モーリスの忠告
カイルをはじめ、留年した学生が必死になって勉強している年末、俺は教員室でのんびりと仕事をしている。補習授業はまだあるものの、もう授業外でしないといけない準備なんかはないので、時間に余裕が出てきたのだ。
それはモーリスも同じで、こっちも鼻歌交じりに別の作業をしている。この後期はほとんど同じ授業をしているので、俺に余裕があるということは、あいつにも余裕があるということだった。なにか面白くないな。
ないよりかはましという程度の暖房が効いた部屋で資料をまとめていると、「終わったぁ!」という声と共にモーリスが立ち上がった。他の先生の邪魔をしたら駄目だろうに。
「ユージ、休憩しよう」
「お前、ほんっとうに自分の都合しか考えないんだな」
たぶんこっちに来るんだろうなと身構えていたら、やっぱり俺に話しかけてきた。幸い俺も一段落つけているけど、もう少し人の都合をうかがうことを覚えるべきだろう。
「ユージは働き過ぎだって。他の先生の倍も仕事をしているんだから、息抜きくらいしても大丈夫だよ」
俺の処理能力が高いという以上に、一般的に仕事は休み休みするものなので、少し作業をしたら誰もがすぐに休憩をする。最初はのんびりとしていていいなと思っていたが、あまりにも仕事が進まないので、俺だけは日本水準で働いていた。その評価がこれだ。
「まぁいいや。わかった、休もうか」
「やったね!」
男と一緒に休憩できて何が嬉しいのか俺にはわからないが、モーリスは喜んでいる。サボる仲間ができたということなのかもしれない。
俺達は教員室の端にある長椅子に座ると、何とはなしに雑談を始めた。
「もう、今年も残りわずかか。去年も色々あったと思ってたけど、今年はまた更に色々とあったなぁ」
「随分としみじみ言うね、ユージ。でも君の場合は、本当にそうだよね。充実した人生を送っているじゃないか」
充実した人生か。確かに去年からそうだよな。この学校に入るまでは生きるのが精一杯だった。時間そのものは今よりも余裕はあったけど、より生活のためだけに生きているって感じだったもんな。
「充実しているのはいいんだけどな、以前よりも人と関わるようになったのが大変だよ」
「特に教職なんてそうだよね。教師同士で色々交渉しないといけないし、学生の面倒は見ないといけないし」
「お前ちゃんと学生の面倒見てるのか? 以前その辺を適当にするって言ってなかったっけ?」
「言ってないよ。酷いな。そんな話を作るなんてさ」
曖昧な記憶を頼りにしゃべると強く否定された。まぁ、モーリスの適当っていうのは、『いい加減』じゃなくて『適度』っていうことくらいは知っている。
「去年はあの五人の面倒を見るだけでよかったけど、今年に入って、いきなり六十人の面倒を見ろって命じられたときは、正直どうしようかと思った」
「俺も一緒だからひとり頭三十人くらいだったわけだけど、その五人のおかげでかなり楽になったよ。まさかあんなに使えるとは思っていなかった」
「俺は去年、似たようなことをやっていたのを知っていたから、不思議には思わなかったな」
だからこそ手伝ってもらおうと思ったわけだし。けど、来年からは自分達だけで授業をしないといけないんだよな。それが今の悩みの種だ。
「そうだ、次の冬休みはどうするつもりなんだい?」
「気が早いなぁ。まだ二週間以上先だろ?」
「何言ってるんだ。せっかくの休みなんだよ? 目一杯楽しめるように計画を立てなきゃ駄目じゃないか」
「去年は何をするって言ってたっけ?」
わざとらしく天井に視線を向けてつぶやく。すると、モーリスは「うっ」と言葉を詰まらせて黙った。
「こ、今回はうまくいくさ」
「へ?」
もう一年前のことかぁ随分昔のことのようだなぁ、なんて思いを馳せていたら、絞り出すような声が隣から聞こえてきた。
「前の失敗を踏まえた上で、今回こそうまくやるって言ってるんだよ」
「また似たような方法で嫁探しをするのか?」
「いや、今度は全くの別さ」
本当か? 俺は頭から疑わざるを得ない。前回のときは俺も後始末をさせられたせいで、こいつの話を笑い飛ばすことができないのが腹立たしい。
「今度は失敗しても何も手伝わないからな」
「……そんなことを言わないでくれよ、親友」
「なんで失敗したら自分で処理できないことに手を出すんだよ。やめろよな。もっと身の丈に合った手段を選べ」
「大丈夫だって、今回は」
だからそれが信用できないって言ってんだろうが。こいつ本当に自分のことしか考えないなぁ。
「次は自分ひとりでどうにかしろよ」
「ちぇっ、冷たいな。ユージみたいに選り取り見取りじゃない奴の気持ちも少しは考えてくれよ」
「俺のどこが選り取り見取りなんだ」
そもそもどこに選べる女がいるってんだよ。お前の目は腐っているのか。
しかし返ってきた返答は盛大なため息だった。うわ、なんか腹が立つな。その態度。
「ユージは何を言っているんだい。スカリー、クレア、アリー、シャロンと四人も目の前にいるじゃないか」
その話を聞いて俺は目眩がした。こいつ、見境がなくなっていないか?
「お前は正気か? 学生に手を出せと?」
「わかってないね。卒業後に手を出せるように、今から準備をしておくんじゃないか」
こいつを警邏隊へ突き出すべきか、真剣に考えた方がいいのかもしれない。
「自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「もちろん、代々この学校の教師に伝わる格言にあるくらいさ」
「どんな格言なんだよ」
「『嫁は探すものじゃなく、育てるものだ』」
メリッサ、お前が苦労して作り上げたこの学園は、根元から腐ってしまっているかもしれないぞ。
「まぁ、冗談はこのくらいにしておいてだ」
「殴っていいか?」
今なら手加減なしで吹き飛ばせる自信があるぞ。どうだろう。一発だけ、一発だけだから!
「いや、遠慮しておくよ。それよりまじめな話、スカリー、クレア、アリーの三人とは、以前よりかなり親密になっているだろう」
「親密ってどの程度だ? 前より仲良くなっているっていうのなら、確かにそうだけど」
約二年くらいかけて少しずつ築き上げてきた信頼関係なんだ。これで以前と変わりませんなんて言われたら、俺はこの先教師をやっていく自信がないぞ。
「教師と学生の関係としては、かなりいい感じだと思う。正直、それだけの関係が築けたのは羨ましいよ。日頃の地道な努力の成果だろうね」
「急に持ち上げてきたな。なんだか落ち着かないぞ」
「卒業までずっとその状態を保てるのなら問題ないけどね。そうじゃないなら大変なことになるかもしれないってことさ」
「え? どういうこと?」
モーリスが何を心配しているのかわからない。築き上げた信頼関係を壊すな、っていう忠告なのか。それなら言われるまでもないが。
「教師と学生の信頼が、男と女の愛情に変わらないように気をつけなって忠告しているんだよ。これが誰かひとりとだけだったら、俺もお幸せにって言ってたんだろうけどね、ユージの場合は相手が三人もいる」
「ああ、うん。言いたいことはわかった」
三人同時に好きになられて、修羅場になる可能性があるってことか。ただ、本当にそんなことがあるんだろうかっていう疑問はあるけど。すると、そんな俺の表情を読み取ったモーリスが更に言葉を続ける。
「何をどうやってみんなからの信頼を勝ち取ったのかは知らないけれど、それがある日突然別の感情に変わることがあるんだ。だから、常に距離を置くか、その変化する条件をうまく躱すかしないといけないよ。ユージはその辺り不器用だから、距離を置いた方がいいってことさ」
そう言われると、何も言えなくなってしまう。確かに恋愛経験なんてない俺にとって、相手の、ましてや女の感情が変化する条件なんてわかるわけない。だから、モーリスの忠告は正しい。
しかしだ。俺はそう簡単に距離を置けない立場になってしまっている。前世のことが既に三人とその実家に知られてしまっているからだ。下手な距離の取り方をすると、それはそれで面倒なことになる。
「うん、まぁ、そうだな。その辺は何も考えていなかった。うまく距離を取るようにするよ」
「その方がいい。全員の実家が実家だから、騒ぎになると厄介だしね」
全くだ。俺はモーリスの言葉に頷いた。
「と、言うことで、今回の嫁探しで何かあったらフォローよろしく!」
「は?」
何言ってんの、こいつ? どうして今の話からそれにつながるんだよ。あれはもう嫌だっていっているだろう!
「お前、やっぱり今回も変な伝手を使ってるんじゃないのか?!」
「失礼な、大丈夫だって言っているじゃないか!」
いーや、絶対に怪しいね! 俺は信用しないぞ!
そうして口を開こうとしたとき、俺達の目の前にアハーン先生が立ちはだかった。あれ、先生も休憩ですか?
「二人とも、暇なようですな。それでしたら、私の仕事を手伝ってもらいましょうか」
「「さって、仕事に戻るか!」」
俺達はきれいにハモった言葉をアハーン先生に返すと、そのまま急いで教員室を出る。外で特にやることはないが、ほとぼりが冷めるまではしばらくその辺りを回っておこう。
モーリスではないが、冬休みが近づくにつれて、休みの間どう過ごすのかということがよく話題になる。それは教師も学生も同じだ。学業に余裕がある学生は、さっさと冬休みに入っていた。
俺達がやっている補習授業は、新年一週間前で終わることになっている。本当はもっとぎりぎりまでやりたいのだが、受講生が耐えられないらしい。耐えられないって一体なんだよって思ったが、どうせやっても上の空だから、さっさと休みにした方がいいと全員から忠告された。
「本気で進級試験に合格する気はあるのか?」
「それはそれ、これはこれ、さ」
などとモーリスになだめられる始末だ。俺がおかしなことを言っているみたいで納得いかん。
そうして最後の補習授業が終わると、全員学生が牢獄から解放されたかのように喜んで散ってゆく。
後は来年二月の進級試験までなにもない。時に休息が必要なのはわかるけど、俺としては浮かれ気味に見える学生がちゃんと勉強するのか不安だ。
「はいはい、ユージ先生。これ以上はうちらの領分やないんやから、気持ちを切り替えんと」
「そうですわ。わたくし達はやるだけやりました。後は学生を信じるべきでしょう」
尚も心配する俺は学生に諭されてしまう。俺は気をかけ過ぎなのか。
「さて、それじゃこれから食堂へ行きましょう。食べ終わったら、宿舎に戻って荷物をまとめて玄関に集合よ。アリーには、ちゃんとカイルを連れてきてもらわないとね」
クレア達が昼からの予定について話をしている。
朝の間で終わった補習授業の後は、いつもの通り食堂で昼ご飯を食べて、そして宿泊の準備をしてからペイリン本邸へと向かうことになっているようだ。練習場で授業をしているアリーとカイルは食堂で合流することになっているらしい。
「ユージ先生は、うちにいつ来るん?」
「三日後の夕方までに行く予定だよ。慣れてきたから、去年よりも少し早めに終われるのが助かる」
もうすぐこの学校へ来て二年になるので、やるべきこととやらなくていいことの区別がついてきた。
「それでもモーリス先生よりも遅いんですよね」
「モーリス教諭は要領が良さそうですものね。ユージ教諭も見習うべき点ですわ」
それは俺も頷くところだ。なかなかうまくいかないけど。
「それじゃ先生、また屋敷で会おなぁ!」
スカリーを先頭に三人は食堂へと去って行く。
そういえば、以前モーリスに距離を取れって忠告されていたよな。思ったよりもこれは難しいかもしれない。
しばらくその場で考えていたが、妙案など出てこなかった。仕方がないので俺は考えるのをやめて教員館へと向かった。