積もる話は尽きず
アリーを実家に送り届け、オフィーリア先生との再会を果たした俺は、これでペイリン魔法学園を出立した目的を果たしたことになる。学校を出発してから実に四ヵ月も経っていた。当初から時間はかかると思っていたけど、片道だけでこんなにかかるとは予想外だったな。
けれど、後は帰るだけなので気が楽だ。帰った後が大変なんだけど今は何も考えない。今は今、先は先である。
応接室でみんなと楽しく話している最中に、オフィーリア先生が食堂へ移るように提案してくれる。そういえば夕飯がまだだっけ。
食堂へ移ってからも話は尽きない。何しろ、アリー達三人は学校に在籍していた三年間の話があるし、俺はライナス達と旅をしていた間と人間に転生した後の話がある。オフィーリア先生に至っては二百年分の話題だ。たった数時間で話のネタが切れるはずがなかった。
「それでですね、アリーが一度勝負をしたいと言うんで引き受けたんですけど、最初は真剣でやるって言ってきて驚いたんですよ。魔界じゃ珍しくないって聞きましたけど、そんなによくあることなんですか?」
「喧嘩ならよくありますけど、普通は素手でするものです。武器を使うとなると決闘になるのでしょうけど、頻繁にあるものではないですね。やるとなれば真剣を使うこともあるでしょう」
小首をかしげてあごに人差し指を添えたオフィーリア先生が、記憶を引っ張り出しつつ説明してくれる。
「そうなると、普通は喧嘩で解決するんですか?」
「そうね。わざわざ決闘をする者なんて今は少ないわ。武器を使えば怪我では済まなくなりますもの。単に力の差をはっきりとさせたいだけなら、喧嘩で充分でしょう?」
確かにその通りだ。オフィーリア先生の話が一旦途切れたところで視線をアリーに向けると、居心地悪そうにしていた。
「うちらが聞いた話やと、魔族って決闘ばっかりやってるように思えたけどなぁ」
「そういえば、殴り合いの喧嘩については、アリーから聞いたことがないわね」
スカリーとクレアもアリーへと顔を向ける。すると、アリーは気まずそうに視線をそらせた。
「ふふふ、アレクサンドラったら、小さい頃から剣術が大好きだったのよ。それでたくさん練習して強くなったのはいいのだけれど、今度はそれを試したくて、一時期相手構わず決闘を申し込んでいたの」
今明かされたアリーの過去! かつてアリーは狂犬みたいに決闘を申し込んでいたのか! そういえば、対戦している最中にやたらと好戦的な笑顔を見せていたような気がする。
「お婆様、それは昔の話です。もうよしましょう」
「え~、アリーさぁん。うち、そのときの武勇伝をもっと聞きたいわぁ」
アリーは過去の黒歴史から話題を逸らそうとするが、こういう人の嫌がる話題が大好きなスカリーが逃がさない。
「そうねぇ。例えば、十年前、私が止めに入った──」
「もう本当に止めてください、お婆様!」
顔を真っ赤にして止めに入ろうとするアリーだったが、残念ながらオフィーリア先生は止まらない。そして、次々に明らかとなる過去の所行。決闘を控えるようにオフィーリア先生から命じられて、代わりに魔物狩りに精を出すようになったなんて初めて知った。
その間、アリーは首から上を真っ赤にして顔をうつぶせにしてじっとしていた。体はがちがちに硬直しており、かすかに震えているのがはっきりとわかる。これは面白い。
「というわけなのよ。うふふ、かわいいでしょう?」
全てを語り終えたオフィーリア先生はすっきりとした様子だ。それに対して、アリーは全身の力が抜け落ちていた。
「うう、こんな話をされるなんて思わなかった」
「いやぁ、アリーさんの面白い話が色々聞けておもろかったわぁ! 昔は相当やんちゃしてたんやなぁ」
「本当にね。わたし、小さい頃からもっと自分を律していたんだと思っていたけど、そっか、アリーも成長したのね」
他者の恥ずかしい過去を聞いてスカリーとクレアはすっかりご満悦だ。実に良い笑顔でアリーに声をかけている。
「アリーの話だけ聞くっていうのは不公平だよな。今度サラ先生やディアナさんに色々尋ねてみようか」
「そうですね、師匠。その機会は必ず巡ってくるはずです」
「そうだ、次はユージ先生のことを話してもらえませんか、オフィーリアさん」
「ええやんそれ! ユージ先生も修行してたときがあったはずや! そんときの話でなんかおもしろいもんをお願いします!」
ようやくわずかに復活したアリーを尻目に、次の犠牲者を俺に定めたスカリーとクレアは、修業時代の俺の話をオフィーリア先生にせがんだ。人の欲望には際限がないと言うけど、今正にそれを見せつけられている。
「オフィーリア先生、俺にまつわる面白い話ってありましたっけ?」
「さて、どうかしら。話してみないとわかりませんわね」
オフィーリア先生もみんなの反応が嬉しいのか、すっかりノリノリだ。いかん、これは何を話されるかわからない。被害を最小限に抑えるにはどう話を誘導したらいいのか考えながら、俺は適度に口出しをすることにした。
俺の努力が中途半端に成功した結果、話が俺達四人の暴露合戦みたいになってきた頃、ひとりの使用人が部屋に入ってきてオフィーリア先生に耳打ちをした。なんだろう、そろそろお開きだろうか。
「皆さんについての面白い話をたくさん聞けて、私もとても楽しいですわ。せっかくですから、もうひとり、この輪に加わっていただこうと思います」
俺達は顔を見合わせる。誰だろう。さすがに四人共通の知り合いじゃないよな。もしかしたらライオンズ学園の関係者?
興味深げに食堂の扉を眺めていると、突然、その扉をすり抜けてひとりの人物が入室してきた。え、すり抜けてきた?!
「あれ、エディスン先生?!」
「やぁ、ユージ君。久しぶりだね。確かに人間へ転生しているようだ」
既に死亡している魔法使いで、髪の毛をオールバックにした渋い初老の幽霊。そして、かつて俺の教育を最初から最後までしてくれた師匠でもある。
驚愕して思わず立ち上がった俺に対して、相変わらずエディスン先生は落ち着いた様子でふわふわとこちらへと寄ってくる。
「師匠とトーマス殿は知り合いでしたか」
「その通りです、アレクサンドラ嬢。ユージ君の教育は私が中心になってしていましたからね」
相変わらず感情の起伏が乏しい話し方だ。まさかここで再会するとは思わなかった。
「エディスン先生はどうしてここにいるんですか?」
「私はライオンズ一族の家庭教師をしているんだよ。オフィーリア嬢に頼まれてね。そこにいるアレクサンドラ嬢も以前指導していたんだ」
「ライオンズ学園の方で教鞭は執っていないんですか?」
「ああ、していないよ。そちらには興味を持てなくて遠慮しているんだ」
そうなんだ。てっきり喜んで教えていると思ったんだけどな。個人指導にしか興味がないということなのか。
「はい、それでは一旦お二人に紹介しましょうね。こちらは、我がライオンズ家の家庭教師であるトーマス・エディスン先生です。私もかつてはご指導いただいていたのよ」
「トーマス・エディスンです。オフィーリア嬢、アレクサンドラ嬢、そしてユージ君の個人指導を行っていました」
そう言って、エディスン先生はスカリーとクレアの二人に軽く一礼をする。その返礼として二人も自己紹介をした。
「ユージ先生の二人目の師匠かぁ。なんか凄そうな人に二人も習ってたんやなぁ」
「どちらも人じゃないけどな。そういえば、十年以上二十四時間ずっと勉強し続けてましたよね。霊体だったからこそできたわけですけど」
「そうですね。物覚えはよくありませんでしたけど、君は時間をかければ必ず習得していました。特に四系統七属性を全て身につけたというのは驚きでしたよ」
エディスン先生が加わることで更に話は賑やかになる。そして、話題の中心は再び俺になってしまった。
オフィーリア先生と違って、エディスン先生は最初から最後まで俺の指導をしてくれた。それはつまり、俺のやらかしたことを全部知っているということだ。大きな失敗をした記憶はないが、細かい失敗は無数にしているので、延々と小話を続けられるのはかなりつらい。
「エディスン先生、もう俺の話はそのくらいでいいでしょう。次はオフィーリア先生の話が聞きたいです」
「ふむ、そうかね?」
苦し紛れに放った言葉だったが、エディスン先生はあっさりと受け入れてくれた。同時にオフィーリア先生の顔が微妙に引きつる。あ、こんな表情初めて見た。
「ユージ、後でお話ししましょう。二人っきりで」
「全力で辞退させていただきます。どう考えても不幸になる未来しか見えません」
そんなに嫌なら自分でエディスン先生を止めたらいいじゃないですか! なんていう俺の意見は不採用となってしまう。
ということで、せっかく自分で振った話題だけど、何とかして再度変更しないといけない。オフィーリア先生の話も聞きたかったんだけどなぁ。
「そういえば、エディスン先生とオフィーリア先生がここにいるんだから、あとはジルが揃うと俺の師匠が全員揃うことになるんだよな」
「確か、精霊語と精霊魔法を教えてくれた妖精でしたよね?」
クレアの指摘に俺が頷く。そう、フォレスティアのジルのことだ。あの陽気で気まぐれな妖精にも色々教えてもらった。でも、三人の中では最も師匠らしくない。感覚としては完全に友達なんだよな。本人もそんな気でいるんじゃないだろうか。
「いいなぁ。わたしも妖精を見たいな。ご先祖様はフォレスティアにも行ったことがあるみたいだし、妖精に会っているのよね」
「妖精そのものには希少価値があるかもしれないが、ジルなら間違いなく気軽に会ってくれるぞ」
人見知りという言葉と最も縁遠い奴だからな。転生直前にフォレスティアで会ったけど、あいつまだあそこにいるのかな。
「そういえば、ジルとも村で別れて以来会っていないですわ。できればもう一度お会いしたいですわね」
「次にフォレスティアへ行ったときに、魔界へ誘ってみましょうか?」
間違いない、あいつなら絶対について来る。何しろ二百年前に王国公路沿いにノースフォートやウェストフォートを巡った奴だ。魔界にだって行きたがるに違いない。
「ユージ君、君はフォレスティアに行く用事でもあるのかね?」
「ええ、私的なことなんですけど」
疑問をぶつけてきたエディスン先生に、俺が目覚めて転生する直前までの話をする。原因不明だがとりあえず目覚めて、剣の外へとでると消滅するように消えたらしいことを説明した。そして、その辺りの話を詳しく聞くために行くということもである。
「それと言い忘れていましたが、俺が目覚める直前に剣が光っていたってジルが言っていた気がします」
「何が起きているのかは全くわからないが、興味深い現象だね。できれば私も同行したいくらいだ」
俺としても可能ならエディスン先生についてきてほしい。何しろ調査能力なら俺なんて足下にも及ばないしな。魔法関連なら尚更だ。
「俺としても、エディスン先生についてきてもらえるなら来てほしいです」
「残念ながら、ライオンズ一族の家庭教師の役目があるので、そういうわけにはいかないですね。でも、フォレスティアで調査した結果を聞かせてくれるのなら、一緒に考えることはできますよ。更にその閉じ込められていた剣も持ってくることが可能なら、より確実に推測はできるだでしょう」
やっぱりここを離れることはできないらしい。でも、一緒に転生直前の状況を考えてくれると約束してくれた。ならば、ここはフォレスティアの成果を持ち帰るべきだろう。
「わかりました。それじゃフォレスティアで調べられるだけ調べて、また持ってきます。剣については……あー、どうなんだろう? まぁ、持ち出せるなら」
「『勇者の剣』って真銀をふんだんに使った剣やったよなぁ。そんな貴重なもん、簡単に貸してくれるんやろか?」
「う~ん、ご先祖様の剣かぁ。お父様やお母様はともかく、教会は欲しがるでしょうね」
うっ、何やら気の重い話になってきた。単に霊体だった頃の最後の瞬間がどうなっていたのかを知りたいだけなんだけどな。
「まぁ、剣については、できればってことにします」
「そもそもフォレスティアの方々が、その剣をどのように扱っているのかにもよりますわね。それ次第だと思いますわ」
オフィーリア先生の言う通りだな。恐らく話くらいはできるだろうけど、物の持ち出しについては現地に着いてからだ。
「お婆様、夜も更けてまいりましたので、そろそろ三人には休んでもらおうかと思うのですが」
「まぁいけない! 今日はあまりに楽しいことが続いて、すっかり気が利かなくなってしまっているわ。皆さん、長旅でお疲れなのに申し訳ありません。続きは明日にしましょう」
アリーが遠慮がちに夜が遅いことを告げると、オフィーリア先生は歓談の終了を宣言する。
「ユージ様、スカーレット様、クレア様、寝室へと案内いたします」
そしてそれに合わせて、ウィルモットさんが俺達に言葉をかけてきた。
「それでは皆さん、お休みなさい。旅の疲れをゆっくりと落としてくださいね」
オフィーリア先生の言葉を合図に俺達三人は立ち上がり、ウィルモットさんに続いて食堂を辞した。