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転移した前世の心残りを今世で  作者: 佐々木尽左
4章 夜明け前の助走
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出費を抑えたいんだが……

 六月に入るとレサシガム一帯は梅雨に入った。あまり雨が降るわけではないが、それでも湿度は高くなる。そして、この湿気が今年の俺にとっては非常に厄介な相手となる。というのも、研究室の備品や材料を湿気から守らないといけないからだ。


 そういえば、まだ小学生か中学生だったころに、正倉院っていう倉の話を聞いたことがある。あれって建物を構成している木材が湿度調整しているらしいな。だから正倉院の中の湿度はそんなに変化しないそうだ。


 翻って我が校だが、基本的に石造りだ。もちろん倉庫も研究室もである。そのため、建物そのものに湿度調整機能はない。そこで、代わりに色々な対策をとっている。


 まず、倉庫全体の湿気をある程度押さえるために白い塊を使う。何やら怪しげな雰囲気が漂うが、要は除湿剤だ。たぶん塩化カルシウムなんだと思う。ほら、冬場道路のあちこちに置いてあるでっかい袋に入っているやつだ。こいつを倉庫の各所に配置しておく。


 次に使うのが油脂だ。油は水を弾くので、油脂に包まれた物は湿気らないという寸法である。小さい道具や粉状の実験材料などを保管するのによく使われているぞ。


 そして最後に、魔法学園らしく魔法を使って除湿する。水属性の水吸収ウォーターアブソービングが大活躍だ。でも、道具や材料ひとつずつにかけてやらないといけないので、ものすごく面倒だったりする。部屋全体に魔法をかけておしまいとできれば楽でいいんだけど、ひとつずつに適切な湿度というものがあるので、一括除湿というわけにはいかないのだ。


 ということで、六月の俺と作業員はこの備品の除湿という作業に追われることになる。ああ、めんどくさい。


 その除湿処理が終わって机に戻ってくると、今度は書類がへろへろになっているんだよな。あーもう、インクがにじむから勘弁してほしい。


 「先生、油紙一束ちょうだい!」

 「湿気で紙が駄目になったので、新しいのをくださいな」

 「除湿剤を一袋ください、ユージ先生」


 俺が席に着いた途端に、スカリー、シャロン、クレアの三人が備品を要求してくる。狙い澄ましたかのように、ではなく、狙っていたんだろうな。


 「いっぺんに来るんだな。えっと、油紙一束に紙も一束、それに除湿剤を一袋……一袋? え、クレア? 一袋ほしいの?」


 除湿剤、あの塩化カリウムっぽいやつを一袋って三十マーゴリクあるよ? 俺は思わずクレアに問い返した。


 「はい。水属性の実験に使うんです」


 それはそうなんだろうけど、クレアの研究課題って、水と光の属性を使った回復魔法に関するものだったよな。除湿剤なんてどこに関係があるんだろうか。


 「わかった、用意しておく。これって今後もよく必要になるのか?」

 「ええ。週に一袋は使うことになると思います」


 研究室を水浸しにする気か、この子は。まぁいいや。クレアなんだから変なことには使わないだろう。


 近くの棚に保管してある油紙と紙をスカリーとシャロンに手渡し、クレアには後で除湿剤を届けることを約束した。あ、それと、シャロンには、湿気で駄目になった紙を後で持ってくるように追加で伝えておく。紙はまだまだ高級品なんだから、他のことに転用できるなら積極的に使うべきだろう。




 このように色々と業務をこなしているわけだが、梅雨の季節になると除湿対策の備品がたくさん必要になる。これってどれも消耗品なので、使う分だけ仕入れないといけない。そして、仕入れるためにはお金が必要なわけだ。あああ。


 現在の魔法学園にはいくつもの出入り業者が存在するけど、もちろんサラ先生の研究室もそういった業者との付き合いがある。そしてこの春からは、俺が中心になって相手をしているわけだ。何しろ決裁権を持っているのは俺だしね。


 ということで、訳もわからず前例に従って備品や材料を購入していたわけだけど、仕事も落ち着いてきた昨今、そろそろ色々と見直そうと考えている。主に仕入れ値を。


 もちろん、いきなり「値切らせて(はぁと)」なんて持ちかけたところで、「ふざけんな(はぁと)」とやんわり断られるのがおちだ。そんなことは新米管理者の俺にだってわかっている。だから色々と調べないといけない。


 まずはどの業者がどんな備品や材料を納品しているのかを調べ上げる。大抵は自分の得意分野の商品を扱っているわけだが、他にその品物を取り扱っている商家はいないかも調べる。商品の出所は同じギルドでも、異なる商家が取り扱えば値段も変わってくるからだ。


 次に、どうしてその値段で仕入れることになったのか、という理由も調べる。その値段が出入り業者の言い値という以外に理由がないのなら、もっと安いところに変えてもいい。でも、何かしら理由があるのなら、それも考慮しないと危ない。


 ひとつの具体例として、品不足に陥ったときにどれだけ頑張ってくれるのかということを挙げよう。何らかの理由で特定の品物が極端に不足し、値段が上がったとする。そのときにその業者がとった態度はどうなのか。普段他よりも高めに値段を設定しているのは、こういうときでも品物を何とか納品するためならば、その仕入れ値には正当な理由がある。だから、こういう業者は今まで通りに付き合うべきだ。


 全てをきっちりと判別できるわけではないが、明らかなものは手を付けるべきだろう。


 そして、そのとき判断するための知識を、俺自身もたくさん仕入れておく必要がある。俺って元が冒険者だし、こっちの商習慣なんかもさっぱり知らないからね。


 そこで、週二回の補習授業を手伝ってもらっているジェニーの登場だ。ジェニーは商家の出身で、将来は家業を手伝うと公言している。ということは、商売に関する知識もあるわけだ。これを利用させてもらおう。


 「ユージ先生って、ほんまに変わってんな~」

 「呆れているのはわかるけど、馬鹿にしているわけでもなさそうだな」


 補習授業が終わったある日、昼休みに食堂で一緒に昼ご飯を食べようとジェニーを誘った。そして、管理職として出入り業者に太刀打ちできる知識がほしいとジェニーに頼んだら、第一声がこれである。


 「もちろん感心しとるんですよ。何かしらの権限を持てる地位に就いた人って、その地位にべったりもたれかかる人が多いのに、ユージ先生ってそうやないから」

 「真上にサラ先生がいるんだぞ。下手なことなんてできるわけないだろう」


 あの子供みたいな無邪気な笑顔で追い詰められるのは怖いんだよ。蟻の巣に水を流し込むような容赦なさで断罪されそうだもんなぁ。


 「私腹を肥やすってことやのうても、一から十まで前例を踏襲する人もおりますよ、その方が楽やから。でも先生はどっちでものうて、組織のためにその仕組みを色々変えようとしたはりますやん。自分が得するわけでもないのに働くなんて、ごっつ珍しいです」


 お給金が倍になったことは黙ってた方がいいのかな。いいんだろうな。


 「どうやったって研究には金がかかるから、何とかひねり出さないといけないんだ。いきなり予算が増えることなんてないんだから、出費を抑えるしかないだろう」


 どうもこの摂理は時代と場所を選ばないようだ。実に残念である。


 「そんで、ユージ先生はあたしに何を聞きたいんです?」

 「まずはレサシガムの商習慣だな。俺、冒険者としてはここに何年もいるけど、商売はしたことがないんだ」


 同じ街に住んでいても、地位、仕事、行動範囲などによっては全く接点がないなんてざらにある。俺の場合だと、冒険者として武具屋、雑貨屋、飯屋、宿屋なんかをよく利用していたが、あくまでも客としての付き合いでしかない。その裏がどうなっているかなんて全く知らないわけだ。今回はその知らない部分に俺も飛び込むことになったので、知っている人物から話を聞こうとしているわけだ。


 「んー、商習慣かぁ。一口に商習慣って言ってもぎょうさんあるけど、どの分野の習慣が知りたいっていう希望はありますのん?」

 「学校の出入り業者関連だな」


 正に俺が今やっている仕事だ。ここの話を詳しく聞きたい。


 「あたしの実家は学校との付き合いはないなぁ。学校じゃなくてもええんやったら、出入り業者の話は少しできますけど」

 「頼む」


 俺は居住まいを正してジェニーの話を聞く。


 「ひとつの商家が一手に引き受けてる場合と、複数の商家が引き受けてる場合でちゃいます。ひとつの商家が一手に引き受けてる場合やと、値下げ交渉は難しいです。話し合いに失敗してへそ曲げられたら品物が手に入らんようになりますさかいに。それに一旦は成功したとしても、後日別のところで取り戻されることが多いですわ」


 確かにそうだろう。少なくとも殿様商売っぽい感じがする。


 「更に、相手の言い値で買わされることも多いから、何かと出費がかさむやろなぁ。利点は、既に囲い込まれてるんで、品物を安定供給してもらえることです。これは商家の力が強いほど、利点も欠点も大きゅうなります」


 そうか、商家の力がもろに出てくるのか。言われてみれば納得できる。


 「これが複数の商家と取引してる場合やと、こっち側にも交渉する余地は出てきますね。先生がさっきゆうたはったように、色々と調べてその結果を突きつけたら、相手も応じざるを得んようになると思います」


 俺のいる研究室はこっち側だな。ということは、値下げ交渉をする余地があるというわけか。


 「ただ、相手もあほとちゃいますから対策は打ってきますよ。例えば、出入り業者全員で擬似的なギルドを作って新入りを排除しようとしたり、競合する商家の妨害や脅迫をしたりするんですわ」


 うわ、なんだよそれ! 商売って実力行使もありなのか。でもそうなると、特定の業者だけを見ていても上手くいかないんだな。


 「まぁ、結局のところ、業者ひとつ変えるっちゅうんは、先生が思たはるよりもずっと面倒っちゅうことです」

 「簡単にいくとは思ってなかったんだけどな」


 俺の予想以上に大変だということはわかった。これ、下手に触ると研究に悪影響が出てしまう。


 「そうなると、下手にいじらない方がいいのか」

 「でも、実を言うとやり方は一応あるんです」


 え、あるの? 俺は身を乗り出してジェニーの話に耳を傾ける。


 「どんなやり方?」

 「相手の手落ちを突くんです。もちろん商家かって色々と言い訳してきますけど、自分とこの手落ちやとなかなか強気で話はでけませんし。こうゆうところを上手に突っつくと、値下げすんのも業者を取り替えるんもある程度やれますよ」


 商売上、妨害や脅迫もありってんなら、落ち度を突くくらいなんてやって当然なんだろう。俺もある程度はやるつもりだったけど、ジェニーの口ぶりだともっと徹底的にするんだろうな。


 「話を聞いていると、こっちが買い手だからって簡単に交渉ができるわけじゃなさそうだな」

 「んー、ゆうちゃ悪いですけど、先生程度の地位の人が威張っても、別にこわないですよ。サラ先生くらいになると変わってくるけど」


 それは俺もよく知っている。あの人の怖さは、あの地位にいるからっていう理由だけじゃないところなんだよな。


 とりあえず、出入り業者との付き合い方はわかってきた。今のところはまだ動けないな。


 「ありがとう。大雑把にだけど大体わかった」

 「は~い。まぁ、先生やったらむしり取られることはなさそうやけどね」

 「商売人から見て、俺は付き合いづらい相手ってことか」


 ぼったくれる相手が一番おいしい相手だろうしな。俺みたいに隙あらば、なんて考えている奴は鬱陶しいだろう。


 「たぶん、先生は勘違いしてると思うで。商売人にとって一番付き合いやすい相手っちゅうのは誠実な人や。そういう人とは商売人もきちんと付き合うてくれるってことやねん。せやから、先生は大丈夫やねってゆうことなんや」

 「誠実ってのは、まじめってことか?」

 「えっとね、嘘をつかない、支払いはきっちりとする、商品にまがい物がない、そして約束は必ず守るってことやねん」


 裏を返せば、それだけ人の裏をかこうとする奴が多いってことか。


 「ジェニーもさっき言ってたけど、俺程度が何かしても大したことはできないしな。おとなしくしているのがいいんだよ」

 「それが、世の中には悪い意味で勤勉な奴がぎょうさんおるんです。少しでも私腹が肥やせるってなると、みんな必死になるんですよ」

 「めんどくさいっていう思いの方が先にでるなぁ」


 大体、ちょろまかした分をごまかさないといけないし、蓄えたものを隠す労力も割かないといけない。そんなことを考えると、やる気がなくなってくるんだよな。


 「あはは! 先生はお役人様には向いとらへんなぁ。ん~でも、商売人ともちゃうなぁ」


 俺を何かに当てはめようと考えているジェニーだが、なかなか良い案は浮かばないようだ。


 「もうしばらく様子を見つつ、業者や市場を調べるとしようかな。あーもう、どれもこれも簡単にはいかんなぁ」

 「そりゃそうですやん。神様でもないのに、そんな思い通りにいきますかいな」


 ジェニーの言う通りだな。街や国を丸々相手にできるだけの力があるならともかく、魔法を人より上手に扱えるというだけでは、自分の周りすらどうにもならないか。腕力の強さや魔法の能力の高さだけで一目置かれる冒険者の世界が懐かしい。


 「それじゃ先生、あたし、次の授業があるんで行きますね」

 「ああ、ありがとう。助かったよ」


 手を振って去って行くジェニーを見送ると、俺も食器を片付けて食堂を出た。

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