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転移した前世の心残りを今世で  作者: 佐々木尽左
2章 小森林への遠征
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事後処理は厄介

 初めての小森林遠征から帰ってきたときに、まず問題になったことがある。それは体臭だ。冒険者ギルド内で他の冒険者の体臭が酷いとシャロンを中心に文句を言っていたが、とあることがきっかけで自分たちも同じになっていることに気づいてしまったのだった。


 宿に戻って体を洗った後に、さっぱりした様子で新しい衣服を身につけた三人。しかし、遠征時に身につけていた衣類を手にしたとたん、自分たちが今までどんな臭いを発していたのか理解してしまう。


 「ひぃぃ! まさか、まさか、わたしくもあんな酷い臭いを漂わせていただなんて!」

 「す、すっかり忘れてたわ……」

 「うっ……き、気持ちわるい……」


 三人が手にするのは、自分たちが小森林に入っている時に使っていた衣服だ。四日間も身につけっぱなしだったので、それはもう独特な香りがしていたのである。


 俺としては、これも経験と自分の衣類を宿の裏で洗わせようとした。しかし、あまりの臭いにシャロン、スカリー、クレアの三人は断固たる意思を持って俺に哀願してくる。


 「い、いくら何でもこんな臭いには耐えられませんわ!」

 「そうや! 今回ばかりは洗濯屋を使わせてぇな、後生やさかいに!」

 「ユージ先生、このままだと体調を崩してしまいます!」


 その圧倒的な熱意にさすがの俺も折れざるを得ず、洗濯屋を使う許可を出してしまった。いやだって、怖かったんだもん。同じ迫られるにしても、これはあかん。


 ということで、残る二人のアリーとカイルにも話をした。不公平があってはいけないからな。学校からもらっている路銀で賄うことも伝える。


 「師匠はどうされるのですか?」

 「え、俺? 自分で洗うけど」


 すっかり根が貧乏性になっている俺は、他人の金でも余計な出費は抑えたかった。余ったら学校に返還するにしても、無駄遣いはよくないと思ってしまうのだ。


 「そうですか。それなら私も自分で洗います」

 「臭いは平気なのか?」

 「っ、気にはなりますが、我慢できますので」


 一瞬アリーの頬に赤みが差す。やっぱり気にはしているんだ。これはこれで面白そうだが、羞恥心をつつきすぎて余計な反応を引き出すのはよくない。


 「そんじゃ、俺も自分で洗いますわ。学校卒業したら全部自分でせんといかんのですやろ? せやったら、今のうちにやれるようになっといた方がええですわ」


 一方、カイルの返事はもっと現実的な理由だった。あくまでも卒業後を見越して行動するらしい。見上げたものだ。


 こうして、俺、アリー、カイルは自分で服を洗い、スカリー、クレア、シャロンは洗濯屋を使うことになった。まぁ、あの臭いは強烈だからなぁ。


 余談だが、ウェストフォートの冒険者の臭いは他の地域よりも酷いが、これは虫除け香水を使っているからという理由もある。長年この香水を使っていると体に染み込んでくるから、体臭も酷くなるというものだ。




 小森林から帰還した翌日、俺は宿の一階にある食堂の一角で五人と朝ご飯を食べていた。悪臭騒動も一段落してみんなさっぱりとした顔をしている。


 この宿は冒険者が多いので、早朝の食堂は出かける冒険者で混んでいる。しかし、その時間帯を外れると閑散としていた。


 「そうだ。みんな、今日と明日は休みにするから、好きにしていいよ」

 「お、つかの間の休息でっか」

 「その通りだ、カイル。体調が不充分なままで、次の遠征に出るわけにはいかないからな。しっかり体を休めておけよ」


 ウェストフォートに滞在できる期間が限られているのでのんびりしすぎるわけにはいかないが、最低限の休みは必要だ。特にスカリーとシャロンはできるだけ休ませたい。


 「それ、助かりますわ。うち、まだ体が重いですねん」

 「わたくしもですわ。少なくとも今日一日は、宿で休ませていただきます」


 普段よりも動作が緩慢だと思っていたら、一晩では疲れが取れきれなかったらしい。休みを二日にして正解のようだ。


 「それで、明後日は次の遠征の準備をして、その翌日に出発する」

 「今度の遠征は、どういった目的なんでしょうか?」


 クレアが話の先を促してきた。今回でこれだけ疲れたのだから、次の遠征はどれほどのことをするのか気になるのだろう。


 「今度は小森林に四日間滞在する。そして、できるだけ獣をたくさん目視してもらう。場合によっては何度も戦うことになるだろう」

 「連戦ですか。大変そうですね、師匠」


 表情を変えることなく淡々とアリーが感想を漏らす。


 そしてそれきり、会話が途切れた。


 以前なら全員が喜びそうな話題だが、今は考え込むように沈黙している。前回の戦闘とその後のことを思い出しているのだろう。戦闘のあった翌日に疲れを残して動きが鈍くなってしまったのは、自分が未熟なせいだと考えているのではないだろうか。


 「わたし達が連続して戦って大丈夫ですか?」

 「捜索サーチで引っかけられる獣の数を増やすための遠征だから、進んで連戦したり一度に多数の敵と戦ったりすることは考えていないよ」


 さすがにそれは前回ので懲りた。次からはもっと少ない数の相手を選ぶ。

 俺の返事を聞いたクレアは安心して微笑んだ。


 「よっしゃ! それならこの二日間はしっかり休まんといかんな!」

 「あんた、そんな力んでたら休めるもんも休められへんやろ」

 「全くですわ。休暇というものはもっと肩の力を抜くものですわよ」


 単なる決意表明に二人がかりでまじめに突っ込まれたカイルは、情けない顔をしている。面白かったので、俺もみんなと一緒に笑っておいた。




 さて、この二日は休みとしたわけだが、残念ながら俺は純粋には休めない。一体何をするのかというと、学校へ提出する報告書の作成だ。


 校外で学生に対して教育的活動をするとなると、事前準備と事後処理の量が跳ね上がる。幸い事前準備に関しては出発前に全て終えたが、事後処理は学外に出たとたんに同時並行で行うものだ。何か文章がおかしい気がするかもしれないが、そこはそっとしておいてほしい。


 ともかく、今回の事後処理で最も厄介なのは報告書だ。何が厄介なのかというと、毎日の行動方針とその結果を書かないといけない。夏休みの絵日記程度でも面倒だというのに、大人は大変だと思う。


 現時点では十六日分の旅程と今日を除いた五日分の遠征に関する話を書かないといけない。とりあえず、その日の重要なことを毎日箇条書きにしていたので、それを元にこれから書き起こすことになる。誰か代わりにやってほしい。


 そんな願いも空しく、俺は五人と別れてから部屋に籠もる。目の前の粗末な机の上に乗っているのは、報告書-もちろん白紙-、インク、ペン、ナイフ、そしてメモ書きの紙が数枚だ。パソコンなどという超文明の利器なんてないので、全て手書きである。


 悲嘆に暮れていても仕方ないので作業を始める。メモ用紙を見て考えをまとめ、文章を組み立て、ペンをインクに浸し、そして報告書に書く。これを繰り返してゆく。


 ちなみに、書き間違えたときはどうするのかというと、間違った部分に棒線を引いて書き直せばいいだけだ。あまり訂正箇所が多いと書き直しを命じられるが、対外的な文章ではないので、このあたりは結構寛大である。でないとやってられない。


 最初の一枚目は時間がかかった。文章をどう組み立てればいいのかでかなり迷ったからだ。しかし、二枚目からはその半分の時間で済ませられた。これなら意外と早く終わるかもしれないと期待する。


 そうして十六日分の旅程の報告書を書き上げた頃には、日没が迫っていた。道理で暗いなと思っていたら一日使っちゃってた。しかし、まだウェストフォートに到着してからの分は書けていない。肩は凝るわ、腕は引きつるわ、もうくじけそう。


 とりあえず腕が限界なので、一旦ベッドに横たわった。あ~疲れた。こんなことなら、毎日寝る前に書いておけばよかったな。


 そういえば、昼ご飯を食べていないことに今更気づいた。おなかが減らなかったからな。でも、今気づいたら急に減ってきた。あ、だめだ、我慢できない。


 階下の宿の食堂に入ると、すでに仕事から帰ってきた冒険者でいっぱいだった。食堂全体を見回したが五人の姿はない。カウンターの空いている席に座ると、パンと肉とスープを頼む。


 注文した品が出てきたら、スープを中心に機械的に食べてゆく。話をする相手もいないし、まだ作業が終わっていないし。短時間で残さず食べると、俺はすぐに部屋へと戻る。


 廊下もそうだったが、室内も暗い。これはもう明かりが必要だな。


 「我が下に集いし魔力マナよ、あかく輝け、光明ライト


 俺は椅子に座ると、頭上の左側に周囲を照らす無属性の光明ライトの魔法を出現させた。原始的な洋灯ランプを借りることはできるけど、燃えるときに少し煙る上に、あんまり明るくないから嫌なんだよな。こういうとき、魔法を使えてよかったと思う。


 準備が整ったところで、俺は再び報告書にペンを走らせる。うっ、早速腕がつりそう。


 「ただいまです~って、先生、何やってますの?」


 今回、二人一組で三つの部屋を取っている。そのうちのひとつに俺とカイルが寝泊まりしているのだが、そのカイルが戻ってきた。そして、俺の様子を不思議そうに眺める。


 「学校に提出する書類を作っているんだ。あと少し進めて今日は寝るけど」

 「うへぇ、ようやりまんなぁ」


 カイルに返事を返すと心底嫌そうな顔をする。こっちも気が滅入るから、そういう反応は勘弁してほしい。


 「先に寝ておいてくれ」

 「は~い。そんじゃ、お休みなさいっと」


 ため息をついて俺は机にむき直す。今日はウェストフォート初日の報告書を書いて終わろう。


 翌朝、腕の疲労が完全に取れないまま目が覚める。あれ、小森林に遠征したときよりも症状が酷い。おかしいな。


 このままだと作業に支障をきたすので、光属性の回復魔法で疲労を取り除く。


 それから五人と一緒に朝ご飯を食べた。みんなは昨日どんなことがあったのか楽しそうに語り合う。俺も久しぶりに色々と街の中を回って見たかったんだけどね。今日はできるだろうか。


 朝ご飯を食べた後、再び部屋に戻った。今日は五人で街を回るらしいが、その間に俺は小森林の遠征についての報告書を書かないといけない。


 しかし、こちらは二週間ちょっとの旅程に比べて、報告する量がずっと多い。本来の目的なのだから当然だが、書く側からするとたまらない。


 一日の報告書を書くのに約一時間以上かかる。四日間なのでそれを四倍すると約五時間だ。これで昼過ぎまで潰れた。


 それでがんばって書き続けた結果、ついに予定通り昼過ぎに遠征分の報告書を書き上げた。


 「終わったぁ~」


 自分の書き上げた書類を呆然と眺めながら、俺は肺の中の空気を全て絞り出した。息を吸い込むのも面倒だ。


 俺はペンを横に置くと、報告書のインクが乾いているか確認してから他の書類に重ねる。とりあえず、今書ける分だけは書いた。


 「さぁて、これから何をしようかなぁ」


 半日だけとはいえ、休みには違いない。どう過ごそうか考える。

 そういえば、五人は今日街をうろついているんだっけ。だったら俺もそうしようか。


 「あ」


 そうして立ち上がったところで、俺は思い出した。昨日の分の報告書を書いていない。いや、次の遠征後に回してもいいんだけど、そのときはそのときで、どうせまた苦労することになるだろうし。


 「……それなら、今書いてしまった方がいいか」


 昨日、仕事を先延ばしして大変な目に遭ったばかりであることを思い出した俺は、昨日の分を今書いておいた方がいいと結論づけてしまう。


 俺は再び椅子に座り直して、ペンを手に取った。

 そして、今日の分を書く下準備も終えた頃には、完全に外出する気が失せていた。




 気づけば、二日連続で昼ご飯を食べていなかった。本当に報告書の作成が終わってしばらくベッドで横になっていると、猛烈におなかがすいてきて思い出す。昨日と似ているな。


 朱い日差しが指すのをしばらく眺めてから階下の食堂へ行くと、今日は五人がテーブルを囲んで夕ご飯を食べていた。街を観光した後に戻ってきて、すぐご飯にしたらしい。


 俺も一緒に混ぜてもらって色々話を聞くと、今日は観光していたら数人の冒険者に絡まれてしまったそうだ。どうも男がカイルひとりなのに、四人も女を連れているのが気に入らなかったらしい。うわぁ、典型的過ぎる。


 結局、アリーの活躍で撃退したそうだ。街中だと魔法が使えないから、どうしたって前衛職が有利になるよな。カイル? カイルも頑張ったそうだけど、アリーの方が目立ってしまったらしい。魔族なんてこの辺りじゃ珍しいもんな。残念。


 ということを、俺は寝る前に書いてしまうことにした。いやだって、明日に持ち越してもいいことなんてないんだもん。


 「先生、今日もでっか。教師って大変なんですねぇ」


 うん、俺も知らなかった。冒険者の方がずっと楽だよ。安定した収入源だと思って喜んでいたら、こんな罠があったなんて。


 俺は、再び光明ライトを頭上に照らして、今日の分の報告書を黙々と書き続けた。

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