4 飛行
過去最悪。
あまり喜ばしくない4文字である。
いまから15年前に起きた航空機事故には、この4文字がよく似合う。
セセリア機墜落事故
1670年6月3日14時22分。乗客220名を乗せた飛行船セセリア機イ号は帝都空港を出発してから2時間後に嵐の中を飛行していた。
予想外の天候に襲われたセセリア機であったが、嵐の中をどうにかくぐり抜けると
そこは美しい青空が広がっていた。あまりにも美しい青と白とのコントラスト。
白雲と青海の2色がただただ広がっていた。それは客席の窓からも見え
嵐を抜けたセセリア機内には実にビューティフォーな雰囲気が満ちていたが、それはすぐにぶち壊された。
嵐の中では不通となっていた管制塔との交信が回復すると、まっさきに飛び込んできた情報は
セセリア機への事実上の死刑宣告であった。
「セセリア機イ号に告ぐ!当該の機は現在、森岳地域近辺を飛行中である!可及的速やかに当該空域より離脱せよ!」
竜脳普及により、飛躍的に向上した人類の“力”は様々な地域に波及し、人類こそ地上の覇者といえる状況であった。
陸に、海に、そしてこのセセリア機のように空に。世界のいたる所に人間が跋扈したのだ。
しかしそんな人類にも未踏の地があった。
森岳地域。古来より大型の竜が大量に生息するとされるその地域は、人類文化の流入を阻み続けていた。
セセリア機はこともあろうに、その地域へと流され飛ばされていたのだった。
乱獲の真っただ中にある竜であるが
この地域の竜は違った。ここではむしろ人間が乱獲される側であった。
北半球に位置する森岳地域は、工業大国「雲電」の領土内であったが
かの大国といえど、森岳地域への探索はほとんど行われてはいない。
理由は実に簡単なこと、あまりにも危険なのだ
普通はお目にかかれない30メートル級の個体が、当たり前のように空と大地を独占していた。
それらの個体の戦力は生物というカテゴリから大きく逸脱している。
大型火器の攻撃を物ともしない皮膚は、もはや鉄の壁。
重戦車すら生菓子のように崩す腕力は、もはや血の通った兵器。
大型の竜は、竜脳により発達した近代兵器をもってしても対応不能な存在なのだ。
「こ!!こ!こちらセセリア機!イ号!速やかに当該地域より!!より!離脱す!!するぅうう!!」
明らかに動揺したパイロットの声が、森岳地域から遠く離れた管制塔にこだました。
管制塔にも緊張が走ったが、その緊張はその後すぐさま絶望へとチェンジする。
「おいおいおいおい!あれ!おい!竜!!竜だって!!おい!!」
パイロットの絶叫とともに交信は途切れた。
「救出作業にむかうべきである!」との声は多々あった。
「バカを言ってるんじゃないよ!無理!!」との声はもっとあった。
大型竜の巣窟たる森岳地域への救出作業なんてものは、甘い塩、しょっぱい砂糖を用意するのに等しい難度である。
行くのは自殺願望のある者のみ、そんな声が世論に充満したが
セセリア機搭乗客家族に名家、実力者が多々いたためか、強引に結成された
救助部隊300名が森岳地域へと派遣されたのであった。
事故発生から10日後の13日、救助部隊は帰還したが、300名で構成された部隊は
6名しか生存しておらず、飛行船乗客と合わせ500名以上の死者数を計上した
史上稀にみる航空事故となった。
さて、救助部隊にも成果はあった。セセリア機のブラックボックス回収に成功していたのだ。
「機体は森岳地域北端の海岸に機首と両翼がバラバラになった状態で墜落しておりました。」
救助部隊隊長にして数少ない生存者である、アオキ隊長は会見時、伏し目がちに記者に回答を続けた。
機体は発見できたが、乗員の生存は確認できなかった。
確認できたのはおびただしい血液と、少量の食べ残しであった。
そしてそこから数百メートル先にあった、かつて乗客と呼ばれていた排泄物があった。
食べ残しの量から察するに、乗客の大半が竜の胃袋に収まったと考えられた。
機体には大型竜の攻撃によって生じたと思しき、爪痕が残っていた。
機体からブラックボックスを発見できたのは奇跡としか言いようが無いが、
奇跡はそこまでであった。回収作業中の部隊の前に大型の竜が立ちふさがったのだ。
アオキ隊長が会見で話せたのはここまでであった。泣き崩れる彼の姿をカメラと記者が追った。
さて回収されたブラックボックスに残っていたのは音声データであったがそのデータのおぞましさたるや凄まじく。響くのは悲鳴と人骨がひしゃげるような音ばかりであった。
しかしセンセーショナルなのはこの音声データが外部流出してしまった事である。
流出ファイルを視聴した者は異口同音でこう答えた。
「ファイルの最後、よ~く聞いててみ?な?ほら聞こえるだろ!?“その子はだめ”やばいね鳥肌!」
セセリア機墜落事故。まさしく過去最悪にふさわしい事故であった。