほしいと願うだろう。まぁ、行き遅れになったとしても、大貴族という立場があれば多少はどうにかなるだろうし、独身を貫いても生活に困ることはないが。
しかし、シャロンとしても家族との軋轢は避けたい。だからこそ悩んでいるんだと思う。
「一旦実家に戻って親と話をするか、向こうで研究を続けるというのはどうなんだ?」
「それが一番現実的なことはわっていますわ。ただ、一度戻るとどうなるかわかりませんし、研究環境はこちらの方がずっとよろしいですから」
「え、ハーティアの研究環境よりもこっちの方がいいの?」
「はい。こちらへ来る前に、お父様が施設の見学をさせてくださったことがあるんですの」
うーん。王都ハーティアって言ったら、この大陸で一番大きな都市だぞ。そこにある研究施設でもこの魔法学園にかなわないのか。
あと、一度戻るとどうなるかわからないって言ってたけど、たぶん強制的に結婚させられる可能性があるってことだろうな。
「でも、悩んでいるってことは、実家と縁を切ってここに残るっていうことはしたくないんだろう?」
「はい。さすがにそこまでは……」
「そうなると、最終的には、一旦実家に戻ってから進路を決めるってことになるだろうな」
俺個人としては、手紙のやり取りで親を怒らせてから進路の話をするよりも、平静な親と話し合いをする方が道を開きやすいと思う。
「一応確認しておくけど、結局のところ、シャロンの親御さんが心配していることがあるとすれば、シャロンが結婚できるかどうかということでいいんだよな?」
「ええ。家格が見合った相手という条件がつきますけど」
そうか、誰でもいいわけじゃないんだった。
「そうなると、こっちでフェアチャイルド家に見合う大貴族の男を捕まえるのが、一番確実やわな」
「でも、そんなに都合良く見つかるものかしら?」
スカリーとクレアが、自分の知っている範囲の貴族を並べて検討してゆく。何やら結婚相談所みたいになってきたな。
「わたくしも魔法学園に入学して以来、内外で色々お相手を探していましたが、なかなか見つからなくて」
「そっか、この学校の学生には貴族の子弟も多いんだったよな」
あと、夏休みなんかにこっちの貴族と会っていたみたいだけど、あれは結婚相手を探すためでもあったのか。
「これは、うかつなことは言えないなぁ」
「ええ。こればっかりはわたくしだけでなく、家の問題でもありますので」
「誰かいい人が見つからないのかしら」
クレアが眉をひそめてつぶやく。ほんと、ひとり見つかるだけで万事解決なんだけどな。そのひとりが見つからない。
結局、この話には結論が出なかった。実家も納得させないとなると、そう簡単に良い案なんて出てくるはずもない。とりあえず、この話は次の機会にということになった。