冬の山越え~二人だけでの踏破~
非常に残念なことだが、俺の予想は当たってしまった。隊商に同行して三日目の朝、隊商が出発する少し前にあの初老の商人がこちらにやって来た。ご丁寧に護衛を二人付けている。
「今後の同行を認めてほしければ、同行料を追加で支払いなさい。以前の三倍で」
「先日聞いたときは二倍だったろ?」
「値段など、そのときその場で色々と変わるものですよ。あなた達のような冒険者にはわからないかもしれませんが」
話があるというので聞いてみたら案の定だった。護衛を二人付けているということは、こちらが暴れても対処できるようにというつもりだろう。奥の荷馬車に視線を向けると、みんなこちらを見ている。
初老の商人は相変わらず人の良さそうな笑顔を浮かべている。しかし、今回の笑顔は今までと違う。こちらを馬鹿にしたかのような意味が感じ取られた。
俺は隣のアリーに顔を向ける。アリーは黙ったままだったが、少しだけ頷いた。
「それじゃ、同行はここまでだな」
初老の商人と護衛の二人は俺の言葉に驚いた。そりゃそうだろう。こんな山奥で別れるなんてどう考えても自殺行為にしか見えないからな。普通は。
「本気で言っているのですか? ああ、値段交渉ですか。残念ですが──」
「もうお前達は必要ないって言っているんだ。耳が悪いのか?」
相手に最後まで話をさせずに俺は言いたいことを一方的に伝える。それに対して絶句した初老の商人だったが、ここにきてその顔から笑顔が消えた。
「そうですか。こんな雪山の中を二人でやっていけるとは思えませんけどね。まぁ、無関係な人がどうなろうと知ったことではありません。それでは、せいぜい後悔しながら凍え死ぬといいでしょう」
まだ驚いている護衛二人を置いて、捨て台詞を吐いた初老の商人は踵を返す。その場でじっとしているわけにもいかない護衛達は、最後に俺達を見ると初老の商人について行った。
「師匠、ついにやってしまいましたね」
「そうだな。ここからだとゲートタウンまでは二日か二日半か。こいつらの足に期待できるならそれ以下で山越えできるはず」
理論上はこれでどうにかなるはずだが、実際に試したことはないのでどうしても不安はある。しかし、もう賽は投げられた。
俺達はさっさと馬に乗ると、隊商に先んじて出発した。
二人での旅に戻ったので進む速度は好きに決められると思ったら、そう簡単にはいかなかった。確かに隊商と一緒に進んでいるときよりも速いが、速歩よりも遅い。雪で山道が見えにくくなっているので、急ぎすぎると滑落してしまう可能性があるからだ。
「吹雪かないだけましなんだろうけど、風が嫌だな」
今回の山越えは風がきつい。幸い天候には恵まれているが、そうでなければ立ち往生しているだろう。
そうそう、今回隊商から別れてしばらくして気づいたが、悪天候で足止めされたときのことを考えていなかった。人間だってじっとしていても空腹になるんだから、もちろん馬だってそうだ。一日動けなかったらかなり危ない。
しかし、今のところ足止めされるほど天候が悪くなる気配はない。山の天気は変わりやすいので油断は禁物だが、当面は歩み続けられると思えるのは助かる。
「あ、師匠。隊商がこちらに向かってきていますね」
はるか先の山道を歩いている隊商を見つけたアリーが、少し嬉しそうな声色で話しかけてきた。
もっと頻繁にすれ違う隊商と出会うかと思っていたが、さすがに冬だけあって交通量が少ない。今日初めて出会う隊商だ。
俺は先頭の荷馬車に乗っている御者に話しかける。すると、運良く止まってくれた。
「何だお前ら。二人だけなのか?」
「ああ。急ぎの旅でな、ハーティアまで行かないといけないんだ」
雪山を二人連れで旅していることを不思議がっていた御者の男は、ハーティアという言葉を聞いて驚いた。
「ハーティア? あそこは今、流行病で大変なことになってるぞ」
「知っている。それでも知り合いがいるから行かないわけにはいかないんだ」
俺の話を聞いた御者の男は一瞬俺達二人に同情の視線を向ける。
「それで、何の用なんだ?」
「馬に食わせる飼い葉を分けてくれないか? 分けられるだけでいいから」
飼い葉の話をすると、御者の男はどうして話しかけてきたのか納得したようだ。
そのとき、後方からひとりの男が歩いてきた。隊商の商人に様子を見に行くよう命じられたらしい。そこで俺は飼い葉を分けてほしい旨を伝えると、商人と交渉するように返された。
男に案内されて商人と会ってこちらの話をしたところ、残念ながら分けてもらえなかった。その商人は理由を教えてくれる。
「悪いな。流行病を避けてハーティアから来た連中が、ゲートタウンに押し寄せてきていてな。物不足で必要な物を必要なだけ買い付けるだけでもやっとだったんだ」
相場よりも高い値段をふっかけられるとは思っていたが、流行病のせいで飼い葉を買えなくなるとは思わなかった。
「俺達は友人を訪ねにハーティアへ行くつもりなんだけど、そんなに危ないのか?」
「今はハーティアに行かない方がいい。まともな連中ならとうの昔に避難しているだろう。ゲートタウンにいるかもしれないから、まずはそこで探した方がいいぞ」
スカリーとクレアから聞いた話だと単に流行病がハーティアで発生したということしかわからなかったが、この商人の話によるとかなり深刻なことになっているらしい。こんな話を聞くと不安になってくるよな。
「後ろにいる隊商の旦那方にも話をさせてくれないだろうか?」
「ああいいよ。無駄だとは思うけどな」
優しいことにこの商人は、部下のひとりを俺達につけてくれた。そして、全部で五つの隊商から構成されているそうなのでひとつずつ回って見たところ、最後の隊商で少ないながらも飼い葉を分けてもらえた。通常の三倍の値段を求められたけど、事情を知ると文句も言えない。
「よかったじゃないか。少ないながらも分けてもらえて」
「全くだ。助かったよ、ありがとう」
ついて来てくれた部下の男に礼を言う。その横では二頭の馬が飼い葉を一心不乱に食んでいた。
馬が飼い葉を食べている間に、俺は部下の男と共に先頭の隊商へと戻る。そして、一言礼を言って踵を返した。
馬が全ての飼い葉を食べ尽くす頃には、ヒューマニアへ向かう隊商の集団は最後尾の荷馬車も動き出していた。俺達はその隊商が去って行くのをしばらく眺めていた。
もっと飼い葉がほしいとねだる馬を宥めてから、俺とアリーは再び山道を南へと進んでゆく。前までは心配していた馬の体力も少しは回復したはずだから、天候さえこのままなら山越えは確実にできるはず。
ヒューマニアを出発して四日目、予定では今日中に大北方山脈を抜けられるはずだ。そう信じて山道を進んでいると、昨日までと違って北上する隊商の集団とぽつぽつすれ違うようになる。
飼い葉目当てでいちいち隊商の集団を止めて交渉していたが、成果はほぼなかった。代わりにゲートタウンとハーティアの状況を教えてもらう。
ゲートタウンは、現在ハーティアからの難民が多数押し寄せているらしい。それによって一時的に街の人口が倍くらいになっているそうだ。まだ今は混乱しているだけだが、長引くと極度の物不足と治安の悪化が顕在化するので、更に別の場所に避難する者も現れていた。
一方、ハーティアの様子は、流行病に罹った病人で溢れかえっているという情報とみんな逃げ出して静まりかえっているという情報が錯綜している。ただ、どちらにしても王都は完全に活気を失い、治安も悪化しているという。
「何にせよ、状況はかなり悪そうだな」
「話によると、流行病が発生してから二ヵ月が過ぎているんですよね。ノースフォートみたいに初期の段階で止められなければ、酷いことになっているでしょう」
もう少しで山を越えられるというところで、俺とアリーは野宿ををしていた。魔法で火をおこして暖を取りながら、俺達は今日一日で聞いた話を整理する。
ノースフォートのときは、俺がインフルエンザもどきに罹った患者を片っ端から治しただけでなく、早い段階で病気の発生源を除去できたから最悪の事態を免れた。しかし、あれができていなければ、今伝え聞くハーティアのように大変なことになっていたわけだ。
これはハーティアが不幸だというよりも、ノースフォートが幸運だったというべきだろう。何しろ、普通は流行病の発生源を素早く特定して除去し、発病した患者を毎日何百人も完治させることなんてできないからだ。それだけに、現在のハーティアの様子を想像すると暗澹としてしまう。
「師匠、このままハーティアへ向かうのですか?」
「ああ。一度は行ってみる。やらないといけないこともあるしな」
シャロンの安否を確認するという理由ももちろんあるが、根本的な動機としてフールを探すという目的がある。今回の流行病が自然発生したものならばともかく、そうでなければフールは必ずそこにいるはずだ。ノースフォートでちらりと見かけた正体不明な奴がフールだったならば。
問題は見つけてどうするかなんだよな。何しろ今の俺は、ようやくフールをきちんと殺せる手段を見つけたばかりで、まだろくに扱えない。恐らく当たれば死ぬんだろうけど、黙って切られてくれるわけはないしなぁ。
それじゃどうしてフールを探しに行くのかというと、俺の使う捜索で奴を本当に特定できるのかを確認するためだ。直接視界に入ると輪郭がぼやけて見えたり圧迫感を感じたりするのはわかっている。しかし、捜索を使って探したことはまだない。だから実際に試してみるためにハーティアへと赴かないといけないのだ。
こういった事情があることを説明するとアリーも納得してくれた。
「流行病の中へ突っ込むことになるから、俺ひとりで行くのが一番いいんだろうが──」
「そんなことをされては、私が付いてきた意味がありません」
多少不機嫌になったアリーが途中で反論してくる。
「そんなことはないだろう。スカリーやクレアだって別行動で働いてくれているぞ。あれみたいにゲートタウンで行動してくれてもいいと思うが」
そういえば、もうすぐ三月になるんだよな。勇者の剣の返還式典はもう終わっているはず。あの二人は今どうしているんだろうか。デモニアを出発してからは水晶を使っていないからわからないな。
わずかな間だったが物思いに耽っていた。それから改めてアリーに視線を向け直すと、更に不機嫌になっていた。
「私は嫌です。一緒に行きます」
そう一言主張すると、口を尖らせたまま黙る。どうしてそこまで不機嫌になるんだよ。
寒い中、俺は寝るときまでアリーに機嫌を直してもらうために、色々と言い訳をしなければならなかった。
翌日、多少天気は悪かったものの、旅をするのに支障はなかった。
ようやく大北方山脈の南側へと抜け出せた俺達は、その標高二千アーテムから見下ろす。はるか彼方の地平線がごくわずかに丸みを帯びている。山道を目で追ってゆくと街道となり、その先に小さな街が見えた。あれがゲートタウンだろう。
こういう風景を見ると、自分がちっぽけな存在に思えるというのは本当らしい。俗世間のことなんかどうでもよくなってしまう。しかし、再び山を下りたらいつも通りになるのだから、俺の感想もそんな程度でしかない。
いつまでも景色を眺めているわけにはいかないので、俺とアリーは馬を進める。ここからだと半日程度でゲートタウンに着くだろう。
山道を降りきる頃になると、すれ違う隊商の集団が現れる。もうすぐゲートタウンなので、飼い葉を求めるためにいちいち相手を止めることはしない。ただ、馬に乗った二人連れが冬の山越えをしてきたのが珍しいらしく、みんながこちらを眺めていた。
ゲートタウンへは昼頃に到着した。ヒューマニアから四日半、道中危険を冒した割には半日しか短縮できていない。まぁ、いきさつを考えるとこんなものだろう。もう馬に無理をさせなくてもいいので一安心だ。
街の中は人でごった返していた。しかし、景気が良くて人が溢れているのではなく、難民が押し寄せてきて人の数が一気に増えただけだというのが一目でわかる。街の雰囲気に余裕がないのだ。
「師匠、これからどうします?」
「まずは馬を預けよう。数日は休ませてやりたい」
山越えで無理をさせたのだ。ここで充分な休養を取らせないといけない。
俺達は旅人の馬を預かってくれる厩舎に馬を預けた。値段は一日あたり普段の二倍だ。これはなかなかきつい。
「こうなると、宿は大変なことになっているんだろうな」
「泊めてもらえるのか不安ですよね」
アリーの言う通りだった。数軒回ってみたがどこもいっぱいだ。特に安宿はその傾向が強く、部屋が空いていそうなのは普段泊まらないような宿泊料の高い宿ばかりである。しかも値段は倍以上だ。泣けてくる。
そうして探すこと二時間、やっと一部屋だけ空いているところを見つけた。途中から難民が押し寄せてきている安宿は諦めて、中程度の宿に的を絞った末だ。宿探しでこんなに苦労したのは初めてだぞ。
「あの、師匠」
「わかっているからそれ以上は言うな」
俺とアリーは今、同じ部屋にいる。これから数日間過ごす部屋にだ。二人で。
何しろ二時間かけて一部屋しか取れなかったのだ。しかも料金は通常の四倍である。
これは仕方がない。どうにもならないことなんだが、基本的に異性に慣れていない者同士での相部屋なので、変に相手を意識してしまう。どうしよう、落ち着かないと。
「とりあえず、これから何日かここで過ごすことになるから、いくつか規則を決めておこう。何かあってからじゃ遅いからな!」
「そ、そうですね!」
野宿のときは当たり前のように肩を寄せ合って寝ていたこともあったのに、どうして一緒の部屋というだけでこうも心証が違うんだろうか。そんなことを考えながら、俺とアリーは相部屋をするにあたって必要なことを話し合った。