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雪色エトランゼ  作者:
第2部
81/115

Act:81

 優人たちベリル戦役でラブレ男爵の居城に突入した者たちの証言によると、城の主ラブレ男爵は、部隊の突入の前には既に死亡していたという。

 複数の者たちがその亡骸を目撃しているが、結局それを回収する事は出来なかった。優人たちと黒騎士、そして女王型の戦闘の間に、女王型に飲み込まれてしまったとある者は証言している。シズナさんたちも、そのようだと言っていた。

 魔獣群を鎮圧し、騎士団が城に入った後も一応の捜索は行われたが、その亡骸を発見するには至らなかった。

 そのラブレ男爵が、あの漆黒の鎧を纏い、俺たちの前で高笑いを上げている。

「ンンッ、ドウダ、素晴ラシイダロウ?」

 その奇声が唐突に止まった。

「コノ素晴ラシイ姿ヲ、オ前二見セ付ツケテアゲルタメニ、来テアゲタンダヨ?カカッ」

 ラブレの目が怪しく光る。真紅の光が愉悦に揺らめく。

 砕かれた扉から忍び入る生暖かい風とその粘性を帯びた視線に、俺は背筋が粟立った。

 まずい……。

 今インベルストには優人もシリスもいない。

 黒騎士を止めるには、強い銀気の力を持った者でないと太刀打ち出来ない。

「アレクス」

 俺は呆然としているアレクスを小声で呼ぶ。

「警備隊はどうですか?」

「た、只今向かっているかと……」

 俺とアレクスなど意に介さず、その間もラブレとお父さまの会話は続いていた。

「ラブレ。落ちるところまで落ちたか」

「ソウダナ、ダヨ、デス、ギギ、ソウダ。ソレモコレモ、全部貴様ノセイダ」

 ラブレが片腕を振る。突如その手に、禍々しい赤の剣が握られていた。グロテスクなその輪郭が、まるで生きている様に脈動する。

 俺は声を伏せる。

「アレクス。カリストに言って、警備は一旦下げてください」

「し、しかしお嬢さま!」

 アレクスが狼狽える様に声を上げた。

「あれには、常人では歯が立ちません。シュバルツたち、銀気の才がある者だけで部隊の編成を」

 ラブレは大仰な動きで腕を広げる。

「私ホド有能ナ者ハ、広大ナ領地ヲ治メ、王ニ重用サレテ当然ダ、ダダ、デス、ガッ」

 お父さまがそれを鼻で笑う。

「ふん、それでも陛下に取って代わると言えんあたりが、貴様の器だ」

 ビシッとラブレは動きを止めた。

「アレクス。ここは、お父さまと私で時間を稼ぎますから、早くカリストのところへ」

 俺はお父さまとラブレのやり取りに注意を向けながら、アレクスに頷きかけた。

 アレクスが何度も頷いて、転がるように走り出す。

「オ前ガ、オ前ガ、オ前ガオ前ガオ前ガオ前ガオ前ガオ前タチガ邪魔シナケレバ!」

 耳を塞ぎたくなるような金切り声を上げ、絶叫するラブレ。その黒いガントレットに包まれた腕が、ゆらりと赤い剣を持ち上げた。

 俺も剣を構えようと腰を上げかけた瞬間、ビシッと床にヒビが入る音が響く。

 はっと目を見開く。

 気がついた時には、お父さまの目前にラブレが踏み込んでいた。

 人の顔の形でありながら、どこか無機質なその凶相がニヤリと歪む。

「お父……!」

 俺の声をかき消して、鋼が激しく悲鳴を上げた。

 ラブレの斬激を、間一髪でお父さまは防ぐ。

 ラブレの赤い剣が、お父さまの剣の腹の上でぎりぎりと音を立てる。

 いや……。

 防げたのではない。

 防がされたのだ。

 ラブレは剣速を緩めて、あえてお父さまに防御させた。そして今、嬉々としながら、お父さまの防御の上から赤く脈打つ剣を押しつけてくる。

 銀気の身体能力ブーストのないお父さまは、徐々に押し込まれる。そして耐え切れず、とうとう片膝をついた。

「キハ、ギギ、カカカカカッ!」

 ラブレが愉快でたまらないという風に、哄笑を上げた。

「大人シク私ノ礎ニナッテイレバ、ベッドノ上デ死ネタンダ、ダヨ、ヨヨヨ、ガ」

 ラブレがさらに笑う。もはや笑顔か何かわからない程に顔を歪めて。

「オ前ノ娘ノ様二、ナァ?」

 エリーセさまを!

 お父さまの顔が歪む。

 瞬間、俺は床を蹴っていた。

 ラブレの横顔目がけて狙いを定める。

 そして、体の回転を乗せた鞘走りの一撃を抜き放った。

 刃が何かを捉える感触。

 しかし、俺は剣を振り抜けない。

 硬いものにぶつかった衝撃で、手が痺れる。

 俺の渾身の一撃は、ラブレの頬を捉えながらも、しかしそこで止まっていた。

 くそっ!

 鎧がない生身の箇所でもダメなのか……!

 ラブレの赤い目がギロリと俺を捉えた。

「痛イヨ、オ嬢サン」

 目が合う。

 胸の真ん中がすっと冷たくなった。

「ソウイエバ、オ前ガ現レタノモ誤算ダッタナ。忌々シイ髪ノ色ダ」

 ラブレが俺に剣を向けた。

 息が出来ない程の恐怖が、俺を縛り付ける、竦ませる……!

「おのれ、化け物め!」

 瞬間、お父さまの怒声が響いた。

 ラブレの剣から逃れたお父さまが、己が刃に体重を乗せラブレの喉元に突き立てた。

 しかし切っ先は僅かにもラブレを傷つけない。

「ギハ、ギガ、ガガ」

 もはや人の言葉でもない怪音が、ラブレから漏れる。

 ラブレは再びお父さまに狙いを定めた。

 俺は、恐怖の呪縛から解放されると、一心に飛び退り、間合いを取る。

 はぁ、はぁ、はぁ。

 腕が震える。しかし、俺は歯を食いしばって再び剣を構えた。

 ラブレの一撃をどうにか受け流したお父さまの体勢が大きく崩れた。そこに追撃を加えようと、真紅の剣が振り上げられる。

「カナデ!」

 お父さまが叫ぶ。

 させない!

 俺は左足で床を蹴ると、無防備なラブレの背に斬り掛かった。

 狙いは首筋。頸部を!

 ううぅ!

 歯を食いしばる。

 俺の剣が空を斬る音が響く。

「うあああっ!」

 がきっと硬い手応えで、俺の刃は弾かれた。

 しかしそんな事は承知済みだ!

「あああっ!」

 弾かれるのをものともせず、俺は声を上げながら渾身の力を込めた斬撃を繰り返す。何度も何度も何度も!

「ウルサイヨ」

 ラブレが振り返った。

 そして俺の剣を掴む。

 ぐうっ!

 剣がぴくりとも動かなくなる。

「ラブレ!」

 その隙に、今度はお父さまが背後から斬りかかった。

 そのお父さまの攻撃など意に介さないように、ラブレは握った俺の剣に力を込めた。

 ビシッと金属が歪む不快な音が響く。

 俺は再び恐怖で固まってしまいそうになる体を叱咤して、剣の柄から手を離すと、大きく後退する。そして下がりながら、目だけで周囲を窺う。

 あった。

 左前方に、騎士ジェフの取り落とした剣が!

 ラブレがヒビの入った俺の剣を放り捨てる。からんっと場違いなほど乾いた音が響いた。

 その音を合図に、後退の勢いで前方に広がったスカートが納まるのも待たず、俺は再度突貫する。

 眼前で、剣の防御の上からラブレの一撃を受けたお父さまが、壁際に大きく弾き飛ばされた。

「がはっ!」

 お父さまの呻きが聞こえた。

「おのれ!」

 俺は転がるようにジェフの剣を取リ上げる。そして、胸に抱くように剣を構え、低い姿勢から一気荷ラブレの懐に駆け込んだ。

 余裕の笑みを浮かべているラブレの動きは遅い。

 はっ……はっ……!

 赤い凶器の一撃が、頭上を掠める。俺の銀糸の髪がはらりと舞う。

 はっ、はっ……!

 自分の呼吸の音が大きく響く。

 そして俺は、刃を突き出した。

 狙いすました白刃が、ラブレの毒々しく真っ赤に輝く目に吸い込まれる。

「ギガ、ゴガアアアアアア!」

 ラブレの絶叫が響いた。

 やったっ!

 しかし。

 あ……えっ?

 次の瞬間、苦し紛れに腕を伸ばしたラブレが再び俺の剣を掴んだ。

 今度は手を離す暇もなかった。

 激しい衝撃に体が揺さぶられる。

 瞬間、視界が反転した。

 剣ごと持ち上げられた俺は、力任せにそのまま放り投げられた。

 ふわりとした飛翔感は一瞬。

 確か、前も黒騎士に、と思った瞬間、俺は強かに床に打ち付けられる。

「がっあ、けほっ」

 衝撃が全身を駆け回る。

 肺から空気が絞り出される。

 視界が明滅する。

 そのままゴロゴロと床を転がり、破壊された扉辺りでやっと止まった。

 痛っ……!

 全身がバラバラになりそうだ。

 口の中に鉄の味が広がる。

 俺は、それでも何とか必死に膝を立て、身を起こした。左肩に激痛が走る。スカートから覗く白い足には、あちこち擦り傷が出来ていた。

 肩がズキズキ痛い。

 擦り傷がヒリヒリ痛む。

 しかし今は、痛みを気にしているどころではない。

「クガアア、オノレ、オノレ!」

 ラブレは顔面を押さえながら叫ぶ。

 何とか今のうちにお父さまを助け……。

「ナンチャッテ」

 ラブレが、こちらを見てニヤリと笑い、首を傾けた。

 無傷……。

 俺は、頭が真っ白になった。



 そこに、無数の足音が走り込んできた。鎧が激しく鳴り響く。

「主さま!カナデさま!」

 カリストを先頭に20名程の騎士が駆け込んで来る。シュバルツもいた。

 シュバルツは俺を一瞥すると、驚いたように目を見開いた後、鬼の如く怒気を漲らせラブレを睨みつけた。

 騎士たちが、剣を構えながらラブレを包囲していく。ラブレは笑みを湛えたままだ。

 俺は頭を振ると、剣を杖に立ち上がった。

 みんな顔を知っている。白燐騎士団でもトップクラスの銀気の使い手ばかりだ。

「カリスト、黒騎士です。単独ではかないません」

 俺の呻くような声に、カリストが頷いた。

「各員、連携を重視しろ!包囲したまま仕留める。油断するな!」

「許さねぇぞ、この野郎ぉぉ!」

 先陣を切ったのはシュバルツだ。

 その巨躯から銀の光をほとばしらせながら、大剣を構えてラブレに踊り掛かった。

「ギヒャ、ガガ、メインノ前二オードブル」

 笑いを湛えて歌うラブレが、赤の剣を振るってシュバルツを弾き飛ばした。そこに、次々と騎士たちが殺到する。

 今のうちだ。

 俺は痛む肩を押さえて、お父さまの元に向かった。

 壁に打ち付けられたお父さまは、苦悶の表情で呻いていた。

 なんで……。

 ああ、お父さま……。

 俺は溢れそうになる涙を堪えながら、お父さまを助け起こす。

「お父さま、取り敢えずこの場を離れます」

「ぐうっ、すまない、カナデ」

 俺はお父さまの手を取って肩に回すが、身長差がありすぎて、俺が横からお父さまにタシっと抱きついている格好にしかならない。でも、それでも必死にお父さまを支える。

 背後で聞こえる剣戟の音。

 戦うみんなに心の中で頭を下げながら、俺たちは屋敷を出る。

 生暖かい空気が俺たちを包み込む。水気をはらんだ濃い緑の匂いが漂う。ジメジメと不快な空気だった。

 空に星が見えない。

 おかげで、門灯が照らす範囲以外は見通しのきかない闇がわだかまっていた。

「主さま!」

 庭園の向こうから、後続の部隊が駆けてくる。

 ああ、もう少しで……。

「勝手ニ逃ゲチャ駄目ダヨ、キヒ、ガガ」

 背後からラブレの声が迫る。

 顔だけ振り返ると、シュバルツが防御しながらも弾き飛ばされている所だった。そして既に数名の騎士が、床に付して動かなくなっていた。

 顔がかっと熱くなる。

 怒りで頭が真っ白になる。

 よくも……!

 しかし、わかっている。

 今俺が斬りかかっても、何の意味も成せない。

 腹が立つ。

 無力な私自身に!

「カナデ、逃げなさい」

 お父さまが呟いた。

「聞こえません!」

 俺は背後のプレッシャーを無視して、とにかく歩みを進めた。

 後ろからラブレの迫る足音。

「カナデ……」

「聞きません!」

 俺はさらに足を早める。

 歯を食いしばる。涙を堪える。

 しかし。

「きゃっ」

 気がついた時、俺とお父さまは庭園の芝生の上に転んでいた。

 覚束ない足元、濃い闇に、僅かな段差に足を取られてしまう。

 こんな時に躓いてしまうなんて!

 なお挑んでくれる騎士たちを打ち払いながら、ラブレが迫って来る。

 こうなれば、私も!

 俺は立ち上がり、そして剣を構えようとした瞬間。

「全く、これだから新参者は」

 この場に似合わない涼やかな声が聞こえた。

 芝生を踏みしめ、闇の中から鎧姿の青年が現れた。

 浅黒い顔には、爽やかな笑み。まるで今の状況には似合わない笑みだった。

「やあ、カナデ君。今日は何だか大変だね」

 俺はぽかんと彼の顔を見る。いつものように、突然現れたヴァンの顔を。

「ヴァン、さん……」

 ヴァンは穏やかに頷いた。

「では、僕があの不心得者を懲らしめてあげよう」

 よっぽど腕に自信があるのか。しかし、今は黒騎士であるラブレは、尋常ではないのだ。

「ヴァンさん、危険です。早く逃げて!」

 しかしヴァンは、俺の叫びなど聞こえないように、ラブレの方に向き直った。

 その瞬間。

 最後まで俺を捉えていたその瞳が、真紅に輝き始めていた。その、すっと尾を引いた赤い残光だけが、俺の目に焼き付いたかのように残る。

 赤い、目……?

「ラブレ」

 声が、変わって……行く?

「僕のカナ……アネフェアに手を出したな」

 ヴァンの足元から黒い霧が立ち上り始める。生き物のように広がったそれは、ヴァンにまとわりつく。

「万死に値するぞ」

 優しげな声は、背筋が凍り付きそうなほど冷たく、低く。

「オ、オ前ハ、ヴァン・ブレイヴ!」

 ラブレが初めて動揺の声を上げた。

 立ち上る霧がヴァンを完全に包み込む。

 のっぺりした彼の鎧が漆黒に染まり、禍々しい角が生える。一回り体が膨れ上がる。そして頭部に固まった黒い霧が、あの角の生えた兜を形作る。

 振りかざされた腕に忽然と現れた赤黒い剣。

「力に溺れるだけの雑魚め。疾く去ね」

 ああ、知っている。

 この声は、何度も出会ったあの黒騎士。

 舞踏会でラブレに随行していた。

 インベルストの夜。シリスと優人が苦戦していた隻腕の黒騎士を仕留めた。

 ベリル戦役ではドラゴン型を操って優人を苦しめた。 

 そして、ウーベンスルトで俺たちを誘うように現れた。

 その、ヴァンだった黒騎士がゆっくりと振り返る。俺を見る。

 漆黒の兜の面防の向こう。 

 真っ赤な、血のような目が細まった。

 俺は震えていた。

 そして唐突に足から力が抜けて、ペタンとその場に座り込んでしまう。スカートがふわりと広がった。

 黒騎士が、ヴァンが俺を見ている。

「アネフェア」

 俺じゃない名前を呼んで、俺を見ている。

 唐突に、ヴァンが赤の剣を背に回した。

 そこに、俺には見えないスピードで踏み込み、斬撃を繰り出したラブレの剣が吸い込まれるように激突した。

 ぎりぎりと刃が擦れ合う。

 しかし、ヴァンはあっさりとラブレを押し返した。そして、ゆっくりラブレの方に振り向く。

 やはり俺には見えない速さでヴァンが腕を突きだすと、無造作にラブレの首を握り、吊し上げた。

「グギ、ギガ、ギギギギギギギギギギ、グゾッ」

 あんなに余裕たっぷりだったラブレが焦ったように呻く。

「アネフェア、もう少し待て」

 誰かに何かを言っている黒騎士の背を、俺はただ呆然と見上げるしかなかった。

 戦闘回でした。

 

 読んでいただき、ありがとうございます。

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