こちらの対策とあちらの対策
絶好の襲撃地点まであと三十アーテムというところで、フールと護衛の二人は立ち止まった。フールは笑顔のまま右隣の護衛に鍵をひとつ渡すと、その護衛が倉庫の入り口にまでやって来る。
(あれ、何やってんでっしゃろ?)
(さぁ?)
予想外の行動に俺達もどうしていいかわからない。そのまま襲ってしまってもいいのかもしれないが、もう少し近づいてくれるとより有利に奇襲できる。それだけに動けなかった。
不審に思っているのは俺達だけではない。倉庫の入り口にいる柄の悪い門番も同様だった。わからないといった表情のままフール達を眺めている。
「おい、なんで旦那はこっちにこねぇんだ?」
事情をよくわかっていない門番のひとりが、やって来た護衛に声をかける。しかし、その護衛は返事の代わりに、フールから預かった鍵を差し出した。
「ああ? なんだこりゃ?」
受け取った鍵をしげしげと眺めながら門番は独りごちる。護衛はそれを無視して、右手で鍵付きの大きな両開きの扉を指さした。
「え? 開けろってのか? まぁいいけどよ」
鍵を受け取った門番が、背後の荷物を出し入れするための大きな扉に向き直る。もうひとりも事情はさっぱりわからないようだが、雇い主の指示に従うために扉の取っ手に手をかけた。
その様子を見届けもせずに、鍵を渡した護衛はフールのところへと戻った。なんだ? 何をするつもりなんだ?
鎖付きの丈夫そうな錠前を外した門番は、相棒と同じように反対側の扉の取っ手に手をかける。
(師匠、何かまずい気がします。今から仕掛けませんか?)
(そうだな。それじゃ──)
「「よぉし、せぇのぉ!」」
アリーに促されて俺が合図をするよりも、門番が扉を開ける方が早かった。かけ声とともに勢いよく両開きの扉が開けられる。
気勢を削がれた俺達三人は、思わずその開いた扉の向こうに視線を向けた。すると、日陰の向こうに何人もの人が林立している。
「え?」
どうして倉庫の中にこれだけ多くの人がいるのか、まずそれが理解できなかった。そして次に、老若男女様々な人がいて統一感がない。どう見ても裏社会に属しているようには見えない人も多いぞ。
(ユージ先生、こりゃ一体どんな集団なんでっか?!)
(いや、俺にもわからん!)
倉庫の中で立っていた人々が一斉に出てくる。動きは緩慢で、更に皆一様に表情も血の気もない。これ、生きているようには見えないぞ!
「あ、師匠、姿が?!」
「うぉ、見えるで?!」
アリーとカイルの慌てる声を聞いて、俺は思わず背後の二人に顔を向ける。あれ、どうして見えるんだ?!
「おい、てめぇ、なんだよ?! うわ、やめっ、ぎゃあぁ!!」
「くそ、こっち来んな!」
声のする方を見ると、門番が中からあふれ出てきた死人みたいな人に噛みつかれている。そしてもちろん、俺達の方にも多数の人々がやってきた。
「師匠、迎え撃ちます! カイル!」
「わかったで!」
戦う準備は既にできていたアリーとカイルは、襲いかかってくる人に反撃を加え始める。既に倉庫の門近辺は二十人以上の人で溢れており、俺達三人も半ば包囲されていた。
しかし、俺だけ人々は襲ってこない。両脇でアリーとカイルは人々に襲われて迎撃しているというのに。ということは、
「こいつら、生きていないのか?!」
「へぇ、察しが良いじゃないか」
俺達が血の気のない人々に囲まれている脇を、護衛を従えたフールが悠然と進んでゆく。その際に、俺へと声をかけてきた。
「倉庫の中から出てきたのは全員が死者さ。この暑い時期に腐らせずに保存するのはなかなか大変だったけど、その甲斐はあったようだね」
「なんつー悪趣味な!」
俺が苦々しくフールを睨む。しかし、フールは気にした様子もなく倉庫の入り口の少し内側に立つと、護衛二人を両脇に従えたままこちらへと振り向く。
「春頃に僕のことを嗅ぎ回るネズミがいることに気づいたんでね。こんなこともあろうかと用意していたんだ。ここは研究材料を集めるのに都合がよかったから、僕も易々とやられるわけにはいかなかったんだよ」
シャロンの放った密偵は気づかれていたのか! しかも春頃というと、ちょうど護衛が入れ替わった時期だな。
「元からいた護衛二人を忠実な人形にして、万が一のためにこの倉庫へ死者を少しずつ集めていたのさ」
悠然と構えて俺に語りかけているフールだったが、いつ逃げられてしまうかわからない。死霊系の魔物に襲われない俺なら、死者しかいないこの十アーテム程度の距離を縮められる。
「どけ!」
俺が一喝すると、フールとの間にいた死者数体が、わずかに道を空けるかのように動く。きれいに道を空けてほしかったが、襲われないだけましか。
死者の合間を縫うようにして向かってくる俺に対して、フールは驚いた表情を見せた。
「なに? 死者が襲わない?」
「フッ、ハイドォ!!」
思わずフールと叫びそうになるのをこらえて、俺はフールへと飛びかかる。これは事前に打ち合わせていたことだが、可能な限りこちらの情報を相手に渡さないための措置だ。こいつがフールだなんてことは、前世の能力を引き継いだ俺にしかわからないからな。気づかれるのはまずい。
ともかく、俺はフールまであと少しというところで、剣を突き出すと同時に星幽剣を発動させる。すると、突き出す過程で剣が淡く輝きだした。
「それは?!」
驚いた様子のフールが背後へと飛ぶ。同時に、護衛二人が間に割って入ってきた。しかし、星幽剣を発動させた状態の真銀製長剣は、フールへの攻撃を止めようとした二本の剣をあっさりと切断する。
「勇者の剣に光の剣とはね。ということは、光の教団が関係しているのか。ノースフォートで勇者の剣の奉納式があったって話を聞いていたんだけど、あれは嘘だったのかな。死霊対策も万全というのも頷ける」
護衛の二人が新たな剣に持ち直しつつ俺と対峙する後ろで、フールが独りごちていた。その足下には何やら紋様が描かれている。まずい!
「まぁいいや。もう少しこの組織にいたかったんだけど、光の教団に睨まれちゃ、ハーティアにはいられないね。ここでさよならしなきゃ」
「てめぇ、待て!」
突っ込もうとする俺に対して、護衛の二人が立ちはだかる。この二人は死者みたいに俺の言うことを聞かないのは、死んでないからか。確か人形って言ってたな。そうか、ベラと共同研究していたから、いくらか使えるんだ。
俺は尚もフールに近づこうとするが護衛二人が邪魔をする。俺の剣をまともに受けられないと理解したせいか、二人で連携しながら俺の剣先を躱してゆく。くそ、当たらねぇ!
その間に、フールが呪文を唱えると、その足下の紋様が光り輝き始めた。やっぱり転移用の魔方陣か!
「じゃぁね。ちょっと冷やっとしたよ」
「絶対に探し出してやるからな!」
ようやく護衛のひとりを切り伏せたものの、その時点で既にフールは消えかかっていた。もう間に合わない。
無事なもうひとりの護衛は、それを見届けると手にした武器を捨てて、俺に背を向けて奥へと駆けてゆく。
「なんだあいつ?」
とりあえず一旦フールを追いかけるのは諦めて、俺は奥へと駆けた護衛を追いかけようとした。しかし、俺が走り始めたところで、何か液体が入ったバケツを両手にひとつずつ持って戻って来る。
何があるのかわからず剣を構えつつ距離をとって警戒している俺を全く無視して、護衛はそのバケツの中身を魔方陣へと投げかけた。
「まずい!」
その行動を見て何をしようとしているのかやっとわかった。こいつ、魔方陣を消す気なんだ! あのバケツの中身は恐らく魔方陣を描くための液体に違いない!
既にバケツの中をぶちまけ終えた護衛は、足でその振りかけた液体を魔方陣のあちこちへと広げようとする。俺は思わずその護衛を切り伏せてしまったが、もう遅かった。
「あ~くそ、完全にやられた」
こっちはフールに気づかれていない前提で行動していたけど、早い段階から気づかれていたんだな。フールが俺達への対策を講じているなんて思いもしなかった。
俺は呆然と使い物にならなくなった魔方陣を眺める。これじゃ後を追うこともできない。
そのとき、倉庫の外から剣戟の響きが聞こえているのを思い出した。
「あ、あいつらまだ戦ってるんだった!」
自分のことばかり考えていたけど、外じゃまだ死者相手にアリーとカイルの戦いが続いている。助けないと!
倉庫の外に出ると、十数体の死者と戦っている二人の姿が見えた。一体ずつなら大したことはないものの、多数の死者に囲まれて対処に苦労している。
「我が下に集いし魔力よ、神の御名において彷徨える哀れな者共を天へと導かん、浄化」
俺は、二人のいる場所を中心に死霊系の魔物を浄化すべく光属性の魔法を使った。すると、大半の死者が消える。こうなると、もう勝負はあった。
残る死者は三人で片付けた。周囲を見渡すと死体だらけだ。見れば門番の死体も転がっている。やっぱり逃げられなかったらしい。
「師匠、ハイドはどうなりました?」
「取り逃がした、護衛二人を盾に転移用の魔方陣を使われた」
「そんじゃ、すぐに追いかけるんでっか?」
「いや、それが無理なんだ。ハイドが逃げた後、護衛が魔方陣を消し潰したんだ」
すっかり力の抜けた様子の俺から説明を受けた二人は、同じように脱力してしまう。入念に準備をし、これだけ苦労したのに失敗してしまったもんな。
「悪いな」
「いえ、師匠が取り逃がしてしまったのなら、仕方ありません。次の機会を待つとしましょう」
「せやな。なんか最初からこっちのことは気づかれていたみたいやし、相手の方が一枚上手やったっちゅうことやな。悔しいけど」
本当に悔しいよな。フールが何ヵ月も前から準備していたのに、俺達は全く気づかなかった。
「それで師匠、これからどうするのですか?」
「あれだけ騒いだら誰かに気づかれていると思う。だから一旦姿を隠して別の場所に移動して、そこで武具や服についた汚れを落とす。それから宿に戻ろう」
さすがにこのままの状態で街中を歩くのは目立ちすぎる。どこかで身の回りをきれいにしておく必要があった。
「そんじゃ長居は無用でんな。さっさと行きましょか」
カイルの声をきっかけに、俺達は自分に隠蔽の魔法と防音の魔法をかけるとその場を立ち去った。
その後、俺達は何区画か移動した。途中、騒ぎを聞きつけた好奇心の強い住民や労働者と何人かすれ違う。まさに入れ替わりといった感じなので、姿を見られたくなかった俺達としては割とぎりぎりのタイミングだったようだ。
放棄された倉庫の中に入ると、俺達は魔法で頭から水を何度も被る。そして、同じ水属性の水吸収という魔法で脱水して身支度完了だ。
「はぁ、さっぱりしたわぁ!」
俺の魔法で洗ってやったカイルが気持ちよさそうに息を吐き出す。
「ふぅ、一息つけましたね。これから宿に戻って一泊するかと思うのですが、その後は一旦シャロンの屋敷に戻るのですか?」
「うん、そうしようと思う。水晶であらかじめみんなに襲撃が失敗したことを報告する必要はあるけど、俺達が戻ったら話し合いをしないといけないしな」
考えるだけで気が重いものの、フールを取り逃がした以上は次のことを考えないといけない。
「まぁ、明日は明日の風が吹くって言いますさかいな。とりあえずは、今日の疲れを取ることから考えましょうや」
カイルが明るく話しかけてくる。本当にこいつはめげないな。
「わかった。それじゃ今日は戻ったら思いっきり食うか!」
「やったで!」
はしゃぐカイルを見て、俺とアリーは苦笑した。
今回はフールを取り逃がしてしまったが、まだ追えなくなったわけじゃない。これからどうするべきか考えながら、俺は二人と一緒に宿へと戻った。