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転移した前世の心残りを今世で  作者: 佐々木尽左
4章 夜明け前の助走
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クレアの臨床実験

 今や夏真っ盛りとあって、暑くない場所というのがない。屋内は風が凪いだらサウナ風呂状態になるし、屋外は日差しと照り返しによるオーブン状態だ。サウナ風呂もオーブンもこの世界にはないけど。


 俺は今、あまりの暑さに休憩している。今は何も考えられない。幸い処理する書類もないので、何もない限りはぼんやりとしておこう。そして俺の近くには、室内に学生が誰もいなくなって手の空いたお魚君が椅子に座って休憩している。あの、魚の件以来よく話をするようになった作業員だ。


 こんな気候にもかかわらず研究室へやって来て研究をしようとする学生は、本当に見上げたものだ。しかし、かわいそうなことに、この暑さで作業の効率は下がる一方である。


 「まぁ、夏休みに熱心に研究室で作業している学生で優秀なやつなんて、まずおりまへんけどな」


 俺が感心していたらお魚君に苦笑いされた。あれ、違うの?


 「本当に優秀な学生は、こんな暑苦しいところで研究なんかしまへんって。もっと環境のええところでやるか、この時期は最低限の作業で済むように調整してますもん」


 ああ、知りたくなかった新事実を無理矢理耳から頭へと詰め込まれてしまう。今は部屋に学生がいないからいいけど、問題発言をされているような気がする。


 「大体、こんなに暑いと頭なんて回りませんやん。そんな状態で作業してもろくなことにならんでしょう」

 「確かにそうだけど、そうなると俺もか。あれ、もしかして暗に馬鹿にされてる?」


 まさか真っ正面から言われるとは思わなかった!


 「ユージ先生の場合は立場上どうにもならんでしょう? それに、やってる作業も大抵は簡単なもんばっかりですやん。それに対して学生は思いっきり頭使う研究やのに、その頭がまともに動いてくれん環境で作業しとるんです。全然状況がちゃいますやん」


 なるほど確かに。お魚君の言葉に頷くと、「ね、こんな頭がやられやすいところで、まともに考えることなんでできんでしょ?」と笑われる。あ、今度は本当に馬鹿にされた。


 「だったら、いっそのこと夏休み中は研究室を閉めたらどうなんだ?」

 「それやりますとね、今度は期日までに論文が提出できんようになるんですわ。困ったことに、例え効率が悪うても作業させんといかんのです」

 「ああ、だからそっちも交代制にしてまで出勤しているのか」


 俺が納得した様子で言葉を返すとお魚君は頷いた。


 「まぁ、どのみち私らは、研究室や備品の管理と整理をせんといかんので、出てこんといけないんですけどね」


 てっきり研究室を開放するのは熱心な学生のためだと思っていたのに、出来の悪い学生のためだということがわかってしまった。


 「あれ? でも、ここの研究室って人気があって入るのも大変なんだよな? なのに、そんな残念な学生がいるのか」


 その学生の選別作業に俺も入っているだけに、少なからず衝撃を受ける。まずい、もしかして選考に失敗していたりする?


 「書類や成績、それに面接だけで相手のことなんて全部わかりまへんで。どんなにきっちりと選んだつもりでも、外れの学生が入るときは入るもんなんです」

 「ということは、毎年大体こんなものというわけか」

 「まぁそうですね。ちょっとましかもしれませんけど」


 それが本心なのか、それともお世辞なのかはわからない。でも、例年よりも改善したと言われて安心した。


 そうやって二人して暑さにだれていると、室内にクレアが入ってきた。スカリーと違って、多少顔をしかめただけで何も言わない。


 「お、才媛のひとりが来ましたやん。ほな、私はこれで」


 お魚君は椅子から立ち上がると、だらけきった様子で俺の近くから離れていった。代わりにクレアが近づいてくる。


 「ユージ先生、おはようございます。あの、実は実験を少し手伝ってほしいんですが」


 何となくわかっていたが、クレアのお願いは研究のための実験を手伝ってほしいというものだった。俺としては断る理由はない。快く引き受けた後、一緒に研究室を出た。




 そういえば、俺がサラ先生の研究室に出入りするようになったのは、クレアの研究を手伝うためだった。


 では、どれだけ手伝っているのかというと、実は思ったほど協力していない。除湿剤をたくさん回しているというようなことはやっているけど、魔法の実験に関してはあまり関与していなかった。もう夏で、そろそろ専門課程としては折り返し地点の時期だ。さすがに不安となってくる。


 「なぁ、クレア。俺、あんまり実験なんかに協力していないんだけど、研究はちゃんと進んでいるんだよな?」

 「はい、進んでいますよ。今まではスカリーとシャロンに手伝ってもらって、理論の構築を中心に作業をしていたんです。今はその作業も一段落して、いよいよ実験三昧の日々になります」


 なんだそうだったのか。この落ち着いた様子だと、来年の発表までには間に合うんだろうな。


 クレアは俺を連れてペイリン邸へと入る。夏の間はスカリーとシャロンも含めて三人ですっかり居着いているらしい。ここだと魔法による空調もあるから研究もはかどるだろう。


 このペイリン邸だが、元は学校の校舎という側面もあったため意外と広い。そんな屋敷の中を、既に勝手知ったる友達の家になっているクレアは迷うことなく中を進んでゆく。俺はクレアの部屋に行くのだろうと思って何も考えずについて行った。


 しかし、俺の予想は外れた。今まではクレアの泊まっている部屋に案内されたのに、なぜか見慣れない廊下を歩く。そして、とある古めかしい扉の前に立ち止まった。クレアは鍵束からひとつ選び出した鍵で解錠して、その扉を開ける。扉は見た目通りに古いらしく、悲鳴のような軋みを上げてゆっくりと開いた。


 古めかしい扉の向こうは暗闇だった。本当に一切の光が入ってこないらしく、まだ明るい日中なのにここだけ真夜中のようだ。それでもかろうじて見える範囲は、この屋敷には似つかわしくない無骨な石造りであることがわかる。


 「さぁ、先生、どうぞ」


 無属性の光明ライトを頭上に発動させたクレアは、まるで自分の家に案内するかのように俺を招き入れようとする。そのあまりにも慣れた態度と扉の向こうの落差に、俺は思わず硬直した。


 「先生? どうされました」

 「いや、なんていうか。クレアってここで研究しているのか?」

 「はいそうですけど?」


 何を言っているんだと言わんばかりの不思議そうな表情をされる。いや、そっちには当たり前でもこっちにとってはそうじゃないんだ。


 尚もにっこりとした笑顔で入るように促された俺は、仕方なく足を踏み出す。


 扉の向こうに入ってすぐに立ち止まると、俺は周囲を見回した。全面石造りで飾り気が全くない。そしてすぐに下へ向かう階段が奥へと続いていた。城の石垣というよりこれは、ゲームなんかでよく出てくるダンジョンと言った方がぴったりだな。


 ある意味周囲の様子に感動していた俺の後ろで、扉が閉まる音がする。これで外からの日差しは一切なくなり、光明ライトの光のみとなった。そして、かちゃっという鍵がかかったぽい音もした。


 「あの、クレアさん? どうして鍵を閉めるんですか?」

 「え? ああ、何かあったら大変ですから」


 思わず敬語で問いかけた俺に上機嫌で答えてくれるクレアだったが、微妙に回答にはなっていない。でも、何となくそれ以上聞けなかった。


 再びクレアが先頭になって階段を降りてゆく。横幅は約一アーテム半、縦が約二アーテムの階段が体感で三階分くらい続くと、踊り場が現れた。そのすぐ先にはまた扉がある。


 クレアがその扉を開けようとしているときに周囲を観察した。すると、全て石造りであることには変わりないものの、さっきよりも明らかに湿っぽくなっていることに気づく。いやなんていうのか、いかにもそれらしい雰囲気が出てきたじゃないか。


 扉を解錠する音が聞こえた。そして、クレアが目の前の扉を開ける。すると、湿り気を帯びつつもひんやりとした空気が漂ってきた。しかも結構くさい。それと同時に、何やら動物の鳴き声が聞こえてきた。え、なにこれ?!


 「あの、クレアさん。クレアさんって何の実験をしているんでしたっけ?」

 「はい? ええっと、回復魔法に関する研究ですけど」


 そうですよね! いかにもクレアさんらしい素晴らしい研究課題だと思いますよ! なのにどうして、俺達はこんないかにも悪魔崇拝者の隠れ家みたいなところにいるんでしょうか! やばい、俺、丸腰だぞ!


 「あのですね、この動物みたいな鳴き声って何なんですか?!」

 「実験に使う山羊ですよ。さ、うるさいし臭いますけど、入ってください」


 できればここから逃げ出したいが、そういえば上の扉は鍵を閉められたんだっけ。しまった、すっかり油断しちゃった!


 仕方なく俺は中に入る。臭いと鳴き声が一層強くなった。


 そして、クレアさんはやっぱり扉を施錠する。ああ、退路は完全に断たれてしまった。


 唯一の明かりである光明ライトに照らされた周囲を見渡すと、どうも部屋のようだ。相変わらずの石造りであることには変わりないが、そんなに広くない。そして、この部屋の左右にはもうひとつずつ部屋があるらしい。山羊の鳴き声は左側からしている。


 俺が部屋の中を探っていると、クレアは部屋の四隅に光明ライトを発動させた。すると、かなり明るくなる。


 いつの間にか臭いにおいがほとんどしなくなっているが、これは慣れたせいだろうな。うわ、服に染み付いているんじゃないかな、これ。


 更に立った今、山羊の鳴き声がぴったりと止んだ。そして、代わりにどさりという鈍い音がする。え、まさかクレアさん、殺っちゃった?!


 「ユージ先生。これ一緒に運んでもらえます?」

 「え、この山羊?」


 声をかけられた俺は、半ば機械的にクレアに従って山羊を隣の部屋からこちらに移してくる。ああ獣臭い。あれ? でも、血は出ていないし、息もしている。もしかして死んでいない?


 「クレアさん、この山羊を使った実験って、どんなことするの?」

 「体の一部を傷つけて、それを私が開発した魔法で治療するんです。小さい動物ではある程度成功したから、今度は大きい動物で試すんです」


 ああ、なるほど。そういうことか。つまりこれは臨床実験なわけだ。


 山羊はついさっき、睡眠スリープの魔法で眠らせたそうだ。それでぐったりとしていたのか。


 「で、今から実験を始めると」

 「はい。光属性の回復魔法と私の開発した回復魔法で、それぞれ実験をします」


 よしきた、と俺は頷く。


 俺が納得したのを見てにっこりと微笑んだクレアは、短刀を取り出すと山羊の太ももにいきなりどすっと突き刺して、そこを起点に太ももを思い切り切り裂いた。眠っている山羊は一瞬びくんと動いたかのように見えたが、すぐに何事もなかったかのようにぐったりとする。クレアさん、随分と手慣れていますね。


 いくらこれから治療するとはいえ、俺は何ともいえない気分になる。そして、何の感情も表さずに淡々と作業をするクレアさんを見て、それは聖職者としてどうなのと内心で突っ込んだ。


 「我が下に集いし魔力マナよ、神の奇跡を我らにもたらせ、回復ヒーリング


 クレアが魔法を使うと、その傷は瞬く間に治った。


 その様子を見ていたクレアは、脇に置いていた用紙に何やら色々と書き込んでゆく。


 書き終わると再び短刀を手にして、それを山羊の太ももにどすっと突き刺してから切り裂いた。おおぅ、やっぱり見ていて何ともいやな気分になる。


 「我が下に集いし魔力マナよ、神の奇跡と水の恵みを我らにもたらせ、水付与回復ウォーターヒーリング


 呪文がさっきと違う。これがクレアの開発している魔法か。どう聞いても複合魔法だ。


 山羊の傷は治ってゆくが、途中で回復が止まった。さっきと違って完治しない。


 クレアは再び用紙に何やら書き込んでゆく。そして、一旦用紙とペンを置くと、山羊の傷口をなぞったり開いたりといじり回し始めた。あああ、そんなんやめてぇ! 他人事でも見るだけでこっちも痛くなるぅ!


 しかめっ面をしている俺のことはまるっきり無視して、クレアは傷口を触り終わるとまた何やら書き込む。それが終わると、回復ヒーリングで完治させた。


 そして三回目。俺も少し心が麻痺してきたかもしれない。ああ、そりゃこんなのを何度も繰り返していたら慣れるわな。


 「それじゃユージ先生、この傷を回復させてください」

 「……ああ」


 まだ何もしていないのにすっかり疲れ切った俺は、山羊の傷に回復ヒーリングをかけた。見る間に傷は完治する。


 それから俺はクレアに何度か質問された。魔力の消費量から始まって、魔法を使うに当たって念頭に置いたことなどもだ。それが終わると、今度は水付与回復ウォーターヒーリングの使い方の説明を受ける。今度は俺が使うためだ。


 そして四回目である。もうあまり何も感じなくなってきた。立て続けに見たせいだろうか。


 「ユージ先生、お願いします」

 「我が下に集いし魔力マナよ、神の奇跡と水の恵みを我らにもたらせ、水付与回復ウォーターヒーリング


 俺がこの魔法を使うと山羊の傷は完治した。あれ? さっきと違う?


 そこから再びクレアの質問攻めにあう。自分のときと効果が異なる原因を探るためだ。


 「んー、先生の使う魔力が多すぎるのかもしれないですね。半分くらいに減らしてやってみてください」


 原因を追及して突き止められたところで五回目だ。これ、いつまで続くんだろう。




 というような実験を延々と繰り返すことになった。散々実験をやって終わったのは日没後でした。時間の感覚がすっかりなくなっていたよ。


 ちなみに、研究室で毎週除湿剤をもらっているのは、この地下室の湿気を取るためだった。まさかこんなところで使っていたとは。

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