尊敬する師との再会
魔界と呼ばれる地のほぼ中心にある都市デモニアは、古くから政治と経済の中心地として栄えている。最初に都市が建設されたのは、古代の魔界で大勢力を誇った王国らしい。結局魔界を統一するまでには至らず滅んでしまったそうだが、デモニアはそれ以後も存在し続けた。
気づけば魔界で覇を唱えるのに必須と言われるようになっていたデモニアだが、ここを拠点として本当に覇を唱えたのは魔王デズモンド・レイズだ。史上初めて魔界の完全統一を成し遂げたこの魔族の評価は様々である。俺達に討たれてその統一国家が崩壊してから生まれてきた魔族からは尊敬されており、逆に当時を生きていた魔族からは圧制者として嫌われているようだ。
魔王デズモンド・レイズの死後は再び四五分裂してしまった魔界だが、やはりデモニアは尚も有力都市として繁栄している。デクスターによると、統一国家崩壊時に一度戦場となったらしいが、しぶとく復活したのだという。
そんな都市だから、古いものと新しいものが混在している。戦乱により破壊されてしまったところは新しく建て直され、残ったところは古色蒼然なままたたずんでいた。
都市を囲む城壁からして、以前の戦いで破壊されたところを修復した部分は、他と比べて建築材料の色が明るい。きっと修復直後は今よりも浮いて見えたんだろうな。
中に入ると、当たり前の話だが魔族ばかりだ。みんなが病的なまでに色白な肌なので、一瞬本当に病気じゃないのかと思えてしまう。黒髪という点は俺個人としては親近感が湧くが。
そして、街の外からでも中からでも思い切り目立つのがロックホーン城だ。あの魔王が居城としていた城である。実はこの城の全容をしっかりと眺めたのは今回が初めてだ。魔王討伐のときに一度侵入しているんだけど、あのときは魔方陣を使って城の脇まで一気に飛び、そこからこっそりと中へと入ったので、城全体を眺める余裕なんてなかったもんな。
こうやってロックホーン城の外観を見ていると、最初にでかいという感想が湧き出てくる。話を聞いている範囲では、増改築を繰り返したんじゃなくて、最初からこの大きさだったらしい。次に思い浮かぶ感想は無骨というものだ。ハーティアにある城は見た目も意識しているのか、その点とても優雅だったな。
おかげで街全体の造りも実直というか、機能性を追求した造りに見える。そして、新しい建物と古い建物が壁の色ではっきりとわかるのが微妙に生々しい。
デモニアに入ったところでデクスターの隊商と別れると、俺達はアリーを先頭に街の中を進んでゆく。目指すはアリーの実家だ。
「さすがにわたし達は珍しいみたいね」
「ちょうどレサシガムのときと逆やなぁ」
クレアとスカリーのぼやきが聞こえてくる。確かに肩身が狭いことこの上ない。何しろ周囲は全て魔族ばかりだ。
デモニアに人間なんているとは思えない。いたとしても周囲にはいない。そのせいで、俺達を見かける魔族からは片っ端から怪訝な視線を投げかけられる。
「ねぇ、母さん。あれなに?」
「しっ、指さしちゃいけません!」
少し離れたところで親子連れの会話が耳に入った。夕方に近いから、夕飯の材料でも買いに行く途中なのかもしれない。ちらりと視線を向けると、母親が子供の指を押さえ込んでいる。まさかこんな形で後ろ指を指されるとは思わなかった。
「これ、アリーがおらへんかったらどうなってたんやろ」
「そもそも魔界にまできてなかったと思うぞ」
「そうですね」
意味のない話をスカリーやクレアと一緒に小声で交わす。別に普通に話してもいいはずなんだけど、何となくそんな雰囲気になってしまうんですよ、人間三人だけだと。
屋敷に案内してもらっているのか牢屋に連行されているのかわからない感覚を抱きながら、俺達三人はアリーについてゆく。
人通りの多い道をよくわからないまま歩いていると、アリーは立派な門のある検問所に立ち寄る。そして、近づいてきた警備兵に対して自分達についての説明を始めた。
「お前は誰だ?」
「私はアレクサンドラ・ベック・ライオンズだ。三年間、人間界のレサシガムという都市にあるペイリン魔法学園へ留学していた。この春、その学園を卒業して帰ってきたところだ。これがその証明である。ついては、ライオンズ家のオフィーリア様へ連絡してもらいたい」
「失礼しました!」
その言葉を聞いた警備兵は卒業証書を見ると態度を一変させる。しかし、アリーの背後にいる俺達を見て再び眉をひそめた。
「あの、後ろの者達は従者ですか?」
「いや、そこの方は我が師であり、女二人は我が友だ。見ての通り、どちらも人間だがな」
「人間、ですか。初めて見ました」
物珍しそうに警備兵が俺達を眺める。しかし、ライオンズ家への取り次ぎを思い出した警備兵は、慌てて敬礼すると詰め所へと戻った。
「みんな、ここから先は貴族の屋敷が集まる地域だ。往来する影はほとんどないから、今までのように奇異な視線はほとんど感じないだろう」
「さすがにここから先全部がアリーの屋敷ってゆうわけやないんやな」
「そこまで広い敷地がほしいなら、どこかに領地を持って住んだ方がいいと思うぞ」
「それにそんなことをしたら、他の貴族が住む場所がなくなってしまうものね」
全くだ。小さい封土であっても都市内部にある大貴族の屋敷よりずっと大きい。それを考えたら、のびのびと生活したい場合は都市の外の方がいいだろう。
でも、大半の貴族は、住む場所が狭くなっても都市部に住みたがる。政治、経済、文化、いずれにせよ、やっぱり最先端の情報がほしいのだろうか。
それから三十分ほどの間、俺達はずっと雑談をしながら検問所の前で待つ。中の仕組みはわからないが、一体いつまで待てばいいんだろう。
いい加減まだかなぁ、なんて考えていたら、何やら道をゆっくりと踏みしめる蹄の音が聞こえてくる。それと同時に車輪が道を進む音もだ。
雑談をやめて検問所の奥に視線を向けると、一台の馬車がこちらへと向かってきている。黒一色だ。警備兵のひとりが検問所の脇でその様子をじっと見ていた。
やがて馬車が検問所の脇に止められる。じっとそれを見ていた警備兵が近づいて、御者台に座っている二人のうち、仕立ての良い服を身につけている魔族に声をかけた。すると、その魔族は御者台を降りてこちらへと歩いてくる。
「アレクサンドラお嬢様、お帰りなさいませ」
「うん、ただいま。爺も元気そうで何よりだ」
爺と呼ばれた魔族は、まずはアリーに挨拶する。そしてこちらへと視線を向けた。
「爺、ここにいる三人は、ペイリン魔法学園の教師であるユージ殿、その学園を生み出した一族の次期当主スカーレット・ペイリン、そして、ノースフォートの有力者ホーリーランド家の次期当主クレア・ホーリーランドだ。いずれも人間だが、私の大切な師匠と友人である」
アリーに俺達の説明を受けたその老魔族は俺達三人に向き直る。
「挨拶が遅れました。わたくし、ライオンズ家のオフィーリア様にお仕えしている執事、ベネディクト・ウィルモットと申します。以後、お見知りおきを」
挨拶を述べると頭を垂れた。どこの屋敷の執事も、機械仕掛けなのかというほど姿勢が完璧だな。執事学校なんてものでもあるんだろうか。
で、それに対して俺だけがご丁寧にと頭を下げ返す。この癖はいつまで経っても抜けない。
「馬車を用意しました。お乗りください」
ウィルモットさんは無駄のない動作で俺達を馬車まで案内し、その扉を開ける。流れるような動作で実に澱みがない。
「みんな、乗ろう」
俺達に声をかけたアリーが、真っ先に黒塗りの馬車へと乗り込む。続いてアリー、クレア、そして俺の順だ。全員が乗るとウィルモットさんが扉を閉めてくれる。
しばらくすると馬車はゆっくりと動き出した。立派な門の手前で反転し、そのまま貴族の邸宅が並ぶ街並みの中を進んでゆく。オフィーリア先生との再会までもう少しだ。
ライオンズ家の屋敷は馬車で十分くらいのところにあった。周囲の屋敷と比べても特に目立つこともなければ大きいわけでもない。貴族の中ではごくありふれた屋敷といえる。
そんな邸宅の敷地に俺達の乗った馬車は入る。正門の前はロータリーになっているので馬車は難なく横付けできた。
ウィルモットさんが馬車の扉を開けると、俺、クレア、スカリー、アリーの順に降りた。全員が降りると扉を閉めて俺達を案内しようとしてくれる。
「さ、どうぞこちらへ」
アリーは自分の家なんだから勝手に入ればいいんだけど、初めてやって来た俺達と一緒にウィルモットさんに案内されて屋敷の中へ入る。
大きな扉をくぐると最初に大きな広間が現れた。そういえば、どうしてこういう屋敷の玄関ってどこも大きいんだろう。
そんなとりとめもない感想を思いながらウィルモットさんとアリーについて行くと、応接室へと案内された。
ペイリン家やホーリーランド家の応接室に何度も入っているので、今更応接室の中のもの全てに驚くことはない。でも、最後に応接室の中へと入って、ソファのひとつに腰掛けている老魔族が視界に入ったとき、俺は思わず立ち止まってしまった。
ほぼ露出のない漆黒のゴシックドレスに身を包み、その衣装と同様の黒髪に病的なまでに白い肌の持ち主。人形といえるくらい生気がないように見える絶世の美老女。
「オフィーリア先生」
俺は驚いて立ち止まってしまったが、相手も目を見開いてこちらを凝視している。そしてゆっくりと立ち上がって、こちらへと歩いてこられた。
「ユージ、転生したと聞いていましたけど、姿形は霊体のときと同じなのですわね」
「ええ、俺も驚きました。てっきり全くの別人みたいになっていると思っていましたから。おかげで金髪碧眼が当たり前の周囲からは嫌われてましたけど」
オフィーリア先生から話しかけられたおかげなのか、思った以上に口が滑らかに動く。
「そう。苦労したのね。昔、私があなたに言葉と魔法を教えていたときのことは覚えているかしら?」
「覚えていますよ! 魔族語から始まって二極系統の闇属性の魔法を教えてもらったことでしょう。そのあと、エディスン先生とオフィーリア先生とジルの三人に実践的な使い方も仕込まれましたっけ」
しゃべっているうちに当時のことをどんどんと思い出していく。
「そうそう、相殺のお題が出されたときは結構悩みましたよ。ほら、光明を相殺しろってやつです。暗闇っていう答えに至るまで時間がかった記憶があるなぁ。魔力分解とどちらか迷ったんですよ」
多少の皺はあるものの、その美しさはあのときのままだ。そのきれいな顔に笑顔が浮かんでゆく。
「嬉しいわ。ちゃんと覚えてくれていたのね、ユージ」
「はい!」
最初の村で別れて以来かなりの月日が過ぎているけど、一度思い出したらまるで昨日のことのようだ。いくらでも話ができそうに思える。
「御屋形様」
「あら、いけないわ。懐かしさのあまり、つい。ごめんなさいね、アレクサンドラ、そしてお二方」
「いえ、かまいません。私は三年ぶりですが、師匠、いやユージ殿とは二百年ぶりなのでしょう」
オフィーリア先生は、ウィルモットさんの遠慮がちな声でアリー達のことを思い出すとすぐに謝る。その横で、俺も周囲のことを思い出して苦笑いした。うん、俺も悪いな。
「すまん、二人とも」
「まぁ、ええですやん。二百年ぶりなんやから。積もる話なんてそれこそ山のようにあるんでしょ? そんならしょうがないですわ」
「そうよね。それにしても、魔王が討伐された頃以来だなんて、本当に歴史的よね」
俺が例外的な生き方をしているから実現したことなんだけどな。
「申し遅れました、私がオフィーリア・ベック・ライオンズです。アレクサンドラの祖母であり、この屋敷の主でもありますわ。あなた方がスカーレット・ペイリンさんとクレア・ホーリーランドさんですわね」
挨拶を受けた二人は、同じようにオフィーリア先生へと挨拶を返す。
このやり取りで気づいたけど、オフィーリア先生は人間語を使って話をしてくれている。スカリーとクレアに配慮してくれているんだ。
「懐かしさと驚きのあまり、皆さんを立たせっぱなしにさせたままとは何たる無礼。さぁ、どうぞこちらへ」
全員の挨拶が終わり、ようやく話せるようになったところで、オフィーリア先生が俺達にソファを勧めてくれた。
オフィーリア先生の隣にはアリー、その正面に俺、スカリー、クレアの三人が座る。
「ふふふ、あなたが本物かどうかどうやって試そうかと考えていましたが、その必要はなかったようですわね」
「あ、四系統七属性を全部披露した方がいいですか?」
「あなたがそれをできることは知っていますから……いえ、せっかくですから見せていただこうかしら」
なぜか途中で言葉を翻したオフィーリア先生は、楽しそうに俺へと催促してきた。俺の成長っぷりを見たいのだろう。
そう判断した俺は、まずペイリン家とホーリーランド家のときと同じように四系統七属性全ての魔法を発動させてみせる。そして次に、スカリーの研究のときに散々やったごく小さい複合魔法を使ってみせる。これにはアリーをはじめ、スカリーとクレアも驚く。
オフィーリア先生はそんな俺の様子を見て終始上機嫌だ。ウィルモットさんも目を細めて感心しているように見える。
「素晴らしいわ。よくそこまで使えるようになりました。さすが、私にとって初めての教え子なだけありますね。ただ、いささか魔力による力押しが目立ちますわ」
「さすがにばれましたか。気づかれるとは思ってましたけど」
やっぱり魔法については採点が厳しいな。俺は苦笑するしかない。ただ、それでもやっぱりかつての師匠に褒めてもらえたのは嬉しい。
そして、俺に対する試験はここまでだ。これで、オフィーリア先生にも本物だと認めてもらえた。続いて、アリー、スカリー、クレアの三人が口を開く。オフィーリア先生に対して、この三年間の話をするためだ。学校では色々とあったしな。
俺はそんなみんなの様子を見ながら、何を話そうかと考えをまとめていた。