悪魔の砂漠越え
四月も残すところ数日というときになって、俺はアリーとカイルの二人と共にイーストフォートを出発した。これから砂漠に挑むため、充分に休息を取って入念に準備をした上での話だ。
今まで情報収集をした結果、やっぱり二百年前よりも悪魔の砂漠は縮小しているらしい。昔は王国公路のすぐ側まで砂漠が迫ってきていたのに、今では丸一日歩かないと砂漠までたどり着けなくなっている。どうして砂漠が消えていっているのかは誰も説明できない。
理由はどうあれ、砂漠が縮まっているのならば、旧イーストフォートへは行きやすい。ありきたりなお宝の噂などを当てにした冒険者達が、これ幸いと旧イーストフォートへ乗り込むことが多くなっている。ただ、今のところ価値のあるものが見つかったという話はないそうだ。
俺達は、一旦イーストフォートから王国公路に沿って南下した。宿場町のある王国公路を使うのが一番楽だからだ。この三日間が旅程としては安全だった。
そこからは王国公路に別れを告げて真東へと一日歩く。どうして直接砂漠を目指さずにこんな面倒なことをしているのかというと、旧イーストフォートへ一直線に向かえるようにするためだ。紙上の計算とかつての経験から、このままひたすら南下すれば旧イーストフォートへ着くはずである。
そして更に一日半後、悪魔の砂漠を目の前にするところまでやって来た。
「うわ、これ全部砂かいな」
俺達の前に広がっている砂漠を目の当たりにしてカイルがつぶやく。
黄色に近い黄土色の山がいくつも連なり、地平線まで続いている。そして、その境界から上は嘘のように青い空が一面に広がっていた。もちろん雲なんてものはひとつもない。
通常の砂漠では、砂漠とその周囲の地形に明確な境界線はない。草木が次第にまばらとなり、目の粗い大きな岩や小さな礫石が増え、気づけば砂の山に囲まれているというように変化していく。
しかし、悪魔の砂漠はその発生の経緯からか、大小の石が溢れているような場所はほぼない。そのため、乾燥した草原からほぼいきなり砂の砂漠に入ることになるのだ。
「中の環境は過酷だと聞いていますが、外から眺めているぶんにはきれいですね」
「そんな暢気なことをゆってられんのも、今のうちだけなんやろなぁ」
俺の横で一緒に砂漠を眺めているアリーに対して、カイルは呟くように応える。
しばらく砂漠の手前でこの風景を眺めてから、俺達は頭からすっぽりと頭巾を被って外套で足下まで身を隠していた。直射日光を避けるためだ。強烈な日差しを浴び続けると、日射病になったり火傷を負ったりするからな。
「それじゃ出発しよう」
俺の言葉で二人も一斉に歩き始めた。
悪魔の砂漠に入ると、途端に足下が砂に取られて歩きにくくなる。俺達はそういうものだと覚悟していたが、実際に体験してみるとその大変さがよくわかった。
「これは、けっこう、きついな!」
カイルが息を切らせながら呟く。体力には自信のある戦士だが、それでも初めての砂漠となると勝手がわからないので疲れるのは早い。
「見るのと、中を歩くのとでは、全然違うな」
大変なのはカイルだけではない。人間に比べて体力の勝るアリーも砂地を歩くのに苦労していた。もちろん人間である俺とカイルよりも余裕はあるみたいだが、砂で足を取られて普段より体力を消耗することに違いはない。
「あそこで一休みしよう」
一時間半ほど歩くと、少し高めの砂山があった。辛うじて陰になっているところがあるので休憩に向いている。
砂山の陰に着くと俺達はすぐに座った。息がけっこう乱れている。そして、腰に付けていた水袋を手にするとすぐに口に付けた。
「はぁ、うまいわぁ。しっかし、ほんまに砂だけなんやな、砂漠って」
「中を進めば何か変わると思っていたが、何も変わらないな」
カイルとアリーは一口水を飲み込むと大きなため息をついた。本当はもっとがぶ飲みしたいのだが我慢している。理由は水の節約だけではない。いきなり大量に水を飲んでも、汗として出てしまうからだ。少し間をおいてから再び水袋に口を付ける。
「汗がべとつかへんのは助かるな。雨の日なんて最悪やしな」
「水浴びもできそうにないところなのだ。そのくらいの利点はないとな」
それは湿度が全くないから汗が出るとすぐに乾燥するからだろう。熱気に包まれているので不快なのには違いないが、梅雨のように絡みつくような湿気はない。その分だけましということらしい。水が切れると干からびるんだけど、こっちの方がましなんだろうか。
「けど、これで夜は冬のように寒いんやろ? 嘘みたいやな。一体どうなっとるんや?」
「そこまでは。師匠は何か知っていますか?」
理屈としては知っているが、この二人に理解できるように説明できる自信がない。それと、日本の知識がどこまで通用するのかという不安もある。何しろ、この悪魔の砂漠は発生した経緯からして不自然だもんな。
ともかく、砂漠は昼夜の温度差が激しいため、昼間の暑さだけで装備を調えると失敗する。そのため、一見すると不要と思える防寒対策の装備も持ってきていた。敵は魔物だけではないのだ。
この日の夜、俺達は初めて砂漠で一夜を過ごすことになった。そう、実は俺も生身の人間としては初めてなのだ。そういえば二人には言っていなかったな。
あれ程強烈だった日差しに俺達は苦しめられていたが、日が沈むと今度は日差しがないことで苦しむことになる。砂漠では日中に降り注いだ熱を保持することができないため、夜になると急に気温が下がってしまうのだ。
「いよいよ冷えてきたな」
俺は両手で腕をこすりながら外套の中で体を縮こまらせた。さすがにこの急激な温度変化はつらい。
「うわ、なんやこれ?! 吐く息が白いやんか! こんなに冷えるんか!」
いつの間にか吐き出す息が白いことに気づいたカイルが驚いて感想を漏らす。アリーも初めてなのでそれを見て驚いていた。
「夜になると、確か幽霊が出るかもしれなかったな。砂漠とは厄介なことしかないのだな」
かつては一面が畑で村々が点在していたらしいこの一帯にその面影は全くなかった。しかし、伝え聞く限りでは人々の営みが行われていたはずなので、幽霊が出ても不思議ではない。
「最初は俺が不寝番をするから、みんな寝てくれ」
さすがに砂漠のど真ん中では火をたくための薪を調達することができない。かといって一晩中魔法を発動させることもできないので、今はかなり寒い。また、ほぼ新月であるため、視界もほとんどきかなかった。
そんな中、まず俺が不寝番を始めた。できれば何も起きないでほしいと祈りながら。
翌朝、俺達は寒さに震えながら目が覚めた。いやもう、暑いのか寒いのかどちらかにしてほしい。二日目にして俺達の心は折れそうだ。誰だ、こんなところに行こうと提案した奴は。
「二人とも、昨晩は幽霊を見たか?」
日の出前なのでまだ真っ暗な中、朝ご飯の用意をしながらアリーとカイルに話しかける。
「いえ、私は見ていません。そもそも暗くて何も見えませんでしたが」
「俺も見ぃひんかったなぁ。見たいとも思わへんかったですけど」
起きたばかりで本調子でない二人が返事をしてくれる。みんなの吐く息はまだ白い。
捜索で周囲を確認しているとはいえ、不寝番はまだ必要だ。その間に幽霊のひとつでも見かけるかなと思っていたが、そんなことはなかったらしい。
「師匠は見たのですか?」
「いや、それが何も」
前世だと、旧イーストフォートでは見たことはあるものの、砂漠で見たかどうかはよく覚えていない。出ないに越したことはないけれど、幽霊の数が減っているのかなぁ。
移動は日の出と共に開始する。今日も暑い一日の始まりだ。
適温だと感じられるのは一瞬のことで、気温は時間と共に急上昇していく。また人の精神を削り取っていくような熱気に襲われるのだ。それを我慢しながら俺達は進む。
「しっかし、魔物とはゆうても、ようこんなところで生きてられんなぁ」
カイルの言う通りだ。何もこんなところに好きこのんで住まなくてもいいのに。
大体三十分くらいに一回は捜索の魔法で魔物がいないかを確認していた。さすがに半径二オリクを対象範囲にしているとたまに見かける。砂蠍は離れていれば害はないし、砂虫がやって来るにしても不意打ちはない。だから奇襲を受ける心配はほとんどしていなかった。
「ありゃ、なんだ?」
休憩を挟みながら数時間歩いた末に、俺は奇妙な物体を見つけた。前方に、砂ばかりの世界に珍しく小さい長方形の岩みたいなのがある。ちょうど通過地点なので見ていくとしよう。
ところが、近づくにつれてその小さい長方形の物は、岩ではないことに気づく。この頃になると、アリーもカイルもそれに気づき始めた。
更に近づいてみると、ついにその正体がわかった。金属鎧の胴体部分だったのだ。こんな砂漠にこんな重くて暑苦しいものを身につける奴の気が知れないが、鎧の胴体部分以外はない。
「師匠、これはどういうことでしょうか?」
「誰かやられた跡なんやろか? それにしたって、他のもんがないってゆうんはおかしいよなぁ」
全くである。砂蠍にやられたのなら遺品が散乱しているだろうし、砂虫に飲み込まれたら何も残らないはずだ。
「考えていても仕方ない。俺達はやられないように気をつけながら進むとしよう」
さすがにこれだけではなんの参考にもならない。俺達は考えるの止めて先に進んだ。
更に翌日、さすがにここまで来ると、砂漠を歩いているときの疲労が目立ってくる。水の精霊でも召喚して水浴びをしたいとも思うが、やるとしたら旧イーストフォートに着いてからにするべきだろう。
それにしても気になることがひとつある。それは、旧イーストフォートを狙う冒険者に今まで一度もあったことがないということだ。最近は冒険者が赴くことも多くなったと聞いていたので、パーティの一組くらいは出会うのではと期待していた。しかし、全くその気配がない。
「他のパーティはどこにいるんだろうな?」
「みんな、この暑さに嫌気が差して帰ったのかもしれませんね」
「全員旧イーストフォートとちゃいますのん」
俺の疑問に回答する二人の答えは実に投げやりなものだった。暑さで頭がやられ始めているらしい。
試しに冒険者がいないか捜索の魔法で探してみる。しかし、半径五オリクで探索したにもかかわらず、ひとりも見つからなかった。あれ、俺達ってそんなにみんなと違う経路を進んでいるのか?
内心首を捻りながらも前へと進む。周囲は相変わらず白みがかった黄色い砂と染みひとつない空が広がっている。どちらも海と表現していいくらいにだ。端から眺めているだけなら実にきれいな光景なんだけどな。
しかし、やっぱり砂漠は厳しかった。更に進むと嫌な現実を突きつけられる。
「うわ、これは……」
砂丘をひとつ越えたところで、カイルがうめく。
砂丘の陰に隠れていて近づくまで気づかなかったが、そこには散乱した冒険者の遺体と遺品があった。すっかり干からびてからからの四肢が、ばらばらにまき散らされている。
「この様子だと、砂蠍にやられたようですね」
アリーのつぶやきと同時に、俺は改めて捜索で周囲を調べてみる。しかし、反応はなかった。こいつを食ったあとにどこかへ行ったのだろう。
「見た感じやとひとりだけのようやけど、食われるとこんな感じになるんか」
「これは嫌ですね」
二人ともばらばらになった遺体を見て顔をしかめている。俺だって嫌だ。
「これ、パーティは全滅したんやろか? 他の連中の遺体はないようやけど」
「撤退したのかもしれないな。犠牲が出た時点でかなわないと判断したのかもしれん」
カイルとアリーの会話は続く。けど、これだけじゃ何もわからない。ただ、俺達の進んでいる経路を、過去に誰かが使っていたみたいだということだけはわかった。
「ああそうか、もしかしたらさっきの鎧、砂虫に飲み込まれた奴のものなのかもしれないな」
それで体が消化された後に糞として出された可能性がある。何とも嫌な想像だ。俺のつぶやきを聞いた二人も渋い表情をしている。
「師匠、こういうふうに死んだ冒険者は幽霊として現れることはあるのですか?」
「どうなんだろうな。まぁ、戦場跡に幽霊が出てくるんだから、そんなこともあるんじゃないのか」
そういえば、冒険者が死ぬときなんてほとんどが志し半ばなんだから、化けて出てきてもおかしくないよな。でも、なぜかそんな話は全然聞かない。どうしてなんだろう? そんな面倒なことはしないで、さっさとこの世から消えてしまうのかな。
「同じ殺されるなら、人間の方がましっぽいでんなぁ」
「殺され方にもよるぞ。場合によっちゃ、こっちの方がましと思えるかもしれん」
拷問なんて本当に悲惨らしいしな。あー嫌だ。考えるだけで気が滅入ってくる。
なんにせよ、もうここまで来たらあと少しだ。魔物の犠牲者のことをいつまでも考えて足を止めているわけにはいかない。
「こんなのをいつまで見ていても嫌なことしか思い浮かばない。さっさと行こう」
俺は遺体に背を向けて歩き始める。アリーとカイルも小さく頷いて俺に続いた。