アリーとカイルの指導について
四月は、学生同士の情報交換が活発だ。やれ選択した授業が合う合わないだの、教師の教え方が上手い下手だのといった情報を仲間同士で交換する。そして、学生はより自分に合った授業へと乗り換えてゆく。しかし、それが許されるのは一ヵ月間のみだ。
俺が管理を任されているサラ先生の研究室も、四月は三月と違う意味で出入りが激しかった。二回生までの授業ほどではないにしろ、入退室希望が多いからだ。もちろん人気のある研究室なので入る方が圧倒的に多い。
入室希望の学生を面接するのはサラ先生の仕事だが、人数が多すぎるので全員は面接できない。そこで、書類などである程度人数を絞り込み、限られた人だけをサラ先生が面接するという段取りになっている。
去年までは秘書がその作業をやっていたのだが、今年はそれを俺が引き継いだ。そしてこれがなかなか面倒な仕事であるということに、作業を始めてから改めて気づいた。
あらかじめサラ先生と研究室に入る約束をしているような学生はそもそも優秀なので、書類も名前を見た時点で確認終了となる。逆に試験の成績が悪い学生も書類を見た瞬間に確認終了となる。つまり、極端な成績の学生についてはすぐに判断できるので迷うことはない。
問題なのは当落線上の学生だ。成績で決めるなら順番通りに並べて上から取っていけばいいじゃないか、と思うだろう? 正解だ。秘書も俺も当然そうしている。しかしだ、問題なのは、どの成績に注目して順位を決定するかなのだ。似たような成績の学生が複数いるときは特に困る。
あと、研究室の状態も微妙に影響してくる。サラ先生の方針によっては、去年までは入室を認めていた学生でも今年は駄目だったり、その逆もある。人数調整のために、備品がないという理由で入室させなかったこともあったらしい。何それ酷い。
ともかく、総合的な判断を下して学生を絞り込んでからサラ先生に面接をしてもらっている。そして俺は、その前段階のふるいの役目を負っているので結構しんどい。
しかし、その忙しさも五月に入るとぱったりと消える。相変わらず細かい雑用は色々とあるものの、大半は作業員がやってくれるのでかなり余裕があった。
ちなみに、楽になったと喜んでいるのはサラ先生よりも、むしろ秘書の方だった。考えてみれば、今まで研究室の管理を事実上やってきたんだもんな。そりゃ喜ぶだろう。
研究室の管理業務と補習授業が一段落したところで、アリーとカイルに会いに行くことにした。気がつけばもう一ヵ月も会っていない。
そこで、夕飯時の食堂へ行く。最近は忙しかったので閉店間際に利用することが多かったが、そのとき二人の姿は全く見えなかった。なので今回は開店直後に出向いて二人を探してみる。
「あれ、先生ですやん!」
「師匠! お久しぶりです!」
やっぱりいた。そうだよな。食べるところはここしかないんだから、知り合いを見つけたければご飯時に食堂で探すのが一番確実だ。
「本当に久しぶりだな。こっちもやっと仕事が落ち着いて、時間に余裕が出てきたよ」
「サラ先生の研究室で働くようになったんですよね、師匠は」
「あーあーあー、そうゆうたらそうやったな。確か研究室のとりまとめをしてはるんでっか?」
「そうだ。研究室の管理をしているんだ」
俺は二人の正面に座る。すると、嬉しそうに身を乗り出してきた。
「へぇ、管理者かぁ。するとあれでっか? 屋敷の執事みたいな立場なんやろか?」
「お、よくわかっているじゃないか。ちょうどそんな感じだな」
「ということは、昇進なさったんですね。おめでとうございます」
アリーがにこやかに祝福してくれる。やっぱり俺は、誰から見ても出世しているんだな。
「そりゃええことなんですが、俺らの相手をしてもらえへんっちゅうのは、ちょっと寂しいなぁ」
「専門課程の授業はどうなんだ? アハーン先生に指導してもらっているんだろう?」
「うーん、してもろてる、か」
「今の状況は、私とカイルがアハーン先生の補佐をしていると言った方が正しいです」
言葉を濁したカイルに続いて、アリーがはっきりと現状を説明してくれた。
「大体ユージ先生が教えてくれたことばっかりやから、今んところ教わることがないんですわ。それでどうしようか困ってるんです」
「師匠の戦闘訓練の授業で教えてもらったことばかりでした。それをアハーン殿に説明すると頭を抱え込まれてしまって、お互いにどうしようか悩んでいるところです」
俺が教えることがあんまりないからと、五人の戦闘訓練のときに実践的なことも教えていたが、それがアハーン先生の邪魔をしているらしい。それを聞いた俺は俺で内心頭を抱えてしまう。どうしようか。
「まいったな。こんなところであのときの弊害が出るとは思わなかった。それで、まだ解決策はないのか?」
「一応、俺達が他の学生を指導しとるんですけど、このままやとこれで一年間が過ぎてしまいそうで……」
「他人を指導するのも修行のうちというのは理解できますが、それだけというのは正直困ります」
うーん、まさかアハーン先生でも持て余すとは予想外だったな。どうにかなると安心していただけに、どうしていいのかすぐには思いつかない。
「護身教練って、冒険者になるための専門課程ですやん。せやから、冒険者になるための心得から始まって、生き抜くための方法なんかを教えてもらうんですけど、それって最終的には、一年前の小森林のときみたいなことをするためやないですか。俺らもうそれやってしもてるんで、どうもこれからも新しいことは教えてもらえそうにないんですわ」
スカリー、クレア、シャロンの三人は、どれだけ先取りしてもサラ先生に受け止めてもらえるが、アリーとカイルはそうじゃなかった。
これは、研究系の専門課程は常に最新の分野を開拓することが前提なのに対して、戦闘系の専門課程は既存の分野に入るための基礎訓練という位置づけだからだ。そのため、基礎訓練を先取りしてしまった二人に、学校と先生が教えられることがなくなってしまったのである。
「師匠、どうにかならないですか?」
「う~ん、どうにかしてやりたいが……とりあえず、アハーン先生と相談しないといけないなぁ」
そもそも、今この二人の面倒を見ているのはアハーン先生だ。その先生の頭越しに無断でどうにかするというのはまずい。
「明日朝一番にアハーン先生と相談してみよう」
俺が二人に約束できることは、現時点ではそれが精一杯だった。
近頃はサラ先生の研究室にいることが多くなったが、教員館の教員室にはまだ俺の席がある。補習授業でモーリスをはじめとして、色々な先生と話をしないといけないからだ。四月は忙しかったので補習授業のある日に少し使っていただけだが、今ではすっかりそれが定着している。
だから、それ以外の日に教員室へ行くのは珍しい。俺が部屋に入ると、珍しそうに眺める先生が何人かいた。
それを無視して俺はアハーン先生を探す。いた。朝一番は必ずここにいるんだよな。
「おや、ユージ先生ですか。珍しいですな。どうされました?」
「おはようございます。実は、アリーとカイルのことについて話があるんです」
挨拶もそこそこに俺は本題に入ろうとする。アハーン先生も悩みの種についての話ということで、体をこちらへと向けて話を聞く体勢になってくれた。
「昨日、アリーとカイルに会って話を聞いたんですけど、あの二人の扱いに困っているそうですね」
「そのことですか。ええ、確かに。私もここまで悩むとは思いもしませんでしたよ」
珍しくアハーン先生が力なく笑う。どうも困っているというのは本当らしい。
「あの二人が言うには、護身教練で習うことは、既に去年俺から教えてもらったことばかりだとか。本当ですか?」
「どうもそのようです。私も気になってこれから一年間教えることを説明したんですが、ほぼ全て知っていると返されましたぞ。改めて小森林での課外戦闘訓練の報告書を読みましたが、なるほど確かにと思いました」
事実上、教えることがないということか。このままだと在籍しているだけになるわけだが、それじゃ大切な一年を浪費することと変わらんよなぁ。
「そこで、ユージ先生にお願いがあるのです。あの二人の指導を手伝ってもらえませんか?」
やっぱりそうなるか。アハーン先生で駄目となると、俺のところに戻ってくるしかないよな。でも問題は、俺のところに戻ってきても、何をさせたらいいのかわからないことなんだよなぁ。だって実力に関しては、もうすぐにでも冒険者としてやっていけるくらいなんだし。
「もちろん手伝いますけど、問題はどうやったら……あ」
そういえば、研究室では日々実験をするために色々な物を仕入れている。それこそピンセットから怪しい粉薬まで色々だ。その中には、実験で使う動物や魔物を買うことがある。大抵は冒険者ギルドに捕獲依頼を出して取ってきているけど、これをやらせることはできないだろうか。
「ユージ先生、どうされました?」
「えっとですね、サラ先生の許可が必要ですけど、こんなことができそうですよ」
という前置きをして、今思いついた案をアハーン先生に提案してみた。すると、途端に食いついてくる。
「それは良い案ですな! 是非サラ先生に相談していただきたい!」
「可能なら、他の学生とパーティを組ませて仕事を引き受けさせてもいいですよね」
「すばらしい!……あ、いや。それは考えものですな」
あれ、一旦は乗ってきそうだったのに、他の学生には経験させちゃまずいのか?
「他の学生を参加させると、まずいことでもあるんですか?」
「一言で言うと、不平等になるということです。研究室からの依頼を私の担当学生だけに回すという不平等がひとつ、私の学生の中でも依頼を任せられなかった学生に対する不平等がもうひとつです」
何でも、人気の研究室から依頼を受けられるというのは名誉なことらしい。それだけ実力を認められたということになるからだそうだ。そしてそれがアハーン先生のところに集中するとなると、他の先生から反発が出てくるということである。
よしんばその問題が解決しても、今度は学生同士の問題が発生する。依頼を成功させるために優秀な学生だけに仕事を任せると外された学生は不満に思うし、全員に平等に機会を与えると依頼が失敗する可能性が高くなってしまう。そういう問題があるそうだ。
「なるほど。言われてみればその通りですね」
「私としては魅力的な提案なだけに残念です」
「あれ、そうなるとアリーとカイルに仕事をさせるのもまずいですね」
「いや、それは大丈夫です。あの二人の担任はユージ先生なので、それ経由で話を持っていったということにすればいいでしょう」
そういった研究室関係者と直接つながっているという特典は暗黙の了解らしい。うわ、なにやら闇っぽいのを垣間見た気がするぞ。
「ということは、アリーとカイルの二人にだけ仕事を引き受けてもらう、ということでサラ先生に相談しますね」
「お願いします。私としても、あの二人のことでは悩んでいたので、実現するとかなり助かりますぞ」
とりあえず、あの二人にとっては吉報となりそうなので良しとするが、その周辺に良案を広げるというのはなかなか難しい。これも何とかできたらいいなと思いつつ、俺は教員室を出た。
アハーン先生と相談した日の昼下がり、俺は研究室で事務作業をしている。組織なんてものは存在しているだけで雑用がいくらでも湧いてくるので、俺のために設えられた机には今日もたくさんの書類が置いてあった。
それを片付けつつ、作業担当者に仕事のお願いをしていると、サラ先生がふらっとやってきた。
「あれ、夕方まで会議じゃなかったんですか?」
「えへへ~、午後からの議題が丸々なくなったから、会議が中止になってん!」
それは大丈夫なのか。不安に思うものの、面倒なことに巻き込まれてはつまらないのでそれ以上は聞かないでおく。
「そうだ、サラ先生。折り入って相談があるんですけど」
「何かな~?」
「アリーとカイルに関することです」
前置きをしてから、俺は朝にアハーン先生と相談して出した結論を説明する。一言で言うと、冒険者ギルドに回す依頼を二人にやらせていいのかということをだ。
「ということなんですけど、いいですか?」
「うん、ええんとちゃうかな。依頼全部をあの二人に回すんとちゃうんやろ? だったら問題ないね~」
あっさりと許可が出た。詳しく聞くと、別に冒険者ギルドと協定を結んでいるわけではなく、純粋に依頼を出しているだけだから、あちらさんに気兼ねする必要はないらしい。
「俺としては、月に二回くらい仕事をしてもらおうかと思っています。最初は簡単なやつからですけど」
「そうゆうたら、ユージ君はあの二人の担任やったね。ちゃんと面倒見てるんや。偉いわぁ」
以前、標準的な担任の先生の活動を聞いているので、恐らくこれは本気で褒めているんだろうなと予想する。若干複雑な思いはあるが。
「ありがとうございます。それじゃ、これからは俺経由でアリーとカイルに仕事を頼みますね」
「うん、そうしてな~。あ、そうや。実はうちも相談することがあってな~?」
こっちの相談が終わると、早速サラ先生がおめめをきらきらさせて話題を切り替えてくる。あ、これ、あかん案件や。
俺は内心目一杯身構えながら、サラ先生の話に耳を傾けた。