出発の日
五月最初の日、日の出からしばらくの時間が過ぎた教員館の前で、俺は朝日を浴びながら立っていた。その姿は冒険者だった頃そのものだ。丈夫が取り柄の旅装に使い込まれた革の鎧、それに肩から外套をかけている。腰には長さ八十イトゥネックの鎚矛を、いつでも取り出せるようにぶら下げていた。足下には衣類や小物などが入ったすかすかの背嚢が置いてある。
そして、外見からはわからないが、懐には旅費として学校から支給された貨幣の詰まった袋を忍ばせている。二ヵ月間の生活費と何かあったときに使うためのものだ。ちなみに、今回自分の財産を使うことがないので、金目の物はサラ先生に預かってもらっている。流れ者の冒険者は基本的に全財産を身につけているものだが、安全な置き場所があるならそこに置いておくべきだろう。何があるかわからないからな。
「師匠!」
「ユージ先生!」
学生宿舎とは別の方角から声がかけられた。振り向くと、アリーとカイルが並んでこちらにやって来るところだ。
朝日を浴びながらやって来るアリーは、陽光とは逆に黒系統の装束を身につけている。魔界の獣から作られた薄黒い革の鎧の上に、漆黒の板金が埋め込まれているものだ。動きやすさを重視しているから全身鎧のような安心感はないが、ただの革の鎧よりもはるかに心強い。そして、脚を進める度に外套を揺らし、腰にある長さ一アーテムの黒い長剣の入った鞘が一定のリズムを奏でる。
腰まで伸びた艶やかな漆黒の髪は、普段と違ってポニーテール状に縛られており、まるでメトロノームのように一定間隔で揺れていた。近づいてから気づいたが、旅装は黒っぽいだけで俺のと大差ないようだ。唯一、首から顔までの病的なまでに白い肌がやたらと目立つ。その動作は上品で優雅だが嫌みではない。見た瞬間、『漆黒の姫将軍』という文字が頭に浮かぶ。魔王の娘と名乗っても俺は驚かないぞ。
一方、隣のカイルは典型的な新人冒険者だ。丈夫が取り柄の旅装に真新しい革の鎧、それに肩から外套をかけている。腰には八十イトゥネックの長剣の入った鞘がぶら下げられており、こちらは本人の気持ちを代弁するかのように、せわしない音を鳴らしていた。もちろん、彫りの深い顔に満面の笑みを浮かべている。
「おはよう。お前ら、今までどこにいたんだ?」
「へへ、いつもんところで、軽く体を動かしとったんですわ!」
「今日から課外戦闘訓練だと思うと、どうしても落ち着けなくて……」
カイルはいつも以上に元気いっぱいだ。待ちに待った授業だから当然だろう。というより、元気がありすぎだ。
一方、珍しく恥ずかしそうにアリーが言い淀む。ほほう、これはなかなかかわいらしいじゃないか。
「あ、もう集まってるやん!」
「おはようございます、ユージ先生!」
「ご機嫌ようですわ!」
そして、朝日を背にスカリー、クレア、シャロンの三人がやって来た。
スカリーは、冒険者の魔法使いがよく手にしている一.五アーテムの杖を振り回して近づいてくる。俺達と同じ旅装の上に丈夫な布を重ねて要所を保護しており、外套が小刻みに揺れていた。驚いたのは、どうも新調したものではないらしいということだ。以前も使ったことがあるのだろうか。
そんな意外に旅慣れていそうなスカリーの髪の毛が、杖に合わせて踊っている。燃えるように赤く少しウェーブのかかっている髪は、朝日に照らされて一層映えていた。相手を射貫くような鋭い瞳も今はやわらかい眼差しだ。
隣のクレアは、旅装の上から要所に的を絞って保護する簡易な革の鎧を身につけている。そして、腰には俺のより一回りほど小さい六十イトゥネックの鎚矛を釣り下げ、肩から外套をかけていた。こちらはスカリー以上に使い込まれている。
以前冒険者をしていたのかと思えるくらいの堂々たる姿のクレアだが、やっぱりまだ幼い感じが残っているせいでぎりぎり新人っぽく見える。そして、革の鎧の上からでもはっきりとわかる大きなお胸さんは、もちろん歩く度に自己主張していた。鎧をきちんと固定しているのか不安になるくらいだ。後ろ手にまとめられた背中の真ん中まで伸びた金髪も陽光を反射してきれいだが、残念ながらお胸さんには勝てない。
最後のシャロンは、一見するとスカリーと同じ出で立ちだ。一.五アーテムの杖に旅装の上から丈夫な布を重ねて要所を保護している。ただし、こちらは全てが真新しい。
カイル同様初々しい姿のシャロンは、背後から朝日を浴びているせいもあって少しだけ浮き世離れしているように見えた。たぶん、軽く波打った少し白っぽい金髪が陽光を受けて映えているせいだろう。
「おはよう。随分と似合っているじゃないか」
「スカーレット様とお揃いですわ!」
シャロンが嬉しそうに反応してくる。スカリーと同じ装備というだけでかなり上機嫌だ。
「で、スカリーとクレアの服と装備は誰かからもらったのか? 新しくなさそうなんだが」
「お、わかるんか。さすが先生やな。おかーちゃんの服と装備を貸してもろたんや」
「わたしのは自分のものですよ。実家ではいつもこれを使って訓練をしていましたから、結構使っているんです」
なるほど。装備が新しくない理由がよくわかった。クレアの理由が意外だったが、そうなると使い慣れている分だけ心配せずに済む。
改めて今回引率する五人を眺めてみると、微妙な不安が腹の底に溜まってくる。約一名以外、俺の指示通りできるだけ一般の冒険者らしく見えるようにしてくれた。装備を新調したカイルとシャロンは新人冒険者に見えるし、スカリーとクレアは冒険者になって日の浅い駆け出しに見える。
ただ、アリーはどう見ても普通ではない。魔族であるかどうかという以前に、全身黒系統で統一している時点で目立つ。魔族では黒い装備が一般的なんだろうか。
「なんか、アリーだけものすごく目立ってるように見えるんやけど」
「そうか? 魔界では特に目立つような出で立ちではないのだが」
スカリーの指摘に、アリーは自信なさそうに返答した。やっぱり魔界では珍しくないのか。
「これだと、アリーが主人でスカリー、クレア、シャロンは部下、俺とカイルは雇われ傭兵だな」
「あー、俺は、シャロンが主人でアリーがお付きの従者に思えましたわ」
男二人でこの集団を外から見たときの反応を予想してみた。たぶん、そんなに大きく外れていないはず。
まぁ、今までの話を除いても、全員がどこかいいとこ出の坊ちゃん嬢ちゃんということは丸わかりだから、根本的にはどうにもならないんだが。
おかしい、予定ではもっと庶民的になるはずだったんだけどな。単に美形揃いというだけでなく所作が違うのか。それは隠しようがないよなぁ。
「ユージ教諭。これで全員揃いましたわ。今から冒険者ギルドへ赴くのですわよね」
「そうだ。馬車を手配してあるから、それを使ってウェストフォートまで行く」
小森林の最寄りの都市で最終的な準備をしてから森に入ることになる。俺としては全員を無事に学校まで連れて帰らないといけないので今から気が重い。
「それじゃ、出発するぞ。みんなついて来い」
俺は足下に置いていた背嚢を持ち上げて肩にかけると、レサシガムに向かって歩き始めた。
一年半ほど前までは拠点として使っていたこともあって、レサシガムの冒険者ギルドについてはよく知っている。街の規模に比例して施設が大きくなるのは冒険者ギルドも同じで、この辺り一帯の街なら一番大きく、取り扱っている依頼の質と量も全く違う。
それだけに出入りする人の数も多い。特に早朝といっていい今の時間帯は、掲示板群から依頼をもぎ取って仕事に出て行く冒険者で中は溢れかえっている。
中の造りは、正面玄関から入ると掲示板群が右手の奥まで広がっており、左側は奥へと通れる通路代わりの広間だ。しかし今の時間帯は、数多くの冒険者が奥から正面玄関へ向かって歩いているので、逆方向へ歩くのも一苦労である。
「うっ、今朝は特に臭いがきついですわね……」
広場の一番左端を歩いている俺に五人はついてきているが、顔をしかめたシャロンがたまらず心情を漏らした。元々暑苦しい男ばかりな上に、体をろくに拭いていない奴も多いしな。しかも、冒険者登録をするために来たときよりも人口密度がはるかに高いので、臭いもそれだけきつい。気持ちはよくわかる。
右手を見ると掲示板群の人だかりが途切れて、テーブルと椅子が設置された空間が現れる。待合場所だ。休んだり、代表者が掲示板群で依頼を探している間、別の仲間が待っていたりする。今は多くの冒険者が利用していた。
「前もそうでしたけれど、わたし達、見られていますよね」
「新顔やから、うちらが珍しいんやろ。もっとどーんと構えとりぃや、クレア」
「視線の半分はアリーに向いてると思うで、俺」
「っ、私か」
注目されていることに慣れているスカリーはともかく、クレアはこのぶしつけな視線に若干怯えている。大きなお胸さんが注目を浴びているに違いない。そして、クレアとは別の意味で目立つアリーも、さすがにこれだけの視線に晒されることには慣れていないらしく、若干緊張しているようだ。
そうしてようやく広場を抜けると、受付カウンターが並んでいた。列をなしている依頼関連のカウンターを避けて、右端辺りにあるカウンターへ向かう。往来する冒険者の群れを突っ切ることになったが、そこは諦めてもらった。
「うう、臭いが体に付いてしまいそうでたまらないですわ」
「さすがにあれはきつかったわね……」
シャロンとクレアの呻きを背に受けながら、俺はカウンターのひとつに向かう。さすがにここはほとんど誰もいないので空いている。みんなも一息つけるだろう。
「おはようございます。以前馬車の手配を頼んでいたユージです」
「おはようさん。しばらく待っててな」
受付の対応をしてくれた中年の男は、一旦奥の書類棚へと引っ込んだ。しばらくすると、いくつかの用紙を手にして戻ってくる。
「ユージ殿やね。それじゃ、身分と利用目的をゆうてくれへんやろか」
「ペイリン魔法学園の教員かつ冒険者です。利用目的はウェストフォートへ向かうためで、期間は五月一日から二週間ほどです」
「はい、その通りやね。それじゃ代金を……っと、なんや、もう払っとるんか。こりゃ失礼しましたっと。それじゃ、こっちの書類にサインをお願いしますわ」
荒くれ共を捌く職員にしてはやたらと丁寧な対応だ。事務処理もしっかりとやってくれるので俺としてはこちらの方が嬉しい。
俺の背後では、職員とのやりとりを五人が興味深そうに眺めている。
そんな視線を受けながら俺は書類にサインをした。そして、いくつかの注意事項を受けて、どこに行けばいいのか教えてくれる。それを聞き終えると、一言礼を言ってカウンターを離れた。
「お~、なんや先生手慣れてますなぁ」
「そりゃ一年半前まではいつも使っていたからな」
尊敬の眼差しを向けてくるカイルに俺は言葉を返す。確かに、こういう流れるように作業をすることに憧れることってあるよなぁ。
近くにあった建物の出入り口をくぐると、冒険者ギルドの所有する広場に出る。周囲には馬屋や倉庫が隣接していた。狭くないはずなのに狭く感じるのは、往来する人の数が多いからだろう。
広場にはもちろん人に引かれた馬も闊歩しているが、幌付きの荷馬車は一台しかない。馬が一頭繋がれている。俺は迷わずそちらへと足を向けた。
「この馬車を借りるユージです。許可証はこれ」
「どれ……確かに。頼まれてたもんは中に入れてあるさかい、見といてんか」
俺が来るのを待っていた背の低い職員が俺から書類を受け取ると、内容を一瞥して声を返してきた。
前から馬車に乗り込んで中を見る。よく使い込まれた木製の荷馬車は一見すると壊れそうに見えるが、中に入っても嫌な軋みはしないので道中に壊れることはないと思う。中は十人くらいが乗れる広さであるが、荷馬車の後部には荷物が置いてある。それは、十日分の保存食と二日分の飲料水、それに毛布などだ。毎晩宿場町で泊まる予定だが、日中はずっと馬車に揺られている。緊急時のことも考えて、その間に必要なものも揃えておかないといけない。
最後に幌を確認して問題ないことが理解できると、荷馬車から降りて職員に向き直った。
「うん、全部あります。荷馬車も問題なかったですよ」
「そりゃよかった。やり直しは、かなんですからな!」
にっこりと笑った職員は、書類にサインするとこちらに返してきた。そして、「そんじゃ死なん程度にがんばれよ!」と言って倉庫へ入っていく。
「よし、手続きは全部終わったぞ。みんな荷馬車に乗り込んでくれ」
いよいよ出発とあって、五人とも元気よく返事をして馬車へと乗り込んでゆく。
「みんな、奥にある毛布を尻に敷いておくんだぞ。でないと一時間もしないうちに苦しむことになるからな」
「荷馬車の乗り心地って最悪やもんなぁ」
「カイル、あんた荷馬車に乗ったことあるんか?」
「家から学校に来るときにな。旅費をケチろうとしたんやけど、代わりにケツがな……」
そのときのことを思い出したのか、カイルが顔をしかめた。それを聞いた他の四人が不安そうな顔になる。
「あれ、でもアリーとシャロンとクレアは、どうやってここまで来たんや?」
「私は山越え以外は馬車を使ったぞ。人を乗せる馬車だが」
「わたしは家にある馬車を使ったわ。あ、ちゃんと人の乗る馬車よ」
「わたくしは、お屋敷の馬車ではありませんでしたが、長旅に耐えられる馬車をお父様に用意してもらいましたわ」
カイルの動きが止まった。格差社会の一端を見せつけられたようなものだしな。貴族出身なだけあって、逆にきついかもしれん。
「カイル、あんたアホやなぁ。あそこにいらっしゃる面々って、みんなええとこ出のお金持ちやで? あんたと同じわけないやん」
「ちくしょー!!」
あ、スカリーがとどめを刺しやがった。相変わらずえぐいことするな。自分も金持ちなのに。
「はいはい、それじゃ出発するぞ」
いつまでもつき合っているわけにはいかないので、御者台に座った俺は馬に軽く鞭を入れた。すると、馬はゆっくりと動き出す。
後ろの荷台で格差社会についてカイル対四人の論戦が始まったようだけど、レサシガムの門を出るまでは放っておくしかない。
とりあえず、門を出たら真っ先に尻に敷く毛布をもらおうと考えながら、俺は東門を目指して馬を歩かせた。