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 第二章「覇王行軍前編」

戦という物を書きたかったので書きましたが、思っていたよりも難しいです。あまりにごちゃごちゃし過ぎて読者おいてけぼりは避けたいんですけど。群像劇で戦争ということでこんな形になりました。感想お待ちしています。



 貿易都市ダイランドから北東に進んだ場所に野営地が設置されていた。

 設置したのは覇王軍と呼ばれる軍勢だ。その規模は二十万にも及ぶ。地を埋め尽くす程の兵士が、仮設したテントを張って夜が明けるのを待っている。

 その野営地のほぼ中心部。そこに作戦会議用に設置されたテントがあった。

 現在そこには覇王軍総帥である、覇王ことゼオンがいる。そして彼を中心して集まったのは兵を預けられた騎士長達と、軍師達だった。

 その中でも異色の二人組がいた。

 ひと組の男女だ。

 彼らは兵を預けられることもなく、騎士等という肩書きも持たないただの雇われ傭兵に過ぎない。

 しかしながら、覇王直々の部下として出席を許されているのだ。

 男の名前はフェイン・クラウンハイト。覇王軍にて二番目に強いと称される剣士で、神魔器使いとしても有名だ。

 女の名前はエルモア・リリア・オリフィス。現代に生きる魔法使い、つまりリリアの民の生き残りで、深淵の魔女と呼ばれている。

 フェインは魔女に命を預ける魔女騎士として、この戦争に参加しているのだ。

「陛下、申し上げます」

 一人の男が声を張り上げた。

「なんだ?」

 覇王ゼオンは答える。

 彼は帝都を陥落させ、王家を崩壊させた。その後、新たな王として君臨することを宣言してから、周りの者に皇帝と呼ばせているのだ。

「現在我が軍は貿易都市ダイランドを陥落させ、敗走した敵軍を追撃している最中であります。しかしながら、これ以上の追撃は危険が伴う為、一度ダイランドにて守りを固めるのが得策かと進言致します」

「陛下、申し上げます!」

 それを聞いた別の者がさらに大きな声で言う。

「聞こう」

「ダイランドより多くの民が北上しております。それを守るようにダイランドの軍は動き、そしてその殿に奴らの最大戦力である【疾風の翼】が控えております。この動き、北にある宗教都市フェアリーナに向かっていると推測出来ましょう。敵戦力の増大を防ぐためにも、ここで討つべきかと」

 相対する二つの意見。それは両方が真っ向から対立しているが、双方ともに聞くべき論であることは間違いない。

「ダイランド陥落で物資の補給は十分だ。兵士の士気も十分に高い。ここで追撃を渋る理由は薄いと俺は考えるが、どうだ? ゼオン陛下」

 一人の騎士がゼオンに意見を求める。

 あまりの馴れ馴れしさに何人かが非難めいた視線を向けるが、本人は気にしている素振りもない。なにより、言われたゼオン自身がその態度に一切の不満を感じていなかった。

 それもその筈。甲冑を身に纏い、無骨な顔つきのかつて戦場で失った片目の上に残る古傷が印象的な男は、ゼオンが一兵士だった頃からの仲間なのだ。

「……俺もダイランドに残り守りを固めるというのは考えなかった訳ではない。だが、俺の覇道を拒む民は都市を捨てて逃げ出したからな。残ったのは従順な民と、逆らう気概のない民ばかりだ。統治するにはそう難しい話ではないだろう。故に、俺の右腕と幾ばくかの兵を残すだけで十分だろう」

「陛下、お言葉ですが、都市に伏兵を仕込んでいる可能性も考えられます」

 また別の者が言う。

「そうだな。あのシオンという軍師はかなりの癖者だ。その程度の策は仕込むだろうな。が、今回に関して可能性は低いうえに、別にされようが構わん」

「と、申しますと?」

「民の逃走を手伝うように行動している今、都市に伏兵を置き、混乱に乗じて攻めに転じるのは奇策ではあるが、あまりにも選択としては下策。あの男は愚かではない。この状況で貿易都市を奪われても我らに痛手はない上、俺の右腕が兵士を抱えている以上、それも一筋縄ではいかないだろう。それよりも全軍が都市に留まり、守りを固めている方が伏兵の損害はでかいだろう」

「……時間の無駄ですね」

 ボソリ。と、静かに、しかしこの場の全員に確かに聞こえる通りの良さで、エルモアは呟いた。

「貴様、今なんと言ったっ」

 騎士の一人が激高して怒鳴り散らす。

 それを涼しい顔で無視し、エルモアは続けた。

「時間の無駄。と、言ったんですよ。軍議というから呼ばれたのです。話すべきは都市の話ではなく、この先で同じく夜営する相手をどうするのかではないのですか?」

 辛辣な言葉を並べ立てる彼女の横で、苦笑いしながらフェインが大きなため息を吐く。

「無礼な、では貴様はさぞかし有意義な意見を持っているのだろうな」

「少なくともゼオンの求めている議題に沿った意見ならば、提示出来ますが」

「陛下と呼べっ! この穢れた魔女め、その汚い口で言葉を吐くなっ!」

 騎士が今にも斬りかかる勢いで立ち上がった。

 それを制するように。

「落ち着け、それ以上動けば死ぬのはお前だぞ」

 ゼオンが言い放つ。

「何故ですか陛下っ」

「呼び方は俺が好きにさせている問題ない。そしてエルモアを穢れた魔女と貶した人間は尽く隣の男に斬殺されている。気をつけることだ。俺だって言うには覚悟がいるぞ」

 大陸で最も強いと称されるゼオンにここまで言わせるのだから、魔女騎士であるフェインの実力が伺える。

 そう、穢れた魔女という言葉が出た時点で、触れれば切れそうな気迫を纏ったフェインが、腰の剣に手を置いていたのだ。

 軍議の場で唯一帯剣を許されているのが覇王ゼオンと魔女騎士フェインのみなのである。

 その意味を知る者は少ない。

「それよりも俺の意に沿った意見をくれると言ったな、その内容が気になるんだが」

「……現在疾風の翼と覇王軍は膠着状態です。理由は簡単。敗走する彼らが、森直前で突然足を止めて、野営を設置したからですね」

 続けて言う。

「民を抱えた彼らが足を止めたのは恐らく時間からでしょう。あと数刻で日が落ちる最中での出来事でしたから、夜に森を進むのは危険と判断したのでしょう。そしてそれはこちらも同じ。もしもこちらが攻める姿勢を見せれば、相手は一目散に森に逃げるでしょう。民を抱えている為、足は遅くなりますが、こちらはルシナの森の地形を一切知りません。夜にそこで待ち伏せでもされたら、その被害は甚大になることは考えるまでもないでしょう」

 そう、それが現在覇王軍の野営している理由であり、同時に攻めることに躊躇して膠着状態に陥っている理由なのだ。

「ですから、動くのは夜明けと同時」

 夜の森を進むのが危険なのは相手も同じ。日が昇れば間違いなく疾風の翼は民を連れて森へ逃げる。追撃するならばその瞬間だろう。

「言われずともそんなことは分かっている。だが、夜が明けて日が昇ろうとも森に逃げられれば不利なのは変わらぬではないかっ」

「だからダイランドに戻って守りを固める、ですか。あほらしい。ここでゼオンが求めているのは、如何に森で相手を倒すか。もしくは如何にして森に逃げられる前に戦闘を始めるかという点です。今日の議題はそこですよ」

 言わないと分からないのか。そんな意味を込めた侮蔑の眼差しでエルモアは見下した。

「地図はしっかりと見ましたか? 森の東に広がるラジール湖からの山脈はあまりにも険しすぎて軍隊が進める道じゃありません。けれど逆側の西。こちらは広大なカリオ平原が広がっています。誰が考えても取る手段は限られます。分からないのなら、きっと馬鹿なのでしょうね。お気の毒に」

 その隣で、彼女にだけ聞こえる小さな声でフェインが言う。

「もう少し穏やかに言ったら? 敵を増やすだけだよ?」

「貴方以外は全て敵です。増やすも何もありません」

「あはは……、信頼してくれるのは有難いけど。無闇矢鱈に敵意を振り撒くと僕が大変なんだけどなぁ……」

「知りません。面倒なら私を捨ててください」

「捨てる訳ないじゃないか。……分かったよ、僕が守れば問題ない。それでいい?」

「ええ、そうしてください」

 エルモアの頬が少しだけ朱に染まった。

「では聞くが、穢――いや、魔女エルモア。貴方にはさぞかし素晴らしい策があるのでしょうな。どうか聞かせて頂きたい」

「仕方ないですねぇ……」

 嫌々ながら。そんな感情を隠しもせず、如何にも面倒そうな表情でエルモアは口にした。その三つの策を。


   1


 夜が明けた。

 忙しなく動く兵士と民を眺めつつ、彼女はその特徴的な燃えるように赤い髪をたなびかせる。

 髪と同色の赤い瞳で見据えるのは南方にひしめく、覇王率いる軍勢だ。

 これからその軍勢の追撃をやり過ごし、逃げ切らなければならない。

 腰まで届く長い髪の一部を両端で束ねるという髪型をした彼女は、見た目こそお嬢様そのものである。いや、実際に貴族であり騎士でもある家の長女なのだが。その容姿とは裏腹に、急所のみを守る軽さを重視した甲冑を纏う一人の騎士であった。

 鎧の部分が少ないため、肌の露出が多く。また、露出していない部分も薄い布で覆われているだけだ。騎士として、そして部隊を率いる将としてはあまりにも守りに欠けるかもしれない。が、彼女にはこれで十分だった。

 彼の予想通り、森の直前で野営を設置したこちらに対し、覇王軍は手を出すことがなかった。

 夜の森を抜けるのは危険すぎる。しかしそれは相手側も同じ、ならば地形を知っているこちらの方が遥かに有利なのだから、堂々と森の前で野営をすればいい。

 都市での戦闘からの敗走で兵士の披露も限界だ。休ませるのには丁度いい。それが彼、疾風の翼の軍師であるシオン・ジェレイドの言葉だった。

 彼女、アリス・フィーリンデ・クレセリアは民を守り移動を手伝う任を言い渡され、今まさに民を連れて森に入ろうとしていた。

 覇王軍も日の出前から行軍の準備を始めていた。同様にこちらの足止めも応戦の準備は済ませている。また、メリアが比較的元気のある兵を連れて一晩かけて森に罠を仕掛けていた。

 故に相手の追撃は容易ではないはずだ。

 それでも嫌な予感が脳裏から離れない。

「ただの杞憂ならば良いのですが……」

「なーに難しいこと考えてんだ?」

「シオン……」

 陽気な声と朗らかな笑みで近付いてきたのは軍師シオン・ジェレイドだった。

 赤茶色の長い髪を後ろで纏めるという髪型をしている若い少年で、しかしながら貿易都市の統治を任され、全軍の指揮を担当する軍師でもある。

 瞳の色は茶色で、とても整った顔をしているのだが締まりのないヘラヘラとした態度と表情が全てを台無しにしていた。

「打てる手段は打った。後は流れに任せるしかねぇさ。そもそもお前の頭じゃろくなこと思いつかねぇから、難しいこと考えるのはお勧めしないなぁ……」

「殴られに来たんですの?」

 拳を握り締める。

 その様子を見てシオンは一歩引く。

「おいおい、冗談だよ。じょ、う、だ、ん。本気にするなって、こえーな」

 相変わらずふざけた態度の抜けない男だった。

「……シオン、私は嫌な予感がしますの」

「へー、困ったなぁ。お前の予感は当たるからな」

 シオンは苦笑しながら頭を掻いた。

「けど今は逃げるしか打てる手段がない。考えてみろよ、こっちは都市を落とされて敗走中。物資、主に食料が足りてねぇ。おまけにこちらは二万五千そこそこの戦力で、あちらさんは十万……いや、その倍はあるか? 無理無理勝てねぇ勝てねぇ、逃げてフェアリーナに助けてくーださいって言うしかないねー」

 そうなのだ。

 策謀に優れ、兵の統率も上手いシオンが率いた。優秀な将に恵まれた疾風の翼と貿易都市の防衛軍が、都市籠城戦という有利な状況で敗北したのは圧倒的な数の差が理由に他ならない。

 十倍に近い戦力で攻められれば敗北して当然である。

「メリアの仕掛けは整ったらしいし、我が軍最強の団長が殿だぜ? 大丈夫だ、逃げられる」

「そういえば足止めの指揮はユフィですわよね? 分かっているとは思いますが、ここで彼女を失うわけには――」

「大丈夫だ。俺が生きて帰れと命じた以上、あいつは必ず俺のもとに帰ってくる」

 微塵の疑いもないその信頼に、ほんの少しだけ嫉妬してしまう。

「おーい、なにしょぼくれた顔してんだ。俺はお前にだって帰ってきて欲しいんだぜ? 絶対に死ぬな、生きて俺のもとに帰って来い。約束だ」

 察しが良すぎる。

 そういうところは嫌いだった。

 嘘だ。

 照れ隠しである。

「当然ご褒美はあるのでしょうね?」

「なんだよ。キスでも欲しいってか? ませてんな、アリス」

「き、キキキ、キスって……っ。違いますわよ、私は――。いや、……その、欲しいですわ。ご褒美のキス」

「なら絶対に死ねないな」

「ええ、そうですわね」

 強い意志と覚悟で、アリスはそう答えた。

「俺はちょっと単独で動く、お前の嫌な予感も気になるしな」

「無理はしないでしょうね? 貴方がいなくなったら、私達に未来はありませんわ。二万五千の兵と都市を捨ててまで逃げてくれた民は、ダイランドという都市ではなく、その代表であるエルレイシアでもなく、貴方を信じて行動していることをお忘れなく」

「……肝に銘じるさ。んじゃ、ここはよろしく。状況次第ではお前だけなら、ユフィの方に行ってもいいが、優先するべきは民だ。分かるよな?」

「承知しましたわ」

 そう言い残してシオンは森に消えた。

 どうやら、足止めは完全にユフィこと、ユーフォニアに任せるらしい。


   2


 尻尾のように垂れ下がった髪が特徴的な彼女は、二十万の軍勢を見渡してその圧倒的な力に怯えることなく、力強く振り返った。

 覇王軍を背に。

 勇敢な味方を見据えた。

 彼女の動きに合わせて、藍色の髪が揺れる。長い髪の毛を後頭部で纏めている為、尻尾のように揺れるのだ。

 紫色の瞳に強い意志と強固な覚悟を宿らせ、驚異的な肺活量からなる大声で全ての兵士に届くだろう声を出した。

「疾風の翼、騎士団長、ユーフォニア・シェルヴィが問う。武力により大陸を支配しようと目論む覇王に意を唱え、ただ逃げることしか出来ない民を守るため、その手に武器を取った勇敢なる兵士達よ、我らの後ろには何があるっ」

「「「「「「「「「「守るべき民です!」」」」」」」」」」

 多くの声が重なり、一つの怒号となった。

「そうだ。愛すべき家族、隣人、恋人。我らは何一つとして失いたくはない」

 ユーフォニアはその手に持った、身の丈の二倍はあるだろう槍を掲げた。

「さらに問おう。では、目の前には何があるっ」

「「「「「「「「「「我らの敵です!」」」」」」」」」」

「そうだ。帝都を襲撃し、王家を滅ぼし、自らを新たな王として名乗り上げ、大陸を支配しようと企む覇王の軍勢だ」

 ユーフォニアは掲げた槍を振り下ろし、その柄で地面を叩く。

「では聞こう。お前たちは覇王軍から全てを守るため、命を賭して戦う覚悟はあるかっ」

「「「「「「「「「「応っ!」」」」」」」」」」

「圧倒的な戦力差だ。我らは足止めに徹する。時間稼ぎだ。勝ち目はない。捨てる命と考えても構わない。死にたくないものは今すぐ逃げろ、私はそれを止めないし許す。そしてそれを責めるものを決して許しはしない。どうだっ」

 誰一人として微動さえしなかった。

 誰もが、決死の覚悟を胸にユーフォニアを見つめている。

「私はお前たちに死ねと言っている。どうだ、不条理だろう。理不尽だろう。誰も死んで欲しくはないなどと無責任な言葉などくれてはやらない。……死ね、ここで時間稼ぎの為に死ね。その責任は全て私が負う。恨め、責めろ。私がお前たちを殺すのだ」

 士気を挫くような言葉を放つ。

 これから戦場に向かう人間に放つべき言葉ではない。

 けれどもこれが彼女のやり方だった。

「最後に聞く、命を捨てる覚悟はあるか、我が勇敢な兵士達よっ」

「「「「「「「「「「おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」」」」」」」」」」

 怒号。

 地を揺らすほどの怒号が響き渡る。

 誰もが命を捨てることに微塵も疑いを持ってはいない。

 飾らぬ希望のない率直な言葉に、同調し、認め、受け入れて尚、それでも士気が下がる気配すらない。

 ユーフォニアは盾を持った兵士を一列に並ばせて、森を塞ぐように壁をつくらせた。

 当然その背後には射撃部隊を配置する。

 これが迎撃の第一段階だ。

 そうこうするうちに、行軍の準備を整えた覇王軍が一斉にその足を進めた。

 最初にやってくるのは恐らく騎兵だろう。覇王軍では戦闘能力の高い地龍を騎兵隊の中心に据えている。

 地龍は翼を持ちながら空は飛べない。大きさは人間5~6人分程度で、人を乗せながら素早く地を駆け、炎の吐息を吐き。鋭い爪と牙で戦う事も出来る。おまけに知能まで高い。

 だが凶暴な性格故に育成は難しく、その乗り手にも技量が求められるために数は少ない。

 地龍に盾を持った前線を破られれば戦線は一気に崩壊する。それを食い止めるには弱点を正確に突く必要があった。

 地龍の弱点は瞳と顎だ。

 地龍は地上での生活を選んだ龍だ。その為の進化の結果、眼における能力が非常に高い。

 遠くを見通し、色の識別も高性能で、視野も広い。その特性を逆に利用した、強い光などの目くらましが非常に有効なのだ。

 顎は唯一地龍の柔らかい部分だ。その他は鋼のように硬い鱗で覆われていて、剣も槍もまともに刺さりはしない。

 しかし顎は違う。

 鱗に覆われていないだけではなく、重要な血管も集まっておりまさに一撃必殺の弱点なのである。

 だが当然相手もそれは重々に承知している。その証拠に対策として地龍の顎には丈夫な鎧が取り付けられているのだ。

 貿易都市ダイランド篭城戦で苦しめられた地龍に、こちらがなんの対策もしていない訳が無く。シオンの指示のもと、とある霊魔器が集められた。

 それを使う時が来たのだ。

「射撃部隊、私の合図で一斉に射撃を行え」

 ユーフォニアの声に、盾の後ろに控えていた兵士が皆同時に弓を構えた。

「狙いを定めろ」

 次いで霊魔器を起動。弓に仕込まれた精霊石が淡く輝き、魔法陣を展開する。その状態で矢を番え、弦を引いた。

 狙うは地龍を中心とした騎兵隊。の、その手前である。

「放てえっ」

 放たれる。

 幾百、幾千の矢が空を覆うように放たれ。その尽くが距離が足りずに敵の手前に落ちていく。

 騎兵隊の誰かが言う。

「馬鹿め、距離を誤ったな。一気に打ち崩してくれるわっ」

 矢が地に刺さる瞬間。

 炸裂し、強烈な光を放った。

 幾千の矢が直視すれば目が焼かれる程の光を放った結果、まるで目の前に太陽があるかのような眩い閃光が生まれる。

 突然そのような閃光を直視した兵士達は視界を奪われ。彼らの乗っている地龍も例外ではなく、その全てが激しく転倒した。

 全速力で行軍していた覇王軍の前線は一気に崩壊したのである。

「第二射、放てえっ」

 崩壊した前線にとどめを刺すように、ユーフォニアは射撃部隊に追撃の第二射を命じる。

 後詰の追撃。

 いくら地龍といえども、転倒し身動きのとれない状況で幾千の矢を放たれれば無事では済まないだろう。

 再び矢に覆われる空。

 降り注ぐ死を呼ぶ雨。

 逃れる術はなく、騎兵隊は一瞬で半壊した。

「続いて来るのは槍を持った歩兵だ。初撃は必ず突撃系統の魔法で突っ込んでくる。いいか、こちらはカウンターで返すぞ」

 騎兵隊を凌いでも余裕はない。次々と指示を出して備える。

 ここで一秒でも長く戦線を維持する。それがユーフォニアに与えられた指示だった。

 同時に、絶対に生きて帰って来いとも命じられている。

 まったくもって無茶苦茶な主だと思う。

 けれども、主であるシオンの言葉がユーフォニアに確かな活力を与えるのだ。

 ユーフォニアの予想通り、覇王軍は槍での突撃を選択した。いくら数が多かろうと、こんな単純な攻撃では手も読みやすく、対応は簡単だ。

 どうやら敵将の頭はそんなに良くないらしい。

「タイミングを誤るな、相手の初撃を確実に返す」

 空気が張り詰めて、兵たちの集中力が増していく。これから絶望的な戦いを挑むというのにも関わらず、その士気は決して低くはない。

 誰もが守りたいという強い意志を持って、この戦場に身を置いているのだろう。

 視界を埋め尽くすほどの歩兵が地を駆ける。

 まるで津波のように押し寄せるそれは、あまりにも強力で受け止められるとはにわかに信じがたい。それどころか、カウンターで迎え撃つなど。

 徐々に振動が伝わってくる。

 それは覇王軍が地を駆ける怒涛の響きだ。

 砂煙を上げて、誰もが叫び、霊魔器を片手に真っ直ぐに駆け抜けている。

 あるいは迎え撃てれば気が楽かも知れない。しかし、逃げ出すことも、打って出ることも出来ず、ただひたすら構えて待つというのは精神的にとんでもない重圧が掛かる。

 故に、誰もが限界まで精神をすり減らしていた。

 それでもまだユーフォニアは合図を出さない。

 最も効果的な一瞬を見極めているのだ。

 敵兵士が槍を構え、槍の根元から魔法陣を展開したのを視認するや否や、ユーフォニアは大きく息を吸い込んだ。

 そして、刹那。

「いまっ!」

 戦場に響き渡る凛とした声。

 それに反応し、盾を持った全ての兵士が霊魔器を起動。呼応するように次々と魔法陣が幾重にも展開し、淡い輝きと共に込められた魔法が発動する。

 輝きを先端に集めた槍が、怒涛の勢いで加速する。覇王軍による突進系の魔法だ。

 迎え討つはユーフォニア率いる疾風の翼の兵士たち。

 構えた盾から魔法の防壁が放たれる。

 加速した歩兵の体重を乗せた槍先には、魔法で生み出された力場が纏っており、それが指向性を持って具現する。

 多大なるエネルギーを抱えたその切っ先と、それを迎え撃つ防壁が触れた瞬間。それは起きた。

 反転する衝撃。

 と、同時に役目を終えた防壁が砕け散る。

 盾に込められた魔法は、一瞬だけあらゆるエネルギーのベクトルを反転させる防壁を生み出すというものだ。

 それはタイミングを誤れば意味のないとてもハイリスクな魔法だが、成功すればその威力たるや壮絶の一言。何せ、相手が渾身の一撃を振るえば振るうほど、返ってくる力は増大していくのだ。

 ましてやこれだけの兵士が渾身を振るった魔法による一撃。威力は想像を絶する。

 僅かな時間。無が訪れた。

 が、数瞬の後。

 全てが崩壊するように。

 時が動き出す。

 大気が鳴いた。

 鳴動する空気を肌で感じ、次いで爆音が襲う。

 全ては一瞬だった。

 気付けば、覇王軍の兵士の死体の山が築かれていたのだ。

 圧倒的威力。それだけの威力だけに、カウンターを失敗していればどうなっていたかを考えると背筋が凍る。

「や、やったぞっ」

 誰かが震える声で勝鬨を上げる。

 それを律するように。

「気を緩めるなっ」

 ユーフォニアが叱咤した。

「二十万のうちのたかだか数千を蹴散らしただけだ。今、目に見えているのは恐らく数万。その後方か、もしくは都市の中か。あるいは別働隊か、残り十数万も残っているのだ。改めて言う、気を抜くなっ!」

 大きく深呼吸し、搾り出すようにユーフォニアは呟いた。

「ここからが、本番だ……っ」


   3


「報告致します。騎兵隊、半壊。突撃歩兵も相手のカウンター魔法が直撃し、数千の兵がやられました。前線は完全に崩壊しておりますっ」

「見れば分かる」

 覇王こと、ゼオンは苦笑しながら答えた。

 情けない。

 基本的に初撃における編成と作戦は全て部下に一任してある。本音を言えばエルモア辺りに任せたかったのだが、彼女がそれを嫌がるだろうし、なによりあの二人は別行動中だ。

「それにしても見事な対策じゃないか。発光の魔法を用いた目潰しといい、カウンター魔法といい、相手の指揮官は余程良い腕を持っているらしい」

「恐れ入りますが、御伺いしても宜しいでしょうか?」

「なんだ?」

「何故この重要な局面で経験の浅い者に指揮を任せたのですか?」

 一人の軍師が問いかける。その疑問はもっともであった。

「俺が前線を切り開けばそりゃ上手くいくだろう。俺が指揮しても、まぁ今よりは上手くいかせる自信はある」

「では何故?」

「部下に仕事を任せられない王は自滅するからだ。優秀な部下は大いに越したことはない。ならば育成することに力を注がなければな」

 しかし愚かな指揮官の責任で千人以上の人間が死んだのもまた事実。指揮官とはただ指示し、ふんぞり返るだけが仕事ではない。

 責任が問われるからこそ指揮官は指揮官足り得る。

「貸せ」

 ゼオンは近衛兵から弓を奪うと構えた。

 魔法陣は展開していない。霊魔器を起動する気はないのだ。故に、これから放たれる矢は魔法の恩恵を受けない普通の矢だ。

 目標までの距離は遥か遠い。狙うことはおろか、魔法を使わなければ届かせることさえも至難であろう。

 だが。

「――ふっ」

 放たれる。

 それは美しい弧を描き、吸い寄せられるように。前線で混乱し、前後不覚に陥っていた指揮官の頭に突き刺さった。

 そして倒れた。間違いなく、死んだのだろう。

「これが責任だ。……予定通り次の指揮官に任せろ、エルモアの提示した計略のうち、一つ目を使う」

「恐ろしいな。俺もそのうちああなるのか?」

 古傷により片目を伏せた男が笑う。本気で言っていないのが簡単に分かった。

「国の損失になるような人間は殺さんさ」

「――ゼオン、お前邪魔な指揮官を掃除したな?」

「さて、何の話かな?」

 ご明察だった。

 親がかなりの資金提供をしていたため、重役に据えるほかなく。しかしかと言って、その息子本人は無能。ゼオンが気に入らないという理由で首を跳ねれば、他の貴族からの信頼を失う。

 こういう人間は邪魔でしかない。

 故に手柄をチラつかせ、責任ある場に置いた。

 愚かな判断で千人以上の仲間を殺せば排除する大義名分にもなる。

「もう少しまともな仕事をすれば生かしてやる考えもあったんだがな」

 確かに覇王軍は巨大な軍勢だ。

 多くの資金力と大量の物資。そして驚異的な兵力を有する。それを統率するのは大陸最強の剣士にて、覇王と呼ばれる新時代の王、ゼオンである。

 だがこの軍には一騎当千の将がいない。

 知謀策謀に長けた名軍師もいない。

 比べて疾風の翼はどうだ。

 ゼオンに迫る程の優秀な槍術使いにて、指揮力にも長ける騎士団長ユーフォニア。

 その知恵のみであらゆる逆境を打ち崩し、貿易都市を何度も救ってきた鬼才シオン。

 英雄の血を引く一族の末裔であるアリス。

 王位継承権を持つエルレイシアと、挙げていけばキリがない。

「……何故我が軍にはあのような猛者がいないんだ」

 ゼオンが指差す。

 そこには戦場で舞う美しき女騎士が、覇王軍を蹴散らす様子が繰り広げられていた。


   4


 背後からの刺突を気配で察知し、回避し、そのまま突き返す。

 一度動きを止めれば間違いなく死ぬ。生きるためには、動き続けるしかない。

「はぁぁあぁっ」

 槍を振り払い、一度に四人もの兵士を吹き飛ばす。驚異的な腕力だった。

 とても美しき少女のものとは思えない。

「怯むな、かかれっ!」

 誰かの号令でまた、刃の煌きが大量にユーフォニアを襲う。しかし、彼女の武芸はこの程度で悲鳴を上げはしない。

 払い、受け流し、常に流麗に動き続けることで動作を止めない。流れるままに身を任せ、そのまま反撃に転ずる。

 まるでユーフォニアを中心に、槍の嵐が巻き起こるように徐々に空間が広がっていく。

 それは彼女の間合いだった。一息で槍の届く攻撃範囲、踏み込むものは容赦なく薙ぎ払われる絶対の領域。

「数が、多いっ」

 そんな圧倒的な力を見せつけていて尚、彼女は焦っていた。

 湯水のように湧き出てくる敵兵士はとどまる事を知らない。

 幾らなぎ払い、突き殺そうとも、人の波はユーフォニアを囲むように増え続けている。

 今は仲間と共に辛うじて森への道を塞いではいるが、それも長くは持たないだろう。

 振り払われた刃が血に染まっていく。

 誰もが狂気の表情で人を殺している。一度止まれば兵士が殺到し、幾度も幾度も体を刺し貫かれた。

 時折淡い輝きと共に魔法陣が展開し、魔法が放たれる。一度魔法が発動すれば非常に多くの兵士が葬られるのは明らかだ。

 故に魔法陣に気付いた者は、死に物狂いで優先的に詠唱者を殺す。逆にそれを守る兵士は、その命を盾にして時間を稼ぐ。

 地獄が、そこに広がっていた。

「――くっ」

 仲間には死ねと言ったが実際は時間稼ぎの為とはいえ、これだけの兵力を失う余裕はこちらにはない。時期を見て、森に撤退するつもりではあった。が、圧倒的な兵力の差。それによる物量での力押しに引く隙が見当たらない。

 今はまだ戦線を保てているものの、これ以上続けば瓦解するのは明白だ。一度そうなれば、相手の追撃厳しいまま敗走を余儀なくされ、その被害は甚大なものにならざるを得ない。

 それはなんとしても避けたかった。

「ならばっ」

 大きく槍を振り払う。

 周囲一帯の人間を全て吹き飛ばし、空間を確保したユーフォニアは深く腰を落とすように構えた。

 全力で疾走する構えだ。

 目標は遥か遠く。伝令に指示を出している指揮官らしき騎士だ。

 足元から淡い光が散る。

 展開されるは魔法陣。

 霊魔器を起動させたのである。

「疾風の翼、騎士団長。ユーフォニア・シェルヴィ、――参るっ」

 次の瞬間。

 彼女の姿が、掻き消えた。

 幻のように。

 数瞬後、爆音と共に破砕する地面。それは彼女が地を蹴った証だ。

 その進行方向にいた兵士達をなぎ払い、誰の目にも止まらぬ速度で戦場を駆け抜ける。

 残像を残しながら駆けるユーフォニアは、その勢い殺さぬまま地面に槍の柄をぶつけると、棒高跳びの要領で空高く舞い上がった。

 放物線を描きながら空を翔るように疾駆し、一直線に指揮官らしき男まで肉薄する。

 そして、通り過ぎ様にその首を切り裂いた。

「――な」

 という驚きの言葉を言い残し。

 男の首は真上に跳ねた。

 真っ赤な鮮血をまき散らしながら。

「敵将、討ち取ったっ!」

 戦場に響き渡るユーフォニアの声。

 それに呼応して仲間の怒号が響き、連なり重なっていく

 それに押された覇王軍の兵士が怯むのを感じ取った瞬間、ユーフォニアは一つの決断をした。

 すなわち、撤退するならこの瞬間をおいて他にはない、と。

「全軍、後退っ」

 そう叫びながらユーフォニアは、覇王軍ひしめくそのさらに奥。遥か遠く、戦うべき敵の頂点を見据えた。


   5


「報告します。指揮官が討たれました」

「いや、だから見えてるって。……それにしてもあれが敵の最強戦力か、恐ろしいね。あわよくば俺を仕留めようとこっち見てたよ、あの子」

 それを恐れるどころか、喜ぶようにゼオンは笑う。

「我が軍に欲しいな」

「陛下、そのお考えは危険です。相手はダイランドに誓いを立てた騎士団の団長ですぞ」

「違うね、あの子は誰かに誓いを立てた騎士だ。見てれば分かる。……軍師シオン辺りか? 羨ましいねぇ……」

 純粋にそう思う。

 あれ程の将を心酔させるとは余程の求心力なのだろう。噂に違わぬ智謀と人望の持ち主と言える。

 指揮官を討たれたのにも関わらず、ゼオンには動揺の様子がない。まるで予め用意されたシナリオにそって進んでいるかのようだ。

「全軍、後退っ」

 それは戦場に響き渡るユーフォニアの声だった。

「声までよく届く。良い将は声が戦場の端まで届くんだよ、知っているか?」

「それどころではありませんっ。敵兵が後退していきます、急ぎ追撃せねば」

「無理だ。指揮官が討たれて味方が浮き足立っている。このまま強引に追撃したところでまともな戦果は上がらんよ。それどころかいらぬ損失を被る羽目になる」

「ですがっ」

「落ち着け」

 半笑いのゼオンは宥める。

「お前も兵を預かる軍師の一人なら、もう少し冷静に物事を考えたらどうだ?」

「は、はぁ……」

「この状況はエルモアが提示した状況とそう大差はない。このままでいい、彼女の計略を続行するぞ」

 自軍の被った被害は決して小さくはない。それはエルモアの想定していた被害よりも遥かに大きく、その原因となったのは間違いなく。

「ユーフォニア・シェルヴィ。見事な人材だ。是非とも俺の部下にほしい」

 そう、ユーフォニアの圧倒的な武力と冷静な判断力がこの結果を生み出したのは疑いようがない。

 こちらには彼女とまともに戦える札はフェインぐらいしかいない。いや、ゼオン本人を合わせれば二人だ。

「森の中ではそろそろ面白いことになっているはずだ」

 一人呟き、酷く意地の悪い表情で微笑んだ。


   6


「思ったより足が遅いですわね」

 アリスは焦っていた。

 ユーフォニアが覇王軍の足止めをしてくれている間に少しでも距離を稼ぎたいのだが、疲労の蓄積した民の足取りは酷く重い。

 それもその筈だ。

 住処を奪われ、僅かな物を持って逃げ出し。満足いく食料もなく、希望すらない敗走を続け、さらに足場の悪い森を進んでいるのだ。

 鍛え抜かれた兵士でも簡単な道のりではない。

「アリス様っ」

「どうなさいました?」

 部下の一人が酷く慌てた様子で彼女を呼び止める。

 顔から汗を滴らせ、震える声で男は認めたくはない現実を口にした。

「西の方角、カリオ平原を迂回してきた覇王軍の分隊が、こちらに接近しているとの報告がありましたっ」

「やはりきましたか」

 想定していたことだった。

 ルシナの森に逃げたこちらをそのまま真っ直ぐ追撃すれば、伏兵や罠による妨害は避けては通れない。しかし、森を大きく迂回してカリオ平原を通れば、まったく別の方向から奇襲することが可能だ。

 少しでも頭の回る人間ならば思いつく単純な策だが、それなりに有効でもある。

 だが、それ故に読みやすい。

 こちらもそれ相応の準備はしている。

「予定通り私は迎撃用の兵を連れて対応に向かいます。貴方達は民の移動を手伝ってください。指揮系統はメリアに預けます」

 そう言い残してアリスは駆け出した。

 荷物を、あるいは子供を背負う民を掻き分けて、西へと駆け抜けていく。

 その腰に家の誇りたる宝剣を携えて。

 開けた場所で一度立ち止まった。

「行きますわよっ」

 その声に呼応して、次々と兵士が集まっていく。

 アリスが直々に集め、任命した迎撃部隊の精鋭たちである。

「軍師シオンの推測では、この分隊に魔女騎士か魔女。もしくはその両方がいると聞いていますわ」

 魔法使いの生き残りと、それを守護する騎士。強敵だった。

 英雄と呼ばれた先祖が愛用していた宝剣は、名高き名剣だ。霊魔器の中でも一際強力な魔法が組み込まれており、その威力たるや他の魔法の追随を許さない。

 それでも。

 神魔器相手にどこまで対抗出来るのかは怪しい。

 少なくとも、同じ神魔器を持つユーフォニアには、アリスは勝てる気がしないのだ。

 それでも守る民が背後にいる限り、負ける訳にはいかない。騎士の誇りにかけて、貴族の名誉にかけて。

「私の名前は、アリス・フィーリンデ・クレセリア。英雄の血を引きし一族の末裔。クレセリアの名に賭けて、先祖に恥じぬよう戦い抜くと今ここに誓いましょう」

 大きく息を吸い込む。

「進めっ!」

 そしてユーフォニアに勝るとも劣らない声で命令を告げた。

 民を守るために、兵士たちが武器を掲げて前進する。

 一秒でも長く時間を稼ぐために、覇王軍の分隊に挑むのだ。

 分隊と言っても、その数は恐らくこちらの何倍にも及ぶだろう。下手をすれば十倍以上の兵力差があると言っても過言ではない。

 しかし、兵力の差が絶対的な戦力の差であるとは限らないのだ。

 アリスは敵の気配を感じ取る。

 まだ視界には見えないが、確かにこの先に行軍する覇王軍の分隊がいるはずだ。

 アリスの持つ霊魔器は消費魔力とは別に、その魔法そのものの特性から使用回数に限度がある。

 故に使いどころには悩むのだが、ここで先手を打つのは間違った判断ではないはずだ。相手側に魔女騎士か魔女がいれば防がれるだろうが、それはそれで確認になるから構わないだろう。

 そう決めれば行動は速い。

「襲撃され、都市を奪われ、民を苦しめる相手。積もり積もったこの怒り、受けてみなさいっ!」

 更なる加速で仲間の前に飛び出したアリスはその腰に帯びた剣を抜き、霊魔器を起動させる。

 人工精霊と心を通わせ、徐々に意志を統一させていく。

「ダムナティオ、共振発動――」

 淡い輝きと共に魔法陣が展開された。

 アリスはそれを空高く掲げ、

「受けなさい、我が憤怒の感情っ」

 全力で振り下ろした。

 瞬間放たれるは、彼女が蓄積した憤怒の感情。それを魔力が変質させ、黒く燃え滾る炎の一線へと姿を変える。

 それはあっという間に森の奥へと奔っていき。暫くの静寂の後――、

 一気に爆発した。

 圧倒的な爆発だ。

 黒い爆炎が全てを飲み込む。木々を吹き飛ばし、地面をえぐり、視界に存在する全てを、跡形もなく消し炭へと変えた。

 その焼け跡をアリスは駆ける。

 それに続いて兵士が次々と進軍する。

 焼き払われた敵兵が視界に入った。完全に不意打ちだったようで隊列は狂い、皆浮き足立っている。

 余程の指揮官でもあれの体制を立て直すのは並大抵の事ではない。

 覇王軍にアリスの魔法は直撃していた。

 どうやら魔女騎士も魔女もいないらしい。

 ではどこに? その疑問を今は投げ捨てて、アリスは叫ぶ。

「私に続けっ!」

 殺到する。

 兵士達の魔法陣が展開し、生き残った兵士の息の根を止める。

 接近し、槍を突き刺す。

 まともに迎撃できない敵兵を剣でなぎ払う。

 覇王軍は完全に押されていた。

 数で劣ろうとも、これだけ先制できれば勝てる。そう確信したアリスは力強く大地を蹴り飛ばし、その剣を奮って敵陣深くへ切り込んでいく。

「指揮官はどこですのっ?」

 背後からの攻撃を警戒しながら、襲い来る刃を尽く打ち払って次々と死体の山を積み上げていく。

 その姿、見た目こそ美しいものの、敵からしたら死神に見えるに違いない。

 敵兵を見れば怒りが込み上げる。苦しむ民を思えば総毛立つ。殺された仲間の為に怒り狂う。けれど、流石に使用した直後では憤怒の蓄積量はたかが知れている。

 次発まで半日は必要だろう。

 都市防衛戦で魔法を使い過ぎた為、感情の蓄積が追い付いていない。現状使用可能な感情は暴食と色欲のみだ。

 白兵戦で圧倒するしかない。

 その手に持った剣を、家の名誉を全力で振り払う。

 刃を打ち払い。受け流し、隙を見ては敵兵を斬り捨てる。

 剣で間に合わなければ拳で殴り飛ばし、それでも間に合わなければ蹴り飛ばす。

 そうやって徐々にではあるが敵の奥へと進んでいく。

 こうしてアリスが前に出る限り、相手は体制を整える暇がなく、後詰の仲間が機能する。

「命が惜しければ、引くのですわっ」

 それはまさに人間台風であった。

 彼女が通る道は血と死体しか残らない。

 圧倒的な武力である。

「ここは死守しますっ!」


   7


 戦の残響が遠くから聞こえる。

 避難する民に混じり、森を逃げる。乗り物の中でじっとしているべき彼女は、近衛兵やメイド長であるメリアの言葉に耳を貸さずに、ただひたすら民を手伝っていた。

 森の道は荒い。

 整備されているとは言え、大きな荷物を担いだ人間が歩くには険しすぎるのだ。

 おまけに逃げる民には子供もお年寄りもいる。

「姫様、お戻り下さい」

「嫌です。私なんかを運ぶ乗り物があるなら、お年寄りや子供を乗せなさい」

「貴方は今や貿易都市ダイランドの代表どころではないのですよ、もはやこの大陸で唯一王位継承権を持つお方……」

 そう、彼女こそが王位継承権第十七位。エルレイシア・ドランシル・アルバート・ジル・クルンシェラー・バフォメッドである。

 かつて王位継承争いの最後尾。まったく争いに関係ない位置にいた彼女は、ゼオンが帝都を陥落させ、王家を滅ぼしたことにより突然、唯一継承権を持つ人間となってしまったのだ。

 つまり、彼女の夫となるものが王位を継承するのは明白。

 故にゼオンは是が非でもエルレイシアを殺すか娶るかしなければならない。

「御自分の大切さを理解して下さい」

「王位継承権がなんですか、無力な人間です。畑を耕す民の方が何倍も偉い」

 言い分を聞かないエルレイシアに、終始上品な笑顔だったメリアが突如顔は笑顔のまま、目だけ一切笑わずに呟いた。

「いい加減にしないと殴ってでもぶち込みますよ?」

「メリア、落ち着きましょう。私は貴方の主です」

「またまたご冗談を。私の主はシオン様ただ一人。私はシオン様が命じたから、姫様を護衛し、従っているに過ぎません」

「ですよねー」

 エルレイシアは貿易都市ダイランドの旗印として代表を名乗っている。が、それは王位継承権を持つ皇女の一人であり、父親が先々代代表を務めていたからで、実際はダイランドを取り戻したのも、公務から政治から貿易から何から何まで全て、軍師兼代表相談役であるシオンが取り仕切っているというのは有名な話だ。

 誰もが知っている暗黙の了解。

 飾りのような姫にどれほどの価値があるというのか。

「ゼオンが帝都を落とし、王を名乗っている今、形だけの王位継承権になんの価値があるのですか」

「旗印と民の信頼を勝ち取る大義は必要です。ゼオンは圧倒的な武力、つまりは力で大陸を統一するつもりのようですが、シオン様は貴方の王位継承権を大義名分として戦うつもりです」

 メリアの言いたい事はエルレイシアにだって分かっている。

「つまり、貴方が死ねばシオンは戦う大義を失います」

 諭すようにメリアは続けた。

「お願いエル。かつては互いに机を並べた学友でしょう? 友達の言葉くらい聞き入れてよ」

 珍しく立場を忘れた口調で、メリアは言った。

 それはメイド長としての言葉ではなく、護衛としての言葉でもない。

 エルレイシアの友人としての言葉だった。

 ユーフォニア。アリス。メリア。三人とも心から信じられる友人だ。

 そしてシオン。

 特別な人。

 皆命を賭けて戦っている。

 そんな中、自分に出来る唯一のことが、自らの命を最優先に考えて生き残ることだというのならば。

 エルレイシアは目を伏せて数秒考え込む。

「それに、高貴な御仁が手伝っていたら民だって申し訳なくて足取りが重くなります」

 冗談半分でメリアは言う。

 どうにか、それを聞いて笑うことが出来た。

「分かりました。乗り物の奥でじっとしています。ただ、大人しくガーデンでお手伝いするのは良いでしょう? 特に、シオンとユフィとアリスの三人には必要な筈です」

「ぐ――っ」

 この申し出はメリアも何も言えなかった。

 確かに必要なのだ。

 連絡の手段は。

「必要以上に魔法を使えば探知される危険性がありますよ?」

「そのためのメリアでしょう? 守ってね、お友達だもの」

「このアマ…………、無事逃げ切れたらシオン様に叱られやがれ……、です」


   8


 後退し、森へと逃げるユーフォニアよりさらに北。迎撃するアリスから森を進む民を挟んで東側。民を襲撃しようとした覇王軍の分隊と挟み撃ちする形で、森を進む二人の姿があった。

 たった二人の襲撃者はしかし、二人だからこそ逃げる民を壊滅させる戦力があった。

 名を、フェインとエルモア。

 名高き魔女騎士と魔女の二人組だった。

 エルモアの策は、夜のうちに密かに分隊をカリオ平原に向かわせ。森を迂回して、ダイランドの民の横面から襲撃するというものだ。

 これが一つ目。間抜けな指揮官に兵力にものを言わせた真正面からの進軍を任せたのは完全に囮だったのだ。

 そして、反対側の山側から森を迂回し、たった二人で襲撃するというのが二つ目の策だ。

 森の東にある湖を超え、山脈を通るのは軍隊には不可能だ。

 軍隊には、である。

 多彩な魔法を操るエルモアと神魔器を持つフェインにならば、不可能ではない。

 その考えに至った男が一人いた。

 フェインとエルモアは足を止める。

 尻尾のように長い髪を首の後ろで纏めるという髪型をした、飄々とした雰囲気の男が待ち構えていたからだ。

「いやー、人手が足りなくてねぇ。覇王軍最強の二人組相手にこんな雑魚で申し訳ない」

「……軍師シオンですか。超大物じゃないですか」

 エルモアは周囲を警戒する。

 これだけの人物が護衛もなしに現れるとは思い難い。

「策謀や知略では右に出る者はいないって話だけど、戦闘力は皆無じゃなかったっけ?」

 フェインが腰の剣を抜く。

「おいおい、勘違いしてもらったら困る。まともに戦えば俺なんて瞬殺だぜ。魔女騎士とか魔女とか関係なく、一般兵にもな」

「では何故たった一人で来られたのですか?」

「いやぁーさ。……倒すわけでもあるまいし。足止めに強さって必要なくね?」

 エルモアが魔法陣を展開する。詠唱を始めたのだ。

 フェインがそれを守るように前に出る。

 無理に攻める必要もない。彼女の魔法が発動すれば防ぐ術はないのだろうから。

「その思い上がり、後悔するよ」

「思い上がりかどうか、確かめてみろよ」

 不敵に笑うシオン。

 圧倒的な実力差。覆せない戦力差。絶望的な状況。そんな中でも平然と笑う姿に、流石のフェインも警戒して構えたまま動かない。

「おいおい、こんな雑魚相手になにビビってんだよ」

「喩え相手が子供や老人であれ、一度戦うと決めた以上油断はしないし、不覚もとらない。相手が誰であろうと手を抜くつもりはないよ」

 冷静な受け答えだった。

 どうやら挑発には乗ってくれないらしい。

 シオンは自作の霊魔器を握り締める。

 フェインかエルモアのどちらかに直撃すれば片方を無効化出来るという魔法が組み込まれていて、これそのものがシオンの余裕を生み出している切り札だ。

 しかし外してしまえばそれまで。そこから先の手立ては一切ない、故にほんの僅かな失敗も許されなかった。

 表情にこそ出さないものの、シオンの背中は嫌な汗でいっぱいなのだ。

「……見せてやろうじゃねぇか、雑魚の雑魚なりの戦い方ってやつをよ」

「エルモア、殺しちゃ駄目だよ。彼には聞きたことが沢山あるんだ」

「保証出来ませんね」

「なんでよっ」

「雰囲気が、手加減出来そうな相手ではないからです」

 エルモアの詠唱が完了する。

 と、同時、フェインが彼女を守るためにさらに前に出る。

 対し、シオンは高速で頭脳を回転させて幾重にも並列で思考を走らせ、あらゆる選択肢とその結果を検証し、最適解を模索し続ける。

 アリスは動けない。

 兵士も余裕はない。

 民の足も遅い。

 メリアはエルレイシアの護衛。エルレイシアの性格上、もう少しで我慢できずガーデンでこちらの様子を把握するはずだ。

 となれば、動けるのは恐らくユーフォニア。

 位置的にだいぶ遠いが、彼女の速度ならば数分あれば事足りる。

 結果、必要な時間は五分弱。

 それが命懸けで稼ぐ時間だった。




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