延々と続く大森林
今、俺達四人の周りには溢れんばかりの妖精が群がっている。これが数体くらいだったら異種族交流ができて楽しいと言えるんだろうけど、数え切れないくらいの妖精に囲まれてしまっては、そんな暢気なことは言っていられない。かつて魔王討伐隊のひとりが「火に群がる羽虫みたいだ」と言っていたが、あの表現は正しい。
スカリー、クレア、アリーの三人は、初めてな上にいきなりこれだけたくさんの妖精を目の当たりにして、驚いたり珍しがったりしている。しかし、それも今のうちだ。珍しさがなくなると鬱陶しいだけである。俺は前世で体験済みなので、そんなことは最初からわかっていたからため息をつくばかりだった。
「ユージ先生、すごいですね!」
「好奇心旺盛な妖精が警戒心をなくすと、大体こんなふうになるらしい」
ジルから教えてもらったことだ。本人を見ていたらよくわかる。
この辺りなんて人間や魔族がやって来ることはまずないだろうから、余程珍しいんだろう。ただ、いつまでもこのままというわけにはいかない。
「みんな、ちょっと離れてくれないか。このままじゃ話もできない」
悪気があるわけじゃないので邪険にもできず、俺は柔らかくお願いをしてみる。すると、みんな根は素直なのである程度距離をとってくれた。よしよし、いい子いい子。
「ねぇねぇ、あなた、なんていう名前なの? どこから来たの?」
「これ人間っていうのよね? どうしてここにいるの?」
「あっちは人間と違うのかな?」
こちらの言うことは一応聞いてくれるみたいだが、旺盛な好奇心を抑える気はないらしい。四方八方から質問が飛んでくる。当然言葉は精霊語なわけだが、俺以外の三人には何を言っているのか全くわからない。
「師匠、私は妖精の言葉が使えません。通訳してください」
「うちもさっぱりや! 魔族語なら片言くらいはいけんのにな!」
「せっかく話しかけてきてくれているのに!」
眺めているうちはよかったみたいだが、言葉が通じないのに話しかけられて三人とも戸惑っていた。
「あ、馬の形の土の精霊だ。前にもいたよね?」
たくさんの妖精が話しかけてくる中、ジルの半分くらいしかない女の子の妖精がそんなことを質問してくる。俺は驚いてその妖精に目を向けた。
「これを知っているの?」
「うん、前に見たあのときも人間が四人いたよ。あと変なのも」
四人はライナス達のことだろう。そして変なのは前世の俺に違いない。しかし変なの扱いか。まぁ、実際変な存在だったんだからしょうがないよな。
俺がその女の子の妖精と話をしていると、今の会話に触発されたのか、二百年前に人間と会ったことがあると名乗り出る妖精がちらほらと現れる。このいい加減さを怒る気はない。妖精というのはこんなものだからだ。
そこからは、俺とかつてライナス達と会ったことのある妖精、そして今回初めて人間を見る妖精で言葉が盛大に飛び交った。スカリー達三人は蚊帳の外である。自分達の言葉がわからないと妖精達が理解したからだ。
そうして約一時間ほどで、妖精の聞きたかったことには大体答えることができた。
「疲れた……」
というより、喉が渇いた。俺は持っていた革袋を取り出して水を飲んだ。すっかりぬるくなっているが今の俺にとっては悪くない。
あれだけ延々と大勢の妖精の質問に答えていたので、俺達に直接質問しなくても仲間内だけである程度受け答えはできるだろう。質問してくる妖精の数が減ってきたのはその証拠だ。
出会った当初ほどではないが、俺達の周りにはまだ多数の妖精が飛び回っている。相変わらず、体の割に小さい羽でどうやって飛んでいるのか不思議だ。
もう向こうの興味にはある程度応えたんだし、そろそろこちらも質問していいだろう。
「なぁ、フォレスティアはどこにあるんだ?」
これはかつてと全く同じ質問だ。まず大丈夫だとは思うが、人間だけの集団に本当のことを教えてくれるのかを確認するためである。
「あっちだよ!」
「あっち!」
すると、周囲の妖精が一斉に一方向を指差す。あっちは確か、南東の方角か?
俺達の今いる場所が前と全く同じだとは思わないけど、目的地までかなりの距離があるんだし、誤差の範囲といえるだろう。そうなると、妖精は本当のことを言っていることになる。
「ユージ先生、これは?」
「フォレスティアのある場所を質問したんだ。それで、その方角を指しているんだよ」
妖精語がわからないスカリーが説明を求めてきた。周囲の妖精が全員決まった方向を指さして驚いたんだろう。俺の話を聞いて納得すると再び沈黙した。
俺は質問を続ける。
「それで、フォレスティアまでは遠いのか?」
「うん、遠いよ! だって森の真ん中にあるもんね!」
小さい男の子の妖精が元気に答えてくれた。水に浮かぶ葉のようにゆらゆらと飛んでいる。この子は落ち着きがないな。
三人に通訳をすると次の質問をする。
「それじゃ、みんなは普段何を食べているのかな?」
「果物! さっきの固くてしょっぱいやつなんかよりずっと美味しいんだから!」
「あたしは花の蜜を食べてるよ!」
保存食を食べた妖精を中心に、色々と食べているものを紹介してもらえた。あれは余程駄目だったらしい。干し肉も食べさせてやったんだけど、人間でさえも固くて塩辛いと不満の出るものを妖精が食べて好評なはずがなかった。
「それじゃ、木の実や果物ってどこにあるの? 人間でも採れる?」
今までと同じように、これもかつて質問したことのある内容だ。前世で既に体験済みなのでこれも確認のためにあえて質問した。
「こっちこっち、ここの木からぶら下がってるの!」
「この実はね、あの木の根元の草にたくさんあるんだよ!」
実際に持ってきてもらった木の実や果物は以前と同じ物だった。周囲を見ても二百年前と植生は変わっていないようなので安心する。
ここまでやれば、もう信頼してもいいだろう。妖精は人間だけの集団にもきちんと答えてくれる。これはあるいはヤーグの首飾りのおかげかもしれないけど、俺にとってそこは重要なことではなかった。
結局のところ、この日は更に一時間以上を妖精との会話に費やした。いきなり多数で押し寄ってこられたから驚いたが、とても気のいい妖精ばかりなのには助かった。
その後、教えてもらったフォレスティアのある大まかな方角に向かって進み始めた。ある程度の方角はわかるとはいえ、森の中だと人間の感覚なんて当てにならない。だから、これからも困ったら妖精に頼ることになるだろう。
「それにしても、本当に暑いわね」
「師匠の用意してくれた水の精霊がなければ、私は倒れていたかもしれない」
「この馬もどきもやな。これがなかったら、とてもやないけど大森林は踏破できひんで」
俺もつらいけど、他の三人は更に暑さにまいっているようだ。こんな状態で何百オリクと歩くなんてやっぱり無理だったみたいだな。スカリーが俺の召喚した土の精霊を認めてくれて嬉しい。あとは馬の造形を認めさせるだけだ。
そして三人は、先ほどから地面や周囲の木々を指さしながら話をしている。森の危険性についてだ。
当たり前の話だが、地面にだって危険な生き物はたくさんいる。獣や魔物のようにはっきりと姿がわかるならいいが、小さい生き物は草木に隠れてしまうので厄介だ。蛇、蜘蛛、昆虫などもそうだが、小動物だって安全だとは限らない。
一応、俺がヤーグの首飾りを持っているものの、本当に森の全ての生き物に有効なのかはわからない。結局前世でも今世でも、獣や魔物以外の蛇、蜘蛛、その他の昆虫などに首飾りの効果が有効なのかは試していないからだ。今目の前に軍隊蟻みたいなのを見かけたけど、試す気にはなれんよなぁ。
三人は、こういった危険から確実に身を守るためにも、俺の召還した精霊に乗って移動するのは非常に助かっていると考えていてくれているようだ。
ちなみに、寝るところには細心の注意を払っている。何しろ、虫一匹が服の中に入っただけで噛まれると大変なことになるからだ。
そんなことを話しながら、馬型の土の精霊に乗って俺達はゆっくりと南東に向かって進んでゆく。危険も少なく移動できるのなら、それに越したことはない。
しかし、問題は思わぬところで発生するものだ。
大森林の中を進んで数日が経過したある日、俺達は丸一日その場でじっとしていたことがあった。
「あ~、あかん。うち、ちょっと動けへんわ」
「ごめん、みんな。わたしもだめみたい」
昨晩の寝床でスカリーとクレアがうめきながら横になっていた。一言でいうと乗り物酔いだ。
「これ、根っこや枝葉を避けるために結構上下左右に揺れるさかい、意外としんどいな」
「そうね。馬車とはまた違う揺れだから、体が慣れてくれない」
恐らく暑さによる疲労もあったんだと思う。弱っているところにこの揺れだ。例えゆっくりとしたものであっても、きっかけがあったら体調は崩れてしまう。
「別に急いでいるわけじゃないから、今日一日はここで休もう。幸い食べる物には困らないしな」
「酔い止めの薬があればよかったのですが」
まさかこんなことになるとは思わなかったので、乗り物酔いの薬は持ってきていなかった。いやだって、前世だとここまで酷い状態にならなかったんだもん。
「この様子だと、四日に一回くらいは休息日にした方がよさそうだな」
「そうですね。私も休みがある方が助かります」
青い顔をして横たわっているスカリーとクレアを見ながら、俺とアリーは旅の方針を微調整する相談をした。なかなか思い通りにいかなくて大変だ。
二人の体調が戻った翌日、俺達は移動を再開した。
土の精霊に揺られて進みつつ、道中で妖精に出会うとフォレスティアの方角と食べ物のありかを尋ねる日々を重ねる。
しかし不思議なのは、どの妖精にフォレスティアの場所を聞いてもちゃんと答えてくれるんだよな。なぜか示し合わせたようにみんな似たような方向を指差す。そういえば、ジルが勘で魔物を避けてたことがあったが、みんな勘で答えているんだろうか。
体調を整えるために休んでいた、とある休息日に雨が降った。空の様子がほぼうかがえない森の中だと降るまで気づけないのがつらい。
「昨日からずっと暗かったからなぁ。あれって空が曇ってたからやったんか」
寝床にしていた巨木にもたれかかっているスカリーが、上を見上げて独りごちた。
ここはまだましだが、周囲には大粒の雨水が枝葉の間から大量に落ちてくる。天から降ってきた雨が枝葉のところで集められて、更に水滴が大きくなるのだ。
「こんな日に移動したら、ずぶ濡れになって体が冷えてしまうわね」
「むせかえるような暑い森の中だというのにな。不思議なものだ」
クレアとアリーはこんなことを話しているが、いざとなったら屋根のように水の精霊を変形させればいい。これで雨くらいなら充分にしのげる。
だから雨に濡れることは気にしなくていい。それよりも目下困っているのは湿気だ。体感で湿度は十割以上あるね。気温は幾分か下がってくれたけど、それを補ってあまりあるくらいに不快さを提供してくれる。ちくしょうめ。
「これ、明日には止んでてほしいなぁ」
「そうよね。さすがに移動しているときは勘弁してほしいわ」
「しかし、止んだら止んだで、更に蒸し暑くなるのだろうな」
アリーよ、嫌なことを言わないでくれ。
更に数日が経過した。周囲の様子に変かはない。相変わらずのむせかえるような密林が続いている。
「もう二週間くらい進んでいますが、まだ着かないのでしょうか」
アリーがぽつりと言葉を漏らす。思いはみんな同じだ。もちろん俺もである。
これまで何とか森の中を進めてはいるものの、目的地の正確な位置は不明だ。そのため、あとどのくらい我慢すればいいのかわからない。更に、乗り物に乗り続ける疲労は蓄積する。数日に一回は丸一日その場で休んでいるけど、体の芯に残る疲労までは癒えないからだ。延々と進み続けることで精神がかなり疲弊してきていた。
「でも、妖精はここから近いって言うようになったわよね」
「その『近い』っちゅー感覚がうちらとどれだけ近いのかにもよるけどな」
疲労の色が濃いクレアに、更に疲れているスカリーが突っ込みを入れた。もちろんクレアに言い返す力などない。
以前もこんなやり取りをしていたような気がする。それで俺も、『フォレスティアまであと〇オリク』なんて看板がほしいなんて考えていたんだよな。ああ、なんでこんなくだらないことを覚えているんだろう。
フォレスティアに着いても問題はあるが、延々と森の中を移動し続けるつらさに比べると大したことはない。もうどうなってもいいから、さっさと着いてほしいというのが俺達の願いだった。