Act:87
教会の総本山ノエルナ大聖堂がある地裂峡谷地方は、草木の緑が全く見えない荒涼とした岩砂漠と奇岩の山が連なる寂しい場所だった。
赤茶けた大地に、所々に立つ岩の柱。深い谷が幾重にも連なり、逆にせり上がった巨岩が見上げるような台地を作り出している。
そんな、およそ人気などなさそうな場所にも関わらず、リコット号の側舷から見つめる俺の視線の先には、街道を行く沢山の人々の姿があった。
「リリアンナさん、あれは大聖堂への巡礼の方々ですか?」
俺は、洗濯物の籠を持って通りかかったリリアンナさんを呼び止めた。
「恐らくそうでしょう。この街道は、聖地へ続く道ですから」
なるほど。
この岩石地帯の先に、片翼の女神を奉じる教会の本部があるのだ。
それにしても、こんな辺鄙な土地を聖地にしなくてもな。
リコット号は、土煙を立てながら街道から少し外れた荒野の上を走っていた。珍しい陸上船に、こちらを指差して驚いている巡礼者の姿もちらほら見えた。
「カナデさま。神学は学ばれましたでしょう。覚えておいでですか?」
リリアンナさんが眼鏡をくいっと持ち上げた。
「えっと、はい」
俺は、咳払いして記憶の中の言葉を紡ぐ。
「この世界がまだ未開の地だった頃、二柱の輝く女神が降臨し、大地をならして人が住める世界を作りました。
やがてその女神を追いかけるように、遥か天空から赤い尾を引いて災厄が降り注ぎました。
人々は火に焼かれ、闇に飲まれてしまいます。
その災厄に、二柱の女神は我が身を盾にして立ち向かいました。
夜が昼となり、昼が夜になる戦いを三日三晩繰り返した後、女神たちは災厄を封じる事が出来たのです。
しかし、女神の片方は力尽き、残った女神も片翼を失って、地に落ちました。その災厄を生き延びた人々は、地に臥した女神を敬い、祭り始めました」
これが教会が奉じる創世の神話だ。この世界の常識として、リリアンナさんにみっちりと教え込まれた。
「補講の必要はなさそうですね」
リリアンナさんが無表情に頷いた。
補講……。
なんて、恐ろしい響き……。
「この先には、その神話に出て来た片翼の女神の巨像があります。ノエルナ大聖堂は、その像を御神体として作られた聖堂なのです」
リコット号が巨大な岩のアーチをくぐる。風化と雨の浸食によって作り上げられた産物だ。
甲板に落ちた影が、俺の上を通り過ぎて行く。
「カナデさま。あちらに、ノエルナ大聖堂が見えて参りました」
リリアンナさんが指差した先。
それ自体が一つの城、いや、城壁に囲まれた一つの都市のような巨大な建造物が見えてきた。
その白の荘厳な建物が、赤茶けた荒野の真ん中にぽつりと佇む光景は少し奇妙に思えてしまう。まるで砂漠の中に忽然と現れる蜃気楼の宮殿を見たかのようだった。
船が面舵をとり、方向を変え始める。
今回の目的地は、あの大聖堂ではない。
事前に枢機卿以下教会関係者に確認したところ、教会の管理区域内にエシュリンの楔や封印の剣に思い至るような遺構はないそうだ。
可能性があるとすれば、ノエルナ大聖堂のさらに東側。過去、女神と相討ちになったという災厄が落ちたと場所と伝わる呪いの地。
そこには、禍の祠と呼ばれる遺跡があるらしい。
普段は決して人の寄り付かないというその遺跡が、俺たちの目的地だった。
「カナデさま。女神像が見えて参りました」
「うわぁ、おっきいんですね!」
俺は、手すりを握りしめながら思わず声を上げた。
リリアンナさんが指し示してくれるまでもなく、大聖堂の人工的な姿の向こうに、岩山と渾然一体となった人型の像が見えてきた。
大聖堂の建物と比較しても遜色ないほど巨大な像だった。しかし、目を凝らして見ると、それが人の手で彫られたようなものでないことが分かる。
岩山の配置やその凸凹。それが、遠景から見ると、なんとなく片翼を広げた人型が、岩山にもたれ掛かっているように見えるのだ。
これまた自然が作り出した驚異といえる。
これを見た人が、信仰心を抱きたくなる気持ちも分からないではなかった。
禍の祠がある呪いの地は、ノエルナ大聖堂がある辺りよりもさらに荒れ果てた土地だった。生き物の気配が全くない。奇岩すらもなく、どろりと溶かされたような妙につるつるとした表面の岩が、ポツリポツリと転がっているだけだった。
冷たい風が吹き抜ける。
遠く、風が鳴いている。
どこか空恐ろしくなるような、心細くなるような風景が、眼前に広がっていた。
リコット号の甲板に集まった俺たちは、皆黙りこくって、ただその光景に目を奪われていた。
やがて、目の前に黒々と口を開ける谷が見えて来る。底の見えない、大地がぱっくりと裂けてしまったかのような大渓谷だった。
「機関減速っと。ここからは、ゆっくり行くわ。足場が崩れちゃ嫌だし」
操舵室からリコットが顔を出した。
「リコット、谷に沿って船を走らせて下さい。どこかに下り口がある筈です」
俺は振り返り、リコットを見上げる。
情報によると、遺跡があるのはこの谷の底らしい。
リコット号は、大地の裂け目に平行してゆっくりと走る。
しばらく進むと、細い道らしきものが見えてきた。
谷のわずかな出っ張りを利用しただけの細い道が、九十九折になって谷底に向かっていた。とても下を見ることなど出来そうにない細道だ。
「リコット、停船を。シズナさん、探索の準備に入りましょう。シュバルツ、行きます。騎士隊のみなさんは、ここで船とリコットの護衛を」
俺の言葉に、それぞれが頷いて散っていく。
俺も準備すべく、船室に入った。
リリアンナさんに手伝ってもらいながら、愛用のコートの上に鎧を身につけていく。伸びた髪をリボンで結わえ、腰の剣帯に剣を下げたら完成だ。
リコット号を下船すると、既に優人たちが集まっていた。
「お待たせしました。あれ、ラウル君は?」
「ふぉふぉ、あいつはの、リコット嬢ちゃんを独りに出来んと、ここに残るそうじゃ」
俺は、一瞬きょとんとしたが、直ぐにふわっと微笑んだ。周りのみんなも、温かそうに、あるいは微笑ましそうな笑顔を浮かべている。
「シュバルツ、では行きますか」
「おう、いつでもいいぞ」
シュバルツが威勢良く頷く。
これで、遺跡に入るメンバーはリコットとラウル君を除く優人たちのパーティーと俺、シュバルツになった。
リコットたちとリリアンナさんにアリサが船に残り、騎士隊がその護衛に付く。
「では、隊列を組んで谷に降りますか」
「あの、カナデさん」
シズナさんが手を上げた。
「見ての通り険しい道だから、カナデさんと博士のお二人は、私たちが運んだ方がいいのではないかしら?」
は、早くも足手まとい……。
シリスから任されたエシュリンの楔確保の任を、俺自身が見届けない訳にはいかない。しかし、確かに常人の俺たちと銀気持ちの優人たちとでは、走破力が違うのは明白な事実だった。
むうっ。
しょうがいない。
「シュバルツ、博士をお願いします」
俺はおずおずと優人に近付いく。
「優人、おんぶ、いいですか?」
少し恥ずかしいが、思い切って頼んでみる。
「お、俺?」
優人が驚いたように後退った。
だって、親しいとは言え、シュバルツやシズナさんにおんぶされるのは恥ずかしいし、夏奈は俺のプライドが許さない。
そうすると、優人が一番良いのだ。
初めてという訳では無いんだし…。
「お、おう、任せろ……」
挙動不審気味にしゃがみ込んだ優人の大きな背中に乗る。
俺と優人の鎧が、かちっとぶつかった。
「行きましょう」
シズナさんがすたすた歩き出す。
「ぐふふぅ」
意味不明な笑いを上げた夏奈が、俺たちを見ながらシズナさんの後に続いた。
「なんで俺が爺さんなんだ……?」
「何じゃ、若いの。失礼じゃな!」
マームステン博士を背負ったシュバルツが、ぶつぶついいながら歩き出した。
「優人、私たちも」
ぼおっとしている優人の頭を、俺はぽんぽん叩いた。
「お、おう……」
緊張した面持ちの優人が頷く。
見下ろすと目眩がしそうな断崖絶壁が広がっていた。
その岩肌に走る僅かに一人分程の幅の道を、シズナさんや優人は飛ぶように下っていく。
「ひゃ、うわっ、ゆ、優人!」
そのスピード感に、俺は目が回りそうだった。
崩れた道を、優人がぽんっと跳躍した。
胸がすうっと冷たくなる。
「うううっ!」
俺は思わず優人に回した腕にぎゅっと力を入れた。
「うわっ、ばか、カナデ!」
優人がずるっと足を滑らせる。
「ゆ、優人!」
さらに俺がしがみつく。
「うがああああっ!」
谷底にたどり着いた時には、他のメンバーに比べて俺と優人だけが疲労困憊状態だった。
「カナデちゃん、優人。遊んでないで行くよ」
夏奈が苦笑しながら俺たちを一瞥すると、さっさと歩き出した。
何故だ、凄い敗北感が……。
それでも俺は、コートを引っ張って整えると、みんなの後に慌てて続いた。
「お、カナデ、待て!」
後ろから優人の声がする。
禍の祠と呼ばれる遺跡の入り口は、谷の底、岩壁にぽっかりと黒い口を開けていた。
奥から、澱んだ水の腐敗した匂いが微かに漂って来る。洞窟の奥底から流れ出る風が、まるで巨人が悲鳴を上げているような野太い音を響かせていた。
松明に火を灯したシュバルツが先頭を行く。俺は夏奈と並んでその洞窟に足を踏み入れた。
外よりも遥かに冷たい空気に、背筋がぞわぞわする。まるで、黒騎士と相対した時のような悪寒が、体中を走り抜けた。
湿った足元に滑らないよう、慎重に奥へ奥へと進んで行く。
俺たちの足音と、どこかで響く水滴の音だけが聞こえた。
祠の内部は、俺たちが今まで見聞きしてきたような遺跡とは、随分と様子が違っていた。
今までの遺跡は、高度な文明を思わせる人工物で出来ていたが、この祠はまるで天然の鍾乳洞だ。
本当にここで良かったのかな。
そんな疑念が脳裏をよぎる。
今もオルヴァロン島では人々が魔獣に苦しみ、シリスが懸命にそれに対処している。
時間は貴重だ。
一刻も早くエシュリンの楔を手に入れ、女王型を倒さなくてはならない。
俺が見つめる先の道は、どんどん地下深くに向かっていた。
洞窟の暗闇に目がなれて来ると、確かにこの場所は、人の手が加えられたものであるということが分かる。
急な勾配には階段状の滑り止めが施されているし、壁には所々に朽ちた燭台が置かれている場所もあった。
ただ、そのどれもが想像も及ばない程長い時間を、ここで過ごしてきた事が分かる。
さらに進むと、道は巨大な縦穴にぶつかった。
穴の直径は、リコット号を飲み込んでしまう程もありそうだ。見上げると、微かに光が見えた。反対に見下ろすと、そこにはさらに濃い闇がわだかまっていた。
ひゅうっと風が巻いている。
道はその縦穴をぐるりと回りながら、螺旋状に地下の底へと続いていた。
その光景に皆が絶句している中、マームステン博士だけが元気よくずんずんと先に進んで行く。
「博士、あまり急がれては危険です」
俺は慌てて追いかけながら、声をかけた。
マームステン博士は、髭を撫で付けながら、悪戯っぽ目で俺を見上げた。
「お嬢さま。ほほっ、これが興奮せずにはいられるかいの」
今度は優人が先行する。シュバルツが殿だ。
「この遺跡、間違いなく超古代のもんじゃ。わしが集めた伝承通りじゃ。間違いなく、エシュリンの楔はこの奥にあるじゃろう」
その言葉に、内心俺はほっとした。
「では、なおのこと慎重に行きましょう」
何事も安堵した瞬間が一番危ないのだ。
「お嬢さま。わしはな、今、自分の説の正しさを噛みしめておる」
しかし博士は、俺の忠告など聞かずに、歩みを進めながら声を弾ませた。
「前に話したじゃろ?世の中に魔獣が拡大すると、異世界からブレイバーが呼ばれ、エシュリンの楔を手に入れ、世に平穏をもたらす。その繰り返しが、今の歴史を作り上げている、と」
俺は頷いた。
博士の話が正しければ、今はまさに優人たちがエシュリンの楔を手に入れようとしている状況も、その運命の一つだと言える。
「魔獣とブレイバー、エシュリンの楔には、もう1つセットになるものがある」
博士がニヤリと笑い、長い眉を持ち上げて俺を見た。
「それは、異世界から来たブレイバーを導く、この世界の乙女じゃ」
博士が髭を撫でた。まるで秘蔵のおもちゃを見せびらかす子供のようだ。
「記録によれば、それはブレイバーがこの世界で初めて出会った村娘であったという。または、共に旅をした女騎士。偶然出会った冒険者。あるいは、魔獣により滅亡しかけた国の王女であった」
魔獣に挑むブレイバーの導き手、か。
「ブレイバーがこの世界に現れた後は、それら乙女がブレイバーたちを導き、ついには魔獣を封じ込め、世に安寧をもたらす。それが、オルヴァロン遺跡に残された記録が物語るこの世界の歴史じゃ。今我々が直面しとる困難も、その流れの一つじゃろう。そう考えると、まるで、お嬢さまとあのブレイバーの少年が、配役にぴったりではないか!くくっ、まさにわしは今、その歴史の一幕、その渦中におるのじゃ。これに興奮せんでどうする!」
博士は笑う。
私が、この世界での優人の導き手?
どくどくと鼓動の音が響いた気がする。
違う。
私は、優人たちと同じように、あちらの世界から来たんだ。
でも、確かに……。
優人を魔獣との戦いに導いてるのは、私、なのかもしれない。
役割……。
それが、私の役割なんだろうか。
陸に言われた。
私はもう優人たちの側の人間ではない。
私だけが、ブレイバーの力である銀気を持っていない。
私だけが、姿が変わってしまった……。
私は、私は、この世界の人間になってしまったということなのだろうか。
この世界の人間として、ブレイバーを導くという役割を求められているのだろうか。
思わず立ち止まる。
そして、呆然と目を見開く。
何故か、博士の言葉をすっと納得してしまえた。
ああ……。
そうなんだ……。
視界が潤む。
何が、悲しいのか分からなかった。
「行き止まりみたいだ!」
前方から優人の声が聞こえた。
祠の暗闇に隠れてそっと目元を拭う。俺はもう一度唇を噛みしめて頭を振った。そして、精一杯明るい声を張る。
「剣はありましたか?」
足元に注意しながら、俺は優人のもとに駆け出した。
今は、いい。
今は考えないでおこう。
今は、目の前の大事に集中しないと……!
読んでいただき、ありがとうございます。




