シャロンの仮説検証実験
六月も後半になると湿度だけでなく気温も上がってくる。湿気を取り除きつつ気温を下げるためには、どちらも水属性の魔法に頼らなければならない。しかし、これを一日中発動し続けるだけの魔力を持っているのは俺だけだ。しかも、学生は自分の実験で魔力をたくさん使うので、更に魔法で快適な環境を築くことが難しい。
つまり、最近の研究室内は、暑さと湿気にやられた学生がたくさん転がっているということだ。以前ペイリン本邸で見た魔法による空調は、設備が高すぎる上に必要な魔力も多いので、ここには設置されていない。
スカリー、クレア、シャロンの三人は、六月に入ってすぐ学校内にあるペイリン邸に移っている。あっちには魔法を使った空調があるらしい。まるで避暑地に移ったみたいだ。おのれ、金持ちどもめ。
もちろん俺にはそんなことはできないので、研究室の机で作業をしている。ただし、放っておくと屍累々の学生と同じようになってしまうので、こっそりと魔法を使って一日中涼をとっていた。仕事を滞らせるわけにはいかないからな。ふふふ、悪いね、学生諸君。
そして今日も、汗だくになりながら研究をしている学生を尻目に、文字通り涼しい顔をしながら作業をしていた。するとそこへ、シャロンがやって来る。
「おや、珍しい。何か足りない物でもあるのかな?」
「ご機嫌よう、ユージ教諭。本日は、私の実験に協力していただきたくて、お願いに参りましたの」
確かシャロンの研究課題って、攻撃魔法の命中率を上げるっていうやつだったよな。
「実験に協力してほしいってことは、とりあえず理論はできたのか」
「ええ。今回は本格的な仮説検証実験ですの」
調査の方法論には大きく分けて二種類ある。ひとつは仮説検証といい、あらかじめ仮説を立て、その後にその仮説が正しいのかを調べて実証していく方法だ。考え方に偏りがあると結果も偏ってしまうが、調査する範囲がある程度決まるので効率は良い。もうひとつは事実検証といい、事前に予測をせずにありのまま調査する方法だ。こちらは事後解釈も成立するので信憑性に欠けるという問題があるが、事実を積み重ねるので結果に人為的な偏りが少ない。
どちらを使うかは人それぞれだが、今回シャロンが利用した方法は仮説検証の方だ。いくつか小さい実験を繰り返しながら仮説を組み立て、そして今回本格的な実験をするらしい。
「いつどこへ行けばいいんだ?」
「今日の昼下がりに倉庫前へ来てください」
「え、あそこ?」
俺は渋い表情になる。倉庫近辺は去年色々とあったところだ。用があるときはもちろん足を運んでいるが、できればあまり近づきたくないところだな。
「あの奥に広い空き地があるとスカーレット様から伺っておりますの。普段、人が寄りつくところではないので、気兼ねなく実験ができるところだそうですわ」
まぁ、その通りなんだけどね。ちなみに、シャロンの言っている広い空き地とは、倉庫裏の広場のことじゃない。倉庫へと続く道を更に奥へとたどっていくと、だだっ広い野原に出るんだ。それこそ百アーテム単位の広さである。
「俺の他には誰か来るのか?」
「スカーレット様にクレア、アリー、そしてカイルですわ」
「え、いつもの面子が全員揃うのか」
意外に思った俺は思わず聞き返した。どんな実験をするのかわからないが、どうもなかなか大がかりな実験なようだ。
「わたくしだけではなく、他の皆さんにも実験に協力していただくんですのよ」
最初の本格的な実験なのに、大がかりにしすぎていないか気になる。それとも、実験の大半が成功する前提なのだろうか。
「いいよ。昼下がりに倉庫前だな。あ、そうなると、昼からはずっと実験に付きっきりってことになるのか」
「ええ、そうですわ」
俺は現状について整理してみる。しばらく考えて問題なしと判断した。急ぎの仕事も今はないしな。
「わかった。こっちで用意するものはある?」
「手ぶらで結構ですわ。それでは」
快い返事を俺から得られたシャロンは上機嫌に振り返って研究室を出て行く。
俺の方は、今のうちに少しでも仕事を減らすべく、再度書類に取りかかった。
約束の昼下がりになると俺は倉庫前へと向かった。間違って事前に食堂で腹一杯食べて来たので少々苦しいが、魔法の実験であって戦いじゃないから大丈夫だろう。
「あ、ユージ先生!」
俺の姿を最初に見つけたのはクレアだった。たまたまこっち側に顔を向けていただけのようだ。
俺はおなかをさすりながらゆっくりとみんなに合流する。その様子を見たスカリーが不思議そうに尋ねてきた。
「先生、おなかの調子でも悪いのん?」
「いや、単に食べ過ぎただけ。ちょっと苦しい」
そう言うと全員五人が半笑いになった。大丈夫、そのうちちゃんと動けるようになるから。
「まぁいいですわ。それでは参りましょう」
シャロンを先頭に俺達は空き地へと向かう。見たところ手ぶらのようだが、実験は魔法のみなんだろうか。
空き地に着くと草が青々と茂っている。今が伸び盛りとばかりに成長しているらしく、思ったよりも背丈が高い。膝辺りまである。そして、全体的にむわっとした草木のにおいが立ちこめていた。日差しで熱せられた草木に付着した雨露と草木自身から蒸発した水気が、周辺を覆っているのだ。
「それで、どんな実験をするんだ?」
そういえばまだ何も聞いていないことに気づいた。一体どんな実験なんだろう。
「普通、発動した火球のような攻撃魔法は、直線的にしか動かないでしょう? 今回はそれを曲線的に動かすのですわ」
シャロンの言う通り、基本的に攻撃魔法はまっすぐにしか飛ばない。通常はかざした手の先へ延々と進む。この直線的な動きをねじ曲げることはやってできないことはない。しかし、あまりにも効率が悪いため誰もやらない。
だが、これがある程度手軽に使えるとなると話は変わってくる。攻撃魔法の軌道を変化させられるというのは、例えば曲射砲撃のように遮蔽物を越えて攻撃ができるということだ。これはなかなか使い勝手がいい。
「最終的には、目標に到達するまで、自在に軌道を変化させられるようにするつもりですわ」
「え、そんなことができるの?」
「今はまだ理論上の話ですわ。まずは軌道を曲げるところからです」
思わず聞き返した俺に対して、シャロンは誇らしそうに答えた。うん、それは是非とも完成させてほしい。そして、俺にもやり方を教えてくれ。
「それでは準備をしましょう。スカーレット様、高さ一アーテム半の土人形を三十アーテム先に作ってくださいませ。クレアは同じく高さ一アーテム半の水壁を二十アーテム先に作ってください。できるだけ透明でお願いね」
指示を受けたスカリーとクレアは、要望通りの土人形と水壁を出現させた。
「土人形も水壁も結構大きいな。二人とも、かなり魔力を使ったんじゃないのか?」
「いや、あの土人形の中身はすかすかやから大したことないで」
「わたしもです。防御力なんてないですよ、あれ」
なるほど、見た目だけか。
「それで、俺とアリーとカイルは何をすればいいんだ?」
「別の実験で協力していただく予定ですわ」
まずは見物か。よし、しっかりと見てやろう。
「我が下に集いし魔力よ、突き抜けし魔法を操れ、魔法操作」
シャロンが初めて聞く呪文を唱えると、その目の前に白く輝く真円が現れる。直径一アーテムくらいか。名前からすると、これが魔法を操るための魔法らしい。
しばらくじっとしていたシャロンだったが、やがて準備ができたのか、別の呪文を唱える。
「我が下に集いし魔力よ、火となり貫く牙となれ、火槍」
土人形と水壁の高さはどちらも一アーテム半、まっすぐ火槍を飛ばすと水壁にぶつかる。そのため、直線的な軌道では土人形を直接狙えない。
シャロンのかざした手は角度にして三十度くらい空に向いている。魔法操作という白く輝く真円は、その手のひらを中心に空へと傾いた。どうも手の動きに連動してくれるらしい。
射出された火槍は白く輝く真円の中を通り抜けて飛び出す。見た目に変化はない。ないんだが、
「お、おお?!」
なんと本当に火槍が曲線を描いて空から地面へと軌道を変更してゆく!
予定通り水壁の上を通過した火槍は土人形めがけて尚も曲がる! しかし!
「ああ!」
おしい! あとわずか数イトゥネックというところでそのまま後方へ飛び去って、地面に突き刺さってしまった。
「凄い! シャロン、これむっちゃ凄いやん!」
「土人形に当たりこそしなかったものの、あそこまで意図的に曲げられるとは思わなかったぞ」
カイルとアリーが最初にシャロンへと駆け寄った。目標こそ達成できなかったものの、実際に魔法の軌道を曲げてみせたのだ。二人が驚くのは当然だろう。
「これは凄いな。実用化できたらとんでもないことになるんじゃないのか?」
「シャロンが言うには、魔法操作はまだ理論を実証するための道具の域を出とらんらしいで?」
「ほら、小森林でここぞというときに魔法を外していたでしょう? あれが悔しくて、克服するために研究しているそうですよ」
いや、驚いた。実際に実現するところを見せてもらうと全然違うなぁ。スカリーとクレアの説明に対して耳を傾けずにシャロンを見る。
「おーっほっほっ! わたくしが本気になれば、ざっとこんなものですわ!」
あ、アリーとカイルに褒められすぎて完全に舞い上がってるぞ。さっきまで緊張していたくせに。
「しかし惜しかったな。もう少しで土人形に当たりそうだったのに。あの魔法操作って魔法の調整が甘かったのか?」
「考えられるのは、角度調整か魔法制御のどちらかだと思いますわ。もし違うのなら、理論の部分に問題があるかもしれませんわね。それはこれから何度も実験を繰り返して洗い出しますわよ」
今まで舞い上がっていたシャロンだが、俺が失敗の原因について質問すると、やや真剣な表情に戻って返事をしてくれる。
そして一頻り喜んだ後、魔法操作を再度出現させて火槍を撃ち出す。すると、火槍が真円を完全に抜けた瞬間、その白く輝く輪は消えてなくなった。そうか、初回も消えてなくなっていたんだな。気づかなかった。
しかし、また外れた。
直後のシャロンは、その現象を見ながら何やらつぶやいている。スカリーとクレアも近づいて相談を始めた。
「初めての実験なのだから、上手くいかなくても仕方ないな」
「せやな、俺からしたら、曲がるだけでも大したもんやと思うし」
俺の隣では、アリーとカイルがにこやかに相談をする三人の姿を眺めている。
と思っていたら、三回目の火槍が撃ち出された。
光り輝く輪を通って、前二回とほぼ同じ軌道をたどる。そして、今度こそ土人形に当たった!
火槍に打ち砕かれた土人形が崩れてゆく様子を見て、俺達五人は一斉に歓声を上げた。
「やりましたわ! やっぱり魔法制御が甘かったのですわね!」
「角度調整にも難があるけど、とりあえずはこんでええやろ!」
「やったわね! おめでとう、シャロン!」
俺とアリーとカイルもシャロンに駆け寄って祝福の言葉をかける。やっぱり実験が成功すると嬉しいよな!
「あれ、なんやあの煙?」
「それにこの臭いは、何か燃えているのか?」
一緒になって喜んでいたカイルとアリーが、周囲の異変に気がついた。え、これって、まさか。
「も、燃えていますわー!」
「火槍なんて使うからやん!」
「とにかく消さないと!」
土人形の立っていた奥の草むらから火と煙が上がっている。三本の火槍が刺さったところだ。
「水属性が使える奴は消火だー!」
俺はそう叫ぶと、慌てて呪文を唱えた。
四人が一斉に魔法で消火したおかげで、ぼや程度で済む。しかし、今度からはもっと周囲にも気を配って実験させないといけない。あー危なかった。