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転移した前世の心残りを今世で  作者: 佐々木尽左
1章 ユージ、教師になる
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夏休みの予定

 「なーつーやーすーみー」


 と、寝床で全身を弛緩させながら声を垂れ流してみる。うん、わずかなやる気も吹き飛んだ。


 今日から八月なわけだが、これは同時にペイリン魔法学園の夏期休暇の始まりでもある。九月からは後期の授業が始まるので休みは一ヵ月となるが、授業をしなくていいというのは精神的にかなり楽だ。


 そして、これを機に休むのは学生だけではない。教員の多くも休暇に入る。偉い先生から順に休んでいくわけだが、雑用を頼まれることがなくなるのでその分更に仕事が減って嬉しい。


 八月初日の今日はまだ仕事が残っている。いくらかの雑用と先月までに終わらせられなかった作業だ。どちらも急ぎじゃないので気分次第で片付ければいいだろう。


 俺はいつもよりも遅めに寝床から起きると、顔を洗って服を着替える。朝ご飯は昨日取っておいたパンとハムだ。どちらも一晩置いておいたから適度に干からびている。水なしでは食べられない。なんか朝から泣けてきた。


 着替えで脱いだ衣服を籠に入れて持つと、俺は教員宿舎を出て洗濯所へと向かう。ここで籠ごとメイドに渡すと、夕方にはきれいに折りたたまれた衣服が返ってくるのだ。


 日々の生活を支える雑用係として魔法学園では多数のメイドを雇っているが、おばあちゃんばかりである。現実は非情だ、などと言ってはいけない。これにはもちろん理由がある。貴族や商家で長年仕えて退職したメイド達の再雇用先となるためだ。退職したメイドも生活費を稼がないといけないわけだが、持病持ちであることが多いので普通のところでは雇ってもらえない。そこで、賃金を低くする代わりに、衣食住を提供し、更に任せる仕事を限定することでこのような元メイドを雇っているのだ。


 ということで、洗濯所から返される洗濯物に今まで落ち度は何もなかった。さすが老女メイド、年季の入った仕事っぷりである。


 それにしても、収入が安定しているということは素晴らしい。冒険者時代は何日分の生活費を稼ぐためにどの依頼を受けたらいいのかとか、受けた依頼の損益分岐点はいくらかということをいつも考えながら生きていた。それを思うと、こんなにだらだらとして生きていていられるなんて本当に別世界だ。


 あ、ただし、これは年間報酬を十二分割して毎月支払ってほしいと交渉して実現したからだ。そのため、人によって金額だけでなく支払い方法はばらばらだったりする。どうしてそんなことを知っているのかというと、一部業務を手伝っていたりするからだ。最近は何でも屋と化してきている俺だった。


 ともかく、こんなに暢気に生きていられるのは久しぶりだ。どのくらいかっていうと……日本の学生時代、か。あれ、そうなるともう半世紀くらい前になるの? うそ、俺の精神年齢って七十歳くらいなのか! いや、剣の中で寝てた期間を会わせると更に二百年追……うん、もう考えるのはよそう。


 生まれ変わっても記憶があるということがどういうことなのか改めて実感しつつも、俺は教員館へと向かう。


 いつも使っている部屋はがらんとしていた。というか誰もいない。窓は開けっ放しになっているから誰かが使っていたんだろうけど、どこかへ行ったんだろう。


 どかっと席に座ると、まずは雑用から始める。先月からの持ち越し作業は後回しだ。あれは九月までにやればいい。


 という感じで今日の作業を始めた。あ~生ぬるくていいから、もっと風が吹いてほしい。




 午前中で雑用の件は片付いた。あっさりしたものだ。そして、部屋には相変わらず俺ひとり。誰も来ない。


 外の様子を見ると、陰があまり見当たらない。太陽がほぼ南天に位置しているんだろう。暑苦しいはずだ。


 あんまり食欲はなかったけれども、俺は食堂へ行くことにした。食欲がなくても胃には何か入れておくというのが冒険者時代からの鉄則なので、ご飯抜きという選択肢はない。


 教員館を出て食堂へと向かう。直射日光がきついが、避けられるような木陰が近くにないのがつらい。


 食堂の中は閑散としていた。帰省した学生がいないだけでなく、残っている学生も近場のレサシガムへと繰り出しているからだ。遊びたい盛りだろうから気持ちはよくわかる。


 ここの食堂はバイキング方式でご飯を選ぶことになっている。基本的にある程度経済力のある子弟が学生となるだけあって、提供されている料理の水準は高い。ただし、あくまでもこの世界の水準でだ。日本の水準で考えてはいけない。


 ちなみに、全て無料である。正確には、学費の中に費用が入っているのだが。


 「あれぇ、ユージ先生ですやん」


 俺が料理を選んでいると、背後から聞き慣れた声をかけられた。振り返ると、カイルが更に山盛りの料理を乗せて立っている。


 「おまえ、それ全部食べられるのか?」

 「もちろんですやん。後でおかわりする予定でっせ。何しろこっちの払った学費で賄われてるんですもん。食わな損でっしゃろ?」

 「まぁ、確かにそうなんだが、今の俺には無理だな」

 「なんや先生、夏ばてでっか? まだ若く見えんのになぁ」

 「今日はたまたま調子が悪いだけだよ」

 「そうゆうことにしときましょか。それより、一緒に食いませんか? 俺、そこに座っときますさかいに」

 「いいよ」


 一旦カイルとの会話を打ち切ると、俺は自分の食べられそうな分だけ皿に乗せる。

 そして、カイルの座っている対面に腰を下ろした。同時にカイルから水の入った木製のコップを差し出される。こういうところは本当に如才ないよなぁ。俺は礼を言って受け取った。


 「先生はまだ仕事してはるんでっか?」

 「雑用と残務処理だよ。片付けたら俺も休みを取るつもり」

 「へぇ、どっか行くんでっか?」

 「いや、実を言うと何をするかはまだ決めていない。最悪、図書館で本を読んで過ごすことになるかもしれん」

 「うわ、先生も元冒険者なんでっしゃろ? もっと外にでたらどないですのん?」

 「俺の場合は逆だな。冒険者のときに散々外を歩き回ったから、たまにはゆっくりしたいんだ」


 炎天下、遮るものもないところを延々と歩くのはもう勘弁してほしい。雪降る中をひとりで彷徨うというのも嫌だが。


 カイルは俺の話を聞きながら、口に取ってきた料理をこまめに放り込んでいる。一口あたりの量が少ないこともあって、しゃべるときにあまり嫌な音は立てない。貴族の作法としては失格なんだろうが、冒険者としては上品な方だな。


 余談だが、この食堂ではナイフとフォークを使ってみんな食べている。ただし、これは経済力のある子弟が通っているためだ。礼儀作法を学ぶためらしい。ここ数十年で、上流階級にナイフとフォークを使う習慣が普及してきているからだそうだ。そのため、街へ出るとまだまだ手づかみでご飯を食べるのが主流のままである。


 「カイル、お前はどうなんだ。てっきり友達と街に繰り出しているかと思ってたんだが」

 「帰省せんと残った連中もいますさかいにそれも考えたんですけど、懐が寂しゅうてねぇ。ちょっと二の足踏んでしもたんですわ」

 「学費以外に生活費は親からもらえなかったのか?」

 「ぎりっぎりですわ。兄貴らに笑われるほど拝み倒してやっとですねん。姉貴が口添えしてくれへんかったら無理やったやろうなぁ」


 えらく軽い調子でしゃべっているが、話の内容は結構重い。実家に恨みがあるようには見えないけど、話を聞いている限りでは帰りづらそうだ。


 「それじゃ結局、今月はどうするつもりなんだ? ずっと学校にいるのか?」

 「う~ん、レサシガムの道場に通うには銭がないし、いっそのこと、冒険者登録して小遣い稼ぎでもしましょか」

 「冒険者登録ができるのは十五歳になってからだぞ。お前、今何歳だった?」

 「……十四歳です。え、先生、それほんまでっか?」


 残念ながら事実である。俺が十年以上前に散々苦労したから間違いない。食い詰めた子供が無闇に依頼を引き受けて、失敗ばかりしないようにするための措置だ。俺がカイルを諫める資格はないんだが……


 愕然とした表情のカイルが大きく目を見開いてこちらを見ているが、手にしたナイフとフォークを落とさないかちょっと心配だ。


 「先輩の冒険者が指導するという条件付きなら十二歳からでも仮登録はできるけど」


 かつてライナス達が取った方法だったな。懐かしい。


 「先生、何とか仮登録させてもらえへんやろか?」

 「その場合、俺もつきっきりでいることになるんだが」

 「あ」


 そうなのだ。この仮登録制度、指導者はちゃんと指導しないといけないのである。具体的には、パーティで一緒に行動することが義務づけられているのだった。さすがにこっちにも都合があるから、この制度を利用するのは難しい。


 「困ったなぁ。どうすりゃええんやろ」

 「来年は十五歳になるんだから、そのときに登録すればいいだろう。今年一年は修行したらどうだ?」

 「修行でっか? ひとりで?」

 「アリーなんか一緒にやってくれそうに思えるけどな」

 「あ~そうですなぁ。銭がないからしょうがないかぁ」


 食べる速度は維持しつつ、カイルはがっくりと肩を落とした。ちなみに、皿の上の料理はほとんどなくなっている。


 「アリーは普段どこにいるんだろうな」


 心当たりはひとつある。以前、訓練場の近場にあるほとんど人が寄らないところで、ひとり剣の素振りをしているアリーを見かけた。あそこならいるかもしれない。


 「それなら、訓練場の近くにおるんとちゃいますかなぁ」

 「え?」

 「あいつ、あそこで素振りをようしとるんですわ。たまに相手させられるんですけど」


 驚いた。カイルもあの場所のことを知っているのか。普段からいろんなところに顔を出していそうだから、不思議なことじゃないのかもしれない。


 「なんだ、だったら話は早いじゃないか」


 いきなり問題が解決したような気がして、俺は体の力を抜いた。シャロンのときと同様に俺は必要なさそうだな。


 「よっしゃ、そうと決まったら、食べ終わった後に早速行きましょか」

 「おう、頑張ってこい」

 「いや、先生も」

 「なんで?」


 そこで俺が一緒に行く理由がわからなかった。アリーとカイルが修行するのに、俺は別に必要なさそうなんだが。


 「どうせやったら、先生がいてくれた方がええですやん」

 「そりゃきちんと指導できたら俺のいる意味もあるだろうけど」


 アリーもカイルもきっちりとしたところで型を習っている。俺みたいに我流が基本の奴だと、素振りや体力作りなんかの簡単なことは教えられても、高度な武術や体術の技術となると無理だ。授業では実践形式で教えているけど、実はあれだって高度なことが教えられないから、ごまかしているという面がある。


 それらを考えると、授業以外で俺が深く教えるのはあまりいいとは思えなかった。


 「アリーはどうかわからんですけど、俺は対戦相手になってほしいんですわ。ずっとアリーとだけやるよりも、そっちの方がいいと思いますねん」

 「まぁ、言いたいことはわかる」


 確かに対戦相手は多い方がいい。なるほど、頭数を増やしたいわけか。


 「先生も仕事があるでっしゃろうし、たまにでもええんですわ」

 「それならいいよ。後はアリーだな」

 「よっしゃ! ならさっさと食ってまおう!」


 そう言うと、さっきまで辛うじて上品だった食べ方をかなぐり捨てて、料理を口に放り込んでゆく。俺も残り少ない料理を口に入れた。


 「んはぁ! 食えた!」

 「それじゃ行こうか」


 俺はカイルと一緒に立ち上がる。


 「先生待って。おかわりしてくる!」


 そういえば最初にそんな予定があるって言ってたな、お前。

 俺は料理へと向かうカイルを半ば呆然と眺めながら、その場に立ち尽くした。




 カイルが満腹になってから食堂を出た。相変わらず真上から突き刺さる日差しがきつい。

 そんな中、俺達は訓練場近辺までやってくる。目的の場所まで遠くない。


 「お、どうもおるみたいやな」


 俺もカイルとほぼ同時にアリーの姿を視界に入れた。以前と同じように素振りをしている。よく見ると全身から汗が噴き出していた。木陰に寄り添うようにしているとはいえ、この炎天下じゃ暑いだろうなぁ。


 アリーはこちらに気づくと素振りを止めて俺達に向き直った。


 「珍しい組み合わせですね、師匠」

 「今日はカイルの付き添いみたいなものなんだ」

 「え~、先生も無関係とちゃいますやん」

 「どうしたんだ、カイル?」


 話の見えないアリーは不思議そうにこちらを見ている。


 「あのな、夏の間なんやけど、俺と一緒に修行してくれへんか?」


 その言葉から始まって、カイルはお金がなくて街の道場に通えないこと、年齢制限で引っかかって冒険者登録ができないこと、そのため今月はアリーと一緒に修行したいということを順番に説明した。最後に、俺も参加するということを付け加えて。


 「そういうことなら構わないぞ。私も対戦相手はほしいからな。それに、師匠と一緒に修行ができるのなら尚更だ」


 嬉しそうに笑ってアリーはカイルの提案を受け入れてくれた。


 「よっしゃ! 来年、冒険者登録するまでに更に強うなんで!」

 「がっつり金を稼ぐ必要があるからな」

 「先生ぇ、そんな露骨にゆわんでもええですやん」


 元気に拳を突き上げたかと思うと、俺の言葉で一転して情けない表情になるカイルが面白い。アリーも苦笑いを浮かべていた。


 ともかく、これで今月のやることが決まった。図書館通いだけしかしなかったということは、これで避けられそうである。

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