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第四章

「ん、ああああぁぁぁぁ……」

「やあシャロン、ようやく起きたか」

 翌日、僕はシャロンより一時間も前に起きていた。

「って、フレディ!? なんでこんなに早いの?」

「当然、朝食を作るために決まってるだろ」

「朝食って……そんなの、適当でいいじゃない」

 僕はチッチッと指を振り、こう続けた。

「そんなんじゃダメダメ。朝は一日の活力の源。時間がないし、眠くてだるいのはわかるけど、それなりにこだわって作らないと。これに失敗すると、その日の活動効率がガクッと落ちるよ?」

「ふ~ん。で、何を作ったの?」

 実は、これが一番苦労した。なんせ調理器具が鍋一つしかなく、火元がない。

 まあ火に関しては暖炉を使えばよいのだが、問題は食材だ。というのも、この家には食材が一つもない。さらに、水もどこから調達しているのかがわからない。こいつ、普段一体何食ってんだろ?

 仕方がないので、シティまで食料と水を買いに走ったのだ。

「食材の買い出しに時間がかかったからな。完成度七十パーセントと言ったところか。メニューは、パンを少し火であぶったものとゆで卵。それと紅茶」

「へ~。じゃ、あんまり期待しないでいただくわ」

 で、僕達は朝食を食べた。

 やっぱり、あんまりパッとしない味だ。

 それなりに美味しくなるよう工夫したつもりだが、いつもの朝食と比べるとどうしても見劣りしてしまう。

「はぁ~あ。やっぱり、少し無理があったかな……」

「…………」

 シャロンも呆れて沈黙したか。

「……おいしい」

「……へ?」

「おいしいよ。マジおいしい! どうやって作ったの、これ?」

「まさか、冗談だろ? 器具も食材もない中で、何とか急繕い的に完成にこぎつけた料理がウマイなんて」

「そんなわけないじゃない! このパンの食感、卵の硬さ、紅茶の香り……素人には作れるはずないもの」

 意外だった。全力を出せていないはずなのに、こんなに絶賛されるなんて……。

 でも、思い返してみると僕は食へのこだわりが強い。自分の料理に対してもだ。

 だから自然と要求するレベルが上がってしまい、僕が満足しなくても他の人にとってはめちゃくちゃウマイ料理になってしまったのだと思う。

「そうか。少々意外だったが、喜んでもらえてうれしいよ」

「うん。それで、作り方は?」

「ああ、教えてやりたいのは山々なんだが……なにせ、自分の経験だけで作ってきたからなぁ。どのくらいの火加減でどれくらいの間加熱するとか、そういった具体的な数字は言えないんだ」

「そう。残念ね」

 そうだ、朝食を作っている時に感じた疑問、いい機会だから聞いてみよう。

「なあ。お前、いつも何食べてんだ?」

「ああ、それは、屋台とかお店で出来合い品を買ってるわ」

「つまり……外食ってこと?」

「そう」

 シャロン、栄養バランスとか考えているのだろうか? 別に外食を全て否定するわけではないが、外食に頼り切って体調を崩した、という例をいくつも聞いている。

 まあ、シャロンは若いし、今から食生活を改善すればどうにかなるか。

 それにしても……。

「驚いたな」

「何が?」

「シャロンはよく犯罪者を捕まえてるんだろ?」

「そうよ」

「つまり、腕っ節が強いわけだ。でも、食生活は外食中心で不健康そのもの。なのにその戦闘力はどこから出てくるんだろうか、と思ったのさ」

「う~ん、言われてみればそうね」

「色々要因はあるんだろうが、おそらく、若いからかな。今なら食生活の影響は少ないし。でも、気をつけろよ」

「え?」

「今はいいけど、十年後や二十年後、今みたいな生活を続けてたら、必ずガタが来る。早めに直した方がいい」

「うん。できる範囲で努力する」

 わかってもらえたようだ。

 では、そろそろ本題に入ろう。

「ところで、今日はどうする?」

「どうするって?」

「どうするも何も、聞き込みだろ?」

「そうだけど」

「だがな、あてずっぽうに歩いてたら徒労に終わる可能性が高いんだぞ? ただでさえロンドンは広いのに。ある程度範囲を絞らないと」

「それはそうだけど……う~ん……」

 まさかそういうことはないと思っていたが、ここまで来たら間違いなさそうだ。


 ――こいつ、ノープランだ――。


 僕はふぅとため息をつき、話し始めた。

「化学会社から当たるぞ」

「どういうこと?」

「もしミルトン精肉が意図的に化学物質をハムに混ぜているとすれば、その化学会社から購入した化学物質の量もハンパじゃないはずだ。ということで、化学会社を当たってみて、顧客リストを入手する」

「それはいいけど、どうやって入手するの? あたし達、ホームズみたいに広く名が知られているわけじゃないから、簡単にもらえるとは思えないんだけど」

「そのことについては、問題ない。衛生局の人間になり済まして入手する」

「大丈夫なの?」

「ゲイリーに電報を打っておくから、まず大丈夫だろう。さあ、食べ終わったらすぐ支度だ。時間は有限なんだから」




 朝食を終えるとすぐに化学会社めぐりを開始した。どの企業も衛生局の名前を出すと、一発で顧客リストを渡してくれた。

 おかげで、午前中だけで半分ぐらいの会社を回ることができた。

 昼頃に一段落したので、ランチを取りながら顧客リストを洗ってみることにした。

 ランチを取る場所はもちろん、『レイク・ディストラクト』。

 店に入ると、昨日のウェイターさんが、昨日と同じ席へと案内してくれた。

「ご注文は?」

「おまかせを二セット」

 数分後、運ばれてきたのはキュウリサンド・卵サンド・チーズサンドのセットとコーヒー。

 最初にキュウリサンドをいただく。やはり、本日産地直送なだけはあり、キュウリのザクザク感とパンの柔らかさという、相反するものが美しい食感のハーモニーを奏でている。

 次に、卵サンド。ゆで卵を大ざっぱにつぶし、そのままパンにはさんだだけのものだ。このシンプルなサンドの特筆すべき点は、卵の硬さだ。僕は卵の硬さに関してこだわりがあるが、ここのシェフはそれを熟知している。さらに、卵のつぶし方も、食感が消えないように配慮されている大きさだ。ここまで卵の食感を重視したサンドは、イギリス中探してもないだろう。

 最後に、チーズサンド。このサンドに使われているチーズは、農場のスタッフが一から丁寧に作っているものだ。しかもこのチーズ、香りと味がサンドイッチ向き……というより、サンドイッチ専用に作られたんじゃないかという位、サンドイッチに特化している。そのため、チーズの味はもとより、パンがチーズを引き立て、より芳醇な味と香りを楽しませてくれる。

 シメのコーヒーは、ここのシェフのブレンドだ。しかもこのブレンド、常連になると専用のブレンドを提供してくれる。もちろん僕も、この店の自分専用ブレンドを持っている。僕はミルクと砂糖を少しだけ入れる飲み方が好きなので、その飲み方に合ったブレンドなのだ。一口飲めば、香りと苦みと酸味、そして砂糖の甘みが絶妙な化学反応を起こし、コーヒーの魅力が引き立つ。さらにミルクがコーヒーをなめらかにし、ノド越しを快感に変えてくれる。

「ほんとにここ、おいしいわね」

「そうだろ? ロンドンでは一番信頼を置いている店だからね」

「この店がなんで広く知られていないのか不思議だわ。それじゃあ、そろそろ検証を始めましょうか」

 その言葉と共に、僕は午前中に集めた化学会社の顧客リストをテーブルに広げた。

「さて、始めようか。やることはわかっているな?」

「ええ。この中からミルトン精肉の名前を探し出し、購入した薬品の量を調べるのよね?」

「そうだ。じゃ、仕事開始だ」

 開始から五秒とたたないうちに、シャロンが名前を見つけた。

「見つけたわ。ほら、ここ」

「早いな。どれどれ……確かに、塩酸を購入しているようだ。だが、この量は少なすぎる。少人数で運営している大学の研究室で使用されているレベルだ」

「残念ね……。これでしっぽがつかめると思ったのに」

「いや、まだ諦めるのは早い。資料はまだまだあるんだから」

 作業は再開された。しかし作業が進むにつれ、僕はあることに気が付いた。


 ――どの会社のリストにも、ミルトン精肉の名が載っているのである。


 これは何か、裏がありそうだ。

 僕はメモ帳とペンを取り出し、計算してみた。

「……やっぱり」

「やっぱりって、何が?」

「全顧客リストに記載してあるミルトン精肉の薬品購入量を計算してみたんだが……その合計が、いっぱしの薬品加工会社並みに膨大だったんだ」

「つまり、どういうこと?」

「ミルトン精肉は化学会社に捜査の手が及ぶ場合に備えて、一社から莫大な量を買わず、複数の会社から少しずつ買っていたんだ。こうすれば、たとえ化学会社に査察が入っても目立つことはないし、たとえミルトン精肉自身に調査が及んでも『品質管理のための分析実験用です』みたいなことを証言して言い逃れることができるからな」

「そんな、卑怯よ!」

「そう、卑怯でずるがしこいやり方だ。ちなみに、ミルトン精肉の不正を見破るには、僕らがやっているようにロンドン中の化学会社を回らなければならない。そんな時間と根気のいる作業、明確な証拠でもない限り役所は動かないな」

「そんな……」

「だからこそ、僕らみたいな一般人なら、コネさえあればそういう調査ができる。だろ?」

「……そうね。その『コネ』があたし達の手にある以上、やらなければいけないわ。さ、残り半分、調査しに行きましょう」

 そうして、僕達は店を後にした。

 ……しかし、残り半分、か……。ということは、ミルトン精肉が購入した薬品は、単純計算でこの二倍はあるってことか。そんな膨大な量の薬品、想像するだけで呆れてくる。




 午後の調査中、事件が起こった。

 それは、調査の四分の三ほどが終了した時のこと。

「!!」

 何かの気配に気づき、さりげなく振り返った。

 見ると、紳士っぽいスーツを着た二人組の男がいた。この二人、見た目こそ紳士だが、体から出ているオーラが紳士ではない。どちらかといえば、ならず者っぽい……というか、ならず者そのもののオーラを出していた。

 このままつけさせておくとまずい……。

 何とか切り抜けようとあたりを見回したところ、三十メートルほど先に路地裏へつながる道を発見した。

 そこへ近づくと、僕はシャロンの腕を引っ張り、路地裏へ連れ込んだ。

「ちょっと、何すんの!」

「いいから、走れ!」

「走れって、ここ、行き止まりなのよ?」

「え!?」

 その言葉通り、数メートル走ったところで、行き止まりにぶち当たった。

「くそ……戦闘も、やむなしか」

「……ねえ、何があったの?」

 シャロンもただならぬ雰囲気を感じたのか、真剣な表情をしている。

「ああ。さっきから怪しい男二人が僕達をつけていた。路地裏を突っ切って逃げようと思ったが、まさか行き止まりだったとは……」

「あんたねぇ、そういうことならあたしに相談しなさいよ! ロンドンの地理はあたしの方が詳しいんだから」

 確かに、シャロンの言う通りにすべきだったかもしれない。そこは大いに反省する。

 だが、やってしまったものはしょうがない。今は過去の事より、現在進行形で起こっているトラブルを解消することを考えなければ。まあ、問題ないと思うけど。

「わかった。これからはそうする。でも、あの程度の敵、どうということはない」

「それじゃあ、なんで逃げようとしたの?」

「街中で騒ぎを起こしたくなかったからね。さあ、武器を構えろ。お客さんの御到着だ」

 シャロンがナイフを出すのとほぼ同時に、例の男二人が現れた。一人は太め、もう一人は筋肉質の男だ。

 筋肉質の男が会話を切り出した。

「俺達がここに来た理由、わかるか?」

「さあな」

「お前、ロンドン中の化学会社を回っているらしいじゃねえか。何をたくらんでやがる?」

「市場調査だよ」

 ここまで当たり障りのない事を言ってきたが、こちらはこんなことに時間を費やす気は毛頭ない。ここらで一気に会話を進展させよう。

「では、こちらから聞く。貴公らの要求はなんだ? ハッキリと、簡潔に、わかりやすく回答願う」

「今すぐ、一切の調査をやめろ」

「簡潔で明確な答えだね。そういう答え方、僕は好きだな。で、拒否した場合は?」

「これだ」

 そのセリフを発した後、男達はピストルを構えた。

 見たところ八連リボルバーらしいが、どうも安っぽい。これなら余裕でイケる。

「フハハハハハハハハハ!!」

「何がおかしい!?」

「だって、そんなモン使った脅しを僕にかけてきたことがバカらしくって!」

「バカか、お前。これはな、要求を飲まなかったら殺してやるぞと言う意味なんだよ!」

「わかってるよ。でも、その脅しが効力を発揮するには、ある条件がいる。それは『いつでも命を奪える』という状況だ」

「だから、今がそうなんだよ!」

 だいぶ挑発に乗ってきたな。いい調子だ。

「でも、僕はそうじゃない。僕は剣の達人でね。君達の使っている、そのチープなピストルの弾程度、余裕でたたき落とせるね」

「そんな出まかせ……」

「じゃあやってみるか? もちろん、その時は君達も相応の覚悟が必要だ。銃を撃てば銃声が響く。それは絶対に表通りの人たちに聞かれてしまう。そうなれば表はパニックになり、警察が駆けつける。すると、君達はどうなるかな……?」

「ふ、ふん、すぐに逃げてやるさ」

「言っておくが、僕は君達を見逃せる自信はない」

「この、生意気なガキがああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 よし、発砲した!

 ぼくはそれをステッキでたたき落としながら、高速で男達に近付く。

「く、くそ、こいつバケモノか!」

「に、逃げるぞ!」

 そうはいくか。

「シャロン、頼む!」

「わかったわ。それ!」

 僕が高く飛び跳ねると同時に、シャロンはピアノ線を出した状態で、ナイフを低い高度で投げる。

 そしてそのまま横にスライドさせた。すると、ちょうどピアノ線が足払いをかける形となった。

『ぐふっ』

 男達はそのまますっ転び、表通りに投げ出された。

 その隙を逃さず、僕は男達に飛びかかり、取り押さえた。

 ふと見上げると、案の定、銃声によって街中パニックになっていた。

「だれか、警察を呼んで。こいつら、発砲した犯人です!」

 僕の通報要請から数分後、警察がやってきて男達は逮捕された。

 男達が連行された後、現場に残った警官から事情聴取を受けたが、後から出てきたシャロンの姿を見るなり、また後で署に召喚するからということで事情聴取を切り上げられた。おそらく、またシャロンか的な感覚なのだろう。

「いや~、アネゴも旦那も、お見事でしたね~」

「ん?」

 後ろから不意に声をかけられた。振り返ってみると、そこにはロンドン・イレギュラーズのリーダー、ウィギンス・ベイカーがいた。

 シャロンが言った。

「何か手掛かりをつかんだの、ウィギンス?」

「へい。アネゴは『ブレイカーズ』をご存じで?」

 何だろう? 聞いたことない名前だな。

「シャロン、『ブレイカーズ』って?」

「フレディが知らないのも無理はないわ。ブレイカーズは、いわゆるマフィア集団。主にイースト・エンドを活動拠点にしていて、そこの半数以上のアヘン窟や売春事業を統括しているわ。組長(ゴッド・ファーザー)の名は、確かモーガン・ブレイク」

「で、なんで僕が知らないのも無理はないんだ?」

「イースト・エンドを拠点にしているから、オックスフォードに住んでるフレディが知らないのは当たり前の話よ。それに、やり方がかなりうまくて、なかなか尻尾をつかませない。だから大きなニュースになることはない。事実、ブレイカーズの事を知っているのはイースト・エンドの住民と一部のヤードの警官だけだし」

「なるほど」

 とにかく、ブレイカーズなる集団の事については一通りわかった。

「で、ウィギンス、そのブレイカーズがどうしたの?」

「どうやらミルトン精肉社長とモーガン・ブレイクが、連日密会していたという目撃情報がありやす」

「社長と組長(ゴッド・ファーザー)が密会……」

「さらに何の因果か、密会しなくなった日と同じ時期に、ミルトン精肉のガードマンとして雇われた人物がいやす。その名も、セドリック・バレット」

「セドリック・バレット……」

 シャロンが驚いたような表情でその名を呟く。しかし、残念ながら僕にはその名に聞き覚えがない。

「シャロン……」

「あんたの言いたいことはわかるわ。その人物は誰? って聞きたいんでしょ」

「正解」

「セドリック・バレット、元陸軍大佐で数年前に不名誉除隊に処されているわ。射撃の名人で、その経歴があまりにもシャーロック・ホームズに出てくる悪役、モリアーティ教授の腹心であるセバスチャン・モラン大佐に似ているから、一部では『リアル・モラン』なんてニックネームが付いてるけどね」

「そんなに手ごわい人物が……」

「でも、この情報が示しているのは、それだけじゃないわ」

 確かに、この事実には少し不自然な点がある。そもそも、なんで一企業がそんな腕の立ちすぎる不良軍人を雇うのか、ということだ。

 そして、その疑問が導き出す答えは、ただ一つ。

「あっせん、か……」

「そうよ。前々からブレイカーズは、犯罪者や不名誉除隊された元軍人をグレーやブラックな組織へ再就職させる……要は違法なあっせん業をやっていると噂されていたわ。まあ他にも結構ギリギリの事やってるから、警察にマークはされているみたいだけど」

「で、今回の情報でそれが明るみに出た、と……」

「いえ、ウィギンスが手に入れた情報は、あくまで状況証拠。確たる証拠とは言えないわ」

「そうか。なら、調査の必要があるな」

 しかし、ブレイカーズ組長(ゴッド・ファーザー)の居場所なんて、わかるはずもない。なら、そこにいる少年を使うしかない。

「ウィギンス君」

「なんでしょう、旦那」

「ここに四シリングある。これで、ブレイカーズについて……特に組長の居場所について調べてくれないか?」

「わかりやした。ボーナスその他については、アネゴと同じで結構ですね?」

「了解だ」

「毎度どうも。じゃ、俺はこれで」

 ウィギンスが立ち去ろうとしたが、シャロンが引きとめた。

「待って」

「どうしやした、アネゴ?」

「ボーナス一ギニー、もらい忘れてるわよ」

 そうして、ウィギンスはシャロンから一ギニーを受け取ると、今度こそ本当に去っていった。




 夕食の時間、僕とシャロンは行きつけの店『レイク・ディストラクト』に向かっていた。

 店に着くと、そこのウェイターから意外な言葉を聞いた。

「アームストロング様、お客様がお見えになっております」

 客? こんな時間に、誰が……?

 そのような疑問を抱きながら、ウェイターの案内に従って行った。

「こちらです」

「やあ、思っていたよりも早く着いたみたいですね」

 そこにいたのは、僕の友人で衛生局の職員、ゲイリー・レストンだった。

「ゲイリー……どうしてここに?」

「私の方で、少しばかり収穫があったものですから。そちらは?」

「こっちもそれなりに、な」

「そうですか。では、先に注文を済ませてしまいましょう。話はそれからです」

 食事が運ばれると、会議開始となった。

「じゃあ、まず僕から。これを見てくれ」

 ゲイリーに渡したのは、化学会社からかき集めた顧客リストだった。

「へぇ、頑張って集めたみたいですね」

「まあな。でだ、ロンドン中の化学会社のリストの中に、ほぼ間違いなくミルトン精肉の名前が入っている。調べてみたところ、ミルトン精肉は少しずつ薬品をいろんな会社から買っているようだが、合計すると食品会社としては異常なほどたくさんの塩酸と苛性ソーダを購入していることがわかった」

「なるほど。それだけでも、抜き打ちで家宅捜索するには十分な証拠です。裁判所も、納得してくれるでしょう」

「そっちはどうだ?」

 ゲイリーはコホンと咳払いし、淡々と話しだした。

「こちらの収穫は、あなた方を襲った人物についてです」

「僕達を襲った人物……」

「昼過ぎごろ、あなた達二人を襲った二人組の男達ですよ」

 そうそう、その男達は僕らを襲ったが、逆に返り討ちにあって警察に捕まったんだっけ。

「その男達、正体がわかったのか?」

「ええ。二人とも、ブレイカーズの下っ端であることがわかりました」

「ブレイカーズの……」

 その瞬間、頭の中で何かがつながった。

「なあ、シャロン……」

「たぶん、あたしもあんたと同じこと考えてるわね。ねえゲイリー、その下っ端共、何か話さなかった?」

「いえ、『ミルトン精肉の調査をやめさせろと命令された』としか……。下っ端ですから、あまり情報は聞き出せないと思いますよ」

 それは残念だ。だが、これでミルトン精肉とブレイカーズにつながりがあることがはっきりした。

「あの、皆さん……どうしたんですか、さっきから?」

「ああ、ごめんなさい。実は、ロンドン・イレギュラーズが持ってきた情報なんだけど、どうもミルトン精肉社長とブレイカーズ組長(ゴッド・ファーザー)が密かに会っていたらしいのよ。で、その後にミルトン社のガードマンとして雇われたのが、セドリック・バレット元陸軍大佐」

「リアル・モランが……。確かにそれは、偶然にしては出来すぎてますね……」

「そうね。もし、噂通りブレイカーズが不法な就職あっせんを行っていたとすれば、リアル・モランをミルトン精肉に紹介していたと思うわ」

「確かに。こちらとしても、食品偽装とロンドン一のマフィア集団を一網打尽にできるのは、ありがたいことです。そして、私もあなた達に警告する必要性が増しました」

『え!?』

 驚いた。こちらは不法行為を一切していないし、何かをとがめられるような事をした覚えはない。

 しかしその疑問も、直後に放ったゲイリーの言葉が解決してくれた。

「いいですか? マフィアという危険な組織が絡んできた以上、これ以上の捜査はあなた達に危険を及ぼします。それに家宅捜索を行うのに十分足りる証拠はそろっています。ですから、そろそろ皆さんにはこの件から引いてもらいたいのです」

 ゲイリーの言っていることには同感だ。もう、一般市民である僕らの出る幕じゃないだろう。

「了解だ。引き際は見極めないと、とんでもないことにな……」

「嫌よ!!」

 シャロンの拒絶反応に、一同驚き、場が静まりかえった。

「あたしは嫌。あんにゃろうをこの手でとっちめられないなんて、まっぴらごめんよ」

 こんなに興奮しているシャロン、見たことがない。それになんだか周りが見えていないようだ。何とかいさめなくては。

「シャロン、いくら犯罪者を捕まえてきた実績があるからって、今までとは違うんだぞ。相手は組織だ」

「犯罪者を捕まえてきたのは、自分の鍛錬のためでもあるの。見くびらないで」

 ダメだ、説得できない。なら、せめて理由だけ聞いてみよう。

 そう、今まで『本人の問題』だからといって深く追求しなかった部分もだ。

「なぜそこまでミルトン精肉にこだわる?」

「そ、それは……」

「はっきり答えろ」

「う、うるさいわね! そもそも、あんた今まで深く突っ込んでこなかったくせに!!」

 逆ギレされた。しかし、怯んではダメだ。

「今まではお前の問題だから深く入り込まなかった。だが、このままではお前の命にかかわるんだ! 何も知らないまま、みすみす見殺しになんかできるか!!」

「う……」

 ここまで迫力を出したのは何年ぶりだろう。いつも口うるさいシャロンを黙らせてしまった。

「さあ、答えてくれ。お前のためだ」

「ぐ……う……うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 突如、せきを切ったかのように泣き出したかと思うと、すぐに涙をふき、ミルトン精肉にこだわる理由を話してくれた。

「あたしね……元々、ロンドン郊外に住んでいたのよ。お父さんは家具職人をしていたわ」

 だからシャロンは工作がうまいのか。

「家族はお父さんのほかにお母さんと妹のマイラがいたわ。いつも楽しく暮らしていたの」

 マイラ……確か、シャロンが寝言で言っていた名だ……。

「でも、その暮らしもあいつがやってきて失ってしまったわ……。あの悪魔、ミルトン精肉の社長、ブラッド・ミルトンがね。あいつは立ち退きを要求した。でも、お父さんはそれを拒否した。そしたらあいつ、どうしたと思う?」

 一同、ごくりと唾を飲み込む。

「あいつ、お父さんを殺したのよ。それを見たお母さんはあたしとマイラを逃がしたけど、結局殺されてしまったわ。あたし達は命からがら逃れられたけど、途中でマイラとはぐれてしまった。何日も探し回ったけど、見つからなかった。

 その後、イースト・エンドへたどり着いたあたしは、探偵を始めた。探偵をしてれば、マイラの居場所もつかめると思ったから。それで、持ち前の工作の腕を生かして、何人もの犯罪者を捕まえてきた。そのあたりはあんた達もよく知ってるでしょ? そのうち、あたしはあるストリート・チルドレンの集団と知り合った。一件イースト・エンドならどこにでもいそうな子たちだったけど、あたしにはわかった。その子たちが、情報収集に長けていることを」

 この事を聞いた僕は、ピンときた。

「それって、まさか……」

 シャロンはうなずき、続けた。

「ええ。その子たちが、『ロンドン・イレギュラーズ』よ」

 やはり、そうか。

「あたしがその子たちに『ロンドン・イレギュラーズ』のチーム名と、あたしとの契約料の設定を提供して、さっそく依頼したわ。『マイラの居場所を探して』ってね。そしたら、三日で居場所を突き止められたわ。その場所は、元々あたし達家族の家があった場所……『ミルトン精肉本社兼工場』」

「まさか、ミルトン精肉が人身売買を……?」

「いえ、そういう報告はないわ。ただ、あたしが住んでいた場所の近隣に住んでいた子供達も一緒に捕まっているらしいの。おそらく、また地上げをするときに見せしめとして使う腹だと思うわ。それで、マイラの居場所を突き止めたのはいいけれど、どうしようもできない。警備は厳重で、捕まれば警察に突き出されるのはあたし。だから、ミルトン精肉の弱みを握って、マイラと交換する取引をしようと思ったのよ。そんなとき、一つの転機が訪れた。オックスフォード大学へミルトン精肉製のハムが検査に持ちこまれたって」

「おい、それって……」

 僕が報告書を持ってきたあの日。突然シャロンが近くの建物から飛び降りてきて、報告書を奪っていった。

 そう、シャロンと僕の、最悪な出会いの光景が、頭に浮かんだ。

「ええ。あんたの考えている通りだと思うわ。あたしは、フレディが持ってきた報告書をネタにマイラを取り返すつもりだった。でも、報告書は取り返されてしまった。だからあたしは、もう一つのプランを実行しようとした」

「もう一つのプラン?」

「それはね、もっと証拠を集めて、警察に提供すると同時にミルトン精肉へ単身突入するの」

 うわ、なんて無茶苦茶な……。

「そのプランは、フレディのおかげもあって軌道に乗り始めたわ。そして今、そのプランが最終段階に移ろうとしている。それなのに、こんな大事な所で、引けるわけ……」

 再び、シャロンの目に涙が浮かんだ。

 僕はハンカチを差し出しながら、こう言った。

「まあ、これで涙を拭いとけ。でだ、お前の事情はよくわかった。これからも力になってやりたいと、改めて思った。その上で聞くが、やっぱりゲイリーやヤードに任せる気はないんだな?」

 シャロンは涙をぬぐいながら答えた。

「当然でしょ……。あいつらは、いざとなったら人質を盾にするに決まってる。そうなったら、マイラの命の保証はない。だから、警察が入る前にマイラを助け出さなきゃ!」

 その言葉には、シャロンの確固たる意志が宿っていた。そして、この言葉を聞いた僕は、もう後には引けなくなっていた。

「ゲイリー、君の警告には感謝する。でも、僕は聞いてしまった。シャロンの本音と決意を。だから、僕もこのまま引き下がるつもりはない」

 するとゲイリーはふぅとため息を漏らし、こうつぶやいた。

「そうですか。そこまで言うのであれば、私はもう引きとめられませんね。しかし、私も公僕として、市民を守るという責務があります。ですから、私もあなた方の身の安全を守るため、それなりに動かせてもらいますよ」

「ありがとう、ゲイリー」

 こうして、緊張と涙と決意に彩られた晩餐会は、幕を閉じたのだった。




 次の日の朝、ドアをノックする音が聞こえた。僕は目をこすりながらドアを開けた。

「あ、旦那ですか。おはようございます」

「君は……ウィギンス?」

 ロンドン・イレギュラーズのリーダーである彼が来たということは、何か重要な情報を持ってきたのだろうか?

「実は、旦那に頼まれていた情報、手に入れやしたぜ」

「本当か?」

「へい。今夜、ブレイカーズの組長(ゴッド・ファーザー)は、『赤い蓮』に来るようですぜ」

「赤い蓮?」

「イースト・エンドの中でも最大のアヘン窟です。シャロンに聞けば場所はわかるでしょう」

「そうだな。重要な情報をありがとう。これ、ボーナス」

 そう言い、僕は一ギニー硬貨を渡した。

「毎度あり。じゃ、俺はこの辺で」

 どうやら今夜は、忙しくなりそうだ。


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