冒険者ギルドの活用
レサシガムを出発して十六日目にして、ようやくウェストフォートへと到着した。途中クロスタウンで一日骨休めをしたが、ほぼ予定通りに事は進んでいる。
日没までに宿を取っておきたいが、まずはこの荷馬車を冒険者ギルドに返さないといけない。門をくぐって街の中へと入ると、俺はゆっくりと馬を歩かせた。
まだ冒険者だった頃に、あることを試すために一時ウェストフォートへやって来たことがあった。そのときにも感じたことだが、基本的には二百年前とそんなに変わっていない。今世で初めて足を踏み入れたときなどは、前世で拠点にしていた頃を思い出したくらいだ。
ところが、やはり変わっていることはある。一番大きな変化は王国公路の消滅による影響だろう。かつては東門から西門にわたって、王国公路を往来する隊商や旅人、それに護衛の冒険者で賑わっていた。それが現在では、西門近辺には隊商や旅人、東門近辺には冒険者というように別れて集中するようになっている。そのため、冒険者ギルドは現在東門の近くに移動している。利便性を考えたら当然そうなるよな。
そういった変化は時代の流れということで簡単に納得して受け入れられた。しかし、王国公路の消滅を目の当たりにすることで、時の流れの残酷さを痛感することになる。
ウェストフォートの東門から小森林までは、かつての王国公路の残骸が残っていたが、小森林に入ると本当に道がなくなっていた。よく目を凝らして地面を見ると、かつて街道として使われていた石などがちらほらと見つかるのだが、それだけだ。
仕方がないとはいえ、昔ライナス達と何度か通ったことのある道がなくなっているのを見てしまい、さすがに気分が落ち込んだものだ。
話がそれたので元に戻すと、ウェストフォートの造りそのものは大きく変化していないということである。変わったのは人の流れの方だ。
徐々に赤みの強くなる日差しを背に受けつつ、西門からほぼ正反対の東門近くまでやって来た。途中で往来する人の種類ががらりと変わっている。周りは冒険者風の男が大半だ。
「やっと着いた」
赤く染まった冒険者ギルドの建物を見つけた俺は、荷馬車を使った旅が終わることを実感して安堵のため息をついた。
レサシガムと同様に建物を正面から見て右側には広場があり、倉庫や厩舎が併設されている。俺はその広場へ荷馬車を入れると、近寄ってきた職員に書類を一枚手渡した。
「冒険者のユージです。この荷馬車はレサシガムで借りました」
「レサシガム? ああ、ほんとだ。ここで返すんだな?」
「ええ。保存食以外は置いていきます。みんな、降りるぞ!」
とりあえず最低限の話を職員に通すと、俺は荷台の五人に向かって声をかけた。
俺に続いて、アリー、カイル、クレア、スカリー、シャロンの順で降りてくる。それを見た職員は目を見開いた。
「あんたも若いって思っていたが、更に若いのがぞろぞろ出てきたな。新人パーティか?」
「ええ。一ヵ月ほど小森林に入る予定です」
「この面子でか? 半分以上が随分と別嬪な女の子だけど、大丈夫なのか?」
「能力に関しては文句なしですよ。後は経験を積ませるだけです」
尚も疑わしそうな視線を向けてくる職員だったが、それ以上は何も言わずに黙って荷馬車に乗り込んだ。
「失礼な職員ですこと! わたくし達を子供扱いするなんて!」
「けど、冒険者としては未経験なんは間違いないんやし、あの職員がうちらを疑うのも無理ないと思うで」
「まぁ、スカーレット様、そんな弱気なことをおっしゃるなんて!」
「けど、装備の真新しさからしたら、俺とシャロンなんてどう見ても新入りやからなぁ。せめてスカリーとクレアくらい装備を使い込んどかんと、しゃぁないで」
スカリーとカイルの二人がかりでシャロンを慰めている、というか、説得しにかかっている。
その様子を眺めていると、職員が馬車から出てきた。
「中は何も問題なかった。きれいに使っていたみたいだな。馬の方も……何ともなさそうだ。よし、いいんじゃないのかな」
馬の確認をさっとした後、職員は書類に何やら書き込んでこちらに返してきた。俺はそれを受け取ると懐にしまう。
「あそこの入り口から入って、その許可証を受付カウンターで返してくれ。じゃぁな」
必要なことを俺に伝えると、職員は荷馬車に乗り込んで厩舎へと進めていく。それを横目に俺達は建物の中へと入った。
受付カウンターでの手続きはあっさりとしたものだった。色々と書き込まれた書類を取り出して渡し、職員が目を通して問題なければおしまいである。代金は先払いなので揉めることもない。
立ち去り際に、小森林に入るなら講習を受けるようにと言われので、素直に受けることにする。俺に関しては前世も合わせると散々入り込んでいるので問題はない。しかし、他の五人は別だ。一度は受けておくべきである。
「何事も経験だ。どうせ明日は準備に丸一日使う予定だから、朝一番に五人で講習を受けてくるといい」
「師匠は行かないのですか?」
「この森のことはよく知っているからな」
俺の言葉に反論はなかった。全員情報収集の重要性を理解していてくれて何よりだ。
今日はこれでおしまいである。日が没しつつあるため建物の中は薄暗い。燭台の火は灯されているが陽光には敵わなかった。
建物の中の造りはレサシガムの冒険者ギルドと同じだったので、全員迷うことはなかった。小森林から戻ってきた冒険者でごった返しているため臭いが強烈だったが、さっさと外に出ることで難を逃れる。
「何ですの、あれ! レサシガムより酷いじゃありませんこと!?」
「うちも息が詰まるかと思たで」
そりゃなぁ。森に入っていたんだし、その上数日ぶりに戻ってきたとなると、あんなものだろう。鼻がひん曲がりそうなのは俺も同じなんだが、もう諦めがついている。
「クレア、大丈夫か?」
「う、ごめん、ちょっと……」
アリーに支えられるようにしてクレアが歩いている。結構つらそうだ。
そういえば、通りを往来している多くも冒険者なんだから、基本的に冒険者ギルド内と同じ臭いがしているはずなんだが、特に何ともない。これって風で臭いが攪拌されているというよりは、単に嗅覚が麻痺しているんだろうな。できればそのまま麻痺していてほしい。
「ユージ先生、俺らも森に入ったら、あんな臭いがするんやろか」
あ、こいついらんことを言いやがった。黙ってりゃ森から出てくるまでみんな気づかなかったかもしれないのに!
カイルの言葉を聞いた他の四人の表情が一瞬で凍り付く。そして、立ち止まってこちらに視線を向けてきた。
「ユージ教諭、うそ、ですわよね?」
「な、なんか対策があるんやろ?! なぁ!」
シャロンとスカリーが必死に食いついてくる。
気持ちはよくわかるんだけどな。どうにもならないことってあるんだよ。
「近くに以前俺が泊まっていた宿があるはずだから、しばらくはそこに泊まる。今夜はウェストフォートの珍しいご飯を食べさせてやろう」
香りの強い料理な。せめて美味しい料理の香りで一時でもごまかしてやりたい。
翌朝、冒険者特有の男臭い臭いに慣れざるをえなくなった五人を連れて、少し遅めに再度冒険者ギルドの建物に入った。朝一番の混雑を回避するためだ。そして、昨日職員から聞いた小森林対策の講習を受けさせるため、五人を建物の二階へと案内する。講習は二時間ほどらしい。
その間、俺は冒険者ギルド内で情報収集をすることにした。ウェストフォートの近況から始まって、冒険者ギルドや冒険者の状況、そして小森林に異常が発生していなかなどを調べる。レサシガムでも情報収集はしていたが、ここで再度情報を集め直すことで最新の状態を知っておく。また、情報に差異がある場合は、今後起きることを予想するための材料にもなる。
結果、ウェストフォートと小森林に気にするような異常はないようだ。その兆候も見あたらないとなると、いつも通りに行動してもいいということだろう。とりあえず授業をする環境としては問題なしだ。
あと、約一ヵ月後に使う荷馬車の手配も準備だけはしておく。直前になって手配しようとしたときに空きがないと断られないようにするためだ。冒険者ギルド以外でも借りられるんだけど、ここが一番安いからできれば押さえておきたい。
そういった色々な準備を一通り済ませると、俺は待合場所にある椅子のひとつに座って五人の帰りを待つ。合流後は冒険者ギルドの訓練場でみんなの体を軽くほぐしてやって、昼ご飯を食べてから買い出しだ。うん、やることは尽きない。
もう二時間過ぎたかな、とぼんやり考えながら待っていると、広間から年若い一団がこちらに向かってやってくる。
「先生、終わったで!」
近づいてきたスカリーが声をかけてきた。そして、近くにあった椅子を引っ張ってきて座る。
「どうだった?」
「小森林に入るときの注意事項を教えてもらいました。あと、よくある失敗事例のいくつかは、実際に体を動かして試してみたんですよ」
「あれはよかったです。やはり体を動かしてみるのが一番ですね」
クレアとアリーが感想を返してきた。小森林での事故や死亡を減らすための講習なんだから、有効なのは当然ともいえる。
「正直なところ、退屈でしたけれど、最後まで聴きましたわ」
「途中、寝かかっとったけどな」
「スカーレット様、見ていらしたんですの?!」
スカリーの突っ込みにシャロンが顔を赤くする。あと寝る可能性があるのはカイルだが、どうもこっちはちゃんと起きていたようだ。
「ユージ先生、今日はこれからどないするんでっか?」
「冒険者ギルドにある訓練場で軽く体を動かしてから昼ご飯にして、その後は買い出しの予定だ」
「そんなら早う行きましょ! 俺、体がなまってしゃあないですわ!」
よっぽど講習が窮屈だったらしい。座学は苦手だもんな、お前。
カイルに急かされるようにして、俺達は建物の裏にある訓練場に入る。中途半端な時間なので、何人かが使っているだけで閑散としていた。
「それじゃ、アリーとカイルはそっちで軽く打ち合ってくれ。他の三人は、クレア、スカリー、シャロンの順で俺と対戦だ。武器は備え付けてあるやつを借りること。魔法はなしだ」
俺の指示に五人は返事をすると準備に取りかかった。
防具はそのままで鞘を腰から外してスカリーとシャロンに預ける。そして、ゆっくりと準備運動を始めた。
その後、対戦が始まる。
アリーとカイルは開始と同時に動いて、いきなりお互いに木刀を打ち込んでいた。本気でないことはわかるんだけど、様子見なしで最初からか。二週間以上の旅の不満もあるんだろうな。
そして俺はクレアと対戦だ。同じ借り物の槌矛を手にしている。一応、厚手の布が巻いてあるものの、思い切りぶつけられるともちろん痛い。
「それでは始める」
「はい!」
俺の合図と共にクレアは構える。体の中心に槌矛を据えたクレアは、その眼差しを俺へと向けた。何やら本気にしか見えないが、根が真面目なクレアだからそう見えるだけだ。
「はっ!」
そして、しばらく様子をうかがうのかなと思った瞬間に、最小限の動きでまっすぐ打ち込んできた。
微妙に読みが外れて内心少し驚いたが、動きは直線的なので手にしてる槌矛で受け止める。ぶつかった瞬間、厚手の布で和らいだ鈍い音が二本の槌矛から聞こえた。
俺がその槌矛を押し返してやると、クレアは逆らわずに一旦下がる。そして、すかさず再び踏み込んできて、左から右へと横凪に槌矛を振るう。今度は俺が下がった。
クレアはそのまま更に突っ込んできて、今度は振り上げた槌矛を俺の頭めがけて打ち込んでくる。手にしている槌矛でその一撃を受け流しながら、俺は更に下がった。
「珍しいな。連撃なんて」
「勝負は関係なしですから」
一旦動きを止めて言葉を交わす。実に良い笑顔だ。
そして、今になって重大なことを思い出す。しまった、揺れるお胸さんを見忘れた。
「ユージ先生?」
俺にかけたクレアの声は、なぜかいつもより低いように思えた。おかしい、視線を向けた覚えはないはずなのに。
それからのクレアの攻撃は、回を重ねるごとに激しさを増していった。それはきっと、揺れるお胸さんを俺が見ていたことと無関係ではあるまい。
こうして順番に三人と対戦していった。途中からはアリーとカイルも混ぜて三組で対戦する。勝負をつけるためではなく体を動かすためなので、みんな一定時間ごとに好きな相手と組んでいた。
二週間以上戦闘訓練を全くしていなかったので少し不安だったが、見ている範囲ではきちんと動けている。これなら森に入ってもどうにかなると思う。
冒険者ギルドで体のなまりをほぐした後、昼からは小森林に入るための準備をした。
小森林は北側と南側でその性質が違う。北側は世間一般でいう森に近く、魔物よりも獣がよく出る。ただし、他の地域の獣よりも大きくて強い。一方、南側は熱帯地方の密林に近くなる。こちらは獣よりも魔物がよく出てくる。
どちらも厄介なのだが、小森林に初めて挑むときは北側にするのが常道だ。単純に魔物よりも獣の方がましということもあるが、南側の密林は息をするだけでも苦労するような場所である。そもそも森に慣れていない人間が入れるようなところではない。
以上のことを考えて準備を進めた。保存食は荷馬車の残りに加えて不足分を買い足し、飲み水は当日新調する。その他にも、ある程度の種類の解毒剤と病気や体調不良になった時の薬、それに衣類や簡単な調理道具などだ。それらを全て各人が背負う背嚢に入れる。
「全員、今から俺が指示するように荷物を背嚢に入れるようにな。どの背嚢の中を覗いても同じ位置に同じ物があるようにするんだ」
「どうしてそんなことをするんですの?」
「緊急事態が発生して、他人の背嚢の中身を使う必要が出てきたときに、目的の物を見つけやすくするためだよ」
あってほしくないことだが、危機に陥ったときのことも考えておかないといけない。他にも、解毒剤や薬の類いは油紙に包んでおいたり、虫除けの汁を吹きかけたりとできることはやっておく。
こうしてみんな、小森林に入る準備をひとつずつ丁寧にこなしていった。
これで用意は万端、と言いたいところだが、実のところ俺個人に重大な問題がある。それは、ヤーグの首飾りだ。
地殻変動や気候の変化などで大森林から切り離されて以後、聖なる大木と呼ばれるヤーグが小森林の主となって管理している。このヤーグにかつてライナス達と一緒に会ったときにもらった首飾りだ。
この首飾りは、聖なる大木ヤーグの友人であるという証で、身につけると大森林と小森林に住む獣や魔物などに仲間として認められる。その結果、襲われることはない。これには随分と助けられた。
そして今もこの首飾りを身につけているわけだが、このままだと森に住む獣や魔物は俺達を襲ってくることはない。これは以前実際に試してみた。効果はかつてのときと同様だ。逆に自分達からは襲えるが、仲間だと思っている相手を襲うのは正直気が引ける。
ということで何とか外せないか試してみたところ、実にあっさりと外れた。ならばこれを置いていけば問題は解決するのだが、次はどこに置いておくのかという問題が出てくる。今のところこの首飾りを視認できた人間はひとりもいないが、そこら辺に適当に置いておくわけにもいかない。
仕方がないので、苦肉の策として冒険者ギルドに預けておくことにした。どうでもいい置物を買って安物の箱の中に入れてギルドに預けるときに、首飾りも一緒に忍ばせておいたのだ。紛失されると困るのだが、他にいい方法が思いつかないので、一ヵ月間これで預けることにしたのである。
これで本当の意味での準備は終わった。後は森の中でうまく立ち回るしかない。