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雪色エトランゼ  作者:
第1部
61/115

Act:61

 その日は、どんよりとした空からはらはらと小雪が舞う1日だった。

 長大な列を作り進む誰もが息を白く染め、冷え切った自らの金属鎧の冷たさに身を竦める。無言で進む彼らの軍靴の音が、灰色の街に重く響き渡る。

 城塞を発し、インベルスト市中を進む白燐騎士団。街の外で既に待機している一般徴兵部隊と合流すれば、その数およそ1万。さらにベルモント砦で侯爵領各所から進発して来た部隊と合流し、最終的には総数2万を超える事になる。

 それぞれの街の治安維持やベルモント砦、領境の警備、それに万が一の予備兵力を考えれば、リムウェア侯爵領のほぼ全軍とも言える数だった。

 そんな隊列を見送るインベルストの人々の表情は様々だった。

 勇壮な軍列に興奮の声を上げ、歓声を送る者。まるで見てはいけないもののようにそっと目を逸らす者。父の、夫の、子の無事と武運を叫ぶ者。戦争反対の声を上げる者。

 中には、お父さまの後ろについてスピラに跨る俺に声をかけてくれる者もいた。白緑のコートに鎧を身につけた軍装の俺は、そんな人に、笑顔を作って頷きかける。

 少しでも不安が紛れますように、と。

 誰の?

 隊列を見守る市民たちの。

 戦いに赴く騎士や兵たちの。

 そして、もちろん俺自身の……。

 見上げるだけで何故か悲しくなってしまう様な鈍色の空をそっと見上げる。

 どうか。

 どうか、またみんなでインベルストに帰って来れますように……。

 市街を抜けた隊列が、インベルストの正門たる大橋を渡る。馬蹄や軍靴、荷馬車の車両が石橋を叩いて様々な音を立てる。

 橋を渡りきると、そこに待機していた兵たちの大部隊が一斉に立ち上がった。

 その圧倒的な人数に、俺は目眩がしそうになった。

 まるで大地そのものが動き出したかのようだ。

 原野の果てまでも覆い尽くさんばかりの兵たちが、整然と隊列を組み、お父さまや俺たちに槍を掲げる。たったそれだけの動作で地鳴りが起こったかのような音が響き渡った。

 俺は今まで、万という数の人間を見た事がない。もちろんインベルストや王都の人口は万を超えているが、それは数値だけの話だ。

 今、これだけの人々がこうして一堂に会する光景は、ただただ圧巻だった。

 この壮大な光景に、ぼっと希望の灯が宿った気がした。

 これだけの数が集まったのだ。

 これだけの、みんなの力を結集すれば、どんな敵も怖くない。

 大地を覆う兵たちにお父さまが手を上げて応える。

 お父さまは、こんな雪空の弱い光にも輝くような、立派な鎧を身に着けていた。腰には精緻な彫刻が施された長剣を佩いている。その姿は、屋敷の絵画やタペストリで見た物語の騎士のようだ。

 俺はその頼もしい横顔をそっと見つめる。これが一軍の将の風格というものなのだろうか。

 しかし俺は、そんなお父さまに少し距離を感じてしまっていた。

 どんなに娘だとちやほやされても、俺にはあんなに立派に振る舞えない……。

 溜め息をつこうとした瞬間、お父さまが不意に俺を見た。

「カナデ」

「はい」

 俺は慌てて居住まいを正す。

「兵たちが、我らを見ている。胸を張れ。何事にも臆さぬという顔をしろ」

「はい!」

「これも重要な務めだ」

 お父さまがにやりと笑った。

 俺も照れたように笑い返した。

 それでもやっぱり、お父さまみたいになりたい。

 そう思ってしまう。

「各分隊集合!」

「二列縦隊だ!隊列を乱すな!」

「点呼!番号用意っ!」

「足踏み、進めっ!進めっ!」

 隊列のあちこちで、各級隊長クラスの怒号が飛び交う。大部隊が隊列を組み直し、行軍の陣形が出来上がっていく。これだけの人数を統制しなければいけないのは、大変な事だった。

 しかし、お父さまがさっと振りかざした手の合図で、白燐騎士団とリムウェア軍が動き出す。万の数の大軍が、お父さまに付き従う。

 不覚にも、かっこいいなと思ってしまったのは、お父さまには内緒だ。

「ん、どうしたカナデ」

 俺の視線に気が付いたお父さまが顔だけ振り返る。

「な、何でも、ありません……」

 少しだけ頬を染めて、俺は視線を外した。 

 恥ずかしくて、そんなこと、決して口にはできない……。



 人数の膨れ上がった軍は、頼もしくもあるが動きが鈍くなる。たっぷりと時間をかけ、ラブレ領との境界であるベルモント砦に到達したのは、インベルストを進発して翌日の事だった。

 俺に取っては魔獣の障気に倒れて以来のベルモント砦だったが、その周囲の光景は記憶の中のものとは一変していた。

 砦に収まりきらずに溢れた人員が、砦の周囲にぐるりと天幕の群れを作り上げていた。あちこちに伝令の馬が行き来し、隊列を組んだ小隊が走り回る。この間にも徴兵組の部隊は訓練に勤しみ、気合の声を上げている。炊事の煙が方々から立ち上り、そちらでは女性たちが慌ただしく動き回っていた。

 それは、俄かに出来上がった町のような光景だった。

 眼下に広がるそんな光景を、俺は砦の指揮官室から眺めていた。

 なんだろう。

 この雰囲気に活気を感じてしまう。大勢の人間が一つの事に向かって備える熱、だろうか?

 軍の士気は高い、と思って良いのだろう。

 俺も場の雰囲気に当てられて、そわそわしてしまいそうになるのをじっと堪える。ここには近隣諸侯も集まって来ている。レグルス・リムウェアの娘として恥ずかしい真似は出来ない。

「エバンス伯爵が参られました!」

 外と同様に慌ただしくざわつく指揮官室に、伝令の声が響いた。

 俺は窓から離れると、マントをはためかせてお父さまの斜め後ろに立つ。姿勢を正し、手を前に揃える。

 程なくして、白燐騎士団とは違うデザインの鎧の騎士2人を引き連れたエバンス伯爵がやって来た。

老齢の筈の伯爵自身も、豪華なプレートメイルを纏っていた。顔は赤らめ大股で歩く姿は、血気盛んな戦士そのものだ。

「良く来られたエバンス伯」

「なんの、レグルス侯。ラブレ征伐は我が願いでもある。この戦に遅参などできようか!」

 お父さまと旧知の老貴族は、ニヤリと笑う。そして鎧を鳴らして固く握手を交わした。

 エバンス伯爵は、後ろに控える俺の顔を見ると軽く頭を下げた。

「やぁ、カナデさん。夏は不肖の倅が大変世話になった。その後の勇名も聞き及んでおる。また会えて喜ばしい限りだ」

 俺も丁寧に頭を下げた。

「伯爵さまもお変わり無いようで良かったです。ジェイクさまもお元気でしょうか」

 夏祭りの舞踏会を思い出す。

 エバンス伯の息子、ジェイクが黒騎士に操られるという事件があったのだ。

 あの時、黒騎士の背後には、ラブレ男爵がいるかもしれないという話はエバンス伯爵も承知の事だった。

 そのエバンス伯爵がラブレ領征伐に熱を上げるのも、無理ない事だ。

「カナデさんは戦装束もよくお似合いだ。そこいらの若手騎士よりも風格がある。うちの倅も、カナデさんのように凛々しくあったらな」

 笑う伯爵に、俺も少し照れの混じった笑顔を返した。確かにジェイクは剣に鎧という雰囲気の青年ではなかったと思う。

 でも、お父さまの娘として、鎧姿を褒められるのってどうなんだろう?もっとこう、何というか……。

 リムウェア軍にエバンス軍。それに徐々に集まりつつある近隣諸侯の軍隊。

 ラブレ領征伐軍南軍の陣容が整いつつある。



 白燐騎士団幹部。エバンス伯爵を始めとする近隣諸侯。そして騎士とは趣の異なる武装の冒険者、その代表たちが、ベルモント砦の会議室に集まっていた。

 密かに漂う活気と熱気が支配する会議室は、肩が触れ合う程の人が詰めかけていた。

 身長の低い俺は、体格のいい戦士達の間に埋もれてしまう。

 ぴょこぴょこ背伸びしたり、脇から前を覗き込こんだりしようともぞもぞ動く。

 うう、駄目だ、見えない。

 そんな俺に、騎士リュークが気がついてくれた。

「どうぞ、カナデさま」

「うぅ、すみません」

 俺は場所を譲ってもらい、なんとか人混みの前に出た。こういう時に上背のあるシリスなんかが羨ましくなる。

 テーブルの上には、ラブレ領領都ベリル近辺の大きな地図が広げられていた。そのテーブルの反対側で、俺を見つけたシズナさんがそっと手を振ってくれた。

 俺も微笑んで頷き返す。

「では作戦概要を説明する」

 お父さまが指揮棒をかしゃりと伸ばした。


「周知の通り、ラブレ領よりの魔獣襲来は日を追う毎に拡大している。

 これに対して、我らはラブレ領征伐、並びに魔獣撃滅に打って出る。

 第一目標はラブレ領領都ベリルの制圧並びに今回の事態の原因を知ると思われるラブレ男爵の捕縛である。

 第二に、魔獣の駆逐並びにラブレ領民の解放救出である」


 お父さまが指揮棒を鞭のようにしならせながら、周囲を見回した。

 誰かが姿勢を変える音がことりと響く。


「ラブレ領征伐軍は三軍。

 大将旗を頂く本体が北軍。こちらから進軍するのが西軍。そして、我らが南軍である。

 各軍がベリルを目指しながら進軍し、途中地域の魔獣を駆逐、周辺の安全を確保する。

 各軍のベリル郊外集結時限は今月20日。

 時間はないが、魔獣群の狩り残しは許されない。

 我々が逃がした魔獣は、そのまま我々の故郷に襲い来ると心得よ」


 周囲から、静かだが力強い承知の声が上がった。

 俺も他に負けじとお父さまを見返して頷いた。


「ベリル集結後は、三方三軍で包囲攻撃を仕掛ける。我ら南軍の配置はここだ」


 ベリルは、中央の小高い丘にラブレ男爵の居城を頂く城下町だった。

 その街を囲む三点のうち南東の一つをお父さまの指揮棒が指し示した。


「第1波攻撃で全軍突撃をかける。ベリル周囲を制圧しつつ、街内に多数存在すると思われる魔獣群を引きずり出す。

 このタイミングで、冒険者隊諸隊を含む銀気持ちの精鋭隊が街中に潜入。身を隠し、魔獣をやり過ごす。

 十分数の魔獣撃破の後、主力隊は一度撤退。残存魔獣群並びにラブレの城内の戦力を街の外に誘き出す。

 その隙を突き、精鋭隊はラブレ城内に突貫。城の制圧並びにラブレ男爵を捕縛する。

 この銀気持ち少数精鋭による攻撃は、ラブレの近くに、グロウラー型やスクリーマー型以上に強力な魔獣が存在する可能性に対処するためのものだ。

 これは、王都防衛大隊の副隊長の進言によるものらしいがな」


 シリスだ!

 ラウル君の説にあった魔獣の上位種、女王型の存在を考慮してくれたのだ。

 思わず胸が高鳴る。

 それに、ラブレ男爵の近くには黒騎士もいるかも知れない。黒騎士の相手にも、銀気の力の強い精鋭が必要だ。


「精鋭部隊の城内突撃を確認した後、全軍反転。第2波攻撃をしかける。

 これを持って魔獣を撃滅する。

 これが本作戦の大まかな流れである。

 質問があるもの、手を挙げよ」


 居並ぶ騎士や冒険者達にさざ波のようなざわめきが広がった。

 しかしそれは、不安から来るものではない。

 来るべき戦いに対する決意の声だった。

 それを確認したお父さまが、深く頷いた。

「リムウェア軍白燐騎士団団長ガレスと申します。僭越ながら、私から各隊の配置を示させていただきます」

 お父さまの後を継いで、ガレスが進み出た。

 ベリル包囲網が出来上がった後は、俺は南軍の連絡役として後方の本陣に赴く事になる。唯たち教会の支援隊も本陣近くの救護場所で待機。そして、優人と夏奈たちシズナさんのパーティーは、最前線の銀気持ち精鋭部隊に組み込まれる。

 俺は、周りにばれないようにきゅっと唇を噛み締めた。

 優人や夏奈だけが危険な訳じゃない。ここに集まっている万の数の人達全てが命の危険に晒されるのに変わりはない。

 でも……。

 優人や夏奈が無事に戻れますように。

 俺は目を瞑り祈る。

「では、諸侯」

 お父さまの声を受けて、エバンス伯爵が進み出た。

「エバンスである。先ほどレグルス候も仰られた通り、今回の戦は我らの故郷を守る戦いである。王国と平和に弓引く不埒なラブレを倒し、安寧を取り戻そうぞ!」

 エバンス伯爵の力強い言葉に、承知の唱和が高らかに響く。

 集まった諸侯が順番に挨拶していく中、最後にお父さまが俺に頷きかけた。

 周囲の視線が俺に集まる。

 一気に緊張が高まり、鼓動が早まった。

 ……胸を張って堂々と。お父さまのように。

 俺はすっと深呼吸した。

「カナデ・リムウェアです。私の拙い経験から申し上げれば、魔獣は決して油断出来ない恐ろしい怪物です」

 ロバイの町の惨状、ラブレ領内で見た全滅した村の惨状が頭をよぎる。

 迫り来るグロウラー型。

 スクリーマー型の驚異の破壊力。

「しかし、それでも私たちは挑まなければなりません。剣をその手に取り、戦わなければなりません。

 どうか、勝利を。

 人々が安らかな日々を過ごせるように。

 もうこれ以上、怯え悲しむ人が増えないように。

 この苦難の先には、必ず勝利があると確信しています」

 お父さまが頷いてくれた。

 エバンス伯爵や諸侯が頷いてくれた。

 シズナさんも俺を見て頷いてくれる。

「皆。明朝に出撃する。準備に怠りなきように。総員の奮起を期待する。以上だ。解散!」

 お父さまが卓上に指揮棒を置いた。

 室内がざわつき、人が流れ出していく。

 とうとう戦いが始まる。

 今回は状況説明回で、あまり動きはありませんでした。

 主人公も活躍していませんが、また読んでいただけると幸いです。


 ありがとうございました。

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