1 唾液
皆さんが竜について抱くイメージっていうと、どんな具合かな?
なんかこうギザギザした角があって、とげとげしい装飾じみた体で、
口から得体の知れないカラフルな光線を出して…
いや違う。そんなもんじゃねぇんだ…実際は違うんだ。
角はあるにはある、しかしあって1、2本。
体だってとげとげしくはない。ゆで卵みたいにツルツルさ。
考えてもみてくれ。あんまり角やら棘やら生えてたら
男の子の竜が、女の子の竜とイチャイチャする時邪魔になるだろ?
人間と同じさ。
光線だって出やしない。あ、でもこの前どこかの渓谷だかで光線を出す奴がいたとか…
いや、とにかく光線は出ない。出るとしたら果てしなく臭い吐息だ。
太りまくった豚のようなジジイ、それも何日も風呂に入っていない不潔なジジイ
それを1ダース用意して濃縮還元したような…果てしなく臭い吐息。
竜の口から出るものなんて、せいぜいそんな物だ。
「やけに詳しいじゃないか」だって?
そりゃそうだ。何せ俺の目の前で大きな口を開けてんだからな。
体長6メートル、体重おそらく500kg超!
この竜ちゃんは俺の事をメシとして認識していやがる。
見ろ!その証拠に臭ぇヨダレを垂らして、俺のほうを見ていやがる。
どうだいこの現実味のない状況。なにせここは人里離れた山の中。
霧に包まれたこの周辺はいわば竜の巣だ。
それにしたって竜ちゃんよ…俺がそんなに美味そうに見えるかね?
筋骨隆々のナイスボディだが、33歳独身、若干の加齢臭をまとう俺は
食べ物としてはあまり魅力的ではないと思うんだよ。
もっと柔らかそうな人間…まあ簡単に言えばデブだな。そういうのをおススメしたいんだが
まあ腹ペコの竜にはそんな事関係ないか。
なんて思っていると
ギザギザにとんがった牙をむき出して、竜は俺に飛びかかってきた。
巨体のわりに俊敏!一瞬にして俺の上半身は奴の口で覆われちまった。
普通ならこれで終わり、明朝には竜のウンコとして来世スタートなんだが
そこは俺だ。簡単にはウンコにはならない。
大体の動物がそうなんだが、口の中は柔らかい所が多い。なにせハラワタの入口だしな。
とりあえず竜の臭い口内だろうと構わない。
まずは落ち着き、どこだっていい、柔らかい箇所に手をあてがい…握る。
「きゅぽああああああ!!!」
頬の内側かな?とりあえず思いっきり握ると、竜は素っ頓狂な声をあげてもがきだした。
俺も“そこそこ”に握力があるからね、きっと竜は痛かったと思うよ。
やっぱり“ちねくる”のは痛い。最強の攻撃手段だ。
ダラダラとヨダレとか血液とかが、シャワーのように竜の口内で流れて溢れる。
さすがに匂いと不快感に負け、俺は“ちねくってた”手を放す。
ズルズルとヨダレを潤滑材代わりに、竜の口内から滑りだす。
ヌルヌルベトベトの竜の口内とは違い、外は新鮮で冷えた空気に溢れていた。
ヨダレと血にまみれた俺を見た竜は悲しそうな表情を(いや、竜ってそんなに表情筋無いんだけど、あれはどうみても悲しそうな顔だったよ)
浮かべ、俺から逃げようとした。
どうやら俺は食べ物としては失格のようだ。
「じゃあここからは食べ物じゃなく…俺の本来のポジションとして動くか…」
逃げようとする竜の第一歩が地面につく直前。俺の蹴りが竜の一歩目を阻んだ。
大地に転倒する竜は、何が起こったのか把握できていない。
慌てて立ち上がろうとする竜がおそらく最後に見たのは、俺のゲンコツだったに違いない。
べきょあっっ!
竜の首筋にめりこんだ拳から脈動が伝わってくる。
どっどっどっどっど…早いビートは徐々に落ち着いてくる。
っど っど ど ど…ど どうやらオチが付いたようだ。
「くせえ…」体中にまとわりついた竜の唾液。恐ろしいほどの悪臭だ。
「はやく風呂入って…ビール飲んで…」わずかばかりの疲労感、そこそこの達成感、ふたつが俺の体を
包んでいく。
竜の骸に腰を下ろし、空を見上げる。今にも降り出しそうな曇天の空だ。
仕事とはいえど、毎度毎度難儀で仕方がない…
そんな俺の仕事を世間では「竜とり(たつとり)」と呼ぶ。