ハーティアまでの経路
三月になった。暦上は春先と表現していいのかもしれないが、気候はまだ真冬である。早く暖かくなってほしいものだ。そんなそろそろ季節が移ろい始めようとする時期に、俺とアリーはゲートタウンを出発した。
厩舎に預けていた馬はきちんと手入れしてもらえていたようで、俺が見た限りでは元気になっている。ただ、この街に来た当初の状態を見てもそんなに弱っているようには見えなかったので、俺程度の観察眼では本当のところはわからない。
ともかく、旅ができる程度には回復したということだったので、俺達二人は一路ハーティアを目指す。
「やっぱり、どう見ても怪しいよな、俺達」
「商人でもないのにハーティアへ行こうという人は、いないみたいですからね」
そしてそんな俺達は周囲から奇異な目で見られた。何しろ、現在流行病が蔓延している都市に向かうのだから、物好きにも程があるだろう。中には俺達が空き巣狙いで赴くのではと勘ぐる人もいた。
昼頃に俺達は最初の宿場町を通り過ぎる。さてどんなものかと様子を見ると、ハーティアからやって来た人々が数多くいた。宿がいっぱいなのか宿代が支払えないのかわからないが、野宿っぽいことをしている人もいる。
気になる厩舎だが、こちらは宿に比べて落ち着いているように見えた。避難民の大半は徒歩だろうから、馬を預かる施設に用はないのだろう。
とりあえず、馬の世話はどうにかなりそうなことがわかって安心した俺達は、この宿場町をそのまま通り過ぎた。
ハーティアへと続く街道を馬で南下していくと、ぽつりぽつりと北上してくる人々と会う。およそ半分は商人率いる隊商や旅人だが、もう半分は避難民だ。全員、南下する俺達に驚いていた。
「まだ避難する人がいるということは、流行病は未だに続いているということだな」
「私達がハーティアに着く頃に沈静化してくれるのが理想なんでしょうけど、それは期待しすぎですよね」
その通りである。やっぱり流行病が蔓延している中を進む覚悟は必要なようだ。
空の色が朱から藍へと休息に変わりつつある頃になって、俺達は二つ目の宿場町に着いた。ここも昼頃に通過した宿場町と似たような状態だ。
ということで真っ先に厩舎へと向かう。今は人間様や魔族様よりもお馬様の方が大切だ。
馬の世話を頼む厩舎自体はすぐに見つかった。そこの世話係と話をすると料金は五割増しになるようだ。ゲートタウンよりも安い。
「最近はゲートタウンからきた買い付けの連中と競合することも増えたが、物自体はほぼいつも通りに仕入れられるんだ。だから、物不足というほど酷い状態にはなっていないんだよ。それに、ゲートタウンはあっちこっちから人が集まる上に、みんなそこで逗留するからたくさんの人が物を消費し続ける。けど、ここみたいな宿場町は通過地点だから、みんな翌日には別のところに行く。つまり、ゲートタウンほど物は消費されないってわけさ」
その説明に俺とアリーは納得した。ただし、同時にこんな注意も受ける。
「だが、人間様の食べる物に関しては例外だ。人間が増えると消費する量が増えるのはもちろんだけど、余裕のある奴は買いだめするからな。あんたらも、買いそびれないように気をつけるんだな」
馬を持っている人は少なくても、人自体は何か食べないと生きていけないからな。
そして、その厩舎の世話係の言う通り、宿代も夕飯代も倍以上の値段を要求された。
「しかしこうも高額を要求され続けると、さすがに路銀が心配になるな」
「お婆さまからはどのくらいいただいているのですか?」
俺達は宿屋の経営する食堂で夕飯を食べながら路銀の話をしている。高額をもらっているとはいえ、こうも湯水のように使っているとさすがに不安だ。
「何かあったときのために、デモニアとハーティアを二往復できるくらいはもらっている。ただ、既に四分の一は使ってしまっているんだ」
山中の支払いを例外扱いしてもそれだけ出費している。ハーティアから更に別の場所に移動することも考えると、決して余裕のある状態とはいえない。
「私もいくらか持っていますから、それも──」
「予備の金も当てにしないといけないのはもっと先の話だ。それに、俺も教師時代に稼いだ金があるよ」
アリーの言葉を途中で遮って、俺は自分にも所持金があることを話す。確かに不安ではあるが、まだそこまで追い詰められているわけではない。実際にハーティアに着いてその物価と見比べてから、自分の金を計算に入れるか考えるべきだろう。
「予定では、あと四日でハーティアに着くのですよね」
徒歩で向かったときの半分だ。楽な上に速いのは助かる。あくまでも何もなければだが。
「あー、行く先も地獄っぽいけど、道中も大変そうだなぁ。主に金銭面で」
目的がある以上進むけど、次第にやる気がなくなってきた俺であった。
翌日以後も俺とアリーは馬に揺られて街道を南へと進む。もはやすれ違う人々の表情にも慣れてきた。
しかし、ここでふと疑問に思ったことがある。それは、避難民で流行病に罹った人をひとりも見かけていないことだ。これだけ大規模に流行っているのなら、避難する人にだって感染している人がいてもおかしくはない。特に街中に流行病が蔓延しているはずのこの時期に避難する人々ならば、そんな家族をひとりくらい抱えていてもおかしくないはずだ。
風邪などをひいている人はいるみたいなんだけど……って、よく考えたら俺達って流行病を見分ける方法を知らないぞ。
「アリー、ハーティアで流行っている病気の見分け方って知っているか?」
「いえ、そういえば知らないです」
それってつまり、自分達が感染しても気づかないってことだよな。まずくないか、それ?
「しかし、師匠は光属性の魔法も使えるのでしょう? でしたらどうにかなるのではありませんか?」
「そうなんだけど、風邪だと思っていたら実は流行病でしたっていうのは嫌だろう」
知らなければインフルエンザと風邪の区別なんてつかないのと同じように、ハーティアで流行っている病気も他のやつと似ている可能性がある。治ると放っておいたら手遅れでしたというのは避けたい。
気になったので、俺達は道中すれ違う人々にハーティアの流行病について尋ねてみた。途中の宿場町でも聞いた結果、どうもノースフォートで発生したインフルエンザもどきと似ているらしい。
「俺、疫病に詳しくないけど、この流行病って人間の都市でよく起きるんだろうか?」
「お婆さま達に尋ねてみてはどうでしょう」
アリーのいう通り、こんなときのための支援者であり、水晶玉だ。
その夜、俺はサラ先生へと質問を投げかけてみた。同じ人間界に住むのでオフィーリア先生よりもよく知っていると思ったからだ。
「う~ん、その証言が正しいとすると、確かにノースフォートの流行病と一致するんやろうけど、別にこの病気自体は珍しくないねんなぁ」
とある宿場町の宿の一室で、俺とアリーは水晶を使ってサラ先生と話をしていた。すると、こんな返答が返ってきたので俺達は驚く。
「え、この流行病はどこにでも発生しているものなんですか?」
「そうやねん。記録によるとハーティアに発生するのは確かに珍しいねんけどな、数年に一回はどこかの地方で発生するもんなんや」
ということは、もしかしてハーティアで発生している流行病っていうのは、本当に自然発生したものなのか?
「サラ殿、ということはハーティアにフールがいない可能性が高いということですか?」
「それは現地で確認せんとわからんな~。まだ知らんことが多すぎるしね~」
確かにその通りだな。俺はフールの仕業だと思い込みつつあったけど、本当にそうかはまだわからないんだ。
「う~ん、周りがよく見えない状態で動くのって不安でもどかしいですね」
「あはは、研究もそんなもんやで。まぁ、たいていの調査は手探りから出発するんやし、まだそんなに気負いすぎんでもええと思うな。全部がはっきりとわかるんは、大抵ほんまに終わりの頃か、全部終わった後やし」
「それはわかっているんですけどね。当事者になるとどうしても前のめりになっちゃうんですよ」
そう言い返すとサラ先生は苦笑する。
「何はともあれ、まずはハーティアに着いてからやね~。これ以上は現地調査した結果をもらわんと何も言えへんわ~」
相談事が終わると、俺達は水晶の機能を停止する。
結局、サラ先生と話をしてわかったことは、発生している流行病そのものは珍しくないということだけだった。
「師匠、こうなりますと最早ハーティアに乗り込むしかないですね」
「うん、事前に調べられることは調べたと思う。もっとはっきりとしたことがわかればよかったんだけどな」
しかし、既にそんなことを言ってもどうにもならない。俺達はいよいよハーティアへと乗り込むことになった。
ゲートタウンから馬で五日かけて、ハーティア王国の王都へとたどり着いた。
ハーティアと言えば、かつてライナス達が村から出て拠点にした街だ。ここで冒険者としての経験を積み、そして大陸各地を渡り歩いた。
そんな前世では思い入れの深い街だが、転生してからはまだ行ったことはなかった。俺の記憶は二百年前で止まったままだが、果たしてハーティアはどのくらい変化しているんだろうか。
街道を南に下り続けていると、地平線の彼方からハーティアの姿が現れる。そして、近づくにつれてその長大な防壁と場外町が見えてきた。
かつてライナスと冒険をしていた頃の王国は、魔王軍との戦いの真っ最中だった。大北方山脈の三つの経路を起点に魔王軍が王国を侵略していたわけだが、一時はこのハーティアも危険に晒されそうになった。
それほど激しい戦いを王国は戦っていたわけだが、主戦場はハーティアの北部だったので国土は随分と荒れた。そのせいで難民が大量に発生し、ハーティアの北の防壁辺りに身を寄せていた。
しかし、あまりに大量の難民が押し寄せたため秩序が保てず、北の防壁より外側は一種のスラム街となってしまう。下手に迷い込むと翌日には堀の水に浮かぶほど危険だったのだ。そのせいで、結局最後まで俺は北の門が開いているところを見たことがなかった。
それが今や、防壁の外の街、場外町として生まれ変わっている。魔界の魔族との交流が始まると当然北の門を開放しなければならないのだが、そのためにはスラム街をどうにかしないといけない。ということで、当時の王国は北の防壁の外部を徹底的に整備した。その結果、魔族との取引を生業とする商業地区となっている。
これだけ発展すると、さすがに外敵に対して無防備というわけにはいかない。本来の防壁ほどではないものの、一応掘付きで防壁が築かれつつあった。
かつてシャロンから聞いた話も交えて説明してみたが、大体こんなところだ。しかし、今はどうなのだろうか。
場外町へと近づくにつれて往来する人の数も増えてくる。出て行く人もそうだが、町へと入ってゆく人もいる。
「あれ、流行病で大変なことになっているんだよな?」
「そうですよね」
俺達は首をかしげる。ゲートタウンにはたくさんの難民が押し寄せていたから、町から出て行く人がいるのはわかる。でも、俺達みたいに入っていく人もいるのか。
それでもやっぱり中へと入る人は少ないようで、検問の列は思っていたほどじゃなかった。俺とアリーは馬を下りて最後尾へと並ぶ。
「ん? 旅人か? いや、その風貌は冒険者か。今のハーティアに来るなんて珍しいな」
俺の目の前に並んでいた中年の男が、こちらに振り向いて話しかけてくる。お、ちょうどいい。こっちも知りたいことがある。
「知り合いに会いに来たんだ。噂によると流行病が大流行して死者が山のように出ているとか聞いている。実際のところはどうなんだ?」
「ああ、確かに死者はたくさん出ているぞ。場内じゃ毎日何十人と死んでいるそうだ」
場内とは場外町に対しての言葉で、本来の防壁内にあるハーティアの町のことだ。これもシャロンから教えてもらった。
「ゲートタウンにもたくさんの難民が押し寄せてきていたけど、あんたは逃げなくてもいいのか?」
「はは! 逃げられるんなら逃げた方がいいんだろうな。けど、他の土地でやっていける自信なんてないから、残るしかないのさ」
尚も詳しく聞くと、流行病はハーティアの一般人居住区で流行しているらしい。さっきも男が言ったように、毎日何十人と死んでおり、累計で二千人から三千人くらい死んでいるそうだ。
これを聞く限りではこの流行病は危なそうに思えるのだが、死ぬのは年寄り、子供、病人が大半だそうだ。壮年の男女はほぼ死なないと信じられている。だからこそ、この男はのんびりとしているのだ。
「身内が死んだ奴や気の早い連中は、次々とここを出て行っている。俺も念のために嫁と子供は郊外の親戚に預けてるんだ。今も会ってきた帰りなんだよ」
「ということは、山のように死者が出たり、街の中に誰もいなかったりなんてことはない?」
「ははは! いくら何でもそりゃ言い過ぎだ! 毎日そこまで人は死んじゃいないし、街には人がたくさんいるよ。活気はないけどな」
今まで聞いた人の話は大げさだった模様。しかし、抵抗力の弱い人からたくさん死んでいることには違いない。そういう意味では、確かに流行病は猛威を振るっている。
「このハーティアには十万人か十五万人の人間が住んでいるんだ。その一割が周りに避難するだけでも、普通の都市ひとつ分の人間が動くことになる。だから大げさな噂が広がるのかもしれないな。おっと、俺の番だ。じゃぁな」
自分の番がやって来た男は俺達に挨拶をすると、検問所の兵士へ向かって歩いていった。
「確かにハーティアの人口なら、一割の人間が避難するだけでも大移動になるよな」
「ハーティアの四方に避難民が逃げたとしても、一方向あたり三千人から四千人になりますね」
「一方向だけでも、ゲートタウンの人口がそのまま移動することになるのか」
てっきり都市の人口が半減するくらいの勢いかと思っていたら、そうでもなかった。ただそれでも、周辺の街にとっては大集団の難民になるのか。
そのとき、俺達も兵士に呼ばれた。俺とアリーは馬を引き連れてそちらへと向かう。
流行病に気をつけないといけないことに変わりはないが、どうも必要以上に恐れなくてもいいらしい。俺達は内心安堵しながら兵士の検問を受けた。