Act:89
陥没した大地の底で、巨大な何かが蠢く。
優人が俺の腰に回した腕に、ぎゅっと力を込めた。
うんっ、少し痛いよ。
「おおおお!」
マームステン博士の驚嘆の声が、先ほどから繰り返し聞こえていた。
揺れが、ゆっくりと治まって行く。
周囲に静寂が戻るにつれ、俺は思い出してしまう。
禍の祠が存在するこの地の云われを。
天空から落ちてきた禍。女神たちと相争い、果てに地に落ちたのがこの場所。
もしその底に封じ込められていたものがあるとしたら。そこから蘇るものがあるとしたのなら……。
それは、神話に残る禍そのものではないのだろうか……?
「優人、降ろして」
俺は、お腹に回された優人の硬い腕にそっと触れた。
声が、掠れてしまう。
優人は聞こえなかったのか、俺の体をさらに引き寄せるように抱え直した。
「優人、ありがとう。降ろして下さい」
「あ、ああ……」
もう一度言うと、今度は降ろしてくれる。
そこに、シズナさんと夏奈たち、そしてマームステン博士を担いだシュバルツがどしどしと走り寄って来た。
「みんな、無事ですか?」
俺の問いに、みんなが力強く頷いてくれる。しかし、その顔は一様に厳しかった。
「状況がわかりません。いつでも撤退できるようお願いします」
俺はみんなの顔を見回した。
その時、ぎしっと瓦礫を踏み締める重い音が響き渡った。
みんなが一斉にそちらに目を向ける。
「あっ……」
ドクンと心臓が高鳴った。
背筋がざわつく。
息を呑んだまま、呼吸を忘れたかのように固まってしまう。
地震によって開いた穴から、ゆっくりとそれが這い出そうと動いている。
だんだんと薄れる土煙の向こう。
それの姿を見た瞬間、嫌悪感が込み上げて来た。
こんな、こんなものが、ヴァンが復活させようとしていたものなのか……?
土煙を割って姿を現したそれは、黒い体躯と赤い目。紛うことなき魔獣の特徴を備えていた。
穴の中から持ち上がった頭部は、それだけでリコット号より大きかった。巨大過ぎて、その全身は未だわからない。
前方に長く伸びた顎と鋭い牙。赤い光を宿すラインが上顎から後頭部に向かって幾筋も伸びている。それが、目、なのだろうか。赤のラインが、不気味に明滅していた。
濃い腐臭が辺りに立ち込める。
俺は思わず鼻を覆った。
その姿だけでも不気味なのに、その巨大な何かは、半ば朽ち果て、骨を覗かせていた。
巨大な顎は白く硬質化し、所々ひび割れていた。一部に残った黒い体組織が干からびたままその骨に張り付いている。
目と思われる赤いラインも、光っているのはごく一部だ。本来発光していたと思われるその大部位は、ただの穴になって白い骨に斑点を刻んでいた。
「い、生きてるのか、これ」
優人が呆然と呟いた。
しかし、その優人の言葉に反応したかのように、もはや屍のようなそれは、穴の中から巨大な腕を出そうと蠢いた。そのたびに、地下空間が不吉な音を立てる。
生きているかどうかなんてわからない。
しかし、それは明確に活動し始めた。
心のどこかで確信する。
あれは脅威だ。
この世界で生きている今の私たち、全ての。
「この星に落着して数百万年。無数の楔を打ち込まれ、大地に封じられていたのにも関わらず、よく動く」
巨大な屍の側で、ヴァンが嬉々として声を上げた。
「お嬢さん。あれは、わしが思うに神話の存在じゃ。人間を滅ぼしかけた禍じゃ。わしらは、とんでもない事をしてしもうた……!」
俺は嘆く博士を睨むように一瞥した。
そうだ。
あれは、長年ここに封じられていた存在。
あれは、世に出しては行けない。あの屍を、世界に解き放ってはいけないのだ。
黒騎士の目的があれの復活なら、なおの事……!
「優人!」
俺は、眼前の巨大な屍を睨みつけながら、声を張り上げた。
「エシュリンの楔を!あれをここから出してはいけない!」
俺の叫びに、一瞬きょとんとした優人だったが、しかし直ぐに不敵な笑みを浮かべる。
「任せろ!」
優人が叫び、光の剣を呼び出した。
俺自身も抜剣すると、優人に並んで剣を構えた。
俺の力なんて、恐らくは通用しないだろう。
しかし、囮になって気を引くくらいの事は出来る!
怖い。
あんなものに対峙しなければいけない恐怖に、切っ先が震えている。
しかし、そんな事は気にしない。
気にしてなんか、やらないんだ!
「カナデちゃん、あたしたちも忘れないでよっ」
ニシシと笑う夏奈が、俺の精一杯強がる顔を覗き込むと、くるりと反転して弓のブレイブギアに矢をつがえた。
「カナデさんは、博士の護衛と戦闘の指揮を。ユウトの援護は、私たちに任せて」
半身を開いて剣を構えたシズナさんが、俺の前に立った。
「はっ!あんな骨野郎に負ける要素が、どこにある!」
シュバルツが嘲るように吠えると、シズナさんに並んだ。
禿頭さんが戦鎚を構え、にっと俺に笑いかける。
が、頑張れ……。
「マームステン博士は私の後ろに」
俺は博士の前に立つと、ぶんっと剣を振り下し、そして改めて切っ先で屍を指し示した。
「あれはここで倒します!」
俺が、俺たちがどうしてこの世界に呼ばれたのか。
「あれが例え何であったとしても、エシュリンの楔によって封じられていたということは、楔は有効な武器になるはず」
俺たちを召還したのは、あの屍なのか。あるいはヴァンによってなのか。
「優人を基点に多重攻撃。反撃する暇を与えてはいけません」
ただ、エシュリンの楔を抜くということだけのために、利用されたのかもしれない。
例え、そうだったとしても。
それが真実でそれが運命だったのだとしても!
俺は、私は、ただ座してそんな運命に身を委ねたりはしない……!
「みんな、どうか……」
不幸がばらまかれるのを、ただ見ている訳にはいかない。もう、この世界に大切な人も大好きな人も沢山出来てしまったから。
だから、抗って抗って……。そして、その先にある……。
「大好きなみんなの明日のためにっ!」
俺は一時だけきゅっと目を閉じた。
優人が、顔半分だけ振り返り、頷いてくれた。そしてキッと前を見る。
「みんな、いくぞ!」
優人の咆哮が轟いた。
鼓膜が破れそうな屍のほうこうが、地下空間をびりびりと震わせる。
しかし、押し倒されてしまいそうな音圧は、その途中で急激に掠れ、消えてしまった。
「やはりあれは、まだ本調子では無いようじゃな」
俺の背後でマームステン博士が呟く。
俺はただ剣を構え、じっと優人たちの戦いを見つめる。
孤を描くように屍の右側に走り込んだ優人が、高く飛び上がった。
屍の注意が優人に向けられる。
しかし、反対側からシズナさんたちが挑みかかる。シズナさんの剣が、屍の目を貫く。夏奈の銀の矢が、複数に別れて屍の骨部に突き刺さった。散弾銃の様にその骨を削る。
しかし屍の注意は優人から動かない。
シズナさんたちの攻撃は確かに効いている。しかし、巨大な屍に対して、みんなの攻撃力が足りていない。大木に小刀で斬りつけても、傷は付けられるが、切り倒せないのと同じだ。
「うおおおぉぉ!」
気合の叫びと共に、屍の直上から優人が光の刃を振り下ろした。突き刺さる瞬間、光が増し、優人のエシュリンの楔が何倍にも広がる。
光が屍を貫く。
屍の、掠れ掠れの苦悶の声が洞窟を震わせた。
優人は屍の頭を蹴ると、シズナさんたちの方に離脱する。
俺は、屍から少し離れた場所で腕組みしながら戦いを見ているヴァンに注意を向けた。
ヴァンの目的が屍の復活なら、目の前でそれが倒されるのをただ見ている筈がない。
どこかで戦闘に介入して来る筈。
俺がそれを見逃してはいけない。
屍が頭を持ち上げる。そしてぐわっと巨大な口を開いた。
腐臭がさらに強くなる。
その巨大な口腔内に、光が宿った。高まるエネルギーが、ジジジっと音を立てる。
脳裏に、ベリル戦役の光景が甦った。ドラゴン型魔獣の熱線が騎士団を薙払い、遠方の山を吹き飛ばしてしまった光景を。
「優人!」
俺の叫びと同時に、優人が低い姿勢から走り込む。
夏奈の矢が殺到する。
しかし優人も矢も、屍の前で見えない壁に阻まれてしまった。
「何が!」
止められない!
こんな閉鎖空間で、あんな熱線が放たれてしまえば……。
屍の咢の光が、一点に集まる。
しかしそこで、突然屍が身悶えし始めた。
一つに束ねられ照射されるはずだった光が、巨大な牙の間から断続的に漏れ、無秩序に暴れ始めた。
縦横無尽に迸る光が、地下空間内の天井を、壁を這い回る。岩がドロリと溶かされ、破壊された岩石が降ってくる。至る所で炎が吹き上がり、のたうつ巨体の影を岩肌に映した。
「エネルギーを制御出来ないんでしょうか……?」
「うむ。暴発したように見えるな」
俺の呟きに、博士が答えてくれた。
一条の光が、俺とマームステン博士の傍を走り抜けて行く。その場所が一瞬溶けて落ち窪んだ後、溶岩のように溶け出した岩石が爆裂した。
熱波が押し寄せる。
その衝撃波に、髪が激しくなぶられる。
「ぬひぃぃ!」
マームステン博士が後ろで尻餅をついた。
激しく乱れる髪もお構いなしに、俺は、目を反らさずに真っ直ぐ優人たちの戦いを見つめる。
目の前で繰り広げられる戦闘は、次元が違う。気を抜けばその場でへたり込んでしまいそうだ。
その迫力に気圧され、足腰に力が入らない。剣を握りしめた手が白くなる程力が入っている。
それでも。
情けない程の弱虫の私でも、みっともない私でも、私が目を反らしてはいけない。
何の思惑があったにせよ、優人たちを戦いに導いてしまったのなら。
例えどんな事があろうとも、私は、最後までその戦いから目を離してはならないんだ。
優人が中空に光の刃を振るう。
展開されていた不可視の壁がそれで切り払われたのか、優人が再び屍の頭部に肉薄すると、その鼻面に着地する。そしてデタラメとも言えるほどの勢いで、光の剣を振い始めた。
シズナさんや夏奈の攻撃が、大木に対する小刀の傷ほどの威力であるのなら、優人が振るうエシュリンの楔の一撃は、まさに大木を打ち倒す鉞の一撃だ。
屍は苦悶の叫びを上げ、頭を振り回す。その腕さえもがまだ穴から出し切れていない状況では、顔面に張り付き、強烈な一撃を浴びせ続ける優人を引き剥がす事は、屍には不可能に思えた。
暴れる屍。
もうもうと土煙が上がる。
断続的に短く吐き出される熱線の残滓。
天井を焼き、岩を溶かすが、その破壊エネルギーを俺たちに指向させる事は出来ないようだ。
「も、脆すぎるの」
尻餅から回復した博士が、おずおずと口を開いた。
「やはりまだ完全復活出来ておらんのか、はたまた黒騎士の言う通りなら、数百万年の時間が、奴を劣化させてしもうたのか……」
どちらにせよ好機だ。
ちらりと視線を巡らせる。
黒騎士は、ヴァンは動かない。
何故だ……。
しかし。
倒せるなら、倒してしまえばいい。
今、ここで!
「優人ぉぉ!」
俺は全力で叫ぶ。
「ユウト!」
「優人っ!」
「おう、やっちまえ!」
「……!」
みんなが叫んだ。
優人がタンッと屍を蹴り、間合いを取った。そして、腰だめに光の剣を構える。
銀の光が溢れる。
優人の剣から迸る。強烈に光度をましたエシュリンの楔が、光を吹き上げながら、どんどん巨大化して行く。
「うおおおぉぉ!」
優人の雄叫びが低く反響する。
「おおおぉぉっ、消えて、しまえぇぇぇ!」
円弧を描き、地下空間の中に、長大な光の束が翻った。
その刃がかすった岩壁が、すぱっと斬り裂かれる。
同様に。
屍の首を、一瞬にして光の束が薙ぎ払う。
巨大な頭部が、ぐらりと傾いた。
そして、未だ穴の内部にある胴と離れた瞬間、眩い閃光が溢れた。
光が満ちる。
それは、先ほどの熱線の光ではない。
柔らかく薄いヴェールのような光が、屍から幾重にも放たれて地下空間を満たしていく。
「なんじゃ!」
光が七色に揺らめく。
次々と色目が変わりながら、俺たちを包み込んでいく。
やがて、今まで確かに踏みしめていた大地の感覚がなくなり、まるで乳白色の水の中に漂っているかのような浮遊感に包まれた。
眩しい……!
見渡してみても、ホワイトアウトした視界には何も見えなかった。
あるのかどうかもわからない地面を必死に蹴って、俺と博士は優人たちに合流した。
「カナデちゃん!」
夏奈が俺にしがみついてくる。
「博士、これは……」
シズナさんが口を開いた瞬間。
「おい、見ろ!」
シュバルツが声を上げて、白の空間の一点を指差した。
そこには、光のヴェールの向こう、見たことのある風景が広がっていた。
「おいおい、あれはインベルストじゃねぇか!」
そうだ!
見慣れた街並み。懐かしい風景。
間違いない。
「あ、あっちにも!」
夏奈が上方を指差す。
そこには、知らない平原と町の遠景が映し出されていた。
それを皮切りに、窓を開いて行くかのように、無数の情景が上下問わずあちこちに開き始める。
街並み。平原。山中。空からの風景に、川岸。海に、星……。宇宙か。インベルストに、王都もある。立ち寄った事のある町に、知らない町。
「……博士」
「く、空間が歪んでおるのか……!」
俺は手元に流れてきた風景を映す小さな窓を見て、ぎょっとした。
インベルストの、うちの屋敷の裏庭だ!
池のほとりの東屋。剣を胸に抱いた私が、すやすやと寝息を立てている。そこに小径をやって来る背の高い人影。そして少女。
「シリス、ルナ!」
あの時、シリスと初めて会った瞬間の風景だ。
「あれ、あたしが映ってるよ!」
夏奈が叫んだ。
「これは、あの森か。俺とカナデが流れ着いた……」
優人が別の窓を見上げていた。
俺は周りを見回した。
知らない人たちが沢山映し出されている。
食事している風景。働いている風景。戦争、あるいは戦い。日常。ベッド。夕闇の町並みを走り回る子供たち。朝靄の畑に向かう老人。
「現在と過去と、もしかしたら未来も、あるのかもしれんの……。空間、次元が、不安定になっておるのか」
俺の隣の窓では、まさに赤ちゃんが取り上げられている瞬間だった。銀の髪の小さな命が……。
「あの屍が時空を操っておったのじゃろう。倒された瞬間、その力が解放されたのかもしれん……」
マームステン博士が、漂いながら髭を撫でる。
時空を操る……。
やはりブレイバーを呼び寄せていたのは、あの屍……。
「見ろ!」
優人が再び叫んだ。
「日本だ!俺たちの町だ!」
夏奈が走り寄る。俺もその後に続いた。
「あああっ、優人、優人ぉ」
夏奈が涙声を上げた。
「おい、もしかしたら、ここに飛び込んだら帰れるのか、俺たち!」
「帰、れる、の?パパや、ママの所へ……!カナデちゃん!」
「カナデ!」
優人と夏奈が感動に声を震わせながら、俺を振り返った。
しかし、俺は反応出来ない。
目を見開き、唇を開いたまま、固まる。
「カナデ?」
え……?
み、見えない。
何も、見えないっ……!
日本……?
え……?
何で?
私には、見えない、の?
優人と夏奈が指差す場所には、ただ光のヴェールが揺らめいているだけだった。
頭が真っ白になる。
見えない。
見えない。
見えない。
私には、何も……。
「楽しめたかな」
その瞬間、低くヴァンの声が響いた。
光が揺らめく。
広がった時とは逆再生をするかのように、光のヴェールが巻き取られて行く。
そして俺たちの周囲は、もとの地下空間の岩壁に戻った。未だ屍の放った熱線の影響で、あちこちで炎が揺れていた。
動揺したままぎこちない動作で顔を上げた俺の視線の先には、首のなくなった屍の胴の上に立つヴァンの姿があった。
その黒の鎧は、今も屍からどろりと流れ出す黒い体液に濡れて光っていた。
そして、その掲げた掌の上。
一抱え程もある巨大な球体がゆらゆらと滞空していた。
その球体の中に、四方に展開していた光のヴェールが巻き取られて行く。
歪に、禍々しい深紅の輝きを明滅させているそれを見て、俺は察する。
心臓……なのか。屍の……。
「諸君には感謝が絶えんな。朽ちた肉からこれを取り出す労も代わってもらった。くくっ。感謝の印として、ここは見逃そう」
黒騎士が、くるりと踵を返した。
「待て!」
優人が叫ぶ。
しかし言葉とは裏腹に、がくりと優人は片膝を落とした。
いくら優人でも、消耗が激しすぎるのか。
ヴァンは顔だけ振り返り、俺たちを一瞥する。嘲るようにその顎を上げると、タンッと屍の胴を蹴った。そして、一瞬にして洞窟の闇の中に消えて行った。
洞窟の戦い、完。
少し長くなりましたが、読んでいただき、ありがとうございました。




