Act:80
煌びやかなシャンデリアの光の下、久しぶりに顔を合わせた市民長のおじさん方に包囲される。
楽団の奏でる柔らかな音楽の中、楽しげな笑い声が響き渡っていた。
市民長のみなさんの最近のインベルストや、リムウェア領内の町村の話を聞きながら、俺は笑顔を浮かべて頷く。すると、話はだんだんと妻が、息子が、孫がという話に移り変わって行く。頷いてはいるが、俺にはその固有名詞の半分もわからなかった。残念ながら。
少し困った顔で微笑んでいると、インベルスト冒険者ギルド支部長マレーアさんと数人のおばさま方が俺を救助してくれた。
「カナデさま。良いレディは、殿方をお断りするのも上手なものです」
笑窪のキュートなマレーアさんが、悪戯っぽく笑う。
「……精進、致します」
月日が流れても、なかなか俺には到達出来ない境地だ。
俺がインベルストに帰省して3日間の夜。
今宵は、お父さまが俺のために晩餐会を催してくれた。
萌葱色のドレスに髪をアップにまとめた俺は、スカートを広げ、ヒールを響かせながら、その中を笑顔で行き来していた。
主賓というのも、なかなか忙しい。
そう言えば、お父さまの娘になると決まったその御披露目会の時も、こんなわたわたした状況だったなと思う。招かれたメンバーも、だいたいあの時と同じだった筈。
ただ、あの時は、傍に優人がいてくれた。
それが凄く心強かったっけ。
北の島に向かった優人たち。
大丈夫だろうか……。
「マレーアさん、少し失礼しますね」
俺は膝を折って挨拶すると、人の輪からそっと離れた。ついでに、給仕から新しいグラスをもらった。
みんなの笑顔の中にいるのは嬉しいが、注目されるのはやっぱり恥ずかしい。王都の社交場より規模は小さいとはいえ、こればっかりは人数ではないのだ。
少しだけ。
少しだけどこか隅っこで息をつこうと、キョロキョロ辺りを見回した。
すると不意に、鎧姿の浅黒い顔の青年と目があった。
確か、牧草地で会った……。
会場の中は、儀礼用鎧を身につけた警備の騎士たちもいるので、鎧姿がそれほど目立つ訳ではない。しかし、警備をしている風ではなく自然と人の輪の向こうから現れた青年に、なんだか違和感を覚えてしまった。
確かヴァンとか言ったか。
ヴァンは俺ににっこりと笑い掛けると、人混みの中を器用に体を滑らせて近寄って来た。その手には、真っ赤なワインのグラスが握られていた。
「やあ、カナデ君。またお会いしたね」
無邪気とも言えるその笑顔に、俺の違和感も杞憂かなと思ってしまう。少なくともこの会場に入場している時点で、騎士団のチェックはクリアしているのだから。
「あの、ヴァンさまは騎士でらっしゃるんですか?」
俺は上目遣いにおずおずと聞いてみた。
「そうだね。昔はそうだった」
ヴァンはどこか遠い目をして微笑む。
今は違う、のか。
冒険者とか、傭兵とかいった業種の人だろうか。
ヴァンが真っ直ぐに俺を見て来る。やはり、俺を貫通してしまっているかのようなその視線が、何だか気になってしまった。
「あの、以前お会いした事が?」
ヴァンが目を細めた。
「ああ、あるね。何度も」
むむ。
俺は必死に記憶を探る。
こんな特徴的な顔、一度会ったら忘れないと思うのだが……。
ふっとヴァンが笑った。
「実は、君に声をかけたのはね。僕が騎士をしていた頃、この剣を捧げたお姫さまに、君が良く似ていたからなんだ。それで、少し話してみたいと思った」
「え?」
「いや、容姿とか立場とかじゃない。彼女は、アネフェアは君みたいな素敵な銀髪じゃなかったし、君みたいに背が低くもなかったし」
……そうですか。
「何度か戦場で君を見かけた。その中でも、傷つき、血を流す騎士に歩み寄り、己が汚れるのも厭わずその騎士を抱き寄せる姿で直感したんだ。その姿が、とってもアネフェアに似ているってね」
血を流した騎士を抱きかかえる?
うーん、そんなの……。
ウーベンスルトでの戦闘か?
しかし、あの場にいたのは……。
俺は、顎に手をやりながら、記憶を探った。
やはりヴァンと出会った覚えはないな……。
「カナデ」
その時、背後から声がかかった。振り向くと、グラスを片手にしたお父さまが微笑んでいた。
「カナデ。ガレスが明日帰って来るようだ」
「あ、そうなんですか!良かった」
ガレス騎士団長は、俺の剣の師匠でもある。領内の魔獣討伐に出ていると聞いていたので、インベルスト滞在中に会えるか不安だったのだ。
俺はお父さまの所に行くため、ヴァンに断ろうと顔を戻した。
「あれ?」
しかし、先程までそこにいた筈の青年騎士の姿は、既になかった。
「あれれ?」
俺は、ぽかんとしながら小首を傾げる。
忘れてはいけない。俺には重大な使命があった。
国王陛下からお話のあった温泉のお誘いを、お父さまに伝えなければ。
べ、別に忘れていたわけではない。
こういう話をするのが、照れくさかったから、ついつい先送りにしてしまっていただけなのだ。そして、照れ臭いついでにシリスの例の件なんかも相談してしまえれば……。
晩餐会の翌日の夜。
夕飯を終えた俺は、お父さまの書斎の扉をノックした。
最近は、夕食の後こうしてお父さまと書斎でお話をするのが俺たちの日課になっていた。
部屋に入ると、お父さまは執務机ではなく、ソファーに深く腰掛けて本を読んでいた。
普段なら対面に座るのだが、今日はその隣にポスっと腰掛ける。
「カナデ」
「は、はい!」
「何か必要な物はないか?今のうちに言っておきなさい。父が用立てよう」
「あ、ありがとゴザイマス」
いざ話すとなると、やっぱり緊張して来た。
膝の上に手を置いた俺は、じっと自分の手を見つめる。
「あの……」
「ん?」
「お父サマを温泉にお招きしたいです!」
俺は隣のお父さまをぐいっと見上げた。
勢いで言ったら、なんか発音が変だ。でも気にしない。
「国王陛下が、ララナウの別荘に招いて下さる様なんです。お父さまもご一緒にと、言っていただきました。いかがですか?普段から多忙でらっしゃるから、少しでもお疲れを癒やしていただければ……」
不意にお父さまの手が伸びて、私の頭をぐりぐり撫でる。
「いらぬ気遣いだ。しかし、ありがとう」
そして、優しく微笑んでくれる。
これでお父さまを湯治に招ければ……。でもそうすると、シリスとお父さまが出会う事になる。
あの根性悪のことだ。例の件をお父さまに話すとか言い出して、ニヤニヤ顔でまた私を弄ぶに違いない。
でも、いや……。
シリスは、私の答えを待ってくれると言ってくれた。そう言ってくれた限り、あいつがその事を茶化したりはしないと思う。
普段は意地の悪い傲岸不遜野郎だが、筋は通す。
そういうところは嫌いじゃない。そう、嫌いじゃない……。
「どうした、カナデ。にやにやして」
「にゃ!?」
私は思わず両の頬を押さえていた。
「しかし、国王陛下が招いて下さるとはな。お前が住まわせていただいているのも前王陛下の屋敷だったな。随分とリングドワイスと親しくしている様だが、何かあったのか、カナデ?」
どくんっと心臓が激しく脈打つ。
握った手に汗が滲み始める。
視界が、ぐるぐると回っているようだ。
でも、今だ。
言え。
言え。
言え!
「……した」
俯きながら、私は何とか声を絞り出す。
お父さまが本を閉じて机の上に置いた。そして私を見る。見ている。
うううう!
「プ、プロポーズされ、ました……」
「シリスティエール殿下か?」
「……はい」
「やはりな」
え?
お父さまは気がついていたのか?
私はそっと疑問の目を向ける。
「殿下がカナデを気に入られていたのは一目瞭然だった。まさかお前、気がついていなかったのか?」
俺はこくりと頷いた。
……だってそんなの分からないよ。だって、私は、その、男だったんだし……。
お父さまが驚いたように息を吐き、手で目を覆った。
「なんとな!我が娘ながら……!シリスティエール殿下が哀れに思えるな!」
ううう。
そんな事言わないで……。
「それで、お前はどうしたいのだ」
一転して真剣な表情に転じたお父さまが、真っ直ぐに私を見て来る。
「お父さまはどう思われますか?」
質問を質問で返すのは卑怯だとわかっていても、そう聞かずにはいられなかった。
「そうだな……」
ソファーの背に腕をかけ、お父さまがこちらに体を向けた。
「全軍で王統府を攻める!我が娘に手を出す、痴れ者の若造をこの手で捻り潰してやるわ!」
そして、グワっと顔をしかめると獅子の形相で吠えた。そして不敵に笑う。
俺はぴしっと固まってしまう。
「冗談だ」
……。
半眼でお父さまを睨む。
「そうだな」
しかし俺のそんな無言の抗議も届かず、お父さまが笑みを湛えながら話し始めた。
「リムウェア侯爵としては、願ってもない話だ。エリーセが身罷った時、一度は断絶も覚悟した家名だ。王家の血を迎えられるのなら、この上ない喜びだ」
シリスは王弟。リングドワイスの嫡流ではない。
ありえないが。
たぶんないが!
もしも、もしも、だが!
私とけ、け、け、……するような事があれば、シリスは恐らく臣籍降下するはず。リムウェア公爵として。
「お前を異世界からの来訪者と知っている身としては、この、わしらの世界に良く根付いてくれる事を喜ぼう」
銀気の力はなくても、俺はブレイバー。優人たちと同じ異邦人だ。元の世界に、日本の家に帰る。そんな時が来るかもしれない。……来ないかもしれないが。
「そして、お前の父としては……」
私の、家族。
「お前が幸せになることだけを望む」
そしてお父さまは優しく目を細めた。
視界が潤む。
俯く。
良かった。
私は、この家に来られて良かった。
しかしそうすると……。
あれ?
俯き、目を見開いたまま硬直する。
私は男だったけど、今は違う。
お父さまが是であるなら……。
あれ?
あれあれ?
シリスの話を受けてしまうのに、特に障害ってないんじゃないのだろうか……。
「カナデ?」
むむむむ……。
「カナデ?」
うごごごご……。
「おい、カナ……」
その時、深く沈み込んだ俺の意識を引っ張り上げる程激しいノックが響いた。
俺は思わず立ち上がった。
「入れ」
先程とは打って変わって厳しい声音でお父さまが告げた。
部屋に飛び込んで来たのは、青ざめた顔の執事のアレクスだった。
「あ、主さま、お嬢さま、大変でございます!襲撃でございます!賊が!」
俺はさっと顔から血が引いて行くのがわかった。そのまま数瞬立ち尽くしてしまう。
その間にお父さまが足早に執務机に向かうと、壁に掛けられていた長剣を手に取った。
思考停止していた俺は、大きく息を吸い込んで気持ちを落ち着かせる。そして、お父さまの後に続くと、壁からもう一振の剣を手に取った。
お父さまが俺を見る。俺も力を込めてお父さまを見返した。
ふっと息をついて、お父さまが俺に背を向けた。
「アレクス、どこだ。案内せよ」
俺は、歩き出したお父さまのその背に従う。
お屋敷の中にも、どこからか争いの物音が響いていた。
段々と鼓動が早まる。息が浅く早くなる。
俺だって幾つかの戦場は経験して来たが、我が家の中で戦闘が起きているかもしれない状況で平然としていられる程戦いに慣れてしまった訳ではない。
俺もお父さまも自然と足が早くなった。
そして俺たちがエントランスホールに到着した瞬間、一際大きな破壊音と共に、玄関の扉が内側に弾け飛んだ。
同時に、白燐騎士団の鎧が屋敷の中に倒れ込んで来る。
蝶番ごと吹き飛んだ扉と共に、倒れ込んだ騎士は床を滑り、二階に上がる階段の縁に激突して動かなくなった。手すりがひしゃげる嫌な音が響く。
「カナデ!」
引き止めようとするお父さまの手をかいくぐり、思わず俺はその騎士に駆け寄った。滑り込むように騎士のそばに跪く。白のワンピースが円を描いて広がった。
「ううぅっ……!」
呻きが聞こえる。まだ息はある!
俺は騎士の顔を覗き込んだ。
ジェフと言う名の騎士だ。今晩の警備当直の……。
「うう、カナデさま。お逃げを……。来ます。やつが……」
苦痛に顔を歪めながら、騎士ジェフは吹き飛んだ扉の先を指差した。
完全に闇に沈んだ庭園が、その先には広がっている筈だ。しかし、眩い門灯のせいで先を見通すことは出来なかった。
その闇の中から、がしゃりと一歩を踏み締める鎧の音。
そして浮かび上がる二つの赤い光点。
それが、右へ左へと揺れる。ぐらりぐらりと揺れる。
俺は、騎士ジェフの傍らで剣の柄に手を掛けた。
「カカッ、ガガ、ガガガ」
足音とは別に、ラジオのノイズのような耳障りな音が響き渡る。
そして。
暗闇の中から門灯の光の下に現れたその姿に戦慄する。
「黒騎士……!」
思わず俺はそう呟いていた。
「黒騎士がどうしてここに!」
お父さまが歩み寄って来る。そして俺を守るように剣を構えた。
肩を上下に揺らすギクシャクした歪な歩みで歩を進めていた黒騎士が、不意に立ち止まった。
良く見ると、いつもの黒騎士ではない。
鎧の意匠が違う。この黒騎士は、羊のような巻角の兜を被っていた。
「下郎。何者だ。名乗れ」
お父さまが厳しい口調で言い放った。
途端に黒騎士が、カタカタと震えだした。
「カカカカ、カカカカカ」
笑っている……のか?
「下郎。下郎ダト。誰ニ物ヲ言ッテイル、人間如キガァァ!」
突然黒騎士が咆哮を上げた。屋敷全体がびりびりと震えたかのようだった。
体が恐怖に震える。
辛うじて剣の柄に手を掛けているのが、精一杯の強がりだった。
「私ノ事ヲ忘レテシマッタノカイ、レグルス候」
お父さまを、知っているのか?
俺は目だけでお父さまを窺った。
お父さまは鋭い視線を黒騎士にぶつけていた。
「フムフム。サスガニコノ姿デハワカランナ」
黒騎士は小馬鹿にしたようにそう言い放つと、おもむろに兜に手を掛けた。
兜の下。頭がある場所。
最初、そこにはただの霧状の黒いものが固まっているだけだった。やがて、その中から真っ赤な目が現れる。そしてその目を中心に黒霧が蠢くと、急速に人間の顔の形を取り始めた。
ああ、なんと言うことだ……!
俺は驚愕に目を見開いた。隣のお父さまも動揺したように息をもらした。
黒騎士の顔。
たった今形成されたばかりのその顔に張り付く野卑た笑み。そしてその目だけが爛々と赤く輝いていた。
黒騎士がグリグリと首を回した。
見覚えが、ある。
その顔は……。
「ラブレ男爵!」
お父さまが驚愕の声を上げた。
「キヒ、ヒカ、カカカカカカカカカカカカカカカッ!」
機械じみた黒騎士ラブレの奇怪な笑い声が響く。
ご一読、ありがとうございました。




