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雪色エトランゼ  作者:
第1部
8/115

Act:8

 優人に腕を引かれたまま、俺達はバルコニーに出た。ホールの喧騒と音楽が幾分遠くになる。

 夜風は涼しく、今の肩むき出しの服装だと少し寒かった。

 昼間熱された草木の匂いが、今もまだ濃厚に夜気の中を漂っていた。

 虫の音と木々のざわめき。

 見上げる夜空は新月の晴天。満天の星々が輝く夏の空。星にはあまり詳しくないので、日本の夜空とどう違うのかは分からなかった。夜はただ静かにどこまでも広がっている。

「で、どういう事なんだ?」

 石造りの手すりに手をかけて夜空を見上げていた俺に、優人が低い声で尋ねて来た。

「なんの事だよ?」

 俺は首を傾げる。

「その、侯爵の娘って話だ」

 その真剣な眼差しに、俺も優人に向き直った。そして父上とのやりとりを順に説明していった。

 エリーセさんの身代わりは断ったこと。俺自身として娘になること。その対価として、優人の支援、唯達の捜索協力を確約してもらったこと。

 優人はその話を聞いて、ますます眉間に皺を寄せる。

「それで、お前自身の事はどうなってんだよ」

「俺の…事?」

「俺の生活とか唯達の捜索、死んじまったお嬢さまの名前とか。その取引でお前が得たもんは全部他人の事ばかりじゃないか!」

 声を荒げる優人。

「いや、俺自身の事もちゃんと計算に入れてるぞ。貴族の令嬢だからな。衣食住には困らないだろ?」

 俺は少し言い訳じみた口調で説明する。

「それでそんなドレス着せられて、なれない事させられて…。お前は本当にこれでいいのかよ!」

 俺は手すりに背を預けて、深く息を吐いた。少し目を伏せる。

「…大丈夫だ。まだ短い付き合いだが、父上もリリアンナさんやメイドさんもいい人達ばかりだ。大丈夫。何とかやっていくさ」

 優人は無言で近づいてくると、俺の隣で手すりにもたれ掛った。

 静寂。

 ホールの中に人の気配が濃いだけに、二人しかいないバルコニーがやけに寂しげに感じられた。

「…馬鹿やろう。相談くらいしろってんだ」

 聞こえるか聞こえないか程度の小さな声で優人が呟いた。

「…悪い」

 俺も小さく呟き返した。

「お前は変に義理とか人情とかに弱いから心配してんだよ。中学んとき、陸が先輩たちともめた時だって、関係ないお前が妙に熱くなって、事態を引っ掻き回して…。結局自力で話つけてきた陸の方がよっぽど大人だっよな」

「なっ、そんな昔の話、忘れろよな!」

 俺は頬がかっと熱くなる。

 優人の脇腹にパンチをくれてやるが、鋼のような筋肉に阻まれた。むしろ俺の手が痛い。

「何だ、優人。こんなに鍛えてたのか?」

 俺は優人の腹筋や胸筋をペタペタ触る。

 悔しいぐらいいい体してやがる。もしかしたら騎士の皆さん並だ。

 優人が照れくさそうに俺の手を払った。

「…お前がそうなっちまったように、俺の体も、な。フェルドさんに見てもらったけど、俺の銀気の才と関係あるんじゃないかって。銀気の才を持つ者は、身体能力にブーストがかかるらしいから」

「へぇ、便利だな」

 だからこいつは、森の中で魔獣に終われた時もインベルストまでの道のりも、疲れた顔一つ見せなかったのか。

 優人はまた真面目な顔をして目下の庭園を見つめた。

 俺はその横で夜風に吹かれる。

 こうしていると、自分の体を見ないでいると、ここが異世界だなんて思えなくなってしまいそうだ。

 夢。

 夢か。

 夢であったなら…。

「奏士、俺決めた」

「ん?」

 俺は優人を見る。

 珍しく精悍な顔つきの優人が俺を見下ろしていた。

「俺、旅に出る。旅に出て、自分でこの世界を見て、唯達を探して、日本に戻る方法を探す。お前にこれだけさせといて、俺が何もしないなんてありえないしな!」

「…優人」

 優人がニッと笑い、俺もニッと笑い返した。

 その時、耐えきれなくなったような軋みを上げて、ガラス戸がバタンと開いた。詰め掛けていた人達が雪崩のようにバルコニーに溢れ出て来る。

 騎士団若手やメイド軍団さん達。フェルドにガレス騎士団長やアレクス、壁際に隠れてるのはリリアンナさんか。その先頭に立っていた父上が気まずそうに咳払いをした。

「あー、なんだ、これは…」

「はーい!」

 父上の言葉を遮って、メイド軍団に埋もれていたユナが元気良く手を挙げた。

 主君の言葉を断ち切るメイド。それでいいのか?

「お二人はお付き合いしてるんですか?随分いい雰囲気でしたよ〜」

 誰かが「ばかっ!」とユナを引っ張るがもう遅い。自白したようなもんだ。

「皆さん、覗いてたんですか…?」

 俺は半眼でリムウェア侯爵家一同を睨む。

 そしてユナの質問に否定を返そうとした時、隣の優人が腕を持ち上げ、俺の肩に手を回そうとして…諦めたようにぽんっと俺の肩を叩いた。


「そうです。カナデは俺の彼女です」


「……はっ?」

「おおおお!」

「やっぱり!」

「彼氏もち、羨ましいわぁ」

「あの野郎殺す」

「ヒューヒュー」

 唖然として思考停止してしまった俺は、なんとか再起動すると優人を睨みつけた。

「…どういうつもりだ?」

 優人だけに聞こえるよう、精一杯ドスを聞かせて問い詰めるが、女声ではいささか迫力不足は否めない。

「ここは俺に任せろ」

 優人も小声で返す。

「だから、どういう…」

「いいか?俺が旅に出たら、お前はこの屋敷で独りだ。そんで、怒るなよ、お前は客観的に見ても美人だ。俺がいない間に悪い虫がつかんとも限らん。そこでだ。俺と付き合ってることにしとけば、いくらかはそんな事態が防げるだろうって作戦だ」

 したり顔の優人。

「えーと、うぅぅ…」

 確かに一理ある。

 言い寄られるような事があるかないかは分からないが、確かに侯爵令嬢という立場が羨望を集めそうなのは理解できる。事情を知っている優人を盾代わりにしておくくらいの備えはしておいても悪くないかもしれない。

 しかし付き合ってる、はないな。

 気持ち悪くて全身の毛が逆立ちそうだ。

「あの、付き合ってるというか、昔からの知り合いというか、まぁ腐れ縁的な…はははっ」

 俺は誤魔化すように説明する。

 結果的に付き合ってると思われたとしても、もう少し話のトーンを下げておきたい。

「いや、カナデは俺の女だ!」

 馬鹿優人め、こいつ、悪乗りしてやがる!

 メイド軍団さん達からは黄色い歓声、騎士団からブーイングが巻き起こった。

 最前列の父上はあんぐり口を開けたまま固まってしまった。この人、こんなキャラだったのか。あの威厳はどこにいってしまったんだ?

 とりあえず俺は全体重を乗せたヒールを優人の足の甲に突き立てた。

「………っ!」

 声にならない悲鳴を上げて優人がもんどりうつ。

 足の甲までは、銀気の守りも十分でなかったようだ。

 なるほどこれが女の武器かと納得する。

 少しレベルが上がった気がした。



 翌朝、夜明けと共にリリアンナさんが俺を起こしにやって来た。侯爵家令嬢としての毎日が始まった。

 貴族の子女と言えば、豪華な着物、豪華な屋敷に贅を尽くした食事は食べ放題の優雅な生活を想像していた。ところが、案外ハードな予定が俺を待ち受けていた。

 まだぼやっとしている間にメイド軍団さんにより身仕度させられる。その間に読み上げられるスケジュールの山。今日から本格的に侯爵家令嬢に相応しい教養を身に着ける為の授業が始まる。

 まさか異世界で勉強することになるとは、思いもしなかった…。

 そして父上と一緒に朝食。

 昨日の夜は俺と優人の付き合ってる説にうなだれていた父上だが、もう大丈夫そうだった。父上が食堂を出て行くと、リリアンナさんがそっと耳打ちして来る。

「あれは、カナデさまに悪い虫が付かないための演技だと、主様に伝えておきました」

 俺ははっとしてリリアンナさんを見る。見破られていたのか。

「優人さまはカナデさまの肩を抱き寄せる事が出来なかった様ですね。肩を抱くなど、古馴染みの2人には容易いはずですから」

 なるほど、鋭い。やはりリリアンナさん、ただ者ではない。

「主様は一応納得されましたが、カナデさまからもご説明してあげて下さい」

 俺は頷く。

 お付きの騎士やメイドさん達と城塞にある行政府に移動する父上をお見送りする。優人との事情を説明して納得した父上は、破顔して上機嫌で出仕していった。きっとエリーセさんも苦労していたのだろう…。

 それから俺は図書館だ。

 リリアンナさんが先生役だ。こうなると、メイド服を着た現国の先生にしか見えない。教科書を持って左右に歩く姿がそのままだった。

 初めは文字から。

 俺達ブレイバーは、どういう理屈か言葉は通じる。しかし文字はダメだ。書物を読む為にも、文字の習得は必須だった。

 ノエルスフィアの文字は、幸いかな日本語に構造が似ていた。即ち動詞が最後に来て変化する。だから単語を覚えれば、何とか意味が取れるようになる。もちろん数時間でマスター出来る訳ではないが。

 午後は地理と歴史。社会だ。ノエルスフィアの地理、王国全体や侯爵領の成り立ち。政治体制や身分制度に通貨、税制。

 ダメだ、頭がパンパンになる。

 クラクラしてきたところで、夕方からは立ち振る舞いのレッスンだ。

 言葉遣い。歩き方。食事のマナーに、上品に優雅に見える所作。

 なれない姿勢で動きまわり、今度は体がパンパンになる。

 何よりもリリアンナさんが怖い。容赦ない指摘と、いつ飛んでくるか分からない質問に戦々恐々だ。

 夕食も気が休まる暇がない。食器の使い方を間違ったり音を立てたりすると、どこからともなくリリアンナさんの指摘が飛んでくる。

 緊張でガチガチになっている俺を微笑ましそうに眺める父上。…ダメだ、この人は助けてくれない。

 風呂でホッと一息ついたのもつかの間。浴室から出ると、リリアンナさんの宿題が待っていた。

「この本を明日までに読解して下さい」

 なかなかの厚みの本が手渡される。

 マジですか…。

 リリアンナさんは眼鏡が光っていて表情が読めない。しかし微かに持ち上がった口元。この人、もしかして楽しんでいるのか…?俺、いびられているのか?

 本を持ったままベッドに転がる。精神的肉体的に疲れた俺は、宿題の本を持ったまま一瞬にして意識を無くした。

 そういえば今日は優人を見なかったなぁと思いながら。

 翌日は、まず宿題を何もしていない事のお小言から始まった。文字の書き取りを失敗して指摘。昨日習った王国の地理が答えられなくて指摘。ウォーキング訓練はヒールで転んで指摘。言葉遣い訓練で思わず「俺」と言ってしまい指摘。

 夕方にズタボロ状態だった。ぐったりと、まるで幽鬼のように屋敷をさ迷う。貴族の生活って、想像していたのと大分ちがうんだなぁとか思いながら。

 静かなところで風に当たりたくて中庭に出た。そこで、誰かが素振りをしている音が聞こえ来た。興味に駆られてそちらを覗くと、上半身裸の優人が一心に剣を振っていた。

 脇にガレス団長が腕組みしてアドバイスしている。どうやら騎士団長直々に剣の指導をしてもらっているようだった。

 ガレスが俺に気が付く。

「おっ、お嬢。リリアンナに大分と絞られている様ですな」

「ははは、出来の悪い生徒で、ご迷惑をお掛けしてます」

「まだまだ始まったばかりです、焦らんように」

「500っと!ああ、カナデ、いたのか」

 ノルマを終えた優人が汗を拭く。

「ところで、いいタイミングでお二人が揃いましたな。ちょと付き合ってもらえませんかな?」

 今日のレッスンは一応終わりだった。後は夕食と宿題だ。

「別に構いませんよ」

 優人も頷く。

「では東棟の地下に。2人の銀気を計ってみましょう」

 ガレスは片目を瞑ってニヤリと笑った。



 ガレスの先導で東棟の階段をどんどん下って行く。この辺りはまだ殆ど来たことがなかった。

 階段は螺旋に下る。壁面に足音が反響さする。狭い階段だ。二人横に並ぶことはできない。無言で足を進め、ようやく二人の騎士が立ち番をしている扉の前にたどり着いた。

 突然の騎士団長の登場に、警備の騎士は慌て姿勢を正す。

 ガレスの指示で扉が開かれ、ランプに明かりが灯された。

 地下室の冷気が溢れ、俺は思わず腕を抱く。地下室独特の匂いが鼻についた。

 そこは石造りの室内に一面の武器が並べられた部屋だった。

「うわっ…」

 俺は本物の武器が持つ威圧感に圧倒される。

 長剣、短剣、大剣、両刃に片刃、直剣、曲刀。斧に槍、長大な槍斧に二本で一対の双剣など、様々な武器が揃っていた。

「ここに保管されているのは、全てブレイブギアです」

「ブレイブギア?」

 俺は聞き返しながら、一振の長剣を手に取った。鞘はシンプルだが鍔周りに精緻な彫刻が施してあった。持ち上げるとずっしり重く、真剣であることがわかる。

 鞘を払おうとしたが、ピクリとも動かない。

「はっはっはっ、その剣はお嬢の銀気では足りぬ様ですな」

 俺は眉を顰めながら、剣を元の場所に戻した。

「ブレイブギアとは、一般の武器とは逆に、銀気を得て起動する武器の事です。銀気の才が無いと抜く事すら叶いませんな。武器によって求められる銀気の量が違いますから、その者の銀気を計るのに使えます」

「へぇ。じゃあ俺はどうかな」

 さっき俺が抜けなかった長剣を優人が手に取った。

 そしてあっさりと抜き放つ。

 銀色の光を放つ刀身が鈍く輝く。

「ユウトの方が銀気の才が強い、ということですな」

 まぁそれは分かっていた。しょうがない。俺には優人みたいに見えるほど銀色の輝きが出せないのだから。

「優人、どうせならどの辺まで抜けるか試してみろよ」

「うーん、そうだな」

 優人が手に取る武器は次々と銀に輝く。そして最後に武器庫の最奥、壁にかけられた巨大な大剣を手にとった。

 鞘が落ち、あっさりと幅広の刀身が覗く。

「ほぅ、それを抜くか」

 ガレスは無精髭の顎を撫でながらニヤリと笑った。

「それは、かつて百万の魔獣の長、暗騎竜ダモスウルスを討ち滅ぼしたブレイバーの剣だったと言われておる。今までそれを抜いた奴は、私は知らんな」

「これが…」

 優人は大剣を構えた。銀気のブーストのおかげか、普通なら持ち上げるのも大変そうなその長大な剣を軽く振って見せる。空気を切り裂く音がぶんっと鳴った。

 ガレスが今度は俺に向き直った。

「さぁ今度はお嬢です。その長剣が駄目なら、そこの細剣はどうですかな」

 言われた剣を手に取るが、鞘はぴくりとも動かない。

 その次は少し短い小剣。ダメだ…。片手用の短槍。穂先は輝かない。次にダガー。ダメだった。

「ふむ。ブレイバーは皆、力の大小はあれど銀気の才に恵まれてるのが常ですがな。これはいやはや…」

 今度は困ったように顎を撫でるガレス。

 そして最後に手渡してきたのは、指の長さほどのペーパーナイフだった。

「これだと、私程度の銀気でも抜ける最下級のブレイブギアだ。どうですかな」

 …抜けない。こんな小さなナイフが。

「まぁ、気にすんなよ」

 大剣を携えた優人が気遣う様に声を掛けてくれる。

「はははっ…。お嬢には銀気の才はありませんな。小指の先も。わっははは」

 ガレスの笑い声が地下武器庫に反響する。

 勉強もいまいち、貴族の振る舞いも出来ていない。リリアンナさんに迷惑かけてばかり。その上ブレイバーの才能は皆無。

 俺は肩を落として、俯く。

 はぁ。何か悔しいなぁ。

 でも。

 頑張らなきゃなぁ。

 自分で決めたことだし。

 頑張るしかないよなぁ。

 大きく深呼吸を一つ。

 気遣わしげな顔を向けるガレスと優人に俺は笑顔を向ける。

「さぁ、もう夕食だ。戻ろうか?」

 少し長めの回でした。冗長に過ぎるかと思いましたが、ご容赦下さい。

 表現したいことが上手く書けないのはもどかしいですね。

 おかしな表現は是非ご指摘下さい(笑)

 ご一読下さった方々、ありがとうございました。

 またお見かけいただいた際はよろしくお願いします!

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