3つ目の魔方陣
ジルとレティシアさんの協力が得られるようになって、フールを倒すための下地に厚みが増した。協力者はオフィーリア先生、エディスン先生、サラ先生、ジル、レティシアさんとなる。魔族、幽霊、人間、妖精、エルフと種族が見事にばらばらだ。これなら何らかの方策が見つけられそうな気がする。
「レティシアさん、魔方陣はどこに描けばいいでしょうか?」
話がまとまった翌朝、朝ご飯を食べ終わってから俺はレティシアさんに設置場所を尋ねた。試験をしてきちんと使えることを確認するために、まずは二つの魔方陣を描かせてもらうことは昨晩のうちに話してある。
「ひとつは実際の運用に使うのですよね。でしたら、私の別荘がいいかしら」
「あそこだと、余計な口出しをされることはないもんね!」
レティシアさんから別荘という言葉を聞いて俺は少し驚いた。エルフにもそんなのがあるんだ。原則として必要な物を共同で作る社会だから、別荘なんてあるとは思っていなかった。
「別荘があるんですか? ああいえ、あって当然なんでしょうけど」
「別荘とは言っても、人間の貴族が持っているような別荘とは違いますよ。私の所有物ではなく、フォレスティアの長に与えられるものですから。それは、この屋敷も同じです」
クレアが遠慮がちにした質問に対して、レティシアさんは笑顔で答えてくれる。なるほど、個人の所有物ではないということか。
「とゆうことは、その別荘に二つ魔方陣を描いたらええんですね。あ、それなら、本番用はうちが描くから、もうひとつはユージ先生かアリーが描いてくれへんか?」
「なぜ私と師匠なのだ?」
「だって、うちとクレアはフォレスティアから戻ったら、もう一緒に旅ができひんやん。そやから、今後も旅先で魔方陣を描けるようにしとかんといかんやろ?」
スカリーの指摘に俺は思わず唸った。そういえばそうだよな。この問題は何とか解消しておかないと今後困るよな。
「そうだな。俺とアリーの最低どちらかは描けるようにならないとな。よし、それじゃ、デモニアに戻ったらオフィーリア先生に指導してもらうことにしよう」
「そうですね。さすがに今すぐ描けるようになるとは思えません」
以前描いたときは実用に耐えないと判断されてしまったからな。あれから練習していないんだし、使える魔方陣が今描けるとは思えない。
「あはは、ユージったらダメねぇ!」
「レティシアさん、魔方陣の転移確認実験にジルを使っていいですか?」
「はい、どうぞ。好きなようにしてください」
「ちょっ?! レティ酷い!」
「あら? 魔方陣で転移したかったのでしょう?」
「違うよ! 魔方陣を使ってどこか別の場所に行きたいの! 転移すること自体が目的なわけないじゃない!」
余計な感想を口にしたジルを、尊い人身御供として提供してもらう約束をレティシアさんから取り付ける。ジルは『口は災いの元』という諺を知らないようなので、この機会に身をもって知ってもらうことにしよう。
政務があるレティシアさんが仕事に向かうと、俺達は必要な道具を持ってジルに案内されて別荘へと向かう。昨日よりもましになったとはいえ、相変わらず精霊をまとわりつかせているせいで注目を浴びながらだが、これはもう諦めた。
別荘はフォレスティアの南端にあった。人間や魔族の常識からすると、そもそも都市が防壁に囲まれていないというのが驚きである。しかし、同族に襲われるという心配がないこともあって、フォレスティアという街と森の境は曖昧だ。
「ここだよ!」
ジルが案内してくれたのは一本の巨木だった。エルフの住処は巨木に作られることが多いので、目の前の大木を紹介されても不思議ではない。
その巨木は全体的に斜めに向いている。この辺りの木はまっすぐ上に伸びている木が多いので珍しい。主な住居は十アーテム以上も上にあり、その傾いた幹を伝って行くようだ。しかし、さすがにそのままでは危ないのだろう、幹には別荘まで登りやすいように階段が付け足してあった。
俺達はジルに導かれてその幹を登る。
「へぇ、造りは他の家と変わらなさそうね」
クレアが興味深そうに周囲を見回す。基本的に住めたらいいという態度みたいだから、エルフとしてはこれで充分なんだろう。
俺達はそのままくり抜かれた巨木の内部へと入ってゆく。別荘の中心だ。中の作りはレティシアさんの屋敷と変わりない簡素なものである。ただ、住居としての規模が小さいだけだ。
「えっとね、こことひとつ下の部屋に魔方陣を描いて。下へはあっちの階段から行けるから」
直径十五アーテム程度の部屋の隅に、上と下に続く階段が木製の壁に貼り付くようにして続いている。
「それじゃ、うちは今から下の階で魔方陣を描いてくるわ」
「なら俺とアリーはこの部屋で魔方陣を描こうか。どうせ待っている間は暇なんだし、練習しておこう」
今の俺とアリーが描いた魔方陣が使い物になるかはかなり怪しいが、どのみち数をこなさないといけない。ということで、スカリーが描いている間、暇潰しがてらに魔方陣を描くことにしたのだ。
「それじゃわたしはどうしようかな」
「ねぇ、クレア。あたしが森の中を案内してあげるよ! どうせお昼ご飯も取ってこないといけないんだし」
そういえば、昼ご飯をどうするか考えていなかったな。レティシアさんの屋敷からここまで三十分くらいかかっているはずだけど、正直なところ戻るのは面倒だ。
「そうしてもらえると助かる。私と師匠の二人がかりで描いてもスカリーには敵わないから、食べ物を探している余裕はないだろう」
「わかったわ。それじゃ、ジル、お願い」
「ふふん、任せなさい! おいしい果物があるところを教えてあげる!」
嬉しそうにジルがクレアの近辺を飛び回る。これで食べる物には困らないだろう。
それから俺達は手分けして作業を始めた。
スカリーは二時間くらいで魔方陣を描くのに対して、俺は六時間で使えない魔方陣しか描けない。ただ、今回は半分をアリーに描いてもらうので、単純計算で作業時間は半分になるはず。
実際に作業を進めてみると、予想通り俺達がまだ描いている途中でスカリーが俺達の部屋まで登ってきた。
「お、ユージ先生、前よりかは上手に描けてますやん」
そして、にやにやしながら評価してくるんですよね。でも、魔法理論や魔方陣に関してはスカリーの方が上なので何も言い返せない。地味に悔しいです。
「スカリー、私と師匠が描いた魔方陣は使えそうなのか?」
「う~ん、そうやなぁ。まぁ、物を転移させる試験なら使えるんと違うかな。人を転移させる試験はもういらんやろうから、これでええんとちゃうかな」
腕組みをしたスカリーが頷きながらアリーに返答する。
「人を使った試験はいらないのか?」
「さすがにもう慣れたから大丈夫ですって。それに、物の移動ができたら人の移動もできますもん。だって魔方陣にとっては、転移させるんが人か物かなんて関係ないんですから」
そういうことか。スカリーの説明を聞いて俺は納得する。
それから俺とアリーは、スカリーの監督の下に魔方陣の残りの部分を描いた。しばらくしてクレアとジルが戻ってくる。
「たっだいまー! おー、できてるじゃない!」
「たくさん取ってきたから、結構重いわ」
元気いっぱいに挨拶をしてきたジルに比べて、俺達五人分の果物をひとりで運んできたクレアはなかなかつらそうだ。袋を床に置くと自分も膝をついた。
クレアを労りつつも俺達は早速袋の中の果物に手を伸ばす。レティシアさんの屋敷で食べたものもあれば、初めて見るものもある。俺は初見のひとつを手にとって齧り付いた。あ、かなり甘い。
「ねぇねぇ、魔方陣が描けたんだから、もう転移できるんでしょ?」
「試験をしてからだ。これと下の階の魔方陣でちゃんと物を移動させられたら、完成だな」
しゃくしゃくと梨に齧り付いているジルに俺は釘を刺す。こいつは放っておくとぶっつけ本番でやりたいと言い出しかねない。
「それじゃ、上手くいったら昼過ぎには使えるのよね!」
「試験が終わった後は、夕方にレティシアさんがこっちへ来てから起動させるつもりだぞ」
「えー、どうしてすぐにしないのよぅ」
「お前、相手側の都合を全く考えていないだろう。いきなり来訪されてきた向こう側の身にもなってみろ」
「歓迎すればいいだけじゃない」
駄目だ。社会的な常識なんて妖精にはないから、こういうところだと話が全くかみ合わない。
「師匠、それで転移先は私の実家かペイリン家のどちらにするのですか?」
「ライオンズ家にする。ほら、連絡用の水晶をレティシアさんに渡したいから」
俺達の計算とレティシアさんの話を付き合わせると、既に新年を迎えているらしいことがわかっている。オフィーリア先生からこの水晶をもらったのは二ヵ月くらい前になるので、もう新しい水晶は完成しているだろう。
「まぁ、何にせよ、今日中には使えるようになるんやし、そんな急がんでもええやん、ジル」
「えー、早く使いたいなぁ」
バナナを囓るスカリーにも宥められてしまい、ジルはとても不満そうだった。
物を転移させる試験も無事に終わると、俺達は試験用の魔方陣をきれいに消した。それから俺達はレティシアさんの屋敷へと戻る。そして、レティシアさんの政務が終わるまで待った。
ジルも含めて五人でのんびりと談笑していると、途中、レティシアさんの使いがジルを呼び出しに来た。嫌そうな顔をしつつも部屋から出て行くジルを見送りながら、俺達は尚も珍しいフォレスティアについての話で盛り上がる。
「そうだ。師匠、水晶を使って先にお婆様に連絡をしておきませんか? あらかじめ赴くことを知らせておけば、お婆様も準備をすることができるはずです」
アリーに指摘されるまですっかり忘れていた。ジルに偉そうに言っておきながらこの態度は恥ずかしい。
「そうだな。オフィーリア先生にも都合があるだろうしな」
俺は背嚢から連絡用の水晶を取り出すと起動の呪文を唱える。すると、魔力を流し込まれた水晶が淡く点滅しながら輝く。これ、相手が反応してくれないと通じないのだ。
しばらくすると、水晶から一アーテムくらい離れたところに一アーテム四方の映像が現れ、オフィーリア先生の姿が映し出された。
『久しぶりね、ユージ、アリー、スカリー、クレア。フォレスティアには無事に着いたかしら?』
水晶越しに聞こえるオフィーリア先生の声は、直接会って話すときと遜色がない。
「はい。二日前について、ジルとレティシアさんに会いました。そして、フール討伐に協力してもらえることになりました」
『まぁ、それは吉報ね!』
喜んでくれているオフィーリア先生にに俺があらましを説明した。こちらの想定通りの結果だったので文句なしの成果だ。
「お婆様、それと魔方陣の設置も許可していただき、既にスカリーが描いてくれました。起動試験も済んでいますので、後はそちらへ向かうだけです」
『まぁ、手際の良いこと。それで、いつどなたがこちらにいらっしゃるのですか?』
そこで俺達は顔を見合わせる。俺達四人は行くとして、ジルとレティシアさんはどうなんだろう。
「ジルは絶対に行きたがるよな」
「そうなると、レティシアさんですよね。あの方はどうなのかしら?」
「ん~、やっぱり来たがるんと違うかなぁ。ほら、うちらに協力を促したときのジルの口説き文句を覚えてるやろ?」
「しかし、フォレスティアにとっての重要人物二人が、どちらもデモニアに向かうのだろうか?」
本人に何も確認していないから、今のところは何とも言えない。さて、オフィーリア先生には何と返事をしようか。
『では、とりあえず二人ともいらっしゃると考えておくべきね。それで、いつ頃いらっしゃるのですか?』
「夕方頃になると思います」
『まぁ、それなら夕食の用意もしなければいけないわね。かつてジルから聞いた話だと、妖精もエルフも肉類は食べないということでしたけど、正しいかしら?』
「はい、そうです」
『わかりました。それでは、こちらもお迎えの用意をしておきますわね』
その後しばらく雑談をしてから、俺達は水晶を停止させた。
「ユージ先生、これほんまに凄いなぁ。今のデモニアと通じてたんやろ?」
「わかってはいたけど、実際に使ってみると便利どころの話じゃないわ」
「これがあれば、どこにいても心強いですね」
三人の言う通りだ。本来なら何ヵ月もかけて旅をしないと話ができない相手と簡単に会話ができる。魔方陣共々非常に便利な道具だ。
しばらくそうやって話をしていると、ふらふらとジルがやって来た。
「あ、いたいた! みんな、レティが執務室に来てって呼んでるわよ!」
俺達を見つけるなり、ジルは元気よく声をかけてくる。しかも呼び出しだ。
「レティシアさんの仕事はもう終わったのか?」
「うん、終わったよ。ふふふ、あたしの見たところだと、早く魔方陣を使ってどっかに行きたいからだと思うな!」
つまり、無理矢理仕事を切り上げたということなのか。ジルの勘は鋭いときがあるので、案外本当なのかもしれない。
「ほら、早くついて来て!」
本当のところはどうなのかわからないが、単に待っているだけよりかはずっといい。俺達はジルに案内されてレティシアさんの執務室へと向かった。