手に負えないことは他人に投げよう
小森林に入って三日目の朝を迎えた。無事に迎えられて本当によかったと思う。昨日、熊に襲われたときは驚いたが、どうにか倒すことができて現在に至る。
熊の襲撃騒動の後、五人の周囲に対する警戒心というのが明らかに高まった。捜索を使えばある程度は奇襲を防げるとはいえ、完璧ではないのでずっと気を張ったままなのだ。ようやく冒険者らしくなってきたともいえる。
ただし、常に最高度の警戒をする必要はない。そんなことをしていれば数時間と持たずに息切れをしてしまう。しかし、五人はまだその辺りの調整がうまくできないようで、森に入って二日目の野営をする頃にはすっかりばててしまっていた。一夜明けた今も完全に疲れが取れきっていないようだ。
「はぁ、眠いなぁ。お、さすがにアリーも元気がないやん」
「カイルか。疲れが取れないのだ。さすがに少しきつい」
「あら、珍しいですわね。いつも平気そうにしていたのに」
「いつもは態度に出していないだけだ。しかし、今回は隠すのも無理だな。熊を相手にした後に警戒しすぎて、少し神経が参っている」
「気疲れよね。わたしもそう。不寝番のときも眠たくて仕方なかったわ」
「そのくせ、いざ寝るときになったら気が張って寝られへんかった? うち、あれがきつかったわ」
「スカーレット様も同じでしたのね。それで、やっと眠れたと思ったら、起こされてしまうんですのよ」
「あ~わかる! そのせいで頭が重くって、今も横になると寝てしまいそうよ」
朝ご飯を食べながら五人が話をしているが、俺も調理した保存食を食べながらその話に耳を傾けている。そして、実にその耳が痛くなる話だ。
今まで野犬と熊を相手に戦わせたけど、どっちもなかなか厳しかったよな。俺がもっとうまく相手を選んでやれたらよかったんだけど、思うようにうまくいかない。そしてこれからもうまく相手を選べる自信がない。教師としては問題ありだな。
しかしそもそも、学生五人をいきなり小森林で活動させるということ自体が間違いだ。確かにウェストフォートには新人冒険者もいるし、同じ小森林で仕事をしている。ただし、その新人冒険者達は、ある程度経験を積んだ冒険者がいるパーティに入って活動している。
それに対してこっちは、熟練冒険者が俺ひとりに学生が五人だ。普通と比率がまるっきり逆なのである。それを考えたら、むしろこの五人はよくやっているといえるだろう。少なくとも、俺は責める気にはなれない。
まずい、だんだんと思考が悪い方に向かっている。まだ遠征の途中なんだから、今はこれをどううまくやっていくかに集中するべきだろう。
ともかく、まだ明日もある。これからもできるだけ危険な要素を減らしながら活動しないといけない。
今日はもう少し北上してから、昼頃までその近辺をうろつく予定だった。現在位置から予定通り今日を含めて三日で街に戻ろうとすると、昼過ぎからは西へ移動しなければならない。
隊列を組んで俺達は北に向かって進んだ。今日も森の中は、動物の鳴き声が飛び交い、風が吹くと木々がざわめく。三日目ともなるとさすがに慣れてきた。
そんな中、今日は何を見せてやろうかなと考えながら歩いていると、なにやら違和感を感じる。「待て」と短く号令して立ち止まった。
五人は何事かと視線を俺に向けつつも、周囲に異常があるらしいことに気づいて、慌てて視線を外側へと向けた。しかし、何が異常なのかわからないのだから、いつまで経っても成果は上がらない。
周囲に視線を向けながら、違和感が何かを考える。周囲の風景におかしなところはない。あったら学生達も気づいているだろう。では、一体何に不快と感じたのか? いや、不快感ってなんだ。おかしいと思ったんじゃなくて、嫌だと思ったのか。
そのとき、違和感が強くなった。不快な音が耳に入ったからだ。そうか、音か。これは声、鳴き声か。聞き覚えがあるぞ。
「ユージ先生、一体何があるんですか?」
立ち止まって最初に声を上げたのはクレアだった。さすがにいつまでもわからないままというのはまずいと考えたのだろう。
「何か嫌な鳴き声が聞こえるみたいなんだ」
「師匠も聞こえていますか。もしかしてこれは、小鬼ではありませんか?」
「それだ!」
ああ、やっと答えが見つかった。
俺は急いで捜索を使う。すると、小鬼が二十二匹引っかかった。距離は六十アーテム北側、ってすぐそこか!
俺は改めて進路先に視線を向ける。木々が生い茂って二十アーテム先からはほぼ何も見えない。このまま進んでいたら小鬼と遭遇戦をしていたわけか。ぞっとするな。
「小鬼が二十二匹いる。ここから北に六十アーテム先だ。静かにな」
「すぐそこやん。危なかったな」
スカリーのつぶやきが聞こえた。危険だという認識を共有できていて何よりだ。
「今から小鬼の様子を探る。向こうの鳴き声が聞こえてきたということは、こちらの物音も聞こえるということだ。慎重に近づくぞ」
風の流れを調べてみたところ、かすかに北から南へと流れている。運はわずかにこっちが良かったようだ。それを確認してから、まず俺だけが前に進む。
二十アーテム先の生い茂った木々に少し入ってその先を見ると、思った通り小鬼がいた。小鬼は、成人男性の半分くらいの大きさで、がりがりの小人みたいな姿をしている。粗末な衣類を身につけてぼろぼろの武器を手にくつろいでいた。
俺は五人を呼び寄せる。できるだけ足音がしないように近づいてくると、それぞれ物陰から小鬼の様子をうかがった。
気になる点としては、小鬼のいる場所が奴らの拠点なのか、それとも単に休憩中なのかはっきりとしないということだ。見える範囲では特に人工物はない。
人間にとっては害にしかならないので、小鬼は発見次第皆殺しというのが基本だ。しかし、返り討ちに遭うような戦力差がある場合はその限りではない。
俺達の場合だと、何人かは負傷する可能性がある。魔法で治療すれば傷は治るものの、その治療が間に合わなかった場合は死ぬ。野犬の時でさえ危なかったのだから、その倍もいる小鬼に手を出すべきではないだろう。
そうなると一旦街へと戻って冒険者ギルドに報告し、退治してもらうことになる。俺としてはそうするつもりなのだが、小鬼が別の場所に移動してしまうと、退治しに来た冒険者パーティが空振りしてしまう。それを避けるためにも、目の前の小鬼がこれからどう動くのか確認しておく必要があった。
一旦全員を安全な場所まで下がらせて、俺は今後どうするかを伝えることにした。
「授業は中止だ。これから小鬼を見張る。今いる場所に定住しているのか、それとも別の場所に移動するのかを見極める」
「見てるだけでええんですか? 小鬼ゆうたら常に討伐対象とちゃいますの?」
「俺達の手には余る。野犬のときの倍もいるんだぞ。やるとしても、最低もうひとつパーティがいる」
俺の言葉にカイルは黙った。野犬と戦ったときのことを思い出しているのかもしれない。
「監視は捜索を使ってするんか? それとも目視なんやろか?」
「どっちもだ。みんな捜索を使えるから、全員で監視する」
「先生、俺の捜索って大したことはできひんで?」
「それでも使い道はある。それに、使わないといつまでたってもそのままだぞ」
スカリーとカイルの質問に俺はすぐ返事をする。
「それで、どのように監視するんですか?」
「不寝番の組を使って監視する。小鬼の近くで二人一組が見張って、残りはここで待機だ。そして、一時間交替で見張る。視界に収まる範囲で見張るんだから目視は当然のこと、十五分おきに捜索で周囲も確認すること」
「師匠、周囲を確認するのは、他の小鬼が合流しないかを確かめるためですね」
「そうだ。特に南側から来るとなると、最悪俺達と遭遇戦になりかねないからな」
嫌な想像をして俺は顔をしかめる。二手に分かれているところに奇襲などされたら最悪だ。
「獣に関しても、たまに捜索で確認した方がいいですよね」
「そりゃしておいた方がいいだろう。ただ、たぶん近寄ってはこないと思うけどな」
「ああ、小鬼がまとまっているから、獣は警戒して寄ってこないということですか」
「その通り」
おお、クレアがなかなか冴えている。
「それで、いつまで監視するんですの?」
「六時間もすればいいだろう。その間に移動しなければ、あそこに定住するつもりなんだと思う。単なる休憩だったら、いくらなんでも昼までに移動を再開するだろう」
恐らく、最近森の奥からやってきたんだと思う。数が増えすぎたからか、それとも追い出されたのかはわからない。ともかく、じっとしていることさえ確認できればよかった。
みんなの疑問を解消して方針と方法が決まると、俺達は監視を始めた。相変わらず不測の事態ばかりが起きているが、今は目の前の厄介ごとをひとつずつ解決していくしかない。
小鬼を監視して六時間が経過した。相変わらず小鬼は最初に発見した場所にいる。ただし、一部に変化はあった。監視を始めて一時間後に、六匹が群れから離れて西に移動していき、監視終了間際になって戻ってきた。その六匹は動物の骨や肉を持っていたことから、どうも狩りをしていたようだ。
これで確信が持てた。こいつら、本格的にここを拠点にするつもりなんだ。今は森の動物を狩るだけで満足しているが、数が増えると更に西へと移動する可能性が高い。三日も歩けば平地へと出る。その先にある村があるわけだが、被害に遭うのは目に見えている。
「監視は終わりだ。小鬼がここを根城にする可能性が高いことがわかった。これから街に戻って冒険者ギルドに報告する」
「その間、小鬼は放っておくのですか?」
「全員揃って移動する可能性が低いから、それでもいいと考えている」
「一組だけ監視に残しとくんはどうやろう?」
「どうやって連絡を取り合うんだ? その手段がない以上、下手に危険なまねはさせられないぞ」
群れごと移動して見失うことを心配しているクレアとスカリーだったが、そのためにこの中の誰かを危険に晒すのは、教師として認められないし、冒険者としては割が合わない。何にしても却下だ。
「師匠、ここの正確な位置が私にはわかりませんが、街へ戻るのにどのくらいかかりそうですか?」
「ぎりぎり三日だな。冒険者ギルドに報告して、小鬼退治の仕事を引き受けてくれるパーティが最短で見つかったとして、あいつらが退治されるのは早くても今から一週間後だろう」
「もどかしいですね」
俺もアリーと同じ気持ちだ。できれば今すぐ倒したい。
しかし、これだけ時間がかかるのがわかっているから、定住しているのかどうかを見極めたかったのだ。
「それでは、今から街に戻るのですわね」
「ああ。急がないとな。さて、行こうか」
五人を立ち上がらせると、隊列を組んで南西へと向かう。こういった外敵の報告も小森林へと入る者の仕事だ。
授業は中止だと言ったが、街に戻るまでの道中でやることは今までとほぼ変わりない。周囲を警戒しながら移動し、休憩し、食事し、就寝し、起床し、そして移動する。
また、火急の目的ができたせいか、みんなの足取りが速くなった。周囲の警戒はしっかりとしているようだからいいが、あんまり急ぎすぎると体への負担が大きくなってしまう。この辺りのさじ加減は難しい。
俺達が小森林から抜け出すのに一日半かかった。これは思っていたよりも少し早い。特に怪我もなく森から出てくることができたのは幸いといえる。
そこからはもう警戒するものはほぼない。ちょうど四日前に森へと入った地点に近かったので、同じ経路をなぞって街へと戻った。
まぶしい夕日が視線を遮る中、ウェストフォートへと入る。いつもなら宿へ向かうのだが、今回は冒険者ギルドへ直行だ。
冒険者パーティがそろそろ戻ってくる時間なので室内は混み始めている。程度の差はあれ、どの冒険者も汚れていた。以前とは違って、今の俺達も同様なので臭いは気にならない。
冒険者が引き受ける依頼関連は、正面から見てカウンターの左側に集中している。それに対して、俺みたいにそれ以外の用でカウンターにやって来る奴は右側へと向かう。
「冒険者のユージです。小森林で小鬼の群れを見つけたので、報告に来ました」
「それはありがとうございます。お伺いしましょう」
こういったことに慣れている職員はすぐに対応してくれた。早速俺は、知っている情報を全て伝える。
「以上でよろしいでしょうか?」
「はい」
お互いに必要な情報が何かということを知っていると、受け答えも簡単に終わる。その他備考に至るまでしっかりと話をして、十分もかかっていない。
カウンターから離れると、俺は五人に向き直った。
「と、いうことで、この件は冒険者ギルドに丸投げして、解決した」
「それは解決したってゆわんやろ」
スカリーが半目ですかさず突っ込んでくるが、俺からしたらそうとしか言いようがない。
「師匠、何やら煮え切らない気分なのですが、これでいいのですか?」
「自分の手で解決したいっていう気持ちはわかるけど、全部を自分で何とかしようって思うのはやめておいた方がいい」
「あの小鬼を退治するのは誰になりますの?」
「冒険者ギルドから出された依頼を引き受けるパーティだな。あれも誰かの大切な仕事に化けたってわけだ」
こういう報告から作成された依頼の報酬がどこから出てきているのかは、俺にはわからない。周辺の領主から年単位で契約金をもらっているという話を聞いたことがあるけど、それを確認したことはないな。
尻切れトンボで終わった感じなのでもやもやとしたものが五人には残るようだが、俺としては今回の遠征も充分な成果が上がったと考える。今晩は、こういうこともあるとみんなを夕飯の場で慰めてやるとしますか。