お尻に負担のかかる旅路
レサシガムから小森林に最も近いウェストフォートまでの距離は約七百五十オリクある。徒歩なら一ヵ月近くかかる距離だが、今回借りた荷馬車だと半月ほどで済む。
かつてはハーティアからレサシガムまで、王国公路という大陸を横断する公道が存在していた。隊商や旅人が往来するために様々な施設が整備されていたが、現在レサシガム共和国にはない。これは共和国が独立するに伴い、軍事的・経済的な理由からハーティア王国が整備を放棄したからだ。また、レサシガム共和国にも王国公路を整備するだけの余裕がないため、通常の街道を少しばかり整備したものを利用するにとどまっている。
俺達が今回使っている街道はかつて王国公路だったところだ。そのため、比較的整備された街道を通っている。施設としてはかつてよりも縮小したものの、相変わらず宿場町は存在するし、街道の治安も悪くない。仕事を引き受けた駆け出しの冒険者をよく見かけることからも、この街道の往来のしやすさがわかるというものだろう。
荷馬車での旅は順調そのものだ。何しろレサシガム共和国にとっての幹線道路なのだから、この街道に不安があると流通が滞ってしまう。そうならないためにも、不測の事態が起きないように警邏隊が時折巡回していた。
しかし、五人の学生達の計画はいきなり蹴躓いた。当初は半月もある時間を利用して勉強する予定だったらしいが、あまりに酷いゆれのせいで本を読むことができず、初日に断念してしまう。今は、周囲に誰もいないことをいいことに、魔法を発動させる練習をやっていた。
それと、アリーとカイルは荷馬車から降りて、歩いたり走ったりすることが多くなった。荷馬車の速度が人の歩く速度とほぼ同じくらいなので、体を動かしてなまるのを防ぐためだ。荷馬車に併走できることがわかってからは、他の三人もたまに外へ出るようになった。こちらは、お尻の痛さに辟易したからである。
魔法学園を出発して一週間が経過した。今の俺達はクロスタウンという都市にいる。
このクロスタウンという都市は、東西はレサシガムとウェストフォート、南北はロックホールとノースタウンを結ぶ重要拠点である。かつては王国公路にある宿場町のひとつに過ぎなかったが、時代と環境の変化により重要都市を結ぶ街道がちょうど交差するようになったのだ。それ以来、急速に発展している。現在は人口が一万人を突破し、町から都市へと昇格した。都市名にタウンとついているのはかつての名残りである。
レサシガムに次いで経済的、軍事的に重要な拠点であるため、この都市の防衛には共和国も力を入れている。また、交易に熱心であるため、ここの住民はある意味レサシガムの商人よりも商売人気質が強い。
西からはレサシガムで開発された商品や魔法の品、東からはウェストフォート近辺で採取された動植物、南からはロックホールで製作された工芸品、北からは魔界の珍しい品が集まり、そして各地方へと送られてゆく。物の動きが非情に速い。そのため、クロスタウンは交易都市とも呼ばれていた。
そして、そんな活気ある街で俺達は一日休んでいる。旅程としてはちょうど半分なので、馬車に揺られているだけの生活から解放されたかったのだ。今はのんびりとクロスタウンの観光を六人でやっている。
「うわぁ、いろんな品物がぎょうさんあるなぁ。俺、こんなん初めて見るわ」
「へぇ、レサシガムで買うよりも薬草の値段がだいぶ安いやん。そんだけ手間賃がかかってるってゆうわけか」
カイルとスカリーは、クロスタウンの店や露店などを興味深そうに見て回る。ただし、カイルは完全にお上りさん状態なのに対して、スカリーは原材料となる薬草などの種類と値段を熱心に見ていた。これ絶対帰った後に値切る材料にするな。
「ハーティアの品物はあまりありませんのね」
「ノースフォートで荷止めされることもあるから、量は多くないんだと思う」
「こんな遠くにも魔界の品物が見受けられるとは、なんだか不思議な気持ちだな」
一方、シャロン、クレア、アリーは、故郷からの品物を見てあれこれと話をしている。その道のりを自分達も越えてきただけに、色々と思うところがあるようだ。
昼ご飯は露天商で興味のあった物を各人が思い思いに食べ比べている。滅多にすることじゃないからいい思い出になるだろうと思っていたら、意外にもみんな慣れた様子で買い物をしていた。
「あれ、みんな露天商で買うのに慣れているみたいだな」
「俺、実家でしょっちゅうやってたんで」
「うちはレサシガムでたまに買ってたしなぁ」
「わたくしはスカーレット様に教えていただいたんですのよ」
「わたしも同じです、ユージ先生」
「師匠、私は魔界からレサシガムに来る道中で経験しました」
なるほど。全くの世間知らずってわけじゃないんだな。変に見下しているとこっちが恥をかきそうだ。
空腹を満たした後は、広場で大道芸をやっていたのでそれを見学する。レサシガムでやっているものとはまた少し違うようで、五人は珍しい芸を見て喜んでいた。レサシガムで大道芸を見たことがない俺にはその違いはわからなかったが。
クロスタウンで一日休んだ翌日、俺達は再びウェストフォートを目指して出発する。出発するときにみんなお尻を気にしていたが、その予想通り、やっぱり痛めることになった。
この後半の旅も基本的に俺が御者をしていたが、最初、カイルにだけは荷馬車の操作方法を教えようとした。学校を卒業してから冒険者になるのなら、荷馬車の操作は覚えておいて損はない。
「先生、意外と何とかなるもんですねぇ!」
「今は平坦な道を歩かせているだけだからな。これに悪条件が重なると途端に難しくなるんだ」
地面からの震動が直接伝わるせいで、言葉も揺れる。それでも、俺は自分の知っていることをひとつずつ教えていった。
例えば、道の状態が悪くなったり、道がぬかるんでいたり、誰かに追われるように急いでいたりするときだ。また、馬と馬車の状態によっては慎重に扱わないといけないこともある。
「俺だってまっすぐ走らせるのがやっとだから、思い詰めなくてもいいぞ。そのうち慣れる」
「はい!」
「師匠、私にも教えてください」
そんな様子を興味深そうに見ていたアリーが途中から声をかけてきた。なので一緒に教える。何にでも挑戦したがるんだよな、アリーって。
さすがに残る三人は乗っているだけだろうと思っていたが、その中のクレアだけは操作方法を学びたがった。
「なんでまた?」
「前から興味があったんですけれども、実家では教えてもらえなかったんです」
まぁ、お家じゃお嬢様だろうしなぁ。御者なんていくらでもいるだろうし、そんな使用人みたいなまねはさせたくなかったんだろう。俺には関係ないから教えるけど。
そうして、カイル、アリー、クレアに操作方法を一通り教える。その後は、順番に荷馬車を操作させてみた。
残るスカリーとシャロンは、荷台で色々と魔法の実験や試し撃ちをやっているようだった。御者台で操作の練習をしていないときは他の三人も参加しているようだが、御者台から離れられない俺は何をしているのかよくわからない。
旅そのものは順調だったが、こういった旅には必ず厄介な敵がいる。暇という名の敵だ。徒歩の場合だと、疲れる代わりに体を動かしているので暇になることはない。しかし、荷馬車のような移動手段に頼ると、体を動かさない分だけ余裕ができる。この余裕をどう使うかで困るのだ。
だから前半の一週間は結構辛かった。馬の操作をしてるとはいえ、街道は直線なのでやることはなかったからだ。荷台から聞こえてくる五人の話し声が唯一の慰みだった。ちなみに、周囲の景色を眺めていても慰みにはならない。ほとんど変化がないからだ。たまにすれ違う隊商や旅人がめぼしい変化といえるだろう。
クロスタウンを出発してからは、馬の操作を教えていたおかげで以前よりも暇でなくなった。これは面倒ではあるがありがたかった。しかし、教え子達が慣れるに従ってやれることが減ってくるのが痛し痒しといえる。
そこで、隣同士で座っているので雑談をして暇を潰すことにした。話題は無尽蔵にあるわけではないので、思い出したときにぽつりぽつりとするだけだ。それでも話ができるだけましだった。
あるとき、馬つながりで乗馬の話になった。クレアが隣に座っていたときのことだ。
「そういえば、馬車の操作は今回が初めてだって言ってたけど、クレアって馬に乗れるのか?」
「はい。乗馬でしたらできますよ」
意外な返答に俺は驚いた。馬車の操作が禁止されているんだから、当然乗馬もしたことがないと思っていたからだ。
俺の驚いた表情を見たクレアが、くすりと笑う。
「馬車の操作は駄目なのに、乗馬はやらされたんですよ」
「どうしてまた?」
「馬は乗れた方がいい、という勇者ライナスの教えだそうです」
そんな家訓があったのか。そういえば、ライナスは乗馬の練習もしていたよな。あれちゃんと役に立っていたし、子供にも教えたのかもしれない。クレアは女の子だから、ローラの方を勝手に当てはめていたな。いや待て、ローラって馬に乗れなかったっけ?
「学校の授業に乗馬ってあったっけ? 確か厩舎はあったから……」
「確かあったと思います。私には必要ない授業ですけど」
「他の四人はどうなんだろう?」
「スカリーとシャロンは乗ったことはないはずです。アリーは家の方針で乗馬を習ったそうです。カイルは、そういえば聞いたことないなぁ」
「乗っているような、乗っていないような、どっちとも言えるよな」
わからないのはカイルだけか。よし、呼んで質問してみよう。
「おい、カイル! 確認しておきたいことがある!」
「へ? なんでっしゃろ?」
他の三人から魔法の手ほどきを受けていたカイルが、突然呼ばれたことに驚いてこちらを振り向く。
「お前、乗馬の経験ってあるか?」
「乗馬でっか? まぁ、あるようなないような……」
「どうしてそんなに中途半端なんだ?」
「いや、正式には習ったことないんですわ。ただ、何度か乗ったことはあるんですけど」
なるほど、遊びで乗った程度ということか。
「それなら、後期で乗馬の授業を取っておけ。絶対役に立つぞ」
「あー、確かにそうでんな。わかりました。後期に取っときます」
納得したカイルは俺の提案を素直に受け入れてくれた。
こういうように、長続きする雑談と短く終わる雑談を繰り返しながら、旅を続けていった。
そして、そんな旅もクロスタウンを出発してから八日目で終わりとなる。ウェストフォートに到着したからだ。とりあえず、帰りのことを考えなければ、尻の痛い旅路とは一旦お別れである。
クロスタウンが交易都市と呼ばれているならば、ウェストフォートは開拓都市と呼ばれている。
都市の起源は、ハーティア王国が大陸の西部を攻略するために築いた砦である。もうひとつの拠点であるノースフォートと共に大陸西部の侵攻拠点となるはずだったが、本格的に機能する前に征服事業は完了してしまったらしい。
そのため、戦後は周囲の開拓と小森林の攻略拠点として活用されるようになる。折しもハーティア王国の絶頂期で、小森林を東西に貫通する王国公路も完成したおかげで、経済活動が活発になったそうだ。しかしその後、魔王軍の侵攻によるハーティア王国の衰退と、それに伴うレサシガム共和国の独立という時代の波にさらされることになった。
結局、共和国の建国に参加したため、小森林を通る王国公路は閉鎖され、放棄された街道は自然の力により消滅してしまう。そのため、一時は衰退するかに見えたが、幸運にもこの頃に始まった魔界の魔族との交流により、その勢力を持ち直した。小森林の珍しい動植物は、人間だけでなく魔族にとっても有用だったおかげで、特産品になりえたのだ。
そういった歴史的経緯があるわけだが、ウェストフォートは現在も緩やかに発展中だ。特産品となる動植物を手に入れるために冒険者が多数訪れるだけでなく、周囲を開墾することで都市を支える食料の生産の向上にも努めている。
「やっと着いた」
俺はため息と共に、朱い日差し晒されるウェストフォートを眺めた。
とにかく尻が痛い。二百年前の思い出とか何とか言う前に、今、この痛みをどうにかしたい。今のため息にはそんな思いしか入っていなかった。
「先生、着いたんでっか?」
馬車の速度を落としたのに気づいたカイルが、荷台から顔を出してくる。その顔はげっそりとしていた。俺が黙って前を指さすと、カイルもウェストフォートの偉容を視界に収めたようだ。表情が明るくなる。ただ、病人が笑っているような弱々しさがあるので、健康的な笑顔とはいえない。
「他の四人はどうしているんだ?」
「アリーはいつも通りで、クレアは俺と似たような感じですわ」
「スカリーとシャロンは?」
「床に転がってます。しばらく立てんのとちゃいますか」
今日も屍累々のようだ。これは急いで街に入らなければならない。
そうはいっても、これから街に入るためには検問所を通らなければならない。そしてそこには列が続いている。さすがに日没までには入ることができると思うが、もう少し時間がかかるだろう。
荷台でおとなしくなっている四人に対して、もうすぐ着くように伝えるようカイルに頼む。そして、俺は更に速度を落とすために手綱を調整した。