巨鳥への迎撃
ノースタウンを出発してから五日目の昼頃、俺達は最北の森の北側に出た。目の前には地平線の彼方まで東西に横たわる大北方山脈が横たわっている。
「うわぁ、大きいな」
森から抜けてその姿を目にしたとき、俺は思わずつぶやいた。前世でも何度か見たことはあったし、厳密にはその中に入ったこともある。でもあのときは周囲の様子をのんびりと見ている余裕がなかったので、何とも思わなかった。
でも、今はご大層な任務を背負っているわけではない。あのときに比べて随分と気軽な身分ということもあり、その勇壮な風景を楽しむ余裕があった。あ、別にアリーを送り届ける仕事がどうでもいいって思っているわけじゃないですよ?
「外から見ている分には美しい景色です。しかし、この中を通るとなると自然が牙を剥いてきますよ」
体験者であるアリーが、かつての記憶を思い出しながら話しかけてくる。
一瞬、アリーの顔を見てから再び山脈に視線を向けたが、景色そのものは何も変わらない。ただ、山脈の中に入った後のことを想像して微妙な気分になった。
「鬼、地獄の猟犬、岩蜥蜴、巨鳥だったっけ? 襲ってくる魔物って」
「それ以外にも、落石や天候の急変などもあります」
うん、わかっている。俺も山に登ったことくらいはあるからな。
「冬になったら大変そうだな。というか、通れるのか、ここ?」
「何とか通れるみたいですよ。夏に比べて危険になるそうですが」
そうだろうな。雪と寒さ、それに雪崩なんかの危険も追加になるしな。それでもよく通ろうとするもんだ。往来する隊商の数が減るとしたら、それだけ儲ける好機なんだろう。
そうやって話していると、次第に山脈へと近づいてくる。気づけばいつの間にか地面が少し傾いていた。いつ頃から傾いていたのかはわからない。馬車の振動が酷くなってきたからか気づかなかった。
荷馬車の正面を見るとマイルズの馬車の背が見える。そしてその先が、その馬車の屋根から上に見えていた。途中からは大きく横にそれ、山の斜面を蛇行しつつも更に上に延び、そして山脈の中へと続いていた。
これから次第に街道の傾斜がきつくなっていくわけだが、それに合わせて荷馬車の速度が遅くなってゆく。荷台に品物を限界一杯に積み込んでいるためだ。悪路一歩手前の道で速度を上げすぎると、品物が落ちたり、最悪荷馬車ごと斜面を滑落しかねない。
一行はつまらない問題を発生させないためにも、ゆっくりと慎重に荷馬車を進めた。
大北方山脈の中に入ってからわかったことだが、山の中の街道を進むというのは緊張の連続だ。何しろ、街道の片側からはいつ落石してくるかわからないし、反対側は滑落すると底が見えない谷底まで落ちてしまう。こんな状況を常に強いられ続けるのはつらい。レスターを始めとする隊商の面々は慣れたものだが、俺としては常に死を意識させられてどこか気が休まらなかった。
しかし、そんな危険から目をそらせば、周囲の景色は悪くない。近くで見る山脈は山の斜面が実に荒々しく見える。しかし、その岩の色と空の色の対比が実に美しい。
「これで落石がなかったら、もっとのんびりと景色を楽しめるんだけどな」
「まぁ、山とはこういうものらしいですから、諦めるしかありません」
一見するといつまでも同じ様子を保っているかのような感じがするが、山だって常に変化している。それは何も見た目が大きく変わるようなものばかりじゃない。山の表面は常に日差し、風、雨、雪などに晒されているため、頑丈な岩であっても削られて崩壊する。また、小石のようなものは斜面を伝って滑り落ちてくることは割とあった。
俺達が山脈に入ってからも小さな石が何度か落ちてきた。そしてついさきほど、人の頭くらいの岩が転がってきたのだ。幸い馬車の間を通り抜けていったが、馬にあたると大変である。
「そういえば、もう結構山を登ったような気がするんだけど、あんまり息苦しくないな」
落石と景色に気を取られて忘れていたが、標高が高くなればなるほど酸素が薄くなるはずだったんだよな。何となく息苦しいような気がするけど、これはどうなんだろう。
「走ったりするとさすがに息切れしやすいですよ。あと、歩いていてもです」
「こんなところで走るなんて……あ、魔物と戦うときには、走るかもしれないな」
荷馬車に揺られているけど、先日の黒妖犬の時のように、場合によっては荷馬車から降りて戦う可能性だってある。
「魔物と戦うって言えば、こんなところで巨鳥以外がどうやって襲ってくるんだ?」
空を飛んでいる巨鳥はともかく、空を飛べない魔物はこの斜面をどうやって移動しているんだろうか。
「山中を通ると言いましても、最初から最後までこんな斜面ばかりを通るわけではありません。途中には高原のような広い平地もあるんですよ」
「そうか。山の中を行くから全部こんな道ばかりだと思っていたよ」
言われてみるとそうだよな。いろんな地形があって当然だ。そして、楽に往来できるところにできるだけ街道を作っていくわけだが、そんな便利な場所は当然魔物にとっても便利なわけである。納得した。
そして昼下がりになると、街道は荒涼とした広い場所に出る。岩と砂と土しかない世界だ。山として見ると趣があるなんて思っていたのに、いざこうやってその場所にやって来ると随分もの悲しく感じてしまう。風景として観賞しているときとは違って、現実感が湧いてきたからだろうか。
「師匠、あれを!」
ぼんやりと感傷に浸っていると、アリーに現実へと引き戻された。その指さす方向に目を向けると、何やら豆粒みたいなのがうごめいている。
「なんだあれ?」
「私には人型に見えます。恐らく鬼ではないでしょうか」
言われてみれば、そう見えなくもない。俺は捜索をかけて確認してみた。範囲を広めにして鬼で探索してみると確かに引っかかった。数は十二体か。
「レスター! 左側に鬼が十二体いるぞ!」
「なんだと?! こっちに来てんのか?」
「わからん。まだ遠くにいるから何とも言えん」
鬼は、背は人間よりも高く腹が出っ張っていて、四肢はやたらと筋肉質だ。魔族にとってはどうかわからないが、人間にとってはかなりの驚異である。少なくとも冒険者のパーティ単位で対処しなければならない相手だ。それが十二体もいるというのは脅威でしかない。
レスターは御者台から立ち上がると、紅白の旗を持って前後の馬車に魔物発見を知らせた。例えやり過ごすにしても情報の共有は大切だ。
俺とアリーはそれからもじっと鬼を観察していたが、こちらへと向かってくる様子はなかった。念のため捜索でも監視していたが、どうもその場を動いていないようだ。一体何をやっているんだろうか。
「ま、やり過ごせるんだったら別にいいさ。放っておこうぜ」
やがて完全に危険な範囲から脱すると、レスターが嬉しそうに言ってきた。確かに、面倒なことが増えないのならそれでいいというのはわかる。
ただし、魔物と遭遇して何も起きなかったというのは珍しいことだ。普通は必ずと言っていいほど戦うことになる。
監視がてらに周囲の風景を眺めていると、後続の馬車が紅白の旗を使って何かを知らせようとしてくる。
「えっと、魔物、接近、上?」
その連絡のないように釣られて俺は空を見上げる。すると、何か鳥みたいなのがこちらに近づいてきていた。それも三体。
「え、もしかして巨鳥?」
レスター達から聞いた話だと、羽を広げた時の幅が約二十アーテムもある大きな鳥だ。ここから見ている限りだと、もふもふした羽にくるまれていて一見すると愛らしそうに思える。しかし、脚の鉤爪や嘴なんかは猛禽類のものを更に凶悪にしたような感じだ。あの鉤爪でがっしりと捕まえられた上で、あの嘴でついばまれるところを想像して震え上がった。そんなことをされて生きている自信はない。
巨鳥は一定の距離を保って俺達の隊商の上空を旋回している。あー、こりゃ品定めをしているな、どれがおいしそうか。
「レスター! 巨鳥に目を付けられたぞ!」
「くっそ、嫌な奴に絡まれたな!」
腹立たしげに紅白の旗を手にすると、立ち上がってマイルズの馬車に連絡をし始める。
後続の馬車に視線を向けると、スカリーとクレアが背中合わせで上半身を荷物の上から晒していた。どこから襲われても対応できるようにしているようだ。そして、魔法操作を発動したらしく、二人の正面に白い真円が現れたのが見えた。
「師匠、私達も迎撃準備をしましょう」
「わかった。魔法操作を発動させておこう」
あれだけ大きな鳥が空から襲ってくるとなると、遠距離攻撃の手段を持っていない者は無力だ。だから、撃退できるかどうかは、俺達のように攻撃魔法が使える者にかかっている。
迎撃準備ができると再び上空へと目を向けた。まだ俺達の頭上を時計回りに回っている。
「来ました!」
アリーが短く叫んで警告してくる。
巨鳥に備えつつも隊商がゆっくりと移動していると、ついに降下してくる。前方、真ん中、後方ときれいに分かれた。
「我が下に集いし魔力よ、火となり我が元へ集え、火球」
「我が下に集いし魔力よ、火となり貫く牙となれ、火槍」
俺とアリーは、こちらに向かって急降下してくる巨鳥に対して攻撃魔法を撃つ。直径五十イトゥネックの白い真円を通り抜けた俺達の魔法はまっすぐに巨鳥へと向かう。
しかし、巨鳥も自分に向かってくるものが危険だということを知っているのだろう。俺達の放った魔法を回避するべく軌道を変更する。
普通ならこれで魔法を回避できるが、俺達の撃った魔法は普通じゃない。巨鳥に合わせて軌道を変化させてゆく。相手も途中からそれに気づいて更に軌道を変えるが、それでも尚回避しきれない。
そしてついに、巨鳥の頭に火球が、胴体に火槍が命中する。火球は頭部で派手に爆散して羽毛を燃え上がらせ、火槍は大半が体にめり込んでいた。
俺達の攻撃を真正面から受けた巨鳥は、声を上げるまもなく脇の谷底へと墜落していった。
「師匠、これは凄いですね」
「うん、思った以上に使えそうだ」
シャロンが開発したこの魔法操作が、非常に有効だということは前からわかっていた。でも、こうやって実際に今まで苦労していた空からの攻撃をあっさりと撃退できて、改めてその有用性に驚いた。
「たぶん、急制動をかけられたら対応できないだろうけど、巨鳥位の動きなら楽に追いかけられるな」
例えば、当たる直前になって直角に曲がられるというような場合だ。さすがにそこまで自在には操れない。しかしそれでも、空からの襲撃に対応できる手段ができたというのは心強い。
「あ、もう一体が谷へと落ちていきます!」
アリーの向けた視線の先に目をやると、街道脇の斜面に巨鳥がぶつかるところだった。まだ生きているのかもがいているが、飛び立てずにそのまま滑落してゆく。誰が撃ち落としたのかまではわからない。
「残る一体はどこだ?」
俺は青い空を丁寧に見てゆく。すると、隊商の集団の後方上空で旋回していた。ここからだと遠いな。
最後の巨鳥がどう動くか俺とアリーはじっと見ていたが、やがて諦めたのか俺達から離れていった。
「終わりましたね、師匠」
「そうだな。レスター、巨鳥を追い払ったぞ。もう大丈夫だ」
「えらくあっさりと追い払えたな! 普通は何時間もつきまとわれるもんなんだけどよ!」
そうか、今までだと巨鳥の方が圧倒的に有利だったから、思う存分ちょっかいをかけられたのか。そうなると、時間をかけて獲物を疲れさせたところで、かっ攫うようなこともできたんだ。
「うわ、そりゃ本当にやっかいだな」
「こんな三十分もしないうちに襲撃が終わったなんて初めてだ」
レスターの反応を見ていても、魔法操作がいかに巨鳥撃退に有効だったかよくわかった。
「あ、師匠、スカリーとクレアが手を振ってますよ」
後続の荷馬車の上を見ると、確かに二人がこちらに向かって手を振っていた。距離はそんなに離れているわけではないので普段なら声が届くのだが、あいにく今は風が強いため何を言っているのかわからない。俺が手を振り返すと、二人は更に大きく手を振ってきた。
「早くロッサに着かないかなぁ」
もう何日も野宿をしているせいで、いい加減ベッドが恋しくなってきた。魔族の街がどんなものかはわからないが、人間の商人も出入りしているんだから俺達にも使えるだろう。それを楽しみにしながら、俺は再び周囲の景色をぼんやりと眺め始めた。