貴族の嫉妬、平民の無関心
「やっと終わった……」
裁判があったその日の夕方、俺は、アリー、スカリー、クレア、シャロン、カイルの五人と食堂で集まっていた。そして、席について発した最初の言葉があれだ。
公衆の面前でずっと話し続けるというのはかなり疲れる。しかも、相手からは罵詈雑言を浴びながらだ。終わった後は本当に力尽きた。
アリーが持ってきてくれたエールを差し出してくれると、俺は一気にそれを飲み干した。
「はぁ、だめだ。ふらふらする」
「ユージ先生、今日は本当に疲れているんですね」
「小森林から戻ってきたときよりも弱っていますね、師匠」
俺の両脇に座っているクレアとアリーが労ってくれるが、それも上の空だ。いや本当に、人前に晒されたときの疲労って肉体的な疲労とは違うよなぁ。
「けどこれで、あのマルサス先生はもうおしまいやな。あんな出鱈目掲げて真っ正面から粉砕されたら、もうこの学校におられへんわ」
「え、あの先生退職するのか?」
スカリーの話が気になって俺は思わず口を挟む。
「退職どころか、追放とちゃうか。おかーちゃんと争ってたってゆう以前に、裁判であんな嘘を並べる奴なんて学園に置いとけへんやん」
「そうですわね。最終的にどのような処分となるかはわかりませんが、よくて追放のみ、重ければ偽証罪なども受けて牢獄行きですわ」
二人の話を聞いてマルサス先生の今後を考える。そうか、もうこの学校にはいられないのか。てっきり悪くても謹慎処分くらいじゃないかなと思っていたけど、そういえばあの裁判って正式なものだったっけ。
「しっかし、今回の裁判で改めてわかったけど、貴族って下の奴をぼろくそに言うんだな。あれには本当に驚いた」
マルサス先生の処分は正式な発表がないとわからないので、一旦置いておくとしよう。
それよりも、今回マルサス先生とその学生による、俺、アリー、カイルに対しての発言だ。口を開く度にいろんな罵詈雑言が出てきて本当に驚いた。
「いやぁ、実は俺もあれだけゆわれたんは初めてですわ、ユージ先生」
「そりゃ、お前は貧乏とはいえ貴族だからだろう?」
「何をゆうてはんの。俺んところみたいな貧乏貴族なんて、威張れるんは平民くらいしかおりまへんで。ただ、どの貴族からも相手にされてへんから、なんもゆわれへんだけで」
無視されているのか。それはそれでかわいそうに思えるが。
「でも、貴族って上品なはずなんだよな。どこであんな言葉を覚えたんだろう?」
「本当に不思議ですわね。あのような言葉を知る機会がどこにあるかなんて、さっぱりわかりませんわ」
「あ、もしかして冒険者だった頃に覚えたのかも。ほら、マルサス先生って若い頃は冒険者だったらしいでしょ?」
なるほど、そういえばそんな話を聞いたことがあるな。冒険者だったならむしろ上品な部類に入るけど。それにしても、クレアはよく覚えているな。
「そうなると、あっちの学生の言葉が悪かったんは、マルサス先生のせいっちゅうことか。大方、陰口叩くときに先生が使ってたんをまねしたんやな」
「カイルも冒険者になったら、口が悪くなるのでしょうね」
「俺は元々悪いしなぁ。けど、騎士団に入れたら、また良うなるで」
クレアの指摘にカイルは苦笑しながら返す。
「師匠、今回は決闘のときといい、裁判のときといい、本当にお世話になりました」
「半分サラ先生にさせられたみたいなものだけどな」
「それでも師匠がいないと、どうなっていたかわかりません。共に戦えて嬉しかったです」
向けられた笑顔は、思わずどきりとしてしまうほどきれいなものだった。
そして、アリーの発言を聞いた他の四人は驚く。
「ほほう、アリーさんが攻めてきましたなぁ」
「ユージ教諭がどう返されるのか、興味ありますわ」
「お? おもろそうやん!」
俺は三人を半目で睨むが効果はなかった。むしろますますその顔をにやにやさせてくる。
「アリー、いつもよりもユージ先生に近いわね」
「っ?!」
さすがにクレアの指摘にはアリーも動揺したらしい。思わず椅子半個分だけ離れた。
こうして俺とアリーは、食堂で夕飯を食べ終わるまでずっと四人にいじられていた。うう、余計に疲れた。
食堂を出ると外はすっかり日が暮れていた。周囲の光源は、通りに沿って備え付けられている街灯のみだ。その道を俺は学生五人と歩く。
「そんじゃ先生、また明日な!」
「お休みなさい」
教員宿舎と学生宿舎の分岐点で俺は五人と別れる。全員の姿を見送ると、俺は教員宿舎へと向かって歩き出した。
今日まで色々とあったがそれも終わった。明日からは補習授業をする日々が再び始まる。今回の裁判の結果、授業に出てこなくなった学生は戻ってきてくれるだろうか。来なくなったのは短期間だから、すぐに復帰してくれたらまだ間に合う。
そんなことを考えながら教員宿舎へと入った。中は大体静かだが、物音のする部屋が割とある。日が暮れてからそんなに時間が経っていないから、明日の授業準備をしたり、一人晩酌をしてたり、他に何かしていたりしているのだろう。
自分の部屋の前へと着く。今晩は体を拭いたらすぐ寝るつもりだ。今はもう何もしたくない。ひたすら寝たい。
鍵を開けて扉を開く。さぁ入るぞと足を前に出したとき、目の前の床に小さい紙切れが落ちていた。こんな小さな紙切れは室内にないし、部屋で紙を千切るようなこともしたことはない。
「なんだこれ?」
手にとって両面を見てみる。すると、片面に「すぐ倉庫裏の広場に来い」とだけ書いてあった。殴り書きなのか達筆なのかはわからないが、少し読みにくい。
それはともかく、どうしようか。あんまりにも簡潔すぎる文面だが、誰が何を望んでいるのかくらいはわかる。問題は俺に付き合う意味があるかだ。
応じる必要性は全くない。だってお互いにもう結果が出たことだからだ。出向いたとしても、俺が損をすることはあっても得をすることはない。あちら側の感情が満足するかどうかというだけだ。
それなら、応じる意味はあるのかと問うと、残念ながらないとは言い切れない。下される処分によっては、あちらに復讐の機会があるかもしれないからだ。しかもその矛先は、俺にだけ向かうとは限らないというのが困る。
結局、俺はその紙切れをポケットに入れると、踵を返して教員宿舎を出た。裏手に回ると、隠蔽、防音、そして暗視の魔法を自分にかける。
先日も使ったが、教員宿舎の裏手から倉庫まで小道が続いている。昼間はたまに使っている人がいるものの、周囲は樹木が生い茂っているので夜は全く何も見えない。
そうして以前と同じように、倉庫まで約五十アーテムのところで立ち止まる。捜索で倉庫周辺の人影を探索してみると、案の定ひとりだけ反応があった。この辺りの地形を思い浮かべてみる。広場の奥の草むら辺りか? どうも先日の学生と同じように隠れているらしい。
俺は呆れた。もしかしたら、学生が草むらに隠れていたのは、あいつの作戦だったのか?
まぁいいや。それならこっちも遠慮なしで。
どうしようかしばらく考えた後、俺は広場を中心に直径百アーテム周囲に防音の障壁を発動させた。高さ五十アーテムもある無色透明の壁だ。これで中の音は外に漏れない。常人なら魔力不足で発動できないものでも、俺なら簡単にできるのは助かる。
これで広場とその周囲で行動する用意ができた。俺は再び歩き出す。
現時点で俺の位置は捜索で確認されている可能性はあるものの、相手が攻撃してくるのは俺が広場に入ってからだと予想している。途中に罠が仕掛けてある可能性は考えていない。相手はそんな地味なことはしないと確信できるからだ。
倉庫の前に到達した。そろそろ防音の障壁の中に入る。捜索をかけたが動いていない。
倉庫の脇を歩いて広場に出る。再び捜索をかけたが変化なし。肉眼では、確認できないか。意外とうまく隠れているんだ。さすが元冒険者。
そのとき、広場の中央から頭上十アーテムくらいのところに光明が出現した。ああ、やっぱり捜索で俺の位置を確認しているのか。真っ暗で何も見えないはずなのにタイミングがばっちりだ。
しかし、肝心の攻撃が続けてこない。俺は隠蔽の魔法で姿を隠しているから、あっちは肉眼で俺の姿を見つけられなくて混乱しているんだ。それなら、気づく前にこっちから仕掛けるか。
「我が下に集いし魔力よ、炎となり姿を現せ、炎」
以前学生にしたのと同じように、今度は草むらに隠れている相手を丸焼きにしようと炎で包む。すると、一瞬遅れて強烈な悲鳴が上がった。
「ああぁああぁぁあああ!!!」
「我が下に集いし魔力よ、水となり我が元へ集え、水球」
突然燃やされて狂ったように悲鳴を上げた相手は、転がりながら広場へと出てくる。俺はそれを一旦無視して、今自分が燃やした草むら一帯に水球をぶつけて消火した。草木に恨みはないからな。
尚も相手、もういいか、マルサス先生は地面を転げ回っている。学生のときと違って加減なしだから、服が焼け焦げているだけでなく、あちこち火傷をしていた。
「あぁああぁあ!! で、出てこいユージィ! 卑怯だぞぉ!」
奇襲しようとしていた奴が言うことか。それに、さっき捜索で俺の位置を確認していたんじゃなかったのか? それどころじゃないのは見てわかるけど。
このままだと話ができないので、俺は魔法を解除して姿を現した。
そしてようやく、マルサス先生は俺の姿をその目でとらえた。
「き、き、貴様っ、よくも高貴なるわしにこんな卑怯なことを!」
「自分も草むらから奇襲を仕掛けようとしていたくせに、まだ言うか」
「平民風情がぁぁ!!」
駄目だ、頭に血が上りすぎてまともな会話ができないみたいだ。
「我が下に集いし魔力よ、火となり我が元へ集え、火球」
「我が下に集いし魔力よ、水となり我が元へ集え、水球」
マルサス先生が撃った火球に対して、俺は水球をぶつける。すると、ぶつかった二つの魔法は、一瞬大きな音を発してきれいに消えた。
「な、に?」
自分の魔法攻撃をきれいに消滅させられたからなのか、マルサス先生は呆然としている。しかしすぐに怒りの形相に戻って再び攻撃してきた。
「我が下に集いし魔力よ、火となり貫く牙となれ、火槍」
「我が下に集いし魔力よ、水となり貫く刃となれ、水槍」
マルサス先生渾身の魔法は、再び俺が相殺して見せた。
「き、貴様、貴様は一体……」
あらかじめ示し合わせているのではない限り、相手の魔法を相殺するというのは非常に難しい。というのも、そもそも相手がどんな魔法を使い、どの程度魔力を込めるのかということがわからないからだ。それをきちんと知るためには、常に相手の後追いで魔法を使わないといけない。もし見極めを誤ったら大変なことになる。
そのため、実戦で相殺を使うことはまずない。あったとしたら、それは余程の実力差があるということだ。
そして今、マルサス先生はそれを目の前に突きつけられたことになる。たかが平民と歯牙にもかけなかった存在が、自分など足下にも及ばない魔法の使い手であるということをだ。
「貴族だから高貴で平民だから低俗っていうんでしたら、それはそれでいいですけどね。だったら関わらなければいいでしょう。どうして補習授業の妨害をしたり、私のところの学生を闇討ちしようとしたりしたんですか?」
マルサス先生は最初何を言われているのかわからなかったようで、しばらく呆然としていた。しかし、次第に俺の言葉を理解してくると、こちらを睨んでくる。
「き、貴様が、貴様が! わしからフェアチャイルド君とホーリーランド君を取り上げたからだ! あの二人は、わしの下で研究するのが最も幸せなのだ!」
「シャロンさんは、俺と出会う前にサラ先生の研究室に入ると決めたでしょう」
「嘘だ! あの日、フェアチャイルド君がわしの誘いを断った日、貴様はその様子を確認するためわしの教授室へとやってきたではないか! 事前に示し合わせた通り、断っているか確認しにきたんだろう!」
事実と妄想の区別がつかなくなってきているのか? 自分の主観中心に出来事を作り替えようとしているぞ。
「クレアさんは、水属性と光属性を使った研究を望んでいました。しかし、マルサス先生のところで、その二つの属性を使った研究はできないのでしょう?」
「そんなものどうとにでもなる! 必要ならノースフォート教会から人を呼べばいい!」
これについては一理あるな。ないなら他から持ってくればいいわけだ。でも、それをちゃんとクレアに話したんだろうか。少なくとも、クレアからはそんな提案がされたという話を聞いていない。
「それで、仮に俺がマルサス先生からこの二人を取り上げて、どんな利益があるというんですか? 専門課程の担当じゃないですし、できませんよ、俺」
「高貴なわしを妬んでやったに決まっているだろう! 下賤な平民の分際で、わしをここまで陥れたのだ。さぞや愉快だろう!」
「全然。興味ないです」
俺の冷めた言葉を聞いたマルサス先生は、狂った笑顔を浮かべながら凍り付いた。
できれば話をと思ったけれど、これはもう無理だ。俺達に手を出してきた理由がわかっただけでもよしとするか。
これ以上付き合っても意味はないと判断した俺は、マルサス先生に背を向けて歩き出す。マルサス先生が何かを叫んでいるが、俺はそれを無視してそのまま立ち去った。
翌日、マルサス先生がどこにもいないということで、学校中が捜索された。その結果、倉庫裏の広場に一体の焼死体が見つかる。ただし、遺体の損傷が激しいため、それが誰なのかまでは特定できなかった。