「空」 第44話
「宇宙、帰ろう。 会長や皆の元へ・・・」
「うん・・・」
宇宙〈そら〉に、疲れは見られなかった。
ただ、かなり泣いていたのだろう、目が真っ赤に腫れ上がっている。
俺は宇宙をおんぶして、大門寺から借りた車へ急いだ。
「会長、宇宙を連れて来た・・・」
「!? ・・・ありがとう」
広間の奥に正座していた会長が、テーブルに両手をつき、深々と頭を下げた。
その広間には、ハルさんと茜、初対面ではあるが守氏が面を並べていた。
「・・・葉子夫人の顔が、見えないようだが?」
「・・・・・・・・・・」
全員が沈黙を貫く。
茜だけが、周りを見回すような素振りを見せた。
「・・・・・旦那様、葉子奥様は部屋で籠りっきりなのでは?」
“何故言わないの?”と言いたげな顔で、茜は会長に問うた。
「・・・・・茜、不動さん、申し訳ない。 宇宙も無事帰って来た事だし、ここで終わりにしてはくれまいだろうか?」
「!? ・・・どういう意味だ?」
素直に、会長の言っている意味が解らなかった。
茜も同様のようだ。
会長の覚悟が、目力で読んで取れた。
「・・・あいつは馬鹿な女でのう・・・・・」
隣で、やや俯き加減に一点を見つめていた守氏から鼻を啜る音がした。
守氏は泣いていた。
会長は、涙を流すまいと歯を食い縛りながら話しだした。
実は、葉子夫人はノイローゼにかかっていた・・・、原因は守氏の浮気。
この歳になっても、守氏の女好きの癖は治らなかった。
ただ、それだけではヒステリーになるくらい・・・、この病の引き金を引いたのは、守氏の“宇宙は本当に俺の子か?”という言葉と、ある女が言った“守さんの子は、どうやら自分の子供ではないらしいのよ。 どっかのヤクザの子供みたいなの”と。
そう、山岸 礼子が通りがかりの占い師と間違えて、婦人に全てを話したこの言葉。
慌てて葉子夫人は、DNA鑑定をした・・・、会長の知り合いの病院とは、違うところで。
葉子夫人は、ここで初めて、宇宙は守氏の子供では無い事を知る事になる。
この日からだった。
葉子夫人が、二重人格ともいえる言動になったのは。
ある時は宇宙を物凄く可愛がり、ある時は物凄く嫌った。
「・・・私が悪いのだ。 この馬鹿息子の育て方を間違えたから・・・・・」
会長の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「そんな事は、今言っても始まらない。 先を話してくれ」
葉子夫人が宇宙を嫌がった理由に、恐らく宇宙が実の父親である平井〔兄〕に似て見えた為だろう。
その嫌がる気持ちが、ある時“殺意”に変わった。
山岸 礼子に近づいて平井〔東城〕を金で釣り、協力するように見せかけて利用した。
この誘拐計画を立てたのは葉子夫人で、計画内容では、宇宙は平井〔東城〕に攫われてすぐに殺されるはずだった。
しかし、平井〔東城〕は殺さなかった。
臆ついたのか、兄貴の忘れ形見だからか解らないが、殺さなかった。
(・・・哲さんの所に駆け込んで“暴力団に攫われた”と言ったのは、もう1人の葉子夫人だったか。 計画を立てた張本人だけに、“暴力団”なんていう言葉が出て来たのか・・・)
「・・・葉子は、何度も死のうとしたらしい。 でも、死にきれなんだ。 そう書いてあった・・・・・」
「!? そう書いてあった???」
「・・・そう。 全てはこれに・・・・・」
そう言うと会長は、俺の前に1通の手紙を滑らせた。
宛名も消印も無い、真っ白な封筒にそれは入っていた。
・・・つづく




