幕間 アリーの悩み
私がペイリン魔法学園へ留学しようと思ったのは、単なる興味本位だった。ライオンズ学園にもかつては人の留学生がいたし、知識としてはある程度知っていた。しかし、やはり体験しないとわからないものあるだろうと考え、オフィーリアお婆様から勧められたときに応じたのだ。
山を越え、森を抜け、街道を進んだ先にペイリン魔法学園はあった。ライオンズ学園とはまた趣の異なる偉容に、私はこれからの三年間を実りあるものにしなければと思ったものだ。
ただ、やはり、種族の壁というものは存在した。魔族である私を快く思わない教師や学生が一定数いたのだ。これはまだ仕方ないと思う。二百年前までは種族間で戦争をしていたからな。魔族にも当時を生きた者がおり、人嫌いも多い。それを思うと強く出ることはできなかった。
しかし、三年間在籍するのだから、できるだけ居心地の良い環境を整えたい。そこでどうしようかと悩んでいるときに出会ったのが、今の師匠、ユージ殿だ。この方には隔意というものが全く感じられず、人も魔族も同じように扱ってくださる。後に私達の輪に加わるシャロンによると、貴族と平民の扱いにも差がないという。常に接しているうちにそれはよくわかった。
当初、師匠との接点は戦闘訓練の授業しかなかったが、学園内で最も接しやすい方だったので、授業以外の時にも会うようになる。それは、修行仲間のカイルを紹介してもらい、指導してもらうことで一層共にいる時間が増えていった。
そうそう、師匠と一度本気で対戦をしたいと申し込んだことがあった。できれば真剣でやりたかったが、危険だということで木剣を使っての試合となる。結果は完敗だった。このときになってようやく、まだ師匠と真剣で戦う資格が私にはないということを理解できた。それ以来、ユージ殿のことを師匠と呼んでいる。
進級試験に合格し、無事二回生になると、課外戦闘訓練という授業に参加した。どうもこれは不定期に行われる授業のようで、参加できた私達は幸運だったらしい。
内容は、小森林で冒険者と同じ活動をするというものだ。最初は野犬、次は熊、そして小鬼と戦った。相手としては魔界の獣や魔物の方が強いが、仲間と連携して戦うということは初めての体験だった。思えば、魔界にいた頃は周りに合わせてもらってばかりいたな。
そういったことを、私は毎月実家のオフィーリアお婆様との手紙に書いている。他にも、日々の生活で気になったことや感じたことなどもだ。取り立てて変わったことを書いている気はなかった。
しかし最近、この手紙が私の悩みの種となっている。というのも、なぜかお婆様はしきりに師匠のことを知りたがるからだ。もしかしたら、最初の弟子かもしれないのだという。何でもその最初の弟子は人間の霊体だったらしい。もしかしたら生まれ変わりの可能性があるとおっしゃったときは、さすがに目眩がした。そんなに都合の良いことがあるのだろうか?
そしてついに先日受け取った手紙には、師匠のことを更に調査するようにという命令が記述されていた。何がお婆様をそこまで突き動かしているのかわからない。しかし、お婆様のご命令が下された以上、どうにか師匠のことを調べないといけなくなった。そうした謀は苦手なのだがな。さて、どうしたものか。
夏期休暇に入った。去年はカイルと二人でずっと修行していたが、今年は師匠に借りたお金を返すために働かないといけないため、カイルとは一緒に修行できない。ならばひとりで修行するだけなのだが、スカリーに屋敷へ来るように誘われたので応じることにした。庭先で鍛錬をしても良いという条件だったからだ。
月が新しくなり、前期が終わると、私は必要な物をまとめてペイリン本邸へと向かう。今日から約一ヵ月間世話になる屋敷だ。年末年始に一度訪れているので迷うこともなかった。
「アリー、よう来たな!」
「ああ、世話になる」
応接室でスカリーとクレアが出迎えてくれた。夏らしく涼しげな姿だ。
「シャロンの姿が見えないが? まだ来ていないのか?」
「二週間後くらいにやってくるで。貴族同士のお付き合いってやつや」
「そうか。さぞかし残念がっていただろうな」
スカリーのことを尊敬しているシャロンからしてみれば、一時でも離れたくないだろう。それを思うと同情する。
「そういえば、ユージ先生は今回も招待したのか?」
「うん、したんやけど、カイルの借金返済に付き合うから無理ってゆわれたんや」
「だろうな。私もそう聞いている」
「寝床だけでも借りればよかったのにね」
「あんまりカイルを甘やかすわけにはいかんらしいで。ここに慣れてまうと、卒業後の冒険者暮らしができひんようになってしまうんやって」
クレアの感想にスカリーは笑って答えた。
私もスカリーの意見には同意する。確かに課外戦闘訓練を思い出すと、スカリーの屋敷は贅沢すぎるな。
一頻り近況報告がてらの雑談をした後、私は泊まる部屋に案内してもらい、そこへ荷物を置いた。そして、テラスへと向かう。今は真夏なので本来なら暑苦しいはずなのだが、北向きの場所にあり、なおかつ水属性と風属性の魔法を使って気温と湿度を保っているため涼しいらしい。
「失礼する……おお、これは涼しい」
夏だというのにひんやりとする室内は、まるで秋のようだ。私は冬に一度招かれただけだからここは初めてだが、冬になるときっと暖かいのだろう。
「我がペイリン家自慢のテラスやで。気に入ってくれたか?」
「ああ、さすがに大魔道士の家系だけあるな」
私がそう漏らすと、スカリーは上機嫌で空いている椅子を勧めてくれた。丸い机には、既に三人分のお茶が用意してある。
そうして女三人でおしゃべりが始まる。先ほど応接室で交わした雑談の続きを皮切りに、先生、友人、授業などの学校関係、歌、演劇、物語などの娯楽関係─人間のものは全く知らなかったので教わる一方だった─、そして恋愛の話など内容は多岐にわたった。
中でも一番盛り上がったのは恋愛の話だ。なぜかスカリーとクレアがやたらと元気になる。誰と誰がくっついていそうだとか、喧嘩したとか、別れたとかだ。正直なところ、それほど興味が湧かないのだが、どういうわけか話題を変える時期をつかめない。まるで息もつかせぬ連続攻撃を延々と仕掛けられているようだ。
「あれぇ。アリーさん、さっきからずっと黙ったまんまですなぁ」
「いや、話すことがないからなのだが」
何やらねっとりとした視線と共に生ぬるい水を向けられた気分だ。悪いことをしたわけではないのに居心地が悪い。
「魔族の恋愛ってどうなのかな?」
「え? ま、魔族のか?」
正面からの攻撃をしのごうと踏ん張っていたら、クレアに横合いから斬りかかられてしまった。一見すると普通の視線のはずなのに、絡め取られそうな気がするのはどうしてだろうか。
一応知っていることをかき集めて説明しようとするが、人間の恋愛について知らないから、比較して説明することができない。その事実に思い当たって一瞬言葉に詰まる。
「あ、あのだな。そもそも私は人間の恋愛の仕方について知らない。それだからな? ひとつずつお互いの知っていることを披露してはどうだろうか?」
だんだんと何を言っているのかわからなくなってきた。あれ、おかしいな。私は何が言いたいんだろう。
「ほほう。なかなか変わった提案をすんな。ええやん、そんじゃそうしよっか。それじゃクレアからな」
「どうしてわたしから?!」
いきなり矛先を自分に向けられて驚いているクレアを見ながら、とりあえず難を逃れたことに安心した。もちろん、すぐに自分の番がやって来るのはわかっている。
「それじゃ、告白の仕方から話すわね」
「お、ええやん」
「光の教団ではね、女の子から告白するときは……」
こうして、ノースフォート、レサシガム、そして魔界の恋愛事情を順に語ることになった。私もあらん限りの知識と記憶を総動員して話をしたが、あの二人の見識には到底及ばなかった。くっ、せめて魔法の話ならまだ何とかなるのに!
恥ずかしさと悔しさも相まって、途中から何を話しているのかだんだんとわからなくなってしまう。たまに私自身の身の上をつつくのはやめてほしい。本当に何もないんだ、二人とも。
「うわぁ、スカリーそういうのが好きなんだぁ」
「まってクレアさん、あんたは絶対誤解してはるで? うちにその気は絶対ないし」
「ん~、でもぉ、隠していたらわからないじゃない」
一体何を話しているのかよくわからないが、何やらクレアが優勢に話を進めている。珍しくスカリーが焦っていた。なんだろう、私にはよくわからない。
この頃になると、私は理解できなくても、とりあえず話を合わせるという会話術を身につけていた。ぼんやりとしていたらすぐに矛先が自分に向かってくるからだ。順番に話を向けられるのは仕方ないにしても、余計なことで足下を掬われてはかなわない。
「そうはゆうけどな、例えばカイルはやっぱり子供っぽいって思うねん。一緒にいることが多いアリーならようわかるやろ?」
「……ああ。弟のような感じだというのなら、確かにそうだが」
「そうやんなぁ! あの感じって弟みたいやんなぁ!」
危なかった。どうにか的確に返せたようだ。いつの間にカイルの話になっていたのだろう。いや、例え話に出てきただけか。
尚も恋愛の話は続く。話題は変わっても恋愛という範囲は変わらない。いい加減他の分野はどうだろう。例えば剣術とか、駄目か?
「で、アリーはユージ先生のことをどう思う?」
「へ?! し、師匠のこと?」
しまった。ぼんやりとしていたら水を向けられてしまった。しかも師匠のことだなんて。どうしよう。
「し、師匠なら、これからよく観察しなければならないと思っている」
「え、観察?」
「どういうことやのん?」
どうも的外れな発言をしてしまったらしい。ああ、やってしまった。ちゃんと質問の内容を聞き返しておけばよかった。
「いや、好きとかそういうわけではなくてだな、お婆様に命じられて師匠のことをって、あ」
私は一体何を口走っているのだ! 気が動転してしまって、お婆様の命令について話そうとするなんて!
その場が静まりかえる。間違いなく私の表情は凍り付いているだろうが、それはスカリーとクレアも同じだった。まずい、何とかこの場を取り繕わなければ!
どうにかして私が口を開こうとする直前になって、スカリーが静かに立ち上がった。そして、かすかに微笑みを浮かべた表情のまま、ゆっくりと私の横へと立つ。更に、私の視線まで顔を下げてきて、肩に手を回しながらゆっくり囁いた。
「アリー、うちら、友達やんな?」
全身が泡立つとは正にこのことだ。視線だけをスカリーに向けると、実にすばらしい笑顔を向けてくれていた。なのにどうしてだろう、とても怖い。ああそうだ、初めて肉食獣と対面したときが、ちょうどこんな感じだったな。
私はたぶん無駄なんだろうなと思いつつも、視線を反対側に向ける。そこには、可憐な笑顔を私に向けているクレアがいた。スカリーとは違った笑顔なはずなのに、寒気がするのはどうしてなのか。
「話すと楽になることもあるわよ?」
確かに言っていることは正しいと思う。けれど、今は話さないまま終わってくれる方が楽なんだけどな。
椅子に座ったままの私の正面には机、そして隣からスカリーに肩に手を回されている状態では逃げようがなかった。
結局私は、全部しゃべってしまった。私が師匠を探らなければいけない理由、転生した守護霊であるのかどうかを調査するということだ。正直に告白すると、この内容に半信半疑だったから最後まで抵抗しなかったという側面はある。何にせよ、秘密を漏らしてしまったことには違いない。申し訳ありません、お婆様。
そして、私の話を聞いたスカリーとクレアは、何やら難しい顔をして黙り込んだ。先ほどからお互いの顔に目を向けては、「どうしよう」とか「ゆうてしまう?」なんて言葉を交わしている。
「あーもうええわ! どうせうちらもおんなじなんやし、全部話すで!」
珍しく途中で考えることを止めたスカリーが、クレア側の話も交えて私に事情を説明してくれた。
それによると、なんとお婆様と同様に、ペイリン家とホーリーランド家も、師匠が勇者の守護霊の転生体ではないかと疑っているらしい。そして先月、二人とも正式に調査するよう指示されたのだという。
「アリーのお婆様って、勇者と聖女が生きていた頃から存命されているのよね?」
「ああ。直接魔王討伐隊とは面識はないそうだが、人間の霊体と大森林の妖精に続く三人目として守護霊の教育係を務めたそうだ」
「そんな人、いや魔族が本物やないかって睨んでるんか。これは、ほんまに転生した守護霊とちゃうかな」
姦しい恋愛の話から一転して、まじめな話へと移る。私の失策からまさかこんな展開になるとは思わなかった。
「こうなったら、目的は一緒なんやし、アリーもうちらと先生のことを調べへんか?」
「そうだな。まさか師匠に対して二人と同じ秘密を共有しているとは思わなかったが、そうとわかれば協力したい」
話をするきっかけは思い出したくもないほど恥ずかしいが、二人に秘密を打ち明けることで逆にお婆様のお話に確信が持てるようになった。当時一緒に活動していた人間の記録と照らし合わせても転生した可能性が高いというのなら、師匠は本当に前世は守護霊だったのかもしれない。
「ところで、シャロンはどうしよう? 話して協力してもらう?」
「そやなぁ。一緒にいることが多いし、隠し続けるのは難しいかもしれへんなぁ」
「厄介なのは、この調査がいつまで続くかわからないという点だな」
一週間とかからないかもしれないし、一年以上かかるかもしれない。しかも、スカリーとクレアの場合は一族の秘密につながることだ。万が一、協力を求めて調べた結果、師匠と守護霊が無関係だった場合、無駄に秘密を漏らしたということになる。
「よし、しゃべって協力してもらおう! シャロンは大貴族のご令嬢なんやし、こういった秘密の扱い方はよう知っとるやろ」
確かに言われてみればそうだろう。ならば、秘密を打ち明けて仲間にするのがいいか。
こうして夏期休暇中に、私達四人は、師匠について調査する会を発足させた。一体どれくらいかかるのかわからないが、これからみんなで一緒に色々と探っていくとしよう。