ジェニー・ドイルと補習授業
新学期早々管理職に任命された俺は結構忙しくなってしまった。しかし、俺には研究室以外でもやらないといけないことがある。そのひとつが補習授業だ。
去年は六十人ほど留年した学生がいたが、今年は三十人もいない。二月の進級試験で大半が進級したのと、同じ進級試験であまり学生が留年しなかったからだ。一部は退学してしまったが、数が少ないこと自体は結構なことである。
それと、今回は人数が三十人未満なので、一回生二回生と分けずにまとめて授業することになった。そのため、今年の授業は週に二回だけでいい。
だからというわけではないが、今期の補習授業は俺とモーリスの二人で担当することになっている。あの五人にまた頼れたら楽なんだけど、さすがに本業をおろそかにはさせられない。
ただそうはいっても、去年と同じような授業をしようとすると、どうしたって教える側の頭数が少ないんだよなぁ。これさえ解決できれば毎年留年する学生の数は減らせる。問題なのは、その教える側をどうやって増やすかなんだよな。
「なら、前の進級試験で留年組から抜け出した学生に、頼んで見ればいいじゃないか」
俺がそのことについてモーリスに相談すると、あっさりと提案が返ってきた。
「どれくらい応じてくれるんだろう」
「そんなのやってみないとわからないさ。それに、ひとりでも協力してくれたらその分だけ楽になるんだし、とりあえず声をかけてみよう」
ほんと、人に頼ることに関しては積極的だよな、お前は。でも、今回はそんなお前が頼もしい。
俺達は四月に入ると早速、四十人以上の留年脱出組に声をかける。予想通り大半からは拒否されてしまったが、それでも四人の学生が応じてくれた。思ったよりも多い。
「ユージ先生、あたしらは何を教えたらええのん?」
その代表者として二回生のジェニー・ドイルが俺に声をかけてきた。いつも遠慮なく大きな声でしゃべるので隠し事が苦手な女の子だ。聞けば、親の商売を助けるために一般知識と魔法を学ぼうとこの学校に入学したそうである。
ともかく、この四人は全員が積極的に関わってくれるのでこちらも助かる。
授業一回目、去年と同じように教室の前に俺とモーリス、それに補佐してくれる学生が並んだ。そして口を開こうとしたとき、俺よりも早くジェニーが声を上げた。
「みんな、よう聞き! あたしは二回生のジェニー・ドイルや! 去年の進級試験で留年組から脱出した。そこにいる三人もな。去年の補習授業を受けたうちの八割が留年組から抜け出せたんやけど、そのときの先生がこっちにいやはるユージ先生とモーリス先生や! ええか、この授業を受けたら、来年は留年組から脱出できるんやから、一年間なんとしてもついて来るんやで!」
「お、俺はダメだったぞ」
「ジェフ、あんたは留年したときの進級試験で一割しか合格しとらへんかったやんか! それがこの前の進級試験やとどうやった? 六割近くの試験に合格しとったやろ? あんたこの補習授業なしでそこまでいける自信あるんか?」
畳みかけるかのような指摘に、ジェフという学生は黙る。確かあいつ、冬休みにちょろっと遊んでたんだよな。しかし、どうしてそれをジェニーが知っているんだ?
言いたいことはあったが不問とした。今のやり取りで、これから補習授業を受ける面々もやる気になってきたからだ。俺自身の出鼻は挫かれてしまったものの、結果は良好なので良しとする。
「よし、それじゃこれから面談をする。呼ばれたら前に出てきてくれ」
ジェニーの演説の後を継いで、俺は学生個別の問題をあぶり出すために面談を始める。これはさすがに俺とモーリスの二人で手分けしてやった。四人の学生はそれぞれ俺達の補佐をしてもらう。
色々と面談をした結果、座学に十七名、実技が七名ということがわかったので、補佐役の学生は座学に三人、実技に一人と分かれてもらう。担当する授業はその場で指示した。
そうして、去年同様に補習授業を始めたわけだが、始めてからわかったことがある。それは、去年学生の面倒を見てくれたスカリー達は本当に優秀だったということだ。俺やモーリスの教え方も実際のところはどうなのかわからないが、ジェニーを含めた四人の教え方はそれほどうまくない。
しかし、いないよりいた方がいいことは確かだ。それに、前回と違って今回は一年ある。焦る必要はない。俺は補佐役の四人も一緒に育てるつもりで、補習授業に取り組むことにした。
初回の補習授業が終わった後の昼休み、俺はモーリスと食堂で昼ご飯を食べていた。授業に関しての意見を交換するためだ。
「ユージ、随分と疲れ切っているじゃないか」
「そりゃ疲れているからな。あー、なかなかうまくいかねぇ」
冒険者時代からの知り合いしかいないので思わず素が出る。それを見たモーリスが苦笑した。
「何があったんだい?」
「指導を手伝ってくれている学生なんだけど、去年ほど上手に教えられなくてね。仕方がないのはわかっているが、何かある度に俺が補佐しないといけないから大変なんだよ」
これじゃどっちが補佐役なのかわからない。
「俺の方はまだそんな目立ったことはないなぁ」
「いないよりもいた方が絶対にいいんだけど、単独で勉強を教えさせるのは難しいなぁ」
ジェニー達を育てるつもりではいるものの、それまで待てない場合も多々ある。その穴をどうやって埋めるべきか。
「他の先生に助けてもらうかい?」
「うーん、算術、自然科学、哲学、歴史、魔法理論を教えられる先生に毎回誰かひとりだけ来てもらって、教えてもらうのならまだ引き受けてくれそうだよな」
毎週二回来てもらうとなると間違いなく嫌がられるが、一ヵ月に一回か二回くらいなら引き受けてくれる可能性はあるだろう。
「あと、責任は一切こっちで引き受けるってことにすれば、気軽に引き受けてくれる先生も増えるだろうね」
何とも身も蓋もない話だが、こっちとしては指導できる先生の数を増やしたいので、責任は引き受けるしかないだろう。これで四つの勉強グループのうち、どこかひとつを常に外部から来た先生に任せることで、俺が面倒を見る集団の数をひとつ減らせる。
「あ、ユージ先生にモーリス先生ですやん!」
モーリスと補習授業について話をしていたら、ジェニーが声をかけてきた。
「あれ、今から昼ご飯? ちょっと遅いな」
「留年組の学生から質問を受けてたさかい、教えとったんですわ」
俺の質問に答えながらジェニーはモーリスの隣に座った。
手にしている取り皿には、結構な量の料理が乗っている。全部食べるのか、それ。
「で、先生らって何話したはったんです?」
「補習授業のことだよ。ほら、俺とユージって別の場所で授業しているだろ?」
「あー、なるほど! せや! ユージ先生、あたしの教え方ってどうでしたん?」
おう、いきなり言いにくいことを質問してくれる。モーリスがにやにやしてこっちを眺めていて腹が立つ。
「可もなく不可もなくだな。多少危なっかしいところはあるけど、何とかやっていけるんじゃないかなぁ」
「及第点ってところなわけやね。うん、まぁそんなもんかな」
まるでカイルみたいな食いっぷりに内心驚きながらも、俺はジェニーに本当のことを話した。教室で教えていた三人のうち一番ましだったのがジェニーだ。そのため、今後一番頼りになると密かに考えている。
「ジェニーはこれからに期待だね。うまくいけば先生になれるかもしれないよ?」
「あはは! モーリス先生ったら、いややわ! おだてても何も出ぇへんで? それに、あたしは家の商売を支えんといかんから、学校の先生にはなれへんわ」
確かそんなことを前にも言っていたよな。それにしてもいい食べっぷりだ。
「そうだ、ジェニー。お前から見て、今回の留年組はどう見える?」
「う~ん、せやなぁ。まだ初回やからはっきりとはゆえんけど、去年のあたしらよりかはましとちゃうかな?」
お、それは気になる返事だな。俺は更にその先を促してみる。
「ほら、うちらって後期から補習授業しましたやん? せやから勉強が間に合わへんかったところがあったでしょ。けど、今年は一年あるから、どうにかなるかなーって思ってますねん」
「なるほどな、学生がどうのこうのというより、時間の問題か」
「単純に時間が倍になったわけだからね。そりゃそうだろうさ」
俺とモーリスは顔を見合わせて苦笑した。当たり前すぎる解答だ。
「しかも、学生の数は去年の半分以下ですもん。全員合格の可能性もあるんとちゃいます?」
留年した学生の数は二十四人だ。去年四十人以上が進級できたことを考えると、人数の上では確かに可能性はあるだろうな。俺とモーリスは、ジェニーに対して頷いた。
さて、ここで少しジェニーについて気になったことがあるので、質問してみる。
「ジェニーは晴れて二回生になったけど、勉強はやっていけそうなのか?」
「うっ、それがですね、ユージ先生。色々と困ってるんです」
俺とモーリスはやっぱりという表情になる。というのも、例え進級できたとしても頭の出来は基本的に今までと同じだ。そのままでは、ひとつ上の学年の勉強にそう簡単には追いつけない。そのため、一度留年した学生は勉強についていけず、再度留年することが多いのだ。
「あたし、この間進級できたんですけど、頭の出来はそのままやないですか。せやから、このままやと絶対に来年の進級試験は落ちると思うんです。そこで、補習授業で留年組を教える傍らで、ユージ先生らに色々教えてもらおうかなーって考えとるんですわ」
なんとそのことにジェニーは気づいていたらしい。勉強の出来は今ひとつでも頭の回転は悪くないということか。
「それはたぶん正解だと思う。この前の二月で進級できた奴も、来年の進級試験には落ちるだろうな」
「ただ、だからといってどうすればいいかなんて、なかなか思いつかないんだけどねぇ」
「担任に相談することはできるだろう?」
「大抵は『勉強しろ』の一言でおしまいさ。学生のために熱心に動くのは君くらいなものさ」
「あ、モーリス先生のゆうとうりですよ。あたしも一回相談したけど全くあかんかったんです」
俺は愕然とする。それは何のための担任なんだ。酷い話だな。
「嫌な話を聞いたなぁ」
「その点、去年の補習授業でユージ先生はうちらの面倒を最後まで見てくれたし、あのペイリンはん、ホーリーランドはん、ライオンズはん、フェアチャイルドはん、キースリー君が楽しそうに授業をしていたんを見てたから、この先生についていったら大丈夫やって思えたんです」
俺はモーリスに視線を向ける。すると、うんうんとジェニーの話に相槌を打っていた。
「あの五人が無条件で言うことを聞くなんて、ユージ先生くらいだもんねぇ」
「嫌みにしか聞こえんぞ、モーリス」
「せやから、お二人にはこの一年間、色々と教えてほしいんです」
モーリスがにやにやと「主にユージ先生がね」と言うとすぐさま、俺は「どちらに頼ってもいいからな」と言い返す。
なんだか話の流れがあまりよろしくないので、俺は話題を変えることにした。
「そういえば、ジェニーは二回生なんだよね? ちょっと早いけど、来年の専門課程はどうするつもりなんだろう?」
「専門課程ですか? 魔法技術を選ぶつもりです」
「なんでまた?」
「魔法探求を選べるほど頭は良くないですし、あたし、騎士団に入るつもりもなければ、冒険者になるつもりもないですもん。せやから、軍事教練も護身教練もなし。そうなると、残ってんのは魔法技術だけですやん?」
消去法かぁ。選び方なんてそれぞれだから別にいいんだけど、何やら残念な気もする。
「あ、でも、あたし卒業したら家の商売を手伝うから、それに便利な魔法があったらええかなー、なんて思ってますよ?」
「確かにそれなら、魔法技術一択だね。そっか、初めから行き先が決まっていたんだ」
なんだ、ちゃんとした選択する理由があるんじゃないか。だったらいいか。
「あ、逆に質問なんですけど、魔法技術であたしが入れそうな研究室ってどっかあります?」
「なかなか難しい質問だな。モーリス、どこかあるかな?」
「いや、さすがに商家で役立つ魔法っていうだけじゃね。俺、商家で働いたことなんてないし、ぱっとは答えられないよ」
そうだよなぁ。いくら何でも無茶ぶり過ぎたか。
「あ、だったら、片っ端から魔法技術の研究室に見学しに行ったらどうだ? 明日から」
「演舞会を見てからでもいいんじゃないかな?」
「いや、今のうちに、一回自分の足を運んで研究室に行ってきた方がいい。それから考えをまとめて、後期の演舞会を見た方が後のためになる」
これは例の五人を見ていた結果の判断でもある。できるだけ行動は早いほうがいい。準備期間は長い方が三回生になったときにずっと有利になるからな。
俺はそのことをジェニーに力説した。すると、嬉しそうにジェニーが頷く。
「ああ、やっぱりユージ先生についてきて正解やったわぁ。こんなに熱心に話をしてくれる先生なんて他におらへんもん」
「いやまったくだね。あの五人が懐くはずさ」
ジェニーに褒められるのは嬉しいが、モーリス、俺をおだててないでお前もちゃんと助言しろ。
しかし、いくら言ってもモーリスの奴は俺の言うことなんて聞かなかった。
その後は雑談をしばらくして解散となる。モーリスの態度には相変わらずもやもやするな。けど、今年一年はジェニーがいるので、何とか補習授業をやっていけそうな気がした。