操っているのは誰か
ただでさえ難しい戦いが更に難しくなった。
当初の予定では昼間の間だけ防戦して夜に退却するはずだったが、夜間の移動は危険だということで翌朝までここで戦うことになった。これがみんなで一緒に頑張るということだったなら何も言うことはなかったが、日没後は俺とジルのみで戦うことになったのだから大変だ。
「ひどいわよね! あたしとユージばっかりに仕事を押しつけちゃってさ!」
この話を一度は了承したとはいえ、納得したわけではないジルはお冠だ。さっきから俺の隣で精霊を操りながら不満を垂れ流している。
「まぁ、俺も面白くはないが、対抗できるのが俺達二人だけだもんなぁ」
「でもでも、少しくらい手伝ってくれてもいいんじゃないの?」
気持ちはわかる。ものすごくよくわかるよ。俺だって十二時間ずっと暗い中、死霊系の魔物の相手を延々とするなんて嫌だもん。でもな、どうにもならない時や事ってあるんだよ。
「その代わり、退却中はずっと寝ていていいんだぞ。明日は他の連中が追いすがってくるこいつらを追い払ってくれるから」
「だったらまだいいんだけどさ」
口をとがらせてとりあえず黙ったが、これはまた後で爆発しそうだな。次はどうやってなだめようか。
「最初は当たるを幸いに攻撃しとったけど、こうも延々と作業みたいにさせられると、精神的にきついなぁ」
「本当ね。作業が単純なくせに集中力はやたらと必要だから、わたしも参ってきているのよね」
他の魔法使いや僧侶と一緒に討ち漏らしの魔物を掃討しているスカリーとクレアが、疲労のこもった感想を漏らす。かなり疲れてきているみたいだ。
戦況は絶望的だが、今のところはそれなりに安定している。戦い自体はもう完全に一方的なので、俺達人間側にとっては流れ作業でしかない。しかし、俺達の魔力と体力を上回るだけの数が押し寄せてきているために、勝っているという感覚はまるでなかった。
渓谷にいるので夕方になると急速に暗くなってくる。平地ならまだ明るいんだけどな。
この頃になると、防壁の上は昼頃よりも寂しいことになっていた。本来ならば魔法使いや僧侶はまだ頑張ってくれるはずなんだけど、魔力切れで後方に下がる人が増えてきたのだ。それはそのまま、俺とジルが討ち漏らした魔物が防壁までやって来ることを意味している。
しかし今度は、今まで戦況を眺めるだけだった戦士にも対応してもらっている。ある戦士には即席で俺が作った長槍を与えて、防壁の上から腐乱死体と白骨死体を倒してもらっている。また、別の戦士は持っている武器に魔力を付与して、防壁をすり抜けてきた幽霊を切ってもらっている。
「この長槍ってやつ、使いづらいなぁ」
「持ち上げては落とす、ということを繰り返していれば、とりあえず敵は潰れてくれるぞ。カイルもそうしたらどうだ?」
「アリーみたいに腕力がないから、そんな景気ようできひんのや」
魔力が切れたカイルとアリーは、俺お手製の長槍を使って腐乱死体や白骨死体を潰して回っている。もうしばらく戦ってから、スカリーやクレアと一緒に夕飯を食べて寝るらしい。
う~ん、予定よりも前倒しで働いてもらうことになってしまったな。少し嫌な感じだ。
「ジル、そっちの精霊はまだ存在できているのか?」
「一番最初のはもう還ったわ。大体四時間くらいかな。今は三回目の子達に頑張ってもらっているわよ。こんなに大量の幽霊を相手にするのは初めてだから、わからないことだらけね」
「朝まで続けられるか?」
「この調子ならいけるわよ。途中で寝なきゃだけど」
「絶対に起きておいてください。というか、寝たら叩き起こすからな」
「どうしてよ、ひどいじゃない! 横暴よ!」
「やかましい! 自分ひとりだけ寝られると思うな。俺だって寝たいんだから!」
途中からアホなことをジルと言い合っていたが、とりあえずあっちは何とかなりそうか。
「ふん、そういうあんたはどうなのよ。ちゃんと朝まで続けられるの?」
「魔力の方は全く問題ない。火壁と嵐刃は一時間ごとにやり直さないと威力が落ちてくるからその作業くらいか。人形は勝手に動いてくれているから放っておいていいしな」
だから実のところ、火壁と嵐刃を張り替えるとき以外は、寝ていてもいいんじゃないのかと思えてきたんだよな。
「人形の数を増やした方がいいんじゃないの?」
「う~ん、倍くらいにしようかな」
今相手をしている腐乱死体や白骨死体の攻撃くらいではあまり傷を負わないので、俺の作り出した人形は簡単に消えたり崩れ落ちたりしない。だから倍くらいに増やしておけば、朝まで充分に保つだろう。
「あ、ジルが一時間ごとに起こしてくれるんなら、俺寝たいんだけど」
「そんなの許すわけないでしょう! 寝たらすぐに叩き起こすからね! 暇なんだったらあたしの方を手伝いなさいよ!」
まぁそうだよな。立場が逆なら俺も同じことを言ってたよ。
「あ、そうだ。ジルって夜目が利くんだったっけ?」
「ええ、夜でもちゃんと見えるわよ。それはユージも……ってそうか、今は人間なのよね、あんた。どうすんのよ?」
「暗視でも使おうかと思う。今の状況で光明の魔法を使うのは何となく嫌なんだよな」
闇属性の魔法である暗視は、使うと暗闇でも昼間のように周囲が見えるようになる。この魔法なら光明と違って動くときに光源を気にする必要がないので、何かあったときに動きやすい。今は特に厳しい状況なので、常にすぐ動ける状況にしておきたいのだ。
「見えるんだったら、何でもいいんじゃない?」
「うん、早速使うよ」
もうかなり暗くなってきているので、俺は暗視を使って視界を確保することにした。
そうしてしばらくすると、防壁で戦っていた連中が次々と下へと降りていく。不寝番以外は休むためだ。その中に、スカリー、クレア、アリー、カイルの四人もいた。
「ユージ先生、悪いけど、俺らはこれで休ませてもらいますわ」
「すみません、ユージ先生」
「いやいいよ。明日の退却時に活躍してもらうから」
俺は四人に笑って返す。実際、この四人はもうほぼ魔力も切れた状態だから、これ以上ここにいても役には立たない。それならば、きっちり休んで明日に備えてもらった方がいいだろう。
「そうよ。ここはあたしとユージに任せて、あんた達はさっさと寝ちゃいなさい!」
「せやな! 明日のことはうちらに任しとき!」
「それでは、今日は休ませてもらいます、師匠、ジル」
それぞれ挨拶を済ませると、四人はひとりずつ降りていった。さて、いよいよここからが本番だ。
腐乱死体や白骨死体、それに幽霊は今や同時に押し寄せてきている。理想を言えばまとめてひとつの手段で対応できればいいのだが、幽霊と他の魔物では性質が全く異なるため、ジルが幽霊担当、俺がそれ以外担当と分担している。
しかし、戦場となっている防壁より北側を見ると、そこは随分と派手なことになっていた。迫り来る腐乱死体や白骨死体は炎に焼かれ、風に切り刻まれ、その上で人形に吹き飛ばされている。一方、幽霊は精霊と接触して次々と消滅してゆく。これが同じ場所で同時に起きているのだ。
「見ているだけなら壮観なんだけどな」
「ほんとよねー」
とうの昔に日が暮れて、二人だけで死霊系の魔物と戦うことになった俺とジルは、すっかり見慣れた目の前の光景に対して、ほとんど棒読みの感想を口にした。作業として既に確立してしまっているので、すっかり手持ち無沙汰になってしまったからだ。何でもいいからしゃべっておかないと、本当に眠ってしまいそうなのである。
「ねぇ、ユージ。あいつらって本当に無尽蔵なのかな?」
「さすがにそんなわけはないだろう。ただ、実際に有限でも、俺達が無限にいると思えるほどたくさんいるだけで」
「厄介よねー」
全くである。こんな事をしでかした奴がいたら殴ってやりたい。
「でもこれ、自然に集まったとはどうしても思えないのよね。今までこんな事は見たことも聞いたこともないし」
「ジルが生まれてから今まで一度もない?」
「うん。これ絶対自然現象じゃないわよ。大体、死者自身にこんなに一塊になる理由なんてないじゃない。恨みや心残りなんて人それぞれなんだし」
確かにジルの言うとおりだ。
基本的に死者には明確な意識はない。変な言い方になるが、自然発生した死者にあるのは個人の思いだけだ。そのため、特定の場所にたくさんの死者が徘徊していても、組織だって動くことはまずない。
それを知っているからこそ、ジルはこの死霊系の魔物の動きが不自然だと指摘しているのだ。
「けどな、仮にフールがこの現象を起こしていたとして、そんなことが個人にできるのか? とてもひとりではできると思えないんだが」
「それなのよね。自然に発生したとは思えないけど、誰かが仕掛けたにしては規模が大きすぎるのよね、これ」
死霊魔術師でもあるフールならやりかねないと思うのだが、とてもひとりでやれることとは思えないので俺も断定できないでいる。
「ねぇ、ユージ。この近くにフールがいるか確認した?」
「いや、まだだけど」
「だったら、この近くにフールの部下がいるか調べた?」
「部下? 人間のか?」
ジルの質問の意図がよくわからなかった。
フールは、こと自分のことと研究については人に話そうとしないので、基本的には何でもひとりでやっている。かつてはベラと共同研究をやっていたこともあったが、あれは例外といっていい。そうなると、フールの生きた部下なんていうのはあまり考えられなかった。自由意思を持った人間を使う理由が、フールにあると思えなかったからだ。
「そうよ。護衛として人間を人形みたいに操っていたんでしょ? だったら、自由意思だけ奪って部下として使うこともできるじゃない」
「そりゃそうだな。でもそれだと難しい作業はできないぞ」
「いいんじゃないの? 何かを取ってこいとかそんな簡単なのでも、他の人にやってもらうと楽になることってあるでしょ」
つまり、ここで死霊系の魔物を操っているフールの部下がいるかもしれないということか。うっ、その可能性は考えもしなかったな。
「お前の言う通りだな。今までフールの存在は調べていても、その取り巻きは全然調べていなかった」
部下がいるとしても、護衛のように常に一緒にいると思い込んでいたしな。
ということで、俺はジルの勧めに従って捜索の魔法で人間がいるか調べてみた。探索範囲は三オリク、果たしてこの範囲に誰かいるだろうか。
「いた! 本当にいやがったぞ!」
直線距離で約二オリク先にぽつんとひとりだけいる。死霊系の魔物の捜索に切り替えても、そいつを襲っているようには見えない。
「ふふん、どう? あたしの言った通りでしょ」
「その得意顔が腹立たしいが、確かにお前の言う通りだったな」
どうしてこんなことを思いつかなかったのか不思議なくらいだが、いざわかってしまうとさっきまでの自分が恥ずかしく思えてしまう。
それでも、とにかくこの死霊系の魔物を操っていそうな奴がいることはわかった。問題はここからだな。
「怪しい奴が約二オリク先にぽつんとひとりだけいるんだが、どうやってそこまで行くかなんだよな」
「そっか、死霊系の魔物がうようよいるんだもんね」
そういうことだ。目の前で激戦の中をくぐり抜けても、その先には濁流のように押し寄せる死霊系の魔物がいる。
「あたしが見てこようか? やっつけられそうならやっつけるけど」
「見るのはともかく、倒せるのかな。以前戦った奴は、剣の技量だけなら俺とアリーとカイル三人合わせてやっと勝てるくらいだぞ」
ひとりでそんな奥地に行ってやられてしまうと、誰も助けに行けなくなってしまう。
「ん~、精霊を召喚してぶつけるだけだから、あたしは直接戦わないわよ」
「そうか、今やっていることと同じことをするだけか。無理だと思ったら、そのまますぐに引き返してきてくれ」
「わかった。それじゃ行ってくるね!」
「ああ……って、ちょっと待て! ここの精霊達はどうするんだ?!」
「ユージが面倒見ておいてね!」
「おい、そんな簡単に言うな! たくさんの精霊を制御するのは面倒なんだぞ!」
俺は慌てて引き留めようとするが、ジルは無視して飛び立ってしまった。
ひとり残された俺は、仕方なく精霊の面倒も見なければならなくなってしまった。ただ、火壁と嵐刃による防衛線の維持と人形の制御に大した労力は必要なかったので、精霊の面倒を見ることになっても四六時中忙しくなるだけで済んだが。
そうして三十分ほど経過すると、大量に迫ってくる死霊系の魔物の動きに変化が現れた。今まではひたすら渓谷を南下するだけだったのに、今度は点でばらばらな動きをし始めたのだ。
そのため、火壁と嵐刃による防衛線の向こうでは、腐乱死体と白骨死体がお互いにぶつかって大混乱に陥っている。一方、幽霊は物理的な制約を受けないから、一斉に全方位へと散ってゆく。
捜索の魔法で人間を探索してみたが、さっきぽつんといた奴が消えている。どうやらジルが倒したらしい。
「ただいまー! 無表情な男がいたから、精霊にやっつけさせたよ!」
更に三十分後、まるで散歩から戻ってくるかのような感覚でジルは帰ってきた。
「随分と簡単に言うな」
「うん、なんか盗賊っぽかったけど、まるで生きている感じがしなかったよ。でも、ユージが言っていたみたいに強くはなかったな。死霊系の魔物を操るだけだったのかもしれないわね」
やはりフール関係だったのか。操っている人間に役割を分担させているのか。
何にせよ、とりあえず正面の危険性は減った。この間に、さっさと引き上げたい。