呪いの山脈の奥地
四月下旬、他の地域ならば春うららかな日と表現することもできるのだろうが、ラレニム周辺は二ヵ月ほど先取りした気候だ。一言で言うと結構暑い。
俺とジルが選んで買った老馬と荷台に、カイル達が買った食料や雑貨類や道具を載せる。そして俺達が乗り込めば準備は完了だ。そして、俺達はラレニムの街を出た。
「なぁ、ユージ先生。こんなにぎょうさん買ったんはええですけど、呪いの山脈に入ってからはどうするんでっか? あの馬って山の手前で解放するんでっしゃろ?」
御者台で老馬を御している俺の背中に向かって、カイルが質問を投げかけてきた。荷台に揺られているため、その声も一緒に波打っている。
「あれ、カイルは知らんかったんか? 山に入ってからは土の精霊を使うんやで。ほら、妖精の湖や大森林を通ったときみたいに」
俺が答える前に、スカリーが横合いからカイルの質問に答えた。
「俺、そんときおらへんかったやん」
「あれ、そやった?」
今度の呪いの山脈の捜索は長期間になることを考えて、色々と道具をそろえた。しかし、担いで移動するのはあまりにも重すぎるので、最初はそれについて悩んだものだ。
死霊系の魔物が多数徘徊するところに老馬ごと入ることをまず思い浮かべたが、それをすると老馬は高い確率で死んでしまう。それに、山の地形によっては荷馬車が通れないこともあるだろう。それならば、精霊に荷物運びをしてもらおうと思いついたわけである。
「それにしても、こうやって荷馬車に揺られていると、学生時代の課外戦闘訓練を思い出すわね」
「そうだな。あのときはシャロンがいたが、今は代わりにジルがいる。あれは良い経験になったな」
荷馬車の揺れる音の隙間を縫って、クレアとアリーの会話が耳に入ってきた。あれからもう四年が過ぎたのか。意外と時の流れが速いな。
四人が荷台でのんびりと雑談をしている間、何にでも首を突っ込みたがるジルは、老馬の顔に近いところを飛んでいた。俺にはさっぱりわからないが、何やら楽しそうにしている。あれって一体どうやって意思の疎通を図っているのだろう。
こんなふうに、呪いの山脈へたどり着くまでは随分と穏やかな旅だった。
ちなみに、ラレニム連合の北部に入ると、通過する村々で盗賊の被害について尋ねてみた。すると、討伐隊が盗賊を討伐して以来、ぱったりと被害がなくなったらしい。おかげで安心して生活できると誰もが喜んでいた。支配者達の思惑とは別に、討伐隊へ参加したひとりとしては、成果を具体的に目の当たりにできて嬉しかった。
ゆっくりと進んでいるとはいえ、やはり人の足より馬の足の方が速い。ラレニムの街から真北へ進んで九日目の昼頃に、呪いの山脈の麓に到着した。
「なんか、また来たって感じよね」
「そうなんやなぁ。長いことおったさかい、もう新鮮味なんてなんもあらへんわ」
荷台の上から呪いの山脈を見上げているクレアとスカリーが、感慨深げに言葉を交わしている。冬の間はずっとここにいたんだから、そう感じるのも無理はない。
「師匠、ここからは歩いてゆくのですか?」
「いや、右手を見てみろ。山脈の裾野が北側に向かって延びているだろう。しばらくはあれに沿って進む」
散々悩んだが、結局のところ山脈の東側から進入するという提案以上の案は出てこなかった。なので、呪いの山脈の東側から山に入るつもりなのだが、どうせならできるだけ平坦な場所を移動したい。
そこで俺は、山脈の裾野が北側に向かって延びていることに注目した。また再び東側へとその向きを変えているはずだから、そのくびれの部分から山脈の中に入るのだ。
「なるほど。楽ができるんやったら、その方がええですわな」
「そういうことだ。それじゃ行くぞ」
俺は進路を変えて再び荷馬車を動かし始めた。今までは正面に見えていた呪いの山脈が、今度は左手に見えるようになる。
山脈の裾野に沿って進んでいるので、最初は東に向かって移動していたのが、次第にその進路が北側へと変わってゆく。そうして約一日半も進むと、再び裾野は東側へとその向きを変えようとしていた。
この間、俺は捜索の魔法を定期的にかけていた。呪いの山脈の麓に死霊系の魔物がどの程度いるのかを調べるためだ。その結果、ほぼいないということがわかる。やはり死霊系の魔物の分布には偏りがあるようだ。
「この辺りだな。明日はここから山に入る」
西側には呪いの山脈があるので、この場所は通常よりも日没の時間が早い。それを見越して野営の準備をしている最中に、俺は全員に明日の予定を伝えた。
「あ~、とうとうこの子ともお別れなのね」
「そういえば、ジルはずっとその馬と話をしていたみたいだな」
この十日間、ジルは半分以上の時間を老馬と一緒に過ごしていた。今まで何を話していたのか聞かなかったが、今になって少し気になった。
「生まれてからこれまでの話や、これから自由になったら何をしたいのかっていう話よ。あたしからは、何を食べたらいいのかとか、危険なものを教えていたの」
「へぇ、身の上話を聞いていた上に、これから生きる上で必要なことを教えていたのか。俺はてっきり馬鹿話ばかりしていると思っていたんだけどな」
「ふん、自然の中で生きるっていうのは大変なんだからね。これくらいはしなくちゃいけないのよ」
思い切り上から目線でそれらしいことを言っているジルの姿は実にほほえましい。が、言っていることは確かにその通りだ。人間社会でやっていけている俺でも、自然の中で同じように生きていけるのかと問われると、さすがに無理だ。冒険者の知識や技能と自然の中で生きていく知恵というのは、重なる部分もあるが違う部分もあるしな。
そして翌日、俺達は呪いの山脈に入ることになった。荷物は前日のうちに俺が召喚した土の精霊で作った荷台の上に移してある。精霊に地形は関係ないので、これ以後の荷馬車はこの土の精霊が務めてくれる。
さてそうなると、ここまで俺達を運んでくれた老馬とはいよいよお別れだ。最後に残った飼い葉を全て食べさせてやると、器具を全て外してやる。
「いい、あたしの言いつけをきちんと守るのよ。そうすれば生きていけるからね。老い先が短いからって、簡単に死んじゃ駄目なんだから」
馬の顔の辺りを飛び回るジルが、最後の忠告を老馬にしている。まるで独り立ちする子供を見送るみたいだな。
やがてお別れが済んだのか、老馬は短く嘶くと平原に向かって歩き始める。途中、一度こちらを振り向いたが、同じ場所に俺達がいることを知ったからか、以後はまっすぐ前を見たまま地平線の彼方に消えた。
老馬の見送りが終わったところで、俺達はいよいよ呪いの山脈へと足を踏み入れてゆく。最初はずっと真東に進む予定だ。
もちろん、その間も定期的に捜索の魔法で周囲を調べる。山脈の裾野には死霊系の魔物がほぼいないことはわかっているが、更に奥へと入るとどうなっているかはわからない。
「本当に何も出てこないわよね。これじゃ呪いの山脈じゃなくて死の山脈じゃない」
「うまいことゆうな。でも、うちもその通りやと思う。ユージ先生、周囲に魔物は全然おらんのですか?」
「うん、不思議なくらいいない」
ジルの独り言に反応したスカリーが、俺に周囲の状況について尋ねてきた。
呪いの山脈に入ってからまだ一日と経過していないが、捜索の魔法に引っかかるような怪しいものはない。こんな最初から大きな反応があるとは思っていないので、まだ焦ることはないが不気味ではある。
「相変わらず歩きにくいけど、討伐隊に参加していたおかげである程度慣れたのは助かるわ」
今回、クレアは討伐隊に参加していた経験を活かして杖を持ってきている。二本足で歩くより三本足の方が安定するからだ。ちなみに、スカリーは自前の杖を使っている。
「このままフールの根城まで、すぱーんと行けたらええんやけどなぁ」
「最低、死霊系の魔物とは戦わないといけないだろうし、それを突破してもフールの配下との戦いは避けられないだろう。私としては、再度一対一で戦い、今度は後れを取らないようにしたい」
カイルもアリーも共に自分の希望を口にしているが、内容は正反対だ。俺としてはカイルの意見を支持したいが、現実はアリーの意見みたいになるんだろうな。
色々と雑談をしながら進んでいたが、数日間は本当に何とも出会わなかった。奥に進むにつれて死霊系の魔物は増えてきているようだが、その数は予想よりもずっと少ない。
そのため、魔物よりも困ったのが天候と足場だ。毎日空はほとんど雲に覆われていて、時折思い出したかのように雨を降らせてゆく。既に暦は五月に入っているとはいえ、山の中で雨に濡れると殊更に体が冷える。また、足場も滑りやすくなる上に泥濡れにもなるのが困りものだった。
しかし、それでも俺達はひたすら西へ向かって進んだ。天候や周囲の環境は出発前に予想できたので準備はしてある。土の精霊に運ばせている道具を使って、雨をしのいだり火を熾したり寝床を確保したりしていた。
そしてついに呪いの山脈へ入って八日目、俺の捜索の魔法に今までとは違う反応が現れた。
「捜索に反応があった。ここから約二オリク先に死霊系の魔物が大量にいる」
立ち止まってみんなに結果を伝えると、全員大きく反応した。
「ユージ先生、フールはおるんですか?」
「いや、まだフールの反応はない。とりあえずは死霊系の魔物だけだな」
カイルが真っ先に尋ねてくるが、さすがにそこまで都合は良くない。とりあえずは変化があったことだけでも喜ばないとな。
「師匠、その死霊系の魔物の群にもっと近づくのですか? それとも迂回しますか?」
「もっと近づくことにする。大体五百アーテムくらいまで近づいて、どの程度の厚みがあるのか確認したいんだ」
フールの根城へと行くためには、恐らく死霊系の魔物の群れを突破しないといけないはず。それならば、一番薄いところを進みたい。
ということで、俺達一行は更に歩を進めた。五百アーテムのところで再び捜索の魔法を使ってみる。すると、探索範囲ぎりぎりまで死霊系の魔物が密集している。
「駄目だな。密集地域に途切れがない。こんなに層が厚いのか」
これにはさすがに驚いた。少なくとも二オリク半以上も密集地帯があるということだ。とても全員で突破できるとは思えない。
「ねぇ、ユージ。どうするの?」
「一旦引き返して、北側に進もう。そうして、密度の濃淡の境界に沿って移動する。どこの層が薄いか調べるんだ」
頭上をふわふわと飛んでいるジルに俺は回答する。
「もしどこの層も厚かったら強行突破すんの? うちは無茶やと思うけど」
「最悪俺とジルだけで行くことになるかって考えているけど」
死霊系の魔物を操っている人物を倒しても、死霊系の魔物の制御ができなくなるだけでその場からいなくなるわけじゃない。相変わらず突破しなければならないことには変わりないのだ。
そうなると、死霊系の魔物に襲われない俺と空を飛べるジル以外は、これ以上進めなくなってしまう。この場合、例えフールの根城へとたどり着いたとしても、戦力不足で俺が殺される可能性が高いだろう。
「ユージ先生、それでは行きましょう。じっとしているよりもまずは調べないと」
俺はクレアに促されて来た道を戻ることにした。
それからは、密集する死霊系の魔物の群れに沿って歩いた。例えば、山ひとつ分北上して西側に進み、死霊系の魔物の層の厚さを調べる。この作業で何が一番きつかったかというと、一旦進んでは道を引き返すということだった。前進している分には我慢できることも、引き返す場合は徒労感が一気に出てくる。
しかし何度も繰り返しているうちに、自分達が北西に向かっていることがわかった。どうも、呪いの山脈を東西に分断するような壁状になっているわけではないらしい。
「これは、自分の根城の周囲だけを守っとるだけみたいやな」
「密度の高さから考えて、呪いの山脈におる死霊系の魔物をかき集めたみたいやな。だから他の場所にはほとんどおらんかったんか」
今までの調査結果を書いた紙をのぞき込みながら、カイルとスカリーが自分の考えを口にする。俺の感触からすると、自分の根城を中心に円上に死霊系の魔物を配置しているみたいだ。
「でもそうなると、やっぱりあの死霊系の魔物の層を突破しないといけないのかしら」
「師匠の捜索でもその全貌がわからないほどの厚みがあるとなると、犠牲が出ることを前提に進まなければならないぞ」
クレアとアリーの言う通りだ。しかし、それはどうにかして避けたい。犠牲を恐れているというのもあるが、フールの根城にたどり着いたときに誰かが欠けていると、戦力不足で目的が果たせない気がするのだ。
「まだ全部調べてみたわけじゃないんだから、結論を出すのは早いわよ。早くできることをしましょ」
俺達が色々と考えていると、頭上からジルに怒られた。確かに、全てを調べたわけではないのに結論づけるのはいけないな。
ということで、更に調べることにした。密度の高い部分との境界に沿うように進んでいく。
すると、途中一ヵ所だけ、不自然に穴の空いているところがあった。まるで円の中心点に向かって切れ目を入れたかのように、奥へと凹んでいるのだ。
その凹みに沿って進み、一番奥で捜索の魔法をかけると奴がいた。フールだ。
「むっちゃ無自然な凹みやん」
「明らかにこっちを誘っているな」
スカリーとアリーが独りごちる。俺もそう思う。
フールの根城までは約二オリク、その間に死霊系の魔物の層が一オリク程度ある。これはこれで層が厚いと思うが、他と比べたら突破できる可能性は高い。
なるほど。自分の用意した道をたどってくれるなら、侵入者も歓迎してくれるというわけか。こっちとしても都合が良い。この誘いに乗ってやろう!