『勇者の剣』の所有者
日々の政務が終わったということで、俺達四人はジルの案内でレティシアさんの執務室へと向かう。てっきりジルと一緒に俺達のいる部屋へ来ると予想していたが外れた。
中に入ると、人間や魔族の執務室よりもずっと質素だ。必要最低限のものさえあるか怪しいくらいである。しかし貧相に見えないのは、室内全体の木造加工品が上品だからだろう。日本人ならむしろ落ち着けるかもしれない。
そして、中には机の奥に座っているレティシアさんの他に、使用人らしきエルフがひとり、剣を両手で抱えるように携えて脇に控えている。護衛なんだろうか。
「よく来てくれました。ジル、ありがとう」
「ふふん、これくらいお安いご用よ!」
レティシアさんのお礼にジルは気を良くしている。実際は単にパシられているだけなんだけど、知らない方が幸せそうだから黙っておくとしよう。
「ジルから話は聞きました。魔方陣の設置が終わったそうですね」
「はい。今回の転移先は魔界のデモニアにある、ライオンズ家です。隣りにいるアリーの実家ですよ」
「まぁ!」
俺の話を聞いてレティシアさんは嬉しそうに喜ぶ。ジルも上機嫌だ。
「それで、いつ転移するのですか?」
「連絡用の水晶で先ほど先方と話をして、とりあえず今日の夕方ということにしています。夕食を共にする用意をされているそうですよ。都合が悪ければ予定を変更しますけど」
「いいえ、そのままで構いませんよ!」
明らかにレティシアさんのテンションが上がってきている。すると、ジルがにやにやしながらレティシアさんに近づいてゆく。
「うわぁ、レティ嬉しそう!」
「いいではありませんか。数百年ぶりの外出なんですよ」
「そっか。ようやくレティも森の外へ出るんだね~」
「何を他人事みたいに言っているんですか。あなたが政務を放り投げたから、私がここでかかりきりになっているのですよ?!」
どうもやぶ蛇だったらしく、拗ねたように怒るレティシアさんの怒りをジルは一身に浴びることになってしまった。そしてすかさず俺の後頭部へと退避してくる。
「いーじゃない、今日は出かけられるんだから!」
「全く、ジルはいつも調子がいいんだから」
大森林の外へと出られるという喜びが勝るのか、ジルに対する追求はほとんどなされなかった。
その代わり、何かを思い出したかのようにはっとした表情になると、改めて俺の方へと向き直る。
「ごめんなさい。大切な用事があったから来てもらったのに、すっかり忘れてしまっていました」
「あはは、レティ浮かれてるね~」
「ジル、あなたには留守番をしてもらいます」
「うわ~ん、ひどーい! レティの横暴!」
茶々を入れたジルが反撃を食らって騒いでいる。レティシアさんの頭の上をぐるぐると回り始めた。いかん、このままだと話が進まない。
「ジル、とりあえず後にしてくれ。先にレティシアさんの話を聞きたい」
「あたしも連れて行ってくれる?」
「いい子にしていたらな。話の腰は折るなよ?」
俺の言葉を聞いたジルはおとなしく、俺の後頭部へと戻った。そして、レティシアさんに視線を向ける。
「ありがとうございます。ジルったらすぐに騒ぐものですから、いつまでも話が進まなくて」
「レティシアさん、そんな母親みたいなことを言っていると、またジルが絡んできます。用件は何でしょうか?」
俺の言葉に少し頬を赤くしたレティシアさんが、気を取り直して姿勢を正す。
「お話というのは、かつてユージが眠っていた剣に関してです。これをあなたにお返しします」
脇に控えていたエルフに目配せをすると、そのエルフは俺に剣を差し出してくる。
「これって、ライナスが持っていた真銀製長剣ですよね?」
「はい。私達がこれを預かっていたのは、あくまでもあなたがその中で眠りについていたからです。しかし、あなたが人間に転生し、我らがフォレスティアへ訪れてきた以上、もうこの剣を預かっておく理由はありません」
思わず受け取ってしまった長剣を眺めた。かつて散々ライナスがこの剣を振るうところを見てきたが、それを今俺が手にしている。
「あの、それって『勇者の剣』ということですか?」
クレアが恐る恐る俺とレティシアさんに尋ねてくる。ライナスの子孫であるクレアからすれば、現在実家にない唯一のご先祖様の武具だ。
「『勇者の剣』とは、その剣のことですか?」
「はい。わたしのご先祖様である勇者ライナスが使っていた剣のことを、わたし達人間はそう呼んでいます」
「そうですか。呼び方がどうであれ、私達としては持ち主に返すだけです」
レティシアさんの反応は薄い。人間の勇者なんて言われても、エルフには関係ないもんな。あくまでも、ただの真銀製長剣でしかないだろう。
「それで、ユージ先生はその剣をどないするつもりなんや?」
「どうするつもりって?」
「いやだって、クレアが物欲しそうにしとるやん」
「誰が物欲しそうにしているっていうのよ! 人を欠食児童みたいに言わないで!」
スカリーの言いようにクレアが思わず反応する。それはそれで面白いが、確かにスカリーの言う通り、俺はこの剣をどうすればいいんだろう。俺が剣の使い手だというのならこれを主力武器にするのもひとつの方法だけど、実際はそうじゃないしなぁ。
「しかし、本来の持ち主であるライナスが既に亡くなっているのだから、別に師匠がもらってもいいのではないのか?」
「いやぁ、それがな、アリー。この剣は、勇者ライナスの子孫であるホーリーランド家にとったら家宝なんや。そやから、そう簡単に人に譲るわけにはいかんねん」
その通りだ。しかも厄介なことに、ライナスは俺が目覚めるまで預かってほしいと言っていたらしいんだよな。そうなると、今のこの剣の持ち主は誰なのかということになる。まぁ、一般論で言えば、この剣だって財産になるんだし、ライナスの子孫に返すべきだよなぁ。
「そうだ。クレアはフォレスティアから人間界に戻ったら、実家と話し合ってレサシガムにいられるようにしたいんだよな?」
「はい。レサシガム教会の治療院で奉仕活動をするという名目で、何とかならないか話をしてみるつもりですけど」
「だったら、この剣を家に持ち帰った功績も追加できたら、より確実に交渉できるか?」
クレアの表情が驚きで染まる。残念ながら、この剣を活かせる腕を持った戦士はここにいないから、この剣もこのくらいにしか役に立たない。かなり切れ味はいいんだけどな。実に惜しい。
「あの、いいんですか?」
「いいよ。どうせ俺は大して剣を使えないし。せめてカイルがいたらまた違うんだけど」
まぁ、いない人物のことを言っても仕方ない。俺は受け取った真銀製長剣をクレアに渡した。
「ありがとうございます!」
クレアは『勇者の剣』を両手でしっかりと握りしめながら、心底嬉しそうに俺へと何度も礼を述べてくる。珍しく興奮しているらしい。
「へぇ、てっきり自分のものにすると思っていたのに、ユージったら太っ腹ねぇ!」
未だに俺の後頭部に貼り付いているジルが、俺の脳天を小さい手でぺちぺちと叩いてくる。地味に痛い。
「お、話はまとまったようやな。ええこっちゃ!」
「さすが師匠、気前がいいです」
残念ながらおだてても何も出ないですよ。基本的に貧乏人だからな。
「穏便に問題が解決して何よりですね。あとは夕方になってからアリーの実家を訪問するだけです」
剣を俺に渡した時点で自分の役目は終わったとばかりに黙っていたレティシアさんが、俺達に声をかけてきた。
「ねぇねぇ、ユージ。いつ向こうへ行くの?」
「う~ん、空が赤く染まる頃かな。だからまだ少し早いぞ」
「なら、今から別荘へ向かいましょう。あそこまで三十分くらいかかりますから、ちょうどいいのではないですか」
今回はいつになくレティシアさんが積極的だな。周囲を見ると、そう感じているのは俺だけではないらしく、ジルはもちろん、スカリー、クレア、アリーも微笑みながらレティシアさんを見ている。
「な、なんですか、皆さん」
「ふふん、言ってほしい?」
代表してジルが上から目線な態度で問いかける。すると、レティシアさんは顔を赤くした。
「さ、さぁ、皆さん! 今すぐ行きますよ!」
怒ったように立ち上がって廊下へと向かうレティシアさんだが、明らかに照れ隠しなのがわかる。俺達はにやにやしながら、その後をついていった。
積極的なレティシアさんに引っぱられる形で、俺達は魔方陣の設置してある別荘へと向かった。日がだいぶ傾いてきたので、フォレスティアに漂っている精霊の輝きが強くなる。
意外だったのは、レティシアさんが屋敷の外へ出ても護衛が全くつかないことだ。フォレスティアで一番偉いんだから何人かで守って当然だと思っていたのにな。それについて質問すると、
「フォレスティアで危険なんてありませんよ。同じエルフが私を害することなんてありませんし、獣もこの都市に入ってくることはないですから」
と当然のように返事をしてくれた。
なるほど、これはフールがやって来ると危険だな。エルフに乗り移られたらどうにもならなさそうだ。
別荘の中に入って魔方陣の描かれた部屋にたどり着くと、レティシアさんから驚きの声が上がる。
「これが転移の魔方陣ですか。大きいですね。それと、この文字は魔族語でいいのですか?」
「そうですねん。こっちの文字が魔方陣の起動で、あっちが魔力を制御するための文字で──」
しゃべっているうちに疑問点が湧いて出てきたらしく、質問を次々とぶつけられる。さすがに俺では理論のことはわからないので、スカリーに説明してもらった。
「ふふふ、説明ありがとう、スカリー。この魔方陣を作った魔法使いは優秀ね」
俺もそう思う。これを二百年前に魔王軍の侵攻で使われていたら、間違いなく人間側は負けていただろう。そう考えると、ベラという魔法使いは本当に魔王を利用するだけだったんだな。
魔方陣に対する質疑応答が一段落すると、俺は改めてジルとレティシアさんに向き直って確認のために声をかける。
「念のために再度確認しておきますけど、二人揃ってライオンズ邸を訪問するんですね? この街で最も偉い人が二人ともデモニアに行くわけですけど、大丈夫なんですか?」
「本来なら良くはありませんけど、行って戻ってくるだけなら構わないでしょう」
「そうだよユージ。いざとなったら歩いて帰ればいいじゃない!」
飛んでいるジルにそんなことを言われても全然説得力はないんだけどな。
ともかく、最後の確認はこれでできた。あとはデモニアのライオンズ邸にまで転移するだけだ。
「それじゃみんな、魔方陣の中央まで移動して」
俺の言葉に従って、スカリー、クレア、アリー、レティシアさん、そしてジルが一斉に歩き出す。尚、ジルはレティシアさんの肩にくっついている。もちろん俺も魔方陣の中へと向かった。
「さぁ、ユージ! 出発よ!」
待ちきれないといった様子のジルが俺に早く転移するよう促してくる。
「はいはいわかったって」
苦笑しながら俺は魔方陣を起動させる呪文を唱える。すると、魔方陣が光り輝いた。続いて魔方陣の外の景色が白く霧がかかったかのようになり、ついには真っ白となって何も見えなくなる。しかしすぐに、その白色は薄くなってゆき、周囲の様子がはっきりとしてきた。
そこは石造りの部屋だった。光明の魔法で照らし出されているのでよく見える。そして目の前には、オフィーリア先生に仕える老執事の姿があった。
「皆様、お待ちしておりました。フォレスティアからいらっしゃったジル様、レティシア様、初めまして。ライオンズ家のオフィーリア様にお仕えしている、ベネディクト・ウィルモットにございます」
「私はフォレスティアの長を務めているレティシアです。そして、私の肩におりますのがジルです。お出迎え、ご苦労様です」
「ジルだよ!」
恭しく頭を垂れるウィルモットさんに、堂々と挨拶を返すレティシアさんと物怖じせずに返事をするジル。俺なんて驚いて「あ、はい」としか返せなかった。
「爺、よく私達が今来ることがわかったな」
「ははは、そろそろいらっしゃる頃合いかと思っただけでございます」
こっちは夕方としか言っていないのに凄い勘だな。俺の勘はそこまであてにはできない。
「それでは、御屋形様のところまでご案内いたします」
ウィルモットさんはそう伝えると、部屋の扉を開けて俺達に出るように促してくる。ここに止まる理由もない俺達は、それに応じて部屋を出た。