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雪色エトランゼ  作者:
第2部
78/115

Act:78

 どんなに重大な使命を帯びて任務に従事していても、だからといって通常の業務が遠慮してくれる訳ではない。

 シリスの命でウーベンスルトで押収した証拠物品を王都に持ち帰った俺は、その解析をリコット、ラウル君を含めた特別チームに託した。

 旅の疲れと戦闘の緊張から解放され、ふいぃっと脱力する俺を待ち構えていたのは、不在の間に蓄積された通常の業務の山だった。

「少しお休みしたら?」

 王都に帰還した翌日から通常通り出仕する俺に、マリアお母様が心配そうに声を掛けてくれた。俺は少し苦笑を浮かべて、マリアお母様に頭を下げる。

「ありがとうございます。でも、行かなきゃ」

 休みたい……。

 でも、休めばまたまた仕事が溜まる。

 それに、俺の決裁書類を待ってくれている人に迷惑がかかるし……。アリサや、他の参謀部の人たちにこれ以上負担を掛けたくない。

 しかし、そうして久々に戻って来た執務室で、俺は書類の山に埋もれる羽目になってしまった。

 こんなに貯めなくても、その前に誰かが処理してくれればいいのに……。

 あまりの量に、一瞬そんな事を思ってしまう。

 しかし直ぐにぶんぶんと頭を振った。

 ダメだ、ダメだ。

 他人に責任転嫁してはいけない。

 でも。

 ううう……。

 誰か助けて欲しい。

 そんな懇願を込めた視線で、アリサを見た。するとアリサは、何故か嬉々としてまた新しい仕事を用意して来るのだ。

「ふふっ、カナデさまの困られている顔……」

 目が、なんか、怖いし……。

 お昼も、自分で作って来たハムサンドを、自席でもぐもぐ1人でかじる。

 ……何だか味気ない。

 しかしそれでも人間、食べればお腹いっぱいだ。その次には、眠くなるのが道理。午後になると、うつらうつら舟を漕ぎ始めてしまった。

 瞼が重くて重くてたまらない。

 気がつけば、書類の同じ箇所を何度も読んでいる。紙の上に、ペンが勝手に書いてしまったニョロニョロが増えていく。くぅーんという声が、何故が口から漏れて来る。きっと、精一杯眠気に抵抗している音なんだ。

 ……。

 はっ、と顔を上げる。

 寝てたのか?

 半分閉じた目で周りを見回すと、扉から輝くような笑顔を浮かべたアリサがこちらを見ていた。

 ……何。

 一気に目が覚める。

 ダメだ、やっぱり疲れている。

 手で顔の半分を覆って頭を振る。どんよりと疲労が蓄積している、その自覚はあった。

 帰りの馬車でも爆睡だった。

 マリアお母さまが、ぼうっとした顔の俺に、先にとお風呂を勧めてくれた。明日に備えるためにも、俺はその言葉に甘えて、湯船につかる。

 ほんわりと温かさに包まれる。体の芯からぽかぽかして、疲れが抜けていく気がした。

 気持ちいい。

 そしてだんだんと……。なんだか……。

 ぶくぶく。

 鼻まで浸かってしまって、はっとなって慌てて頭を振った。

「カナデさん、大丈夫?」

「は、はいっ、大丈夫です!」

 中々上がって来ない俺を心配したマリアお母さまが声を掛けてくれた。

 ダメだ、ダメだ。

 シリスはまだウーベンスルトにいる。騎士団のみんなも、交代部隊と入れ替わって王都に帰還しているその途上だ。

 きっとみんなが疲れている。俺だけが疲れたからと言って、気を抜いていてはいけない。

 今は、抑えた証拠物品の解析を待ちつつ、次の行動に備えて行かなくては。

 目的は不明でも、黒騎士も動き出しているのだから……。

 俺はぱんっと頬を叩いた。



 はっはっはっ……。

 早朝の爽やかな風を感じながら、シャツにスパッツ姿の俺は、王城の外周を走る。朝日にきらきらと輝く街路樹の緑が、風にさわさわ揺れる。賑やかなのは小鳥の声だけ。それと、俺の駆け抜ける足音。

 束ねた髪が後ろで跳ねているのが分かる。

 俺は、整備された遊歩道のカーブに沿って体を傾けながら、ぐっと加速していく。

 はっはっはっ!

 早朝の王城内は、人が少ない。夜勤明けの騎士や、朝の早い庭師に馬丁の人に時折すれ違うだけだ。

「おはよう、お嬢ちゃん」

「はっ、おはよ、ございますっ!」

 顔馴染みになった掃除夫のおじさんとすれ違う。

 息が上がって苦しい。

 でも、まだまだ……!

 上り坂に歯を食いしばった。

 ここ数日、俺は早朝ランニングをしていた。

 黒騎士が動き出した事により、これからさらなる戦闘が発生する可能性がある。もちろん、そうならないようにするのが、俺たちの仕事だ。しかし、基礎体力作りは必要だと思った。みんなの足を引っ張らないためにも……。

 負傷したゴルド。

 あの時俺は、もっと早く反応すべきだった。

 剣の腕を上げている優人。

 勝てないとは分かっているが、どんどん力の差を開けられるのも癪だ。

 はっはっはっ!

 俺が王統府に来た時に比べれば、だんだんと気温が上がっている。今日もカラッと爽やかに晴れそうだ。そして、恐らく今日にはシリスが帰って来る。ウーベンスルトの調査報告と、新たな証拠物品を携えて。

 ゴール地点で止まり、膝に手を付く。汗がぽたりぽたりと路上に落ちた。

 一周30分程の王城周回コースを走り終えてからは、王直騎士団本部近くの広場でクールダウンのストレッチをする。当初は王城脇の騎士団練兵場で、朝練の騎士たちに混じってトレーニングしたが、どうも周囲の視線が突き刺さって来て、集中出来なかった。

 まあ、無理もない。騎士でもない人間が混じっていたのだから。

 しょうがないので、今はこうして人気のない場所で体を伸ばしていた。

 アキレス腱を伸ばす。屈伸して、上体逸らし。

 うぅーん。

 シリスが帰って来たら、報告しておきたい事が色々とあった。例えば、優人たちの事だ。

 敵拠点から押収した資料から、とある遺跡の名が頻繁に出てくる事が判明した。

 オルヴァロン遺跡。

 北の海。大陸に寄り添うように浮かぶ小さな島、オルヴァロン島にある遺跡だ。

 軍務省の資料によれば、過去に大きな都市があったその史跡が残るだけの場所のようだった。他の古代文明遺跡のように、有用な発掘品が出るというような報告はなかった。

 しかし、証拠品の資料によれば、敵がその遺跡と幾度となく何らかの接点を持っていた事は明らかだった。それに、その遺跡の名が出てくるのは、ゴーレム兵器関連ばかりではない。魔獣、女王核と共に記述されている事も多かった。

 その遺跡で何らかの魔獣研究が行われているとしたら、マームステン博士がそこにいる可能性もある。

 リコット、それにラウル君からは、即座にオルヴァロン島調査に行きたいと申し出があった。

 俺は、芝生の上にごろりと仰向けで寝転がり、片膝を胸に抱く。

 それに、気になる情報がもう1つ。

 兼ねてからタニープロック商会に依頼していた、最初の、王都でのゴーレム兵器使用襲撃事件に使われたゴーレム兵器についての報告だ。

 タニープロック商会によると、件のゴーレム兵器は把握されている既存の遺跡の産ではないと言う結論だった。その上、最近市場に、把握されていない発掘品が流れているという報告もあった。

 ゴーレム兵器のような危険な発掘品は、出土した段階で技術省が把握する。それを商用ルートに落とすのだが、最近俺が提供した技術省の報告数と、市場全体に流れる発掘品の総数がどうやら合わないらしい。それも、少なくない数で……。

 もちろん報告されていない出土品がある可能性は大だが、タニープロック商会はそれよりも、王国やタニープロックが未把握の大規模遺跡がある可能性を示唆した。

 俺はうつ伏せから、腕立て伏せを始める。

 くっ、くっ、くっ、はっ。

 この2ルートからの情報から、オルヴァロン遺跡が極めて怪しく思われる。しかし、この推察だけでオルヴァロン島に王直騎士団を差し向ける事は出来ない。

 オルヴァロン島はラクシータ侯爵の領地。ラクシータ侯爵はウェラシア貴族連盟の一員。ウェラシアは今、ハスター男爵のウーベンスルト強制捜査にピリピリしている。これ以上の力押しは難しいだろう。

「ふうっ」

 俺は立ち上がり、タオルで汗を拭う。シャツが汗でびっしょり濡れていた。

 後は、シャワーを浴びてから、通常業務だ。俺は王直騎士団本部にあるシャワールームに向かって歩き出した。

 女子シャワールームは、ちょうど騎士団の朝練終わりの時間と重なって、混雑していた。俺はぐしょぐしょの服を脱ぎ捨て、タオルを持って空いているブースを探した。

「あっ、カナデさま。おはようございます」

「おはようございます、アンジェ」

 最近知り合った女騎士のアンジェと挨拶を交わす。その隣ブースが空いて居たので、その中に入った。

 頭からお湯を浴びる。不快な汗が流れていく。体力強化という目標よりも、このシャワーを浴びる瞬間のために、今日も走っていて良かったなと思える。

 北の島。

 正規軍を投入出来ないなら、方法は1つだ。

 冒険者として優人たちに赴いてもらうしかない。

 そのためのダミー依頼として、大学の研究のためにオルヴァロン島の植物調査という依頼を冒険者ギルドに出した。それを受けた優人たちは、今日、オルヴァロン島に向けて出発する。

 この俺の推察、シリスにも聞いて欲しかった。

 気がついていない事や漏れがあれば、指摘して欲しい。

 もしかしたら優人たちは、大きな危険の中に飛び込むかもしれないのだから。

「ねえねえ、アンジェ。今の銀髪の子、誰?」

 水音の向こうに、微かに話し声が聞こえた。

「ヘルガ、あなた知らないの?参謀のカナデさまよ」

「えっ、あのベリル戦役の英雄の?」

 英雄……。

 はははっ……。

「あんなに小柄なのに……。あたしてっきり銀色のボルドベアみたいな人かと思ってたわ」

「聞こえるわよ」

「はははっ」

 ボルドベア。

 主に森林地帯に生息する野生動物。体長約2メートル。

「でもカナデさまと言えば、王都防衛大隊のシリスティエールさまの奥さんよね」

「あら?許嫁って聞いたけど?」

「あれれ。でも羨ましいなぁ。私もあんな彼氏……」

 バシャバシャバシャ。

 私は思いっきり髪を洗う。

 聞こえない聞こえない聞こえない。

 タオルを体に巻くと、私は逃げるように脱衣場に戻った。

 そこには、何故かアリサが待っていた。無表情なその顔は、微妙に頬が赤くなる。

「カ、カナデさまの湯上がり姿……」

 ぼそりとそんな事を呟いている。

 だから、何か怖いから……。

「……アリサ、どうしたんですか?」

 はっとアリサが我に返る。

「そうでした。カナデさま。急ぎ執務室におこし下さい」

 アリサが言葉を切って間を取る。

「国王陛下がお待ちです」



「カナデ。一度レグルスのところに顔を出して来ると良い」

 まだ髪が乾かない内に執務室に駆け戻った俺を、国王陛下が待ち構えていた。

 陛下は俺の椅子にどっかりと腰掛けていた。見慣れた筈の執務室に陛下が居ると、部屋が一回り狭くなってしまったかのような気がする。

「お父さまのところに、ですか?」

 突然の事に、俺はきょとんとしてしまう。

「そうだ。ウーベンスルトの件は大儀であった。休暇を許す。しばし休息を取るがよい」

 しかし……。

 証拠品の検証は続いているし、シリスや優人たちも事態の解明に向かって動いている。俺だけがお休みをもらって帰省するなんて……。

「しかし、陛下……」

「よい。我がここまで出向いているということを察せ」

 陛下は頭が痛そうにこめかみを押さえた。いつも豪放磊落な陛下にしては、弱々しい所作だ。

「……母上が煩いのだ。カナデを働かせすぎだ、とな。先日は、直接我の元にまで来られて、抗議された」

 俺は思わずふふふっと笑ってしまう。

 こんなに厳つい外見の国王陛下も、やっぱりお母さまには弱いのだ。

 でも、マリアお母さま……。

 そこまで気に掛けて頂いて、ありがとうございます……。

「しかし直ぐに戻れよ。我はお前を頼りにしておる。それとな」

 陛下は執務机に肘をついて、にいっと笑った。

「戻って来る時は、レグルスも伴って来い。お前と共に、ララナウの別邸に招こう」

 ララナウの町。温泉の町だ。

 そうか、お父さまを温泉に……。

 確かにそれは、魅力的な提案だった。

 王都に来れたのだって、お父さまに無理を認めていただいたからなのだ。少しでも親孝行してあげたい。温泉はいい案だと思う。

 ふうっ。

 証拠品の解析中は、俺に出来る事はない。情報が出揃うまでは、動けない。

 少しなら、お父さまに会いにインベルストに戻っても……。

「では、シリスと色々と相談してから」

「うむ、うむ」

 帰省か。そう思うと、期待で胸がドキドキして来た。

 お父さま。

 早く会いたいな。

「陛下、お気遣い、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただこうかと思います」

 俺は嬉しさを押さえられずに、にこっと微笑んだ。

「う、うむ。気をつけて行け」

 その2日後。

 シリスとマリアお母さま、ブライトお父さまに見送られて、俺は王都を離れる事になった。後の事は俺に任せろと言ってくれたシリスに、手を振る。

 少し暖かいくらいの陽気。抜けるような青い空に浮かぶ白い雲の塊たち。

 俺は馬車の車窓から外を眺め、インベルストを思う。

 帰省は、行の道中が一番楽しいですね。


 読んでいただき、ありがとうございました。

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