3 酒宴
「あいにくの雨で申し訳ないね」黒い車から、黒い背広の男が降りると、男はそのまま黒い傘を広げた。
「いいえ、そんな。お天気はしょうがないですわ。」黒い背広の男が広げた黒い傘に、体格のいい男が体を寄せる。
「相々傘だね。入口まで。ま、いいでしょ。許してね。」黒い背広の男はそう言うと、体格のいい男を先導して歩を進めた
10歩ほど歩いた先には、会計で天文学的数字が飛び交いそうな料亭があった。
体格のいい男は、体格がいい故の悲しき運命なのか、肩が傘からはみ出ていた。
傘の守備範囲から外れた肩は雨を吸い、さながら雨に打たれる巌のようにも見えた。
濡れ巌のように見える男こそタカダ・オルゲイラである。
「ごめんよタカダ君。お客さんなのにね。」黒い背広の男は先ほどから謝ってばかりだが、その口調には
謝る側の気負いはない。「竜とり」のタカダより社会的地位が上なのは間違いなさそうだ。
「ははは、センバさん!そんなお客とか!やめてくださいよ!」
料亭の門をあけると、和装の女性、女将だろうか…やや老いてはいるが
美しい笑顔で出迎えてくれた
「センバさん!お待ちしておりました」
「ははは…ここは会社の経費じゃないとなかなかね…」センバは軽く笑ったが、いかんせん愛嬌が足りない笑顔だ。
料亭の女中に案内されタカダと黒背広の男・センバが通された部屋には、美しい調度品が並びいかにも「金持ち御用達」といった雰囲気が流れていた。
円卓を挟んで向かい合った二人の前には、黄金色の液体が白雲のごとき王冠を携えていた。人はこれをビールと呼ぶ。
この液体に魅了される人は少なくはない。タカダもその一人だ。おそらくセンバも。
二人はビールのはいったグラスをカチンと合わせた。それを合図に一瞬で二つのグラスからビールが消えた。
「うん、うまいね。」センバが表情を変えずに言う。
タカダは静かに絶叫しながら、消え入るような声で「うまい」とつぶやいた。
「タカダくん、この前はお疲れ様。あれいい脳だったよ。需要期前にありがたいよ」
「センバさんにそう言われるとね、嬉しくなっちゃいますよガハハハ」
「苦戦したのかな?」
「まさか!まあちょっと口臭のキツイ竜でしたからね、その点は苦戦でしたよ。」
運ばれてきた料理を口にしながら、二人は楽しげに語った。
身振り手振りで話すタカダ、笑いこそすれど目は笑っていないセンバ。二人の会話は竜が中心だった。
ビールの入ったグラスが汗をかいていた。
「儲けたいときに、商品が無ければ儲からない。単純だけど当然だよね。まあそれもタカダくんのような優秀な「竜とり」の存在があってこそだ」
センバが空いたグラスにビールを注いだ。
両手で包んだグラスでビールの流れを受け止めたタカダが続ける
「ふふふ、センバさんに褒められると嬉しいですね。でも俺気づいたんですよね。」
「…なんだい?」
「センバさんが褒めた後は、大体キツイ仕事が待ってる。」
「…ばれた?」センバの口角が少し上がった。
「政府のスパコン計画。あれ予算が通ってね…」
センバがそう言うと、タカダの表情が一瞬固くなった。
「ああ…そう…スパコンって、あの?スーパーコンピューター?マジか…」
タカダはグラスのビールをぐっと飲み込む。数秒でグラスが空となった。
「もう分かっていると思うけど、スパコンには尋常じゃなく大容量の脳が必要になる。」
「設計チームが言うに、必要な脳は1200kg。もちろん鮮度はA5クラス。」
「もちろんこうなると、大型竜を狙っての狩猟となるわけだね。」
「これは国家規模のプロジェクト!失敗は許されない!そしてそれだからこそ君の力が必要なんだ!」
センバは早口に事のあらましをタカダに伝えると、グラスに残ったビールをグイと飲みこんだ。
「まあ、そんなわけで改めて言うが、タカダくん…君の力が必要なんだ。…いいよね?」
センバが愛嬌のない笑顔をタカダに向けた。
「そこまで…そこまで言われちゃうとね…」タカダは視線を落としながらも続けた
「行きますよ…行きますけど…」
「…けど?」センバの表情が少しこわばった
「やっぱ場所は…森岳地区っすか?」タカダは少し不安げな表情でセンバに尋ねた。
「そうだよ!もちろん!頑張って!!」センバはまたしても愛嬌の無い笑顔を浮かべた。
「ちっ…たっぷり請求しますからね…」タカダは無理矢理気味にグラスのビールを胃に流し込むと
げぷっと一息漏らした。実に下品な響きが個室に満ちた。
しかしこの響きこそ、無理難題を了承したサインとも言える。