魚を生かしたまま持ち帰る方法
研究室では、日々色々な実験が行われている。俺にはその内容はよくわからないが、管理者という立場上、何をしているのかということは報告を受けていた。最終責任者であるサラ先生と作業員がその辺りを把握してくれているので、俺は基本的に効率よく物事が進むよう制御することに徹している。
「え、魚を生きたままほしい?」
ただ、それでもたまに、どうしてその材料がほしいのかという説明を聞いても、理解に苦しむことがある。今回がそうだ。四大系統の水属性に関する実験で魚が必要らしい。
「魚屋のやつじゃ駄目なのか?」
「あれ、死んでますやん。しかも塩漬けされてますし」
とある作業員と、俺は机を挟んでやり取りをしている。
レサシガムは内陸にあるので、運ばれてくる魚介類は基本的に干物か塩漬けされたものばかりだ。金持ちなんかは大枚をはたいて生きたまま運ばせることもあるらしいけど、今回はそれを要求されたわけである。正気か?
「必要と言われたら恐らくその通りなんだろうけど、生きたまま運んでくるのにどれだけの費用がかかるか知っているのかな?」
実を言うと俺も正確なところは知らない。だが、レサシガムの街に干物や塩漬け魚しかない時点で、その辺りは察することができるだろう。それは目の前の作業員さんも同じはずなんだけど、さも当然のように要求してくるのはなぜなのか。
「銭がかかるんは知っとるんです。でも、実験に必要なんですわ」
ああ、単なる研究馬鹿か。それなら仕方ないね。
「却下。それだけで予算が吹っ飛ぶ」
「そんな! それやと実験ができませんやん! 学生がかわいそうやと思いませんの?!」
学生思いなのは結構なんだけど、俺の胃袋にダイレクトアタックをかけてくるような要望を出すのはやめてほしい。
「ちなみに、今まではどうしてたの?」
「今回初めて必要になったんで、過去の事例はないですわ」
くっそこいつ、要求を出すだけか。役に立たん奴め。
「とりあえず、サラ先生と相談はしておく。ちなみに、いつまでに必要なんだ?」
「六月中にもらえたらええです」
一ヵ月半あるのか。多いのか少ないのかはこれからの対策次第だな。
作業員の要望をとりあえずメモ書きすると脇に置いておく。ああ、面倒な案件がひとつ増えた。
その日の夕方、俺はサラ先生の教授室に向かった。今日はきちんと学校運営の仕事をしていたようで、研究室では一度も見かけなかったからだ。
「こんにちは~。今日はどうしたん?」
サラ先生が笑顔で迎え入れてくれる。相変わらず重厚な机に迫力負けしているなぁ。
「実験材料として生きた魚を要求されたんですけど、これってどうにかできるものなんですか?」
「まぁ、生きた魚? そうゆうたらもう何年も食べとらんな~」
この辺りで食べたことがあるということがそもそも珍しい。が、今はそんなことを話しているわけじゃない。
「海からにしろ湖からにしろ、ここまで運んでくるのに相応の手間と時間と金銭がかかるのは俺もわかっています。一回は却下したんですが、どうしても言われて相談しにきたんです」
「う~ん、でもこれにそんな大金をかけたら、他にな~んもできひんようになってしまうで?」
「ええ、わかっています。ですから相談しに来たんですよ。本当にどうにもならないのなら却下するしかないですが」
自分の仕事を楽にするためならば却下の一言で終わらせばいい。けど、可能なら何とかしたいんだよな。
「なら、お金をかけんと取って来るしかないなぁ」
「そんな都合のいい方法なんてあるんですか?」
「何のための魔法やの。ユージ君なら長期保存できる魔法って使えるんとちゃうの?」
長期保存する魔法か。う~ん、釣り上げてから瞬間冷凍して、そのまま持ってくるか? いや、解凍したときに生きている保証がないから駄目か。それに、その場合だと俺が直接出向く必要がある。
「サラ先生、ちなみに、俺がその魚を捕ってくるっていうのはいいんですか?」
「何日かによるなぁ。あんまり長いと、帰ってからが大変やで?」
書類の山に埋もれてしまうんですね、わかります。ということは、出向くのは無理か。
他人に任せて、なおかつ生きたまま魚を連れてくる方法。何か、昔それに近い事例を目の当たりにしたような気が……
「あー、あれならできるか」
かつて妖精の湖で人魚の幼女と出会ったことを思い出す。それと、龍の山脈で鉱物資源を採取したこともだ。あの方法なら使えるか。
「お金をかけんでも、なんとかなりそう?」
「ええ。たぶんどうにかなります」
とりあえず、頭の中で計画を練り上げた。
その計画についてサラ先生に説明すると了承してくれた。そうなるとあとはあの二人に頼むだけだ。
俺はサラ先生に一礼すると、教授室から退室した。
翌日の夕方、俺はアリーとカイルを研究室に呼んだ。サラ先生とアハーン先生の二人と相談して、研究室からの依頼を一部回すことにしたのだが、今回初めて仕事をしてもらうことになった。
「ユージ先生、来ましたで!」
「師匠、仕事の依頼があるそうですね。楽しみです」
まだ依頼内容について何も知らない二人は意気揚々とやって来た。魚を捕ってくるだけなんて知ったら、どんな顔になるんだろうな。
「お、よう来たやん。二人とも久しぶりやね」
「初めての依頼だって聞いているわよ」
「ご機嫌よう。二人ともお元気そうで何よりですわ」
今の研究室には、俺の他にスカリー、クレア、シャロンの三人と、今やって来たアリーとカイルの二人しかいない。人払いをしたのではなく、単に定時となったのでみんながさっさと帰っただけだ。
ちなみに、どうしてスカリー達が残っているのかというと、単なる興味本位だ。
だいぶ日が傾いて室内が暗くなったので、俺は光明の魔法で机周辺を明るくした。そしてそれから、やって来た二人に対して用件を伝える。
「二人ともよく来てくれた。以前話をしたように、これから月に一回か二回くらいのペースで仕事を依頼する。ちなみに、ちゃんと報酬も出るからな」
「やったで! 先生からの借金が返せますわ!」
そういえば、まだ全額返してもらってなかったな。まぁ、その話は後でいいだろう。
「それで今回、二人に依頼する仕事だが、魚を生きたままここまで運んでほしい」
「魚をですか?」
二人して首をかしげるが、次第にその表情が険しくなる。そう、この近くに海も湖もない。それが理解できると、この依頼がどれだけ無茶かわかるだろう。
「ユージ先生、いきなり無茶言いまんな」
「しかし、何か運ぶ手立てがあるのですよね。でなければ、さすがに無理ではないかと」
「もちろん運搬手段は用意する」
俺は立ち上がると、机の隣に置いてある五十イトゥネック四方の木箱の蓋を開ける。もちろん中は空っぽだ。
「何もありませんわね」
「これに水を入れて運ぶんかいな? いや、ダダ漏れになるな」
「氷漬けかしら。でも、生きたままでないと駄目なのよね」
興味津々な観客三人も箱の中をのぞき込んで、あれこれと考えを巡らせる。
「こん中に入れて持って帰るんでっか?」
「ああ。ただし、細工はするけどな」
俺はみんなから一歩離れて呪文を唱える。
「我が下に集いし魔力を糧に、来たれ水の化身、水の精霊」
唱え終わると、俺の隣に水玉型の下位精霊が現れる。
これを見た全員が「あ!」っと声を上げた。俺の意図がわかったようだ。
「なるほどな。その水の精霊を木箱に詰めて、そこへ魚を放り込むんか!」
「かぁ、さすがやな、先生! これならいけまっせ!」
スカリーとカイルは声を上げて賞賛してくれる。
これは、かつて龍の山脈で鉱物資源を平地まで持って帰るときに、土の精霊を使ったことを応用したのだ。更に妖精の湖で人魚の幼女と出会ったときに、水の精霊に抱えられて陸に上がっていたが、あの人魚が尾ひれを動かして精霊の中をかき回していたはず。だから、この中に魚を入れれば生きたまま持って帰ることができるはずだった。
俺がそのことを説明すると全員が感心してくれた。しかし直後に、シャロンが「あれ?」と首をかしげる。
「しかし、単に水が必要なのであれば、水瓶に水を入れて、その中に魚を入れればよいのではありませんこと?」
その言葉を聞いた他の四人が驚いて俺の方へと視線を向ける。
「いくつか理由がある。今回は西の海で魚を捕ってきてもらうんだが、片道で七日近くかかる。結構長いから、その間に水が傷んでしまう可能性があるんだ」
「毎日水を替えたらええんとちゃいますの?」
「カイル、海の魚は真水に入れると死んでしまうんや」
「え、そうなん?!」
どうも知らなかったらしいカイルが、スカリーの返答に驚く。あ、アリーとシャロンも驚いているな。
「そういうことだ。そのため、ただの水では用をなさない。そして、魚も水の中で呼吸をしているから、周囲の海水をきれいにしてやらないと窒息死する可能性がある」
「どれくらいで死んでしまうんですか?」
「それがわからないんだよなぁ」
俺はクレアの質問に答えられずに顔をしかめる。
誰も興味がなかったのか、調べてもわからなかったんだ。まだそこまで興味を持つ余裕がないということなのかな。
「ということで、水の精霊をこの箱に詰め込んで、現地で海水と同じ水質にして、そこに魚を入れて持って帰ってもらう」
「師匠、現地で海水と同じ水質にする方法はどうするのですか?」
「この精霊に海水をいくらか浴びせてくれ。それで海水の性質を覚えさせる。あと、学校に戻るまでの水質の管理もこの精霊にやってもらうから、アリーとカイルは持って帰るだけでいいぞ」
そのための調整をこれからしないといけないが、難しい話ではないのですぐにできるだろう。
「そうなると、私とカイルがやることは、現地で魚を釣ることくらいなのですか?」
「持って帰る魚の種類と数は後で教えるが、今回はどうやって依頼を果たせばいいのか、全部自分で考えてくれ」
「なるほど、授業の一環っちゅうわけですな」
お、何やらカイルが不敵に笑っているぞ。全部こなす自信があるのか。
「ところでユージ先生、この精霊の入った木箱って、どのくらいの重さになるんですか?」
「そこにおる水の精霊は浮いてんねんし、重さなんてないんと違うんかな?」
クレアの質問でまだ説明していないことを思い出した。
「スカリーの言う通り、精霊は浮いているから重さは木箱の分しか感じないよ。一回試してみよう」
そう言うと、俺は水の精霊に木箱へ入るように命じる。ふわふわと浮いていた水玉型の精霊は、ゆっくりと木箱の中へと入っていった。
「おお、ちょうど入りましたね」
地味に感動したらしいアリーがつぶやいた。
「よし、それじゃアリー、持ってみよか! せーのっ、ぅお?!」
「こ、これは本当に軽いですね」
お互い向かい合って木箱を持ち上げた二人は、あまりの軽さに驚いたようだ。木箱の重さだけだから、ひとりでも持てると思う。
「ということで、この仕事を六月末までにやってもらいたい」
「へぇ、楽勝ですやん」
「カイル、油断大敵だぞ」
生きたまま魚を持って帰る手段をこっちで用意したんだから、基本的にはお使いの延長線上みたいな依頼だ。カイルが浮かれるのも無理はない。ただ、アリーの言う通り、あんまり浮かれていると蹴躓くことになる。それは実際にやってみればわかるだろう。
尚も細々としたことについて話し合いをしたが、全ての疑問が解消したところで、正式に二人に依頼を引き受けてもらうことになった。
後日、アリーとカイルは二週間と少しかけて依頼をきっちりと果たしてくれた。途中、間抜けなこともあったそうだが、それはまた別のお話である。