聞いていい話とまずい話
清々しい朝だったはずなのに、朝一番にオフィーリア先生とエディスン先生から聞いた話のせいで、非常に漠然とした不安を抱えることになった。事の発端はホーリーランド家でライナスとローラの残した本を読んだからなんだけど、次第に不安が形をはっきりとさせてきているみたいで嫌だな。
一方、話をしたオフィーリア先生は幾分すっきりとした様子だ。長年抱えていたものを吐き出せたからだろう。いいなぁ。
話に一応の区切りがついて微妙な沈黙が食堂に訪れた。悪くはない静寂なんだけれども、良い気分が落ち込んだ分だけ残念な気持ちだ。
「お婆様、師匠、お話は終わったのでしょうか?」
しばらくすると、その沈黙に耐えられなくなったのか、アリーがおずおずと話しかけてきた。そういえば、自分の過去のことを話すのに夢中ですっかり忘れていたな。
オフィーリア先生がゆっくりと頷くと、アリーは明らかに緊張を解いて口を開く。
「いきなりお婆様と師匠の過去のお話が始まって驚きました。まさかこんな早朝からあのような大切なお話をされるとは」
アリーの言う通りだ。俺も予想しなかった。普通、かどうかはわからないが、何となく夜がふさわしいんじゃないかな。次点で昼。
「ごめんなさいね。できるだけ早く話しておきたかったの」
「いえ、別に責めているわけではありません。ただ、驚いただけですから」
申し訳なさそうにオフィーリア先生が頭を下げると、アリーは慌てて謝罪を求めたわけではないと伝える。
そして、再び静寂が訪れた。エディスン先生とウィルモットさんは、相変わらず我関せずな態度だ。こういうときは何か助け船を出してくれたらいいのに。
この状況をどうやって打開しようかと考えていると、食堂の扉が開いた。そちらを振り向くとスカリーとクレアが入ってくるところだった。
「みんな、おはよう! ってあれ、どうしたん?」
「何か雰囲気が微妙よね」
今までの話の流れを知らない二人は、朝っぱらから何とも言えない食堂の雰囲気を感じ取って不思議そうな表情を浮かべる。
「とりあえず席に座って。さっきまで話していたことを説明するから」
一旦立ち止まっていた二人は、俺の言葉に従って席に着く。
「それで、さっきの話ってなんやのん?」
「さっきからアリーが困った顔をしているから気になります」
そんなスカリーとクレアに対して、俺はオフィーリア先生とエディスン先生の二人とした話を順番に説明した。俺やライナス達が四天王のベラやフールに利用されていたことから始まって、フールについて調べるためにオフィーリア先生から紹介状をもらうことまで全てだ。
話を聞き終わったスカリーとクレアは難しい顔をしていた。今更そんな昔話を聞かされてもと思っているんだろうか。
「ユージ先生、なんかいらんことに首突っ込もうとしてへん?」
「ノースフォートで疫病対策を手伝ってもらったので言いにくいんですけど、わたしもそう思います」
予想とちょっと違った。でも、二人の言う通りだ。何しろ俺だってそう思っているんだからな。
「余計なことをしているという自覚はある。あるんだけど、過去の自分達と関係あることだから、この際はっきりとさせておこうと思ったんだ」
かつて一緒に冒険した四人のことを思い出す。いいように利用されていたことはもうこの際諦めるしかない。でも、その中でまだ生き残っている奴がいるとしたら、一体何をしているのかということが気になる。
ただ、それを知って一体どうするつもりなのかというところまでは考えていない。手がかりがなさ過ぎて想像できないからだ。
「ともかくや、これでうちらもやらなあかんことがひとつ増えたな」
「そうね、帰るのが更に遅れるってお手紙を書かないといけないわね」
そうでした。レサシガムを出発してから冒険者としての感覚がすっかり戻ってきているが、俺って休職扱いなんだったよな。しかも一応期限付きだから、報告なしというわけにもいかない。
「いつ頃帰るって伝えようかな」
「ユージ先生、一体どの程度調べるんです?」
「いや、まだフールについて調べるって決めただけで、どこまで調べるかは考えていない」
「場合によっては、師匠は徹底的に調べるつもりだということですか」
クレアは少し呆れているような口調だ。暢気すぎるとでも言いたげだな。でもアリーのいう通り、場合によってはかなり突っ込むことになるかもしれなから、短期間でお終いとも言い切れない。
「ああもう、そんなんやったら、来年の春頃までには戻るって書いたらええやん!」
「え、そんなざっくりでいいのか?」
「良いも悪いもあらへんやんか! 手紙を受け取る度に『帰るんが遅れます』なんて知らせを受け取る方の身にもなってみ! うちのおかーちゃんは授業の手配もせなあかんねんし」
そうだ、すっかり忘れてた。サラ先生、来年から俺が確実に復帰するって思っているよな。授業の時間割を決めるときに、戻ってくるかどうかわからない奴がいるというのは確かに困る。
「よしわかった。それなら、今までの経緯を簡単に書いた上で、来年の春頃に戻れたらいいなって伝えよう」
「師匠、戻れたらいいな、とはどういうことですか」
さすがにアリーが呆れているが、これが俺としての正直な思いだ。
「話はまとまりましたか? そろそろ朝食はいかがかしら」
「あ、はい。お願いします」
オフィーリア先生に朝ご飯のことを告げられて、俺はまだ起きてから何も食べていないことを思い出した。
「そういえば、わたし達って朝食をいただきに来たのよね。すっかり忘れていたわ」
スカリーとアリーもクレアの言葉に頷いた。俺も急にお腹がすいてくる。
とりあえず、この話はここまでにして、俺達は朝ご飯を食べることにした。
それから数日間は、ライオンズ邸でゆっくりと過ごした。いきなり調査のために出発というのはさすがに急ぎすぎだと思ったからだ。俺ひとりならともかく、スカリーもクレアも一緒に行動することになる。今までの旅の疲れは落としておくべきだろう。
ということで、俺、スカリー、クレアの三人は、アリーの案内でデモニアを観光することになった。
最初は俺の希望で魔王軍と反魔王軍の戦場跡を巡ってもらう。これは調査とは関係なく、純粋な好奇心からだ。かつて自分達が戦ったところがどうなっているのか、そしてどう語られているのかということに興味があった。
話によると、俺達がロックホーン城へ突入したときの戦いよりも、魔王死亡後のデモニア攻略戦のときの方がはるかに規模が大きかったらしい。街の中にある戦いの傷跡も、全てそのときのものばかりだそうだ。
「そんなに凄かったのか?」
「はい。何しろ、四方の地方全てが連合しましたから。いくらデモニアが堅牢でもそれではどうにもなりません」
周囲は全て敵で援軍も期待できない状態で、それでもギルバート・シモンズは徹底抗戦したらしい。中身はフールなんだけど、さっさと降伏するっていう選択肢はなかったんだろうか。
街の中で特に激戦が繰り広げられたところは損傷が酷かったため、今では全て新しく作り直されているそうだ。だから古戦場めぐりのはずなのに、やたらと真新しいところにばかり案内された。
次はスカリーとクレアの要望で市場を見学した。スカリーは魔法の研究に使えそうなものがないかを探すためであり、クレアは魔族が作った小物や衣類などを見るためだ。どちらも今は手持ちがないので買えないが、可能ならライオンズ家に頼んで送り届けてもらう腹積もりのようである。
「へぇ、巨鳥の肝かぁ。何に使えるんやろ、これ」
「鬼の心臓って……え? これ精強剤の原料なの?!」
今は雰囲気が少し怪しい薬屋に入っている。薬屋とはいっても、実際は薬の原料となるものを販売しているところで、薬も調合してくれるところらしい。そこでスカリーとクレアは熱心に置いてある材料を見て回っている。
「置いてあるものを見ても、何が何やらさっぱりわからん」
「師匠もですか。私もこちらの方面は全くわかりません」
俺もアリーも、スカリーとクレアが夢中になるほどに引いてしまうのだった。
その次は小物や衣類を売る店が集まるところだ。ここではクレアが特に大喜びだった。
「きゃー! この小さい置物かわいい~!」
「この服は、ちょっと胸のところが大きすぎひんか?」
何やら触れてはいけない発言も飛び交っているが、概ね喜んでいるようである。どうも魔族と人間の美的感覚はそこまで大きくずれてはいないらしい。
しかし、しばらくその様子を眺めていてふと気づいたことがあった。同じ女の子なんだからアリーも一緒にはしゃいでいてもおかしくないのに、さっきからおとなしいのだ。
「アリーは、ああいったかわいいものには興味ないのか?」
「ええ。たまには着飾るようにお婆様からも忠告されるのですが、どうにも興味を持てないのです。武具についてなら興味があるのですが」
あー、頭の中身が完全に男の子だなぁ。男の俺からしたら気持ちはわかるんだけど。
「オフィーリア先生譲りの美人なのに、もったいないなぁ」
「し、師匠。そんなことを言われましても……」
アリーはそのまま首筋までを真っ赤にして俯く。前からうすうす感じてはいたんだけど、アリーってこの手の褒め方に弱いよな。耐性がなさ過ぎなような気がする。
「お? なんかあそこら辺がええ雰囲気になってんで、クレアさん」
「ほんとね。油断も隙もないわよね、全く」
「まるでクレアさんもユージ先生狙いみたいな発言やな。そうゆうたら、ディアナはんが結婚を勧めたとき、嫌がっとらんかったな」
「ちょっ?! どうしてあたしの話になるのよ! それにクレアさん『も』ってなに? スカリーも先生のこと狙っているんじゃない!」
「い、いや、今のはうちやのうてアリーの話でな? まぁ落ち着いて──」
何やら聞いてはいけない話が展開されている模様。スカリーの奴、火に油を注ごうとして自分にも引火させてやんの。なんか俺の名前も聞こえたみたいだけど、聞かなかったことにしよう。
「師匠、あれは止めなくていいのですか?」
「他人の振りでやり過ごすんだ。今近づくと、絶対に巻き込まれてしまうぞ」
幸か不幸か、人間語で言い合っているので周囲の魔族はその内容を理解できない。でも騒がしくしていると、当然周囲に集まってくる。しばらくしてそれに気づいたスカリーとクレアは、一旦言い争うのをやめてこちらへと逃げ込んできた。
「先生! あんな人だかりができる前に止めてぇな!」
「そうですよ! アリーと二人で眺めているだけって酷い!」
二人が俺に抗議してくる。でもそれは、どう考えても八つ当たりにしか思えないんだけどな。
「いや、内容が内容だけに割って入りづらかったんだよ。お前ら二人とも、何をしゃべっていたのか覚えていないのか? 聞かされるこちらの身にもなってほしい」
俺の言葉を聞いた瞬間、スカリーとクレアは首から上を真っ赤にした。アリーと一緒だ。
「何というか、公衆の面前で告白を聞くことになるとは思わなかったぞ」
尚も顔の赤いアリーが二人に追い打ちをかける。言葉が通じないおかげで周囲に内容を知られることはなかったけど、俺はばっちりと聞いちゃったもんなぁ。
「……アリーはどうなのよ」
「そうや、この際やからアリーの気持ちも聞いておこうやん!」
洗いざらい吐き出しておくというのは悪くないかもしれないが、少なくともこんな往来の真ん中でするもんじゃない。そして、俺のいる前でそんなぶっちゃけ話はやめてくれ。
「ふ、二人とも、何を言い出すんだ」
アリーの赤かった顔が今度は青ざめている。そりゃ、あんな鬼気迫る表情の二人に迫られたらそうなるわな。
「まて、二人とも。話をするにしてもここじゃまずい。せめて屋敷に戻ってからにするべきだろう」
明らかに問題の先送りだけど、まずは人目を避けるべきだと判断した俺は、無理矢理三人をライオンズ邸に連れ戻した。
屋敷に戻ってから三人は一室に閉じこもって話を再開したようだ。さすがに俺は中には入れないので自室に戻ることにする。
「おや、もう帰ってきていたのですか?」
「はは、まぁ、色々とありまして」
廊下でばったりと出くわしたオフィーリア先生が問いかけてきたけど、詳しいことは言わずにそのまま通り過ぎようとした。でも、残念ながら問い詰められて全部しゃべってしまう。
「そうですか。まぁ、話し合いの結果次第ですね。たぶん大丈夫だと思いますけど」
「オフィーリア先生にはわかるんですか?」
「細かいところまではわかりませんわよ。でも、そうですね。ふふふ、意外と早くひ孫の顔が見られるのかも」
そう言いながらこちらへと先生が笑いかけてきたとき、背筋に寒気が走った。
その後、夕飯のときに全員が揃ったが、何事もなくいつも通りだった。まるで昼間のことがなかったかのようにだ。一体何を話し合っていたのか気になるが、俺は怖くて聞けなかった。