近況の報告と魔法の試験
レサシガムのペイリン本邸に魔方陣を設置した。スカリーの描いた魔方陣はとてもきれいで誤りもなく、屋敷内の確認試験でもきちんと動いてくれた。
そうして、いよいよ実際にデモニアのオフィーリア先生の屋敷へ行くことになった。どうせならついでに挨拶しようということで、サラ先生を含めた俺達五人で転移することになったのだ。時刻は夕飯の頃合いだが、別に狙ったわけじゃない。
現在の俺達は、屋敷の地下の一室にある直径十アーテムの魔方陣内に立っている。
「それじゃ魔方陣を起動させるから、じっとしてて」
今回魔方陣を起動させるのは俺だ。特に決まりがあるわけではないが、たぶん俺が一番魔力を蓄えているからだと思う。いや、動かすときにそんなことは全く関係ないんだけどね。気分の問題だ。
全員が俺に向かって頷くのを見ると、俺は短い起動呪文を唱えた。
すると、魔方陣が光り輝く。続いて魔方陣の外の景色が白く霧がかかったかのようになり、ついには真っ白となって何も見えなくなった。しかしすぐにその白色は薄くなってゆく。この様子は、何度見てみても期待と不安が入り混じるな。
転送が終わると、そこはほとんど真っ暗だった。唯一床に描かれた魔方陣が鈍い光を放って輝いている。
「あれ、真っ暗やね~」
サラ先生の暢気な声が室内にこだまする。
ペイリン本邸の地下室は光を点していたので転移したのは間違いないが、真っ暗な理由がわからない。
俺は光明の魔法を使って周囲を照らす。うん、確かにオフィーリア先生の屋敷の地下室だな。間違いない。
「そうか、お婆様にも爺にも来訪は告げていなかったからな。出迎えの用意がないのも当然だろう」
アリーの言葉を聞いて全員が納得する。そうだった。連絡手段がないから黙って来たんだった。
「とりあえず一旦地上へ出よう。アリーが先頭で」
「どうして私が先頭なのですか?」
「この屋敷の住人だろう。誰か出てきたときに対応しやすいじゃないか」
なるほどと頷いたアリーを先頭に俺達は屋敷の地下を進む。屋敷の作りは違うのに地下室の作りがどこも似ているのはどうしてなのか、なんて考えながら歩いているとすぐに地上へと出た。そしてアリーが無造作に扉を開ける。
「おや、爺ではないか」
「なんと、お嬢様?!」
ちょうどその場に居合わせた執事のウィルモットさんが、アリーと俺達を見て驚く。地下室からぞろぞろと五人も出てきたんだから、こんな反応になってしまうのも仕方ない。
「レサシガムのペイリン本邸に魔方陣を設置したんだ。それで、試験がてらこちらへ転移したので、お婆様に挨拶をしようとやって来たんだ」
「承知いたしました。では、御屋形様の書斎にご案内いたします」
気を取り直したウィルモットさんは俺達に一礼すると、すぐに案内してくれる。
オフィーリア先生は確かに書斎にいらっしゃった。中に入ると、今日の作業はもう終わったのか執務机の上はきれいに片付いていた。
「まぁ、アリー! それにユージ達も! 皆さんレサシガムへ向かったのではなかったの? おや、その方は?」
「お婆様、お久しぶりです。レサシガムへは昨日到着しました。そして、ペイリン本邸に魔方陣を描いて、先ほどこちらに転移してきたのです。それと、こちらの方はペイリン魔法学園の学園長ドルフ・ペイリンの妻、サラ殿です。サラ殿、こちらが私のお婆様であるライオンズ学園の前学園長、オフィーリア・ベック・ライオンズです」
驚くオフィーリア先生の質問にひとつずつアリーが言葉を返してゆく。そして、アリーがサラ先生を紹介したところで、本人が挨拶を引き継ぐ。
「ご紹介にあずかりましたドルフ・ペイリンの妻、サラです。こうしてお目にかかるのは初めてですね」
「こちらこそ。オフィーリアです。今年の春に学園長の座を長男に譲りましたので、今は楽隠居の身ですわ」
珍しくサラ先生が標準語でしゃべっている。そして、あんまりにも自然にオフィーリア先生が人間語を使っているため違和感が全くない。アリーとウィルモットさんが魔族語で会話しているのと同じくらい自然に見える。
そうして一通り挨拶を終えた頃には、どちらもすっかり打ち解けていた。サラ先生の言葉遣いがいつもの方言に戻っているのがいい証拠だ。
「それにしても、あの魔方陣を使えば、二ヵ月近くかかる旅路を本当に一瞬で移動できるのですね。驚きましたわ」
書斎の応接セットに俺達を案内したオフィーリア先生は、開口一番、感慨深げに感想を漏らした。
でも、その感想は俺達も同じだ。何しろ二ヵ月前にデモニアを出発して昨日レサシガムに着いたばかりなのに、ついさっき一瞬でまたデモニアにやって来た。実際に旅をした者として、あの苦労は一体なんだったんだと言いたくなる。
「せやろ! うちも今むっちゃ驚いてんねん! すごいわぁ! 嘘みたいや!」
そして、興奮冷めやらぬサラ先生は、完全に童心に返ってはしゃいでいる。いや、気持ちはわかりますけど落ち着いてください。人間側で一番年上のあんたが一番落ち着きないってどういうことなの。
とにかくサラ先生を落ち着かせてからお互いの近況を報告する。俺達が報告することといえば魔方陣の設置以外だと、フール討伐に対するペイリン家の姿勢だ。これはサラ先生から話をしてもらった。
「フールの危険性についてはこちらもある程度理解してます。せやから、ユージ君達を支援するのはええんですけよ。でも、一人娘のスカーレットを直接危険に晒すのは、ペイリン家としてはできひんですわ」
「確かにそうですわね。私もサラ殿と立場が同じでしたら、そのようにいたしますわ」
オフィーリア先生としても協力を無理強いするつもりはなかったのだろう。サラ先生の意見に理解を示した。
「そやから、うちはフォレスティアから戻ったら、レサシガムでユージ先生とアリーを支える役になりますねん」
「あら、クレアさんは?」
スカリーの言葉にクレアの名前がなかったことを疑問に思ったオフィーリア先生は首をかしげる。それに対して、クレアが言いにくそうに答えた。
「たぶん、わたしもスカリーと同じようにユージ先生達を支える役になると思います。両親にはまだフール討伐のことは何も言っていないですが、わたしも一人娘なのでスカリーのご両親と同じ反応を示されるでしょう」
「確か、勇者と聖女の末裔でしたわよね。なるほど、それはやむを得ませんわ」
クレアの話を聞いたオフィーリア先生は、サラ先生のときと同様に理解を示す。さすがにお家断絶を強要できないもんな。
「ということは、フール討伐の旅に出られるのはユージとアレクサンドラのみということですわね」
「なんか、厄介事を押しつけてるみたいで悪いな~」
オフィーリア先生の言葉にサラ先生が苦笑いをする。やむを得ない事情があるとはいえ、いくらかは後ろめたいらしい。
「それは気にしなくてもいいですよ。元々俺が自分で言いだしたことですから。最初はひとりだけでやるつもりでしたし」
「ひとりって、それはまた無茶やな~」
「だから、オフィーリア先生が手伝ってくれるだけでも、随分と助かっているんです」
もしひとりで全部やるとしたら、備忘録と魔法書の解析から始めないといけなかったもんな。どれだけ調べられたかとても怪しいもんだ。
「話をまとめますと、フール討伐はユージとアレクサンドラの二人が中心で行い、スカーレットさんとクレアさんはそれを支える。ただし、フォレスティアまでは今まで通り四人で旅をする、ということでよろしいですわね」
旅先でみんなに何かあったらということを考えると、これはこれで望ましい結果だと思う。その分旅先で苦労するだろうけど、数年前まではひとりで行動していたんだ。それを考えると二人で事に当たれる上に、後方の支援もあるんだから贅沢な環境になったといえる。以前では考えられなかったことだなぁ。
次はオフィーリア先生からこの二ヵ月間の成果について聞く。俺としてはフール対策がどの程度進展しているのかが気になった。
結論から言うと、フール対策はあまり進展していないらしい。この対策の要点はベラの遺した備忘録と魔法書を読めるかどうかにあるわけだが、二ヵ月前の時点では俺とエディスン先生しか読めなかった。そこでまず、この二冊の本を俺達以外でも読めるようにエディスン先生が手を打つところから始まった。
しかし、これが意外と手間取ったらしく、二週間ほどかかってしまったそうだ。俺みたいに前世からの持ち越しなんていう裏技がない場合だと、なかなか大変らしい。結局のところ、一時的に利用者の魂に接続して利用できるようにしたということだった。
「それ、何か危なくありませんか?」
「感覚的な話になりますけど、魂を弄るのではなく、魂の上から解読できる魔法を覆い被せるようにしただけだそうですから、危険はないとのことですわ。ただし、閲覧できるだけで書き込むことはできないですけど」
やっぱり人間と幽霊では勝手が違うらしい。なかなか上手くいかないものだ。
「でもそうなると、よくベラはそんな形で記録を残せましたね」
「本当にね。余程の才能があって、更にたゆまぬ修練を積み重ねたのでしょう」
俺は直接ベラに会ったことはないけれど、凄い魔族だったんだな。アレブのばーさんみたいだったら、会っても絶対悪い印象しかないだろうけど。
ともかく、その作業が終わってから、エディスン先生は備忘録の調査に乗り出したということだ。現在は関係のありそうな箇所を抜き出し、その分析と魔法書の調査を同時に進めているらしい。まだ結果は出ていないという。
「日中、トーマス先生は家庭教師の仕事をなさっていますから、作業をしていただけるのは夜だけなのが厳しいですわね」
幽霊であるエディスン先生は睡眠を必要としないので二十四時間動ける。しかし、半分の時間はライオンズ一族の子弟に勉学を教えないといけないのだ。それでも十二時間は調査に使えるというのは大したものだと思う。人間だったら全然調べられなかったんじゃないだろうか。
一方、オフィーリア先生はベラの魔法書を読めるようになって以来、連絡用の水晶を作ることに力を注いでいるそうだ。エディスン先生は物理的に存在する物は触ることができないので、役割の分担は自然と決まったらしい。必要な材料と作り方は全て記してあったので、面倒な作業ではあるが難しくはなかったと説明された。
「連絡用の水晶は既に一組作ってありますわ。試してみますか?」
「あ、うちやりたい! クレア、一緒にやろ!」
「そうね。どんなものかしら」
オフィーリア先生の申し出に一番早く反応を示したのがスカリーとクレアだった。後で聞いた話だが、普段はレサシガムとノースフォートという都市に別れて住んでいたため、手紙ではなくリアルタイムで話がしたいと前々から思っていたらしい。
説明を受けた二人は、スカリーが廊下へ出るとすぐに水晶を起動させた。すると、ぼんやりと水晶が輝き出す。
(クレア、うちの声が聞こえるか?)
「ええ、はっきりと聞こえるわよ!」
そんな第一声から始まって、楽しそうに二人が水晶を使って会話を始める。そして映像を映し出す機能も使ってやり取りを続けた。
もちろん、こんな珍しい道具を目の前にして黙っている俺達ではない。サラ先生がクレアと交代で水晶を弄り始め、俺は廊下に出てスカリーからそれを受け取って使う。そこへアリーも加わる。新しい道具で遊ぶのは楽しいなぁ。
「いやぁ、楽しかったわぁ! こんな便利な道具が使えるようになるんかぁ」
「そうね。これがあれば、どこからでもお話ができるようになるのよね。旅先で困ったことがあってもこれなら安心だわ」
最初に水晶を使ったスカリーとクレアは楽しそうにその感想を語り合っている。何かある度にいちいち何ヵ月も待って手紙をやり取りしたり、出向いたりしなくてもいいのは大きい。
「喜んでもらえて何よりですわ。今は水晶が二つしかありませんけど、これから月に二つずつ作れますわよ」
「オフィーリア先生、サラ先生、レティシアさん、そして俺達と、最低四つは必要ですね。あとは予備で二つくらいかな」
デモニア、レサシガム、フォレスティアの拠点三つに、常に動き回る俺達にひとつあれば、とりあえず足りる。
「では師匠、この二つの水晶は誰が持つべきですか?」
「ひとつはわたし達よね。問題はもうひとつの方だけど」
「オフィーリア先生だな。今のところ、フール対策で一番働いてもらっているのはここだから。サラ先生には、来月新しい水晶を渡したらいいんじゃないかな」
アリーとクレアの疑問に俺は即答した。これは最初から決めていたことだから迷いはない。もともと俺がオフィーリア先生とエディスン先生の二人とすぐに相談したくて望んだことだしな。
「わかりました。それでは水晶のひとつをユージに渡しておきますわ。そして、新しく作った水晶のひとつをサラ殿にお渡しすればよいのですね」
フールの倒し方についてはまだ調査中ということだったけど、連絡用の水晶が使えるようになったのは嬉しい。
「それでは、皆さん他にお話しておくことはありませんか? なければ、夕食にしましょう」
オフィーリア先生に言われて思い出した。俺達って夕飯前にこっちへ来たんだっけ。窓の向こうに視線を向けると真っ暗だ。
そして、大きな腹の虫が鳴り響く。
「うん、今のは俺だ」
隠しようのない恥ずかしさ。顔は赤くなっていないだろうが、非常にいたたまれない。
「ふふふ、まるでアリーみたいね」
「お婆様! そのようなことは言わなくてもいいではないですか!」
赤面したアリーがオフィーリア先生に食ってかかる。ああ、そういえばたまに鳴らしていたな。
ともかく、これ以上何度も腹の虫の声を聞かせないためにも、早く晩ご飯にありつきたい。そう思いながら、俺はオフィーリア先生を食堂に急かした。