Act:68
参謀部長の部屋に書類を提出しに行った帰り道。俺はパンパンになった上着のポケットをポンポン叩いた。
一見してちょっと不自然なほど膨らんでいる。
ううう、また大量のお菓子を貰ってしまった。
書類の提出が早いと誉めて貰えたのは嬉しいが……。
アリサにもお裾分けしようかな。
ポケットをポンポン叩く。
階段をゆっくりと下り執務室のフロアに戻った俺は、そこで緊迫の光景に遭遇してしまう。
俺の執務室の前。
フォーマルなスーツ姿のリリアンナさんと、やはりダークスーツのアリサが対峙していた。
リリアンナさんの冷ややかな目が怖い。
アリサが歯を食いしばって耐えている。
その張りつめた雰囲気に、思わず、足が、竦む……。
「繰り返し申し上げますが、私はカナデさまのメイド長です」
「で、ですから、使用人の方が来られるとは聞いておりません。受付簿にご連絡先を記入いただき……」
ああ……。
悪いのは俺だった。
「リリアンナさん」
俺は意を決して2人の間に入った。
「カナデさま」
「アリサ、すみません。リリアンナさんには、今夜の夜会の衣装を持って来てもらったんです。着付けとかあるので、午後はこのまま退庁しますから」
今夜は、西公ウォーテニア公爵主催の夜会が催される。思いの外大規模な会のようで、国王陛下始め諸侯や王統府の各部署長にも招待状が回っているようだった。
「カナデさま、事前の根回しは重要とあれほど……」
「リムウェアさま、来客の予定はきちんと指示していただかないと……」
はい、すみません。
俺は素直に謝るだけだった。
前々回のシリスとの食事会だったか、いや、その前の時の事だったか。その時と同じように、今夜の夜会にも軍務省の礼装で行こうかと思っていたが、リリアンナさんの一刀の下に却下された。
リムウェア侯爵家の息女として、そのような無粋は家名に関わります。
そう言われてしまえば、もう異は唱えられない。今日はリリアンナさんに正式な衣装を運んでもらい、王城の部屋で着替えてから、シリスと一緒に西公邸まで出向く事になっていた。
俺はアリサに断り、リリアンナさんを伴って軍務省の建物から王城に向かった。
午後の暖かな陽気の下、耳に心地よい街路樹のざわめきに包まれながら、裏門から城に入る。そして、予め借り受けた部屋で夜会の準備に入った。
唯も凄いが、リリアンナさんのブラッシングも素晴らしく上手い。
髪に櫛が通る感触に身を委ねていると、知らず知らずのうちにうとうとしてしまう……。
「カナデさま。頭を動かさないで下さい」
「ふぁ、あ、すみません」
俺が気持ちよく目を細めている間にも、リリアンナさんは着々と準備をこなしていく。髪型のセットから化粧、ドレスの着付けまで、お屋敷ならメイドさん数人がかりの作業を1人でこなしてしまう。
最後に、国王陛下の好意でお借りしたティアラを頭に乗せる。
私は、リリアンナさんが向こうを向いている間に、そっと姿見の前に立ってみた。
うん、いい感じだ。
今日の衣装は、白を基調にピンクの花があしらわれたドレスだ。実は、私が自分で選んでみた。花柄が、どこか桜を思わせる。春にはぴったりだと思う。
鏡の前でくるりと回ると、ふわっとドレスの裾が広がった。
鏡越しに、リリアンナさんと目があった。
「ち、違うんです!」
俺は慌ててリリアンナさんに手を振った。
気合いを入れるのには、ちゃんと理由がある!
「お綺麗です。カナデさま。シリスさまもお喜びでしょう」
エスコートしてくれるシリスに釣り合うようになんて理由では、決してないんだ!
「では、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
丁寧に頭を下げて送り出してくれるリリアンナさんに、俺はいささか歪な笑顔で頷き返した。
部屋の前で待っていてくれたシリスが、私を見て驚いたように目を見開く。そして直ぐに笑顔で頷いてくれた。
何か……言ってくれた方が、恥ずかしくないのにな、多分……。
城の外に出ると、綺麗な夕焼け空だった。
待機させていた馬車に乗り込もうとした時、ブリーフケースを持ったアリサが駆け寄って来た。
アリサは俺を見て固まってしまう。
「どうしたんですか、アリサ」
「あ、いえ、急ぎの決裁がありまして、サインだけいただきたく…」
「ええ、どうぞ」
アリサはぎこちない様子で書類を差し出した。
「……お姫さまみたい」
アリサが呟く。
「え?」
俺はサインした書類をアリサに返して微笑んだ。
何か熱い目で見てくるアリサに見送られ、俺とシリスは馬車に揺られて西公さまの別邸に向かった。
貴族街にある屋敷とは別に、有力貴族になると王都中門の外に広大な敷地の別邸を所有している。今夜の夜会の会場も、そうした西公さまの別邸の一つだった。
巨大な門を通り過ぎても、屋敷はなかなか見えてこない。
すっかり日が落ちてしまった夜闇の中、点々とした街路灯が続く。そして、こんもりとした林を抜けると、ようやく昼間のようにライトアップされた屋敷が見えてきた。
インベルストのお屋敷の倍はあろうかという邸宅の前には、今や無数の馬車が集まっていた。
「シリスティエール・レナス・リングドワイスご一家さま、ご到着!」
シリスの手を取って馬車を降り立つと、朗々とシリスの名前が呼び上げられた。俺の名はない。
俺みたいな下っ端は呼んでもらえないのかな……。
シリスの腕に手を添えながら、俺たちは赤絨毯の上を進み、会場に入った。
流れる優雅な音楽を背景に、着飾った男女が上品に談笑している。シックな燕尾服の紳士たち。鮮やかな色彩で着飾った淑女たち。インベルストの舞踏会で場数を踏んで来たつもりだったが、やはり王都の社交場の規模には圧倒されっぱなしだ。
俺は、ただシリスの脇で小さくなりながら、キョロキョロと辺りを見回すだけだった。
俺たちを見つけると、直ぐに他の参加者が挨拶に集まって来た。このあたりはインベルストと変わらない。
俺もシリスも、とにかく笑顔での返礼を繰り返す。
シリスのところには、各省の重鎮や大貴族に混じって若い女性も集まって来ていた。それぞれが輝くような笑顔でシリスに微笑みかけている。
どこかのご令嬢だろう、そういう女の子たちは、俺のところには来てくれない。素通りされるか、中には険しい目つきで睨み付けていく子もいた。
何故だ……。
俺、なんかしたのか……
白髪の老貴族に微笑み返しながら、俺はそれを見ないフリすることにした。
「こんばんは、カナデ・リムウェアさま」
しかしそんな中、鮮やかな青のロングドレスをまとった女性が、シリスに挨拶してから俺の方にもやって来た。
髪は明るい茶色。シャープな顔立ちに、背が高く、スタイルの良い人だった。
「私は、ベルマル侯爵家のジュリエットと申しますわ」
俺は慌て頭を下げる。
「リムウェア侯爵家のカナデと言います!よろしくお願い致します!」
俺は顔を輝かせて笑いかけた。
声をかけてもらえただけで、少し嬉しい。
そこに、ようやく挨拶の嵐から解放されたシリスが戻って来た。その後に数人のお嬢さま方を引き連れて。
ふーん。
モテモテじゃないか。
「お、カナデ。ジュリエットと知り合いなのか?」
シリスが俺の名を口にした途端、後続のお嬢さまたちがひそひそと声を上げた。
まぁ、あれがカナデさまらしいわ。
随分と小さい方ね。
シリスティエールさまのお隣は不釣り合いだと思わない?
本当に。
あの子、それをわかってるのかしら?
ジュリエットさまの方が何倍もお似合いよ。
……。
聞こえてます……。
シリスが何か言おうと口を開けようとした瞬間、ジュリエットさんが進み出た。
「あなた方、カナデさまに失礼でしょう」
凛とした声。
「すまないな、ジュリエット」
シリスが笑う。
その笑顔を見て、ジュリエットが顔を綻ばせる。まるで一輪の花が咲いたかのような。
「シリスティエールさま、よろしければ、お話していただけませんか?子供の時みたいに」
「ああ、構わないが」
「ありがとうございます」
「あの、ジュリエットさま……」
嬉しそうにシリスの腕を取るジュリエットさんに、俺はおずおずと声をかけた。
「あの、ありがとうございました」
しかしジュリエットさんは、何も言わずに俺を一瞥すると、目を細め、薄く笑った。そして直ぐにシリスに向き直った。
あれ、なんか印象が違う笑顔だ。
しかし、シリスと話すジュリエットさんは楽しそうだった。
「そう思うだろ、カナデ?」
シリスは、傍でただ突っ立っている私にも話を振ってくれる。
その気遣いはありがたい。
でも、幼なじみらしいシリスとジュリエットさんの間に、入るのは気が引ける。
私にだって、唯や優人や夏奈としか話せないこともあるし……。
私、邪魔、かな……。
「カナデ?」
シリスには飲み物を取りに行くと告げて、私はそっとその場を離れた。
とぼとぼ戻って来ると、シリスがいなかった。ジュリエットさんもいなかった。見当たらない。なので私は、グラスを両手できゅっと握り締め、壁際にもたれ掛かっていた。
「カナデさま、一曲踊っていただけませんか?」
「ごめんなさい、少し休憩させていただいてます」
ダンスのお誘いに、私は困り顔で頭を下げる。
ダンスは苦手だ。ましてや相手はフォローしてくれるシリスではないわけだし。
私は、しゅんとしながらグラスに口をつけた。
甘くて……美味しい。
「探したぞ、カナデ」
そこに、小走りでシリスが戻って来た。
「ジュリエットさん、もういいんですか?」
「そんな事よりカナデ。お前は俺のパートナーなんだ。勝手に俺の側を離れるな」
パートナー……。
その言葉に、どきりとしてしまった。
そっと深呼吸して、私は気持ちを静める。
「すみません…」
「ああ。余計な気は使うな。それよりこっちだ」
シリスが私の手を引いてくれる。
「あそこだ。北公が見えるだろ?あの周りの取り巻きが、お前が会いたがっていたウェラシア貴族連盟だな」
シリスに手を取られた私は、気を取り直し、目を細めてそちらを見つめる。
厳つい顔に微かに笑顔を浮かべる北公。俺には少し苦手意識があった。そしてその北公を中心に取り囲む貴族たちは10人ほどか。
ウェラシア貴族連盟。
北部ウェラシア地域の貴族の集まりということだが、他の地域にあるような近隣貴族間の緩い相互扶助団体ではない。主に北公を中心とした強力な経済共同団体だ。
シリスの話や軍務省の資料によると、古代の遺産であるゴーレム兵器のうち、稼働するものは、ほぼこのウェラシア貴族連盟管理下にある北部遺跡の産のようだった。
「ゴーレム兵器の出どころ、つまり北部遺跡群をつつく事になるのなら、早晩必ずウェラシアが出てくるぞ」
王都の街中でゴーレムを暴れさせた組織、仮にロクシアン商会だとすれば、あのウェラシアの貴族たちと無関係とは思えない。
証拠は、まだ、ない。
しかし、事前にそのメンバーを確認しておくことは、無駄にはならないはずだ。
それが、今夜の主目標。
西公さま主催の夜会は、絶好の場だった。
よし。
あの、中に突撃してみるか。
俺は唇を堅く引き結んで、ウェラシア貴族連盟のメンバーを頭に刷り込むように凝視した。
「カナデ、痛い」
シリスがぼそりと呟く。
気がつくと、繋いだシリスの手を力を込めて握り返していた。
あわあわあわっ……。
思わずパチンとシリスの手を弾いた。
近くにいた老夫婦が、温かい目でこちらを見ていた。
私は、私は、なんて恥知らずな真似を……。
「とにかく、ちょっと北公さまに挨拶してきます」
私はシリスの顔を見ずにすたすたとその場を離れた。
「失礼いたします」
俺は緊張に震える胸の内を悟られないように、ゆっくりと丁寧に頭を下げる。
北公と話してしいた老貴族が、俺を見て笑顔で場所を譲ってくれた。
後ろからは無言のシリスがついて来てくれる。シリスはそのまま周りの貴族を一手に引き受け、話し始めた。
なるほど。
一騎打ちをさせてくれるのか。
望むところだ。
俺は、真っ赤な酒が揺れるグラスを持った北公ログノリア公爵の前に立った。
「ほう、リムウェアの娘か」
「ご無沙汰しております、北公さま」
刃のように鋭い眼光が俺を切り刻む。逃げ出したくなるような高圧的な風が、本当に吹いて来ているかのようだった。
俺はそれに必死で耐える。
「最近は調子が良いようだな。喜ばしいことだ」
北公の意外な褒め言葉に、一瞬の間を置いてから俺は嬉しくなった。
もしかしたら、俺が苦手意識を持っていただけで、嫌われてなかったのかな?
「その上、随分と北部地域に興味があるようではないか」
その瞬間。
胸が、弾けてしまいそうなくらいドキンと心臓が大きく脈打つ。
俺が、北部遺跡群を調べている事がもう耳に入っているのか?
油断、できない。
してはいけない。
考えなければ。
返しの一手を。
ここを見誤ってはいけない。
俺は、お腹に力を入れて、ふわりと微笑んだ。
「北部に興味がございます」
「ほう」
「騎士団の新しいゴーレム兵器の調達、是非に良質な物をと考えていますので」
北公はつまらなさそうに目を細めると、グラスに口をつけた。
「というのは建て前です」
北公の片眉が上がる。
「では、お前が我が所領に興味を持つのはどういう由あってのことか」
まるでドラゴン型魔獣の唸りのように低く響く声だ。その声に負けないように、俺は、北公の目を見つめ返して微笑んだ。
「私、リムウェア領と王都しか知らない田舎者ですので。是非、伝え聞く美しい北の地を見てみたいんです」
北公は一瞬驚いたように目を大きくした。そして直ぐに、声は出さずに唇を吊り上げて笑う。
「未知の地に憧れるその姿勢は、わしもわからんでもない。よかろう。我が所領への来訪を認めよう」
北公はしかし直ぐに笑みを消す。そして、もとの険しい顔に戻った。しかし、俺には掲げるようにグラスを持ち上げて見せた。
「ありがとうございます」
これで北部調査の足掛かりは出来ただろう。
俺は頭を下げると、スカートの裾を翻し、踵を返して歩き出した。
直ぐに北公の取り巻きとの会話を切り上げたシリスが並んで来る。
「どうだった?」
「上々、だと思います」
俺たちは視線を前に向けたまま、歩きながら言葉を交わす。
「でも私の動きが洩れている可能性がありますね」
「本当か?いや、なるほどな」
シリスが俺をちらりと見て笑う。にやりと、何かを得心したかのように。
「それほど警戒している、ということだな」
「はい。つついて見る甲斐は、ありそうですね」
壁際に達して初めて、私たちはパートナーと視線を交わして微笑む。
少し長くなってしまいました。
そういえば、夜会の主催者の西公さまに挨拶していません(笑)
ご一読ありがとうございました。




