研究室の管理者にならへん?
ペイリン魔法学園で教員になって三回目の春がやって来た。十年以上やっていた冒険者のときはそうでもなかったのに、二年と少しの教職では月日の流れが随分と早く感じる。
スカリー、クレア、シャロン、アリー、カイルの五人は三回生となり、それぞれ自分の望む専門課程を選んだ。スカリーとシャロンは魔法探求の専門課程でサラ先生の研究室に入り、クレアは魔法技術の専門課程でやっぱりサラ先生のところだ。ただしクレアの場合は、二極系統の光属性が研究に必要なので俺が補佐をすることになっている。サラ先生が理論を、俺が実験を手伝う形だ。
一方、護身教練の専門課程を選んだアリーとカイルは、アハーン先生に師事することになっている。二人のことをよく知っている先生なので安心して任せられるが、当の本人は優秀すぎる二人に何を教えたらいいのか頭を抱えているらしい。俺としては頑張れと応援するだけである。
そして俺は、先月からサラ先生の研究室に出入りしている。進級試験の仕事が一段落してから、研究室の作業を手伝うように命じられたのだ。
「まずはうちの研究室が、どんなところか知っておいてもらわんとな~」
実に良い笑顔で頼まれたわけだが、いつか誰かに似たようなことを言われてつつ、こき使われた気がする。はて、いつのことだったか。
とはいうものの、専門課程の研究は暦の上では四月から始まるが、教師も学生も実質的には三月から準備をしておくものだ。新学期から「さぁはじめよう!」と言っていては遅い。
そのため、俺も色々と研究室の雑用をするために走り回っている。俺がこの研究室に出入りする理由はクレアの研究を支援するためなのだが、どう見てもそれは名目で、単純に人手がほしかったようにしか見えない。
「ユージ君がいてくれると便利やわ~」
そう言ってサラ先生は、研究室の予算管理、備品や機材の管理・調達、学生の専門課程選択の各種書類作成、その他簡単な外部折衝などを俺に丸投げしようとする。
「サラ先生、俺ってクレアの研究支援のためにいるんですよね?」
「うん! せやから、クレアちゃんに必要なことも入ってるやろ?」
果汁一パーセントのジュース並にしか混ざってないだろう! どうみてもクレアのための作業はおまけじゃないか!
あんまりな言い訳だったので俺も思わず言い返した。
「もう研究室の作業には慣れましたから、来月からはクレアの支援に専念しますね」
「えー、いやや~」
手足をばたつかせて抗議をするサラ先生だったが、丸々作業を引き受けていたらこっちが何もできなくなってしまう。
「大体、秘書や作業員がついているじゃないですか。今まで通り、あの人達を使えばいいでしょうに」
研究室を持っている教授くらいになると、配下に数人の部下がいることが多い。もちろん研究室の規模に比例する。サラ先生くらいになると十人近い。だから別に俺がいなくても問題ないはずなんだが、今やすっかり研究室全体の補佐役だ。
「でもぉ、ユージ君かやってくれると、むっちゃ効率的なんやもん~」
他の秘書や作業員の名誉のために言っておくが、あの人達が仕事を怠けていたり能力が低かったりする訳じゃない。個々の分野では優秀である。問題なのは、この人達を効率的に動かす管理者が不在なことだ。
「あの人達を効率的かつ効果的に動かすのは、サラ先生の仕事のひとつでしょう。自分の仕事を放棄してどうするんですか」
「えー、だってうち、研究者やし、管理するのは本業とちゃうもん」
「これだけ大きな研究室を抱えていたら、管理するのも仕事でしょう。俺に言い訳したって仕事は消えてくれませんよ」
ペイリン本邸なんかだと、その辺りの管理は執事がやっているんだろうな。それで、その役を俺に任せたいっていうことなんだろう。気持ちはわかるけど、俺の仕事が激増するだけで、こっちにいいことがない。
「なぁなぁ、お給金倍にするからやってくれへん?」
あ、懐柔しにきた。そんなに嫌なのか。
「秘書さんを管理できる人に教育したらどうなんです?」
「そんなことしたら、うちの秘書は誰がやってくれんの? 研究室の仕事だけとちゃうねんで」
確か学校の運営もやっているんだったっけ。そうなるとそっちの秘書も兼ねているのか。うわ、面倒な。
「秘書さんの仕事を学校運営の作業と研究室管理の作業に分けて」
「ユージ君が研究室の管理をしてくれたら全部解決やね」
俺の言葉を引き継いでサラ先生が自説をつなげた。ああそうか、最初からそのつもりだったんだな。無邪気な笑顔で迫ってくる。
「補習授業とか他の授業の補佐もあるし……」
「研究室の管理の方が優先やね~」
もはや公私混同しているようにしか見えない。というか、見境がなくなってきていないか?
「執事さんみたいに、それ専門の人は雇えないんですか?」
「それが意外と難しいねん。信用問題もあるんやけど、学園の仕事にある程度精通してて、人と物とお金の管理ができて、外との交渉ができるって条件になると、ほら、ほぼおらへんやろ?」
それは条件を設定しすぎだと思う。完璧じゃなくても、ある程度のところで我慢すればいいと思うんだけどな。
「欲張りすぎないで、ある程度の条件で我慢するべきじゃないですか? 例えば、学校の仕事がわかってて、管理のできる人とか」
「具体的にはどんな先生なん?」
「えーっと……あれ?」
おや? 全然名前が出てこないぞ。おかしいな。学校の仕事に精通しているっていうところは問題ないけど、管理ということになるとどうなんだろう。
「ほらな、出てこうへんやろう? 学校の仕事はともかく、人と物とお金の管理ってなるとみんな意外とできひんねん」
うーん、モーリスもアハーン先生も優秀だとは思うんだけどなぁ。ただ、管理者となるとわからない。
「あれ、でもそれじゃ、どうして俺は適任だなんて思ったんですか? その口ぶりですと、三月に研究室に入る前から目を付けていたように聞こえるんですが」
「去年やってもろた課外戦闘訓練の授業は覚えてる? あれの報告書を随分詳しく書いてくれたやん。それに、預けた路銀がぎょうさん返ってきたしな。うちはこれならって思ったんや」
そんなところを見ていたのか。自分では何でもないことだと思っていたから、あのときは気にもしなかったけど。
「そうそう、ユージ君。ああいった路銀って普通は返さんと自分の懐に入れるもんなんやで?」
「え、そうなんですか?!」
今知った意外な事実! 借受金は余ったら返すものだと思っていたのに、自分のもにしていいのか!
「どうせいくら使ったかなんてわからへんねんもん。せやのに、ユージ君はちゃんと返してくれたやろ。しかも、あの詳しい報告書を読んだら、何に使ったんか大体わかるからごまかしもきかんし」
「もしかして報告書を大雑把に書くのって、その辺をごまかすためなんですか?」
「書くのが面倒ってゆうんが一番の理由やけど、そういった副次的な効果もあるんは確かやで」
なんてこった。だからモーリスやアハーン先生にはまじめ扱いされるし、一部の先生からはもっと簡略化して書くように苦言を呈されたのか。今やっと理解できた。
「何が誰にどう評価されているかなんて、わからないものですね」
「まぁな~。今回はええ方向に評価されて良かったやん」
明らかに仕事が激増しそうなのがいいことなんだろうか。
俺のそんな思いは表情にはっきりと表れていたので、サラ先生が口をとがらせて抗議してきた。
「ユージ君さっきから嫌そうにしてるけど、これってものすごい出世なんやで。学園にやって来て三年目で研究室の管理を任されるなんて、よっぽど後ろ盾が強う押さへんと無理やのに」
言われてみると確かにその通りだ。会社に例えると、大手企業に中途採用で平社員として入社し、三年目で課長に昇進して給料が倍になるくらいなんだろう。しかもその部署はその企業でも有数の花形部署ときたもんだ。
「確かにすごいですね」
「せやろう?! そやから、うちにこんなことお願いされるんは凄いことなんやで!」
俺の感想に気をよくしたサラ先生が、ふんぞり返って威張る。何か企んでいるときは怖く見えるが、普段は子供が背伸びしているようにしか見えないのがほほえましい。
「でも、今まで俺の正体を探るために、色々引っかけようとしたりしましたよね?」
「うっ、あ、あれは~」
ふんぞり返ったままのサラ先生が硬直する。
「サラ先生の言う通り、本当はとても良いお話だとは思うんですけど、今までのいきさつから、仕事を丸投げする方便にしか聞こえないんですよね」
今度はサラ先生の目が泳いだ。うん、最初から俺はわかっていましたよ。
「なぁなぁ、ユージ君。うちを助けてぇな~。最近おとーちゃんから『お前ももっとこっちの仕事をしろ』って、色々押しつけられんねん!」
ついに本音が出た。なるほど、学校運営の仕事が忙しくなってきたのか。いや、たぶん今まで逃げていたけど、もう逃げられなくなってきたんだろう。例えば、誰かが退職したとかで。
今度は泣き落としとばかりに、サラ先生はすんすん泣く。嘘泣きは明らかなんだけど、目の前で泣かれると男としてはどうにも居心地が悪い。これってずるいよな。
「学校外との交渉なんて、研究材料の仕入れくらいしかできないですよ?」
「やってくれるんやね!?」
くそ、やっぱり嘘泣きかよ。満面の笑みで言質を取ろうとしてくるぞ。
「俺の質問には答えてくれないんですね。それじゃこの話は」
「うんうん、それでええよ! やった、決まりやね! いやぁ、うち助かるわぁ!」
喜びを体一杯に表して飛び跳ねるサラ先生を、俺は肩を落としながら眺める。う~ん、結局押し切られたか。
「というやり取りがあったんだ」
「うわぁ」
四月に入って間もないある日、俺はスカリー、クレア、シャロンの三人と一緒に昼ご飯を食べていた。そのときに、研究室の管理を任されたいきさつを話したところ、スカリーからうめきが漏れた。もちろん他の二人も引いている。
「だからユージ教諭は研究室全体の雑務をなさっていたのですわね。やっと納得しましたわ」
「サラさん、うまく人に頼み事をするんですね」
「脅しすかし泣き落とし、使えるもんはなんでも使うしな、おかーちゃん」
はい、実際に体験しました。スカリーさんは大きくなっても、あんなふうにならないでくださいね。
「おかげで仕事が一気に増えたよ。サラ先生の研究室に出入りしている人って多いから、雑用が山のようにあって困る」
「管理者なんやから、部下に任したらええんと違うのん?」
「最終的な決済は俺のところに回ってくるし、相談はしょっちゅう来るし、任すほどのことじゃないことも割とあるしな」
周りの人が俺のやり方に慣れてくれたら、ある程度自律して動いてくれるだろう。でもまだそんなことは期待できないので、色々と手のかかることが多いのだ。
「しっかし、ユージ先生って端から見ると、順調におかーちゃんに取り込まれとるなぁ」
「うっ、やっぱりそう見えるよな」
年収が倍に上がったのは素直に嬉しいが、それ以上に仕事と責任が増えたような気がしてならない。元々の報酬額が冒険者時代よりもずっと良かったので、あまり昇給に興味がなかったというのもあるが。
「でも、ユージ先生って学園に採用されてからまだ二年と少しなんですよね? 大出世なんじゃないですか」
「その分だけ周りの羨望と嫉妬も大きいですわよ。特に推薦を受けて教員になられた方々は、嫉妬なさっているでしょうね」
俺の周囲では目立った反感はなかったけど、一部微妙な反応を返す先生は確かにいた。何でこいつはっていうのはあるんだろうな。
「そやなぁ。明らかに出世を狙ってる先生もおるし。目の敵にされても不思議やない」
「スカーレット様に媚びる教師もおりますしね」
「え、そんな先生がいるの?」
漠然とそういう先生もいるんだろうなとは思っていたけど、知り合いにそんな目撃情報を言われるなんて思わなかった。
「ユージ教諭、これからはあなたにもそういった輩がつきまとって来ますわよ」
「あの笑顔を見るとほんまに嫌になるで」
「わたしも、ああいう人に近づかれるのは嫌だなぁ」
きっとシャロンもクレアもそういう体験があるんだろう。ついに俺もそんな側に立ったってわけか。
「そうなると、モーリスが第一号か。あいつ、『俺を研究室で使ってくれ』って早速言ってきたもんな」
俺の言葉を聞いて、簡単にその様子を想像できた三人が頭を抱える。俺も思い出して目眩がした。
「あはは、モーリス先生だと言いそうですよね」
「でもなぜか憎めないんですわよね。呆れて何も言えなくなってしまいますが」
そうなんだよな。たぶん言い方が軽くて冗談に聞こえるからなんだろう。
「まぁ、そうゆう手合いをあしらいながら、仕事を頑張らはるんやな。うちらも頼りにしてんで」
確かに、学生のためにもする仕事なんだから、嘆いてばかりもいられないよな。俺は苦笑いしながらスカリーの言葉に頷いた。