防衛線の構築
盗賊の根城を探すために渓谷を偵察していた俺達は、その先で大量の死霊系の魔物を発見した。集まっている理由はさっぱりわからなかったが、麓に向かって進み始めたので慌てて本隊まで戻った。
ガルフ隊長は報告のために上層部の集まる天幕へと急ぐ。その様子を見ていた周囲の何人かが、俺達のところへ寄ってきた。
「おい、何があったんだ?」
「俺達が偵察していた渓谷で、谷間を埋め尽くすほどの腐乱死体と白骨死体と幽霊がいたんだ。しかも、こっちに向かってきている」
俺達の話を聞いた者の半分は半信半疑だ。突拍子もない話だから仕方ない。だが、残りの半分は事実として受け止めてくれたようだ。俺達の斥候としての能力を知っているからだった。
「討伐隊が総力を挙げたら何とかなるんじゃねぇのか?」
「谷間を埋め尽くすほどの数なんて相手にできるのかよ?」
しかしそれでも、本当の意味で危機感を抱いている者はいない。こればっかりは、実際にあの魔物の集団を目にしないとだめなのかもしれないな。
しばらくすると、上層部のいる天幕周辺が慌ただしくなる。だいぶ緊迫してきたな。
更に三十分ほど過ぎると、ガルフ隊長が戻ってきた。その表情は険しい。
「貴様ら、よく聞け。我が斥候小隊は再びあの渓谷へ向かう。その際、別の攻撃小隊も同行し、足止めを行う。もし足止めが無理なら、可能な限り遅滞戦術を実施しながら下がることになった」
俺は我が耳を疑った。あんな量を七十人くらいの攻撃小隊一個で止められるとは思えない。僧侶が浄化を行うのだって限度があるし、事実上無限に迫ってくる奴らを戦士が長時間食い止められるとは尚更考えられない。
「どう考えたって自殺行為ですよ。それに、足止めして稼いだ時間で本隊は何をするつもりなんですか?」
「渓谷の入り口で迎撃態勢を整えることになっている。それに、各地で盗賊の討伐をしている攻撃小隊を呼び戻す時間も必要なんだ」
死霊系の魔物の集団は足が遅い。ただし、昼夜を問わず進むことができる。そのため、俺達が三日かかった道のりを遅くとも六日で踏破してくる計算だ。つまり、あと三日後にここへやってくるわけだが、その三日で延々と迫ってくる死霊系の魔物を押さえられる用意ができるのだろうか。
非常に苦しそうなガルフ隊長に俺は尚も質問をぶつける。
「ラレニム連合や光の教団の応援は当てにできそうなんですか?」
「とりあえずは、我々だけで対処するそうだ。一応話は信じてもらえたが、いかんせんあれは実際に見ないと危機感は抱けないだろうからな」
あ、駄目だ。足止めの部隊は確実に全滅する。現実離れした事実を想像仕切れていないんだ。
「俺達が全滅覚悟で足止めして、本隊の準備が間に合ったとします。それで、あの死霊系の魔物の群を防げると思いますか?」
「短期間なら防げると思う。しかし、交代の部隊がいないと、将兵の精神と肉体が消耗してじり貧になるだろうな。」
俺もそう思う。
渓谷の谷底を進んでいる死霊系の魔物を防ぐのに、最低二百人は必要と上層部は判断しているらしい。今現在、全ての攻撃小隊が戻ってきたとしても、戦える兵士と冒険者は四百人くらいだ。なので、やるとなると二交代制で戦うことになる。しかし、一日十二時間も戦いっぱなしなんてできるはずもない。最初の一日はどうにかなっても、一週間後には戦線なんて跡形もなく消えていると思う。
「しかしだ、このまま何もせず帰ったとして、あの死霊系の魔物の群が呪いの山脈を降りたらどうなる? 周辺の村や街道は死者で溢れかえってしまう」
俺は黙ったままだった。確かに、あの死霊系の集団が山の麓で止まってくれるという保証はどこにもないのだ。しかし、ここで防衛しても、防ぎきれる可能性はほぼない。
ああ、くそ、一体どうしたらいいんだよ!
「ともかくだ、できることはやっておかないといけない。幸い、死霊系の魔物の足は遅いから、退却するときは逃げやすいだろう。だから、とりあえずは命に従うべきだ」
ガルフ隊長の顔を見ていると、俺達を説得しているというよりも、自分を納得させようとしているみたいに見える。
幸い、俺達のパーティメンバーは全員が転移の魔法が使える腕輪を身につけている。それならば、ガルフ隊長に付き合ってもいいのではないだろうか。
「わかりました。やりましょう。出発はすぐですか?」
「同行する攻撃小隊の準備が整い次第だ」
俺はうなずくと、すぐに仲間と出発の準備を始めた。まさかこんなことになるなんてな。
翌日、俺達は攻撃小隊とともに、死霊系の魔物が進撃してきている渓谷へ再び足を踏み入れた。以前、実際にその大集団を目の当たりにした俺達の表情は硬かったが、話に聞いただけの攻撃小隊の面々は随分と楽観的だった。
予定では、一日半歩いたところで死霊系の魔物と接触するはずなので、丸一日歩いたところで迎撃することになった。ここに土壁などの魔法で簡単な防衛戦を築いて迎え撃つのである。
ただし、相手は昼夜を問わず疲れ知らずで活動できるので、こちらは長くは保たない。一日戦ったら退却するということになった。本隊としたら数日間支えてほしいんだろうけど、二個小隊八十人の命を犠牲にしても、大して保たないんだから頑張る価値はない。特に冒険者である俺達からしたらそういう思いが強いので、この案で落ち着いた。
「よし、ここに防衛戦を築こうか」
夕方、攻撃小隊の隊長が、渓谷でも少しくびれて横幅が狭くなっている部分に目をつけて、俺達に指示を出した。
今回は土木作業員として、土属性の魔法を使える魔法使いが中心となって防衛戦を築くことになった。本当なら堀を掘ったり罠を仕掛けたりするために全員で取りかかるべきだが、短期間だけしか守らないので、魔法を使えない前衛組は見張り、土属性が使えない後衛組は夕飯の準備などと役割が分けられる。
「ユージ先生、そんじゃ作ろっか!」
「俺も一応土属性の魔法使えるんやけど、なんかできるやろか?」
「ふふん、そんなのはあたしが、ちゃっちゃと作ってあげるわよ!」
俺達のパーティからは、俺、スカリー、カイル、ジルの四人が防衛戦作りを担当することになった。この四人だと、俺とジルが中心となって防壁を作り、スカリーとカイルが補助的部分を作ったり調整したりすることになる。
各担当者に区域が割り振られると、俺とジルは早速防壁の作成に取りかかる。時間も余裕もないので出し惜しみなしだ。
ジルは土の精霊を何体も召喚して、厚み一アーテム、高さ五アーテム、長さ十アーテムの塊を出現させてゆく。これが防壁となる。
次に俺が、ありあまる魔力を使って土壁の魔法を駆使し、防壁を作る。厚み四アーテム、高さ四アーテム、長さ十アーテムの塊を、次々と地面からせり出させた。これはジルの作った防壁の裏に出現させることで、守備側の人員が防衛戦や往来ができるようにしている。
それに対してスカリーとカイルは、俺の作った足場に上れるように南側に階段を作る。
そうしてすぐに、担当区域の防壁を完成させた。
「すごいな、ここだけ城壁みたいじゃないか」
ガルフ隊長が、俺達が作った防壁を呆然と見上げる。自分の命がかかっているのだから当然だ。人に見られたらどうしようなんて言っていられない。
しかし、あまりにも簡単に強固そうな防壁を作ったものだから、他の所も作ってくれと頼まれた。誰だって死にたくないんだから当然だろう。
結局のところ、防壁は俺達だけで作ることになった。疲れる作業ではあったが、代わりに不寝番を免除してもらった。ということで、日が暮れる頃には予想以上にしっかりとした防衛線が完成した。
俺達の作った防壁の上へ登って、どう戦うのかを考えている攻撃小隊の面々をよそに、俺達は夕飯を食べていた。予定では明日の昼頃に戦闘が始まるはずだが、それ以後はまともに食べることはできないだろうし、寝ることも無理だろう。きちんと休めるのは今晩までと思っておいた方がいい。
「ユージ先生、明日の戦いってどうなると思います?」
こういう話を切り出すのはいつもカイルかアリーなんだが、今回は珍しくクレアが尋ねてきた。いつもと違って今度の戦いは主戦力になるから気になるのだろう。
「腐乱死体と白骨死体はとりあえず防壁でせき止められるからいいとして、最初に問題となるのは幽霊だな」
幽霊の厄介なところは、物理的な制約を受けないというところだ。俺も前世はこれだったのでよく知っている。地面も壁もすり抜けられるんだよな。しかも、魔力付与されていない武器では攻撃できない。
「幽霊は防壁をすり抜けられるから、こいつを最優先で叩く。具体的には、俺とジルが召喚した精霊に攻撃させ、残った奴を光属性の魔法で浄化する」
「ふふん、あいつらなんて触れるだけで消えてなくなるだろうから、簡単にやっつけられるよ!」
ジルが以前試したことがあるらしいのだが、幽霊は精霊に触れると傷つき、ついには消えてしまうらしい。だから極端な話、横一列に精霊を並べるだけで幽霊は何とかなるのでは、というのがジルの見解だ。
ちなみに、前世の俺は触れても平気だったのだが、その理由を聞いてもわからないという言葉しか返ってこなかった。まぁ、限りなく精霊に近かったそうだから、その辺に原因があるのかもしれない。
ともかく、幽霊に関してはこれでひたすら倒していくことになっている。
「師匠、腐乱死体と白骨死体は防壁でせき止め、幽霊は精霊と光属性の魔法で倒せるのなら、ここでずっと食い止められるのではありませんか?」
「俺も一瞬それに期待したんだけどな、あいつらの数が半端なく多いから、いずれ溢れると思うんだ」
水をせき止めている堤防以上に水位が上がると溢れるように、あいつらも大量の仲間を踏み台にすれば防壁の上へとたどり着けるだろう。この幅五十アーテムの防壁の全面で同時に魔物が溢れたら、その時点でこちらは全滅確定だ。
「それじゃどうするんでっか?」
「視界に入ってしばらくしたところで谷の横幅いっぱいの範囲攻撃をしかけ、それをくぐり抜けてきたきた奴は俺が作った人形で対応させる。尚も突破してきた奴は魔法使いが相手をして、防壁を登ってくる奴は戦士が叩く」
この戦い方のみそは、いかに遠距離で腐乱死体と白骨死体を倒し続けられるかにかかっている。近づかれる程に危険なのはもちろんだが、倒した場所が近すぎると、腐乱死体と白骨死体の残骸が盛り土の代わりとなって、防壁の高さが用をなさなくなってしまうからだ。
これらの戦い方については既に、ガルフ隊長をはじめとした主要人物へは伝えてある。攻撃小隊の面々は死霊系の魔物の規模や俺達のパーティの能力に懐疑的だったが、最終的には小隊長同士で話を取り決めて俺の案で押し切ってもらった。
「ユージ先生の話を聞いてると、とてもこの防壁までたどり着ける奴なんていなさそうなんやけどなぁ」
「俺が二十四時間戦い続けられるんならな。おそらくずっと戦い続けたら、魔力切れよりも睡眠不足と疲労で倒れると思う。だから休憩しながら戦うことになるから、その隙をどうみんなで埋めるかだな」
これだけやって昼の間保つかどうかと俺は考えている。退却のタイミングによっては更に夜通し戦わないといけないかもしれない。後はひたすら逃げるだけだ。
前世の霊体だったら、たぶん俺が二十四時間戦い続けるという戦い方をしていただろう。そうなると、向こうの数が尽きるか、俺の魔力が尽きるかの勝負になっていたと思う。
「ユージ先生とジルに頼った戦いになるんですね」
「まっかせなさいよ! 魔物なんて全部やっつけてあげるから!」
「これ、ユージ先生とジルがおらへんかったら、どう考えても全滅しとったな」
景気のいいジルの言葉を間に挟みつつ、クレアとスカリーが戦い方について考える。俺としては、本当に時間稼ぎをするのならばこのやり方しか思いつかなかった。
「近接戦闘専門の戦士は楽ができそうだと思っていましたが、師匠の話しぶりですとそうでもないのですね」
「というか、戦士のような前衛組の負担が大きくなった時点で、すぐに逃げないと間違いなく全滅するぞ」
それはつまり、遠距離攻撃で倒す数以上に魔物が来ているということだからだ。この時点で戦士達がどんなに頑張ってもどうにもならない。
「他になんか気になることってありまっか?」
「こちらの思惑通りに事が運んでくれるかどうかだな」
例えば、死霊系の魔物は渓谷の谷底を移動するという前提で話を進めているが、そうじゃなかったときはお手上げになってしまう。それに幽霊は物理的制約を受けないのだから山の中を直進してやって来られると、やはり手の打ちようがない。
こういった不安はいくらでもある。相手が人間出ない場合はいつもそんな不安がつきまとうが、最後に見た死霊系の魔物達の動きからして、谷底を伝ってやってくるはずだ。
今は自分達の思惑通りに事が運ぶことを祈って待つしかない。