Act:57
ベッドの上でクッションを背に身を起こし、読書していた俺は、読んでいた本をパタンと閉じて脇に置いた。
自分的にはもう体調に問題なかった。しかし、唯にもマコミッツ先生にももうしばらく安静にしていなければいけないと口を合わせられれば、それに従うしかない。
魔獣群の大規模襲来、そして俺が倒れてしまったあの日から、もう一週間近くが経過していた。意識が戻り、さらにベッドの上で安静を命じられてから3日。
さすがにじっとしたままは、気が滅入りそうだった。
ふぅ…。
外の世界では未だに溶けない雪が世界を白に染めている。俺は、その照り返しが眩しい窓を眺める。
あの大規模侵攻以来徐々に数は減って来ているが、男爵領からの魔獣侵攻は今もなお続いている。現在侯爵領内の白燐騎士団は大部分がラブレ領境に集結し、防衛線を構築していた。
驚いたのは、魔獣群の侵攻がリムウェア侯爵領だけではなかったという事だ。
もっとも大規模な侵攻を受けた東側、セレス内海沿岸の王直領は、駐留騎士団も含めてほぼ壊滅したということだった。
北側、西側の領境でも、小規模だったが魔獣による被害が発生している。
ラブレ男爵は、文字通りなりふり構わず周囲に殴りかかったというわけだ。
ノックの音が響く。
「どうぞ」
入って来たのはリリアンナさんだった。
「カナデさま。何かご入り用はございますか?」
「あ、大丈夫です。でも、もうそろそろお仕事しても大丈夫かと思うんですが…」
「それはお控えください」
「…はい」
リリアンナさんが手に持っていた分厚い束をベッドサイドのテーブルにどさりと置いた。
「カナデさま宛のお手紙です。行政府に溜まっておりましたので、お持ち致しました」
なかなかの量だ。
なんだろう。
何かございましたらお呼び下さいと、メガネを押し上げたリリアンナさんが退室して行く。
俺は手紙の束をペラペラと捲った。
各市民長、ギルド長、俺が寝ている間に王都へ帰還することになった査察隊、近隣諸侯の名もちらほら。それに、ラウル君からもある。なんだろう。
その中にシリスの署名と王直騎士団の封印が施されたものを見つけた。引き抜き、開封してみる。
冒頭3割ほどは、査察隊並びに王直騎士団救援への謝意だった。
続いて6割ほど小言が続く。人の上に立つ者の心構えだとか、指揮官の心得だとか、俺のロバイ戦での行動をネチネチ批判してあった。どこからこんな詳細な情報を仕入れたんだ?
そして残り1割程は、こんな大変な時期に助力に行けなくてすまないという謝罪だった。
何を言ってるんだろう、シリス。
きっと王直騎士団の方がずっと大変なはずなのに…。
俺は思わずふふっと微笑んでしまう。
そのまま締めの一行に目を移し、そこで思考が停止した。
読み間違いかと思い、もう一度ゆっくりと目で文面をなぞる。
ぼふっ。
顔面が真っ赤に爆発した。
あ、あ、あ、あ、愛し…。
ぬぁああああああ!
私は思わず手紙をぐるぐるにして投げ捨てる。そしてベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。
今ので病状は悪化した、絶対に!間違いない!
馬鹿だろ、あいつ。状況を考えろ…。
いや、あいつのことだ。今頃きっと、俺の反応を予想してほくそ笑んでいるに違いない。
やっぱりとんでもないやつだ!
しばらく枕に顔を埋めてうーうー唸っていたが、俺はおもむろにベッドを出た。
素足のまま歩いて、先ほど投げ捨てた手紙を拾う。
そして、しわくちゃになったシリスの手紙を、机の上で一生懸命に伸ばした。
人が心を込めてしたためた(たぶん)ものを、ぞんざいに扱うのは良くない事だ。
…別にシリスがどうというわけではない。
今度は丁寧に手紙を折り畳み、書き物机の引き出しにしまう。
そして俺はそろそろとベッドに戻った。
ふうっ…。
ラウル君からの手紙を開くと、大量の便箋に几帳面な細かい文字がびっしりと綴られていた。子供らしからぬ達筆な綴りに舌を巻く。
俺など到底かなわない美しい文字だった。
ラウル君の手紙は、「ラブレ男爵領に見られる意識共有個体群から導かれる魔獣拡散構造の考察」というとんでもない見出し書きから始まっていた。
リリアンナさんの講義のおかげで、この世界の文字の読み書きには多少の自信があったが、ざっと流し読みしただけで意味の取れない単語がちらほらあった。
俺はまたベッドを抜け出し、辞書を捲る。
ノックの後、リリアンナさんが入って来た。お茶を持って来てくれたようだった。
「カナデさま、お休みの間も勉学に励まれる心掛け、殊勝でございますか。しかしご無理はされませんよう…」
リリアンナさんがカップにお茶を注いでくれる。
頭が活性化するような爽やかな香が立ち上る。
…でもよく分からない。
「リリアンナさん、教えてもらえませんか?」
「はい、なんでしょう?」
機嫌が良いリリアンナさんが微笑む。俺はその前にラウル君の手紙を差し出した。
「ここの単語と言い回しが良く分からなくて…」
リリアンナさんが微笑んだまま固まってしまった。
俺は首を傾げて反応を待つ…。
「すみません、やっぱりもう少し自分で考えます…」
「カナデさま!」
リリアンナさんが押し上げたメガネがきらりと光る。
「少々お時間を頂けますか?確認してまいります」
俺はその迫力に押され、ただカクカクと頷いた。
なんとかリリアンナさんと協力して読解したラウル君の手紙の内容は、やはり難しかった。
ラウル君は、一般に広く見られる狼型などの魔獣と、ラブレ男爵領内の魔獣は完全に別系統の種だと結論付けていた。
その別種が発生するシステムはこうだ。
古来より、魔獣に侵された土地をそのまま放置すると、そこにはより強大な魔獣が発生すると言われている。
狼型や蜘蛛型、トカゲ型が一つの地に満ちると、やがてグロウラー型やスクリーマー型などの大型魔獣が発生する。
さらに大型魔獣が高密度に集まると、女王型と言われるタイプが発生するとラウル君は予測していた。
女王型は、一種の営巣を行い、新たに小型種を大量に生み出して行く。
つまり、この1体の女王型から発生した個体群が、意志を共有している魔獣群だというのだ。
そして発生した意識共有個体群が各地に広がって行き、そこで他の個体と集まる事により、再び新たな女王型を生み出していく。
これが、ラウル君が示した魔獣の伝播モデルだった。
ラウル君は手紙の最後で、ラブレ領内には既に女王型が存在し、相当数の魔獣が生み出され続けている可能性を指摘していた。
俺はうーんと腕を組む。
難しい話だが、ようするに今回の魔獣の大規模襲来は、魔獣の増殖による広がりの一環ということだ。すると、そこにラブレ男爵の意志など介在しているようには思えなかったが…。
どういう事だろう?
ラウル君の説が正しく、魔獣を生み出す女王型が存在するなら、魔獣の襲来はこれからも続く事になる。
この話、シリスやお父さまにも伝えた方がいい気がした。
コピー機があれば、ラウル君の手紙を複製してそのまま送れるのだが…。
これを書き写すには相当の労力が必要な気がする。ここは、俺なりに要旨をまとめるしかないだろう。
俺は書き物机に向かうとペンを取った。
拝啓シリスさま…と。
内容はあくまでも魔獣に関してのラウル君の説と俺の考えの事務的なもののみ。
やつの手紙のような余計な文言は入れない。
ますます寒さも厳しくなる季節、ご自愛下るようお祈りしております、と結ぶ。
もう一度念入りにチェックする。誤字脱字があれば、侯爵家の名折れだ。
…シリスに馬鹿にされたくないし。
俺は手紙を丁寧に折って、侯爵家の家紋の透かしが入った封筒に入れた。最後に署名をして完成だ。
よし…。
俺はリリアンナさんを呼んで手紙の発送をお願いした。
「王都のシリスに、至急でお願いします」
そう伝えると、何故か微笑ましそうな表情で俺を見るリリアンナさん。
俺ははっと気がついてしまう。
あの告白のこと、リリアンナさんだけには告げていたのだ。
シリスに手紙…。
妙な勘ぐりをされたら…。
「ち、違うんです、リリアンナさん。この手紙は魔獣対策の相談で…」
俺はぶんぶんと手を振った。
「決して変な内容ではないんでしゅ!」
あ、噛んでしまった…。
「はい、承知致しておりますよ」
リリアンナさんがふわりと一礼し、微笑みながら退室して行く。
信じてもらえた、ような気がしない。
俺は、徒労感に支配されつつも、もぞもぞとベッドの中に帰った。
夕方、リリアンナさんからお父さまが戻られたと聞いた俺は、パジャマの上にカーディガンを羽織ると、ペタペタとスリッパを鳴らしてお父さまの書斎に向かった。
ノックして中に入ると、ガレスにカリスト、それに主席執政官も集まっていた。
俺は集まったみんなに頭を下げて挨拶する。
カリストがパジャマの俺に驚いたのか、恥ずかしそうに目を泳がせていた。
「カナデ、そのような格好で駄目ではないか…。体の調子はもう良いのか?」
言葉とは裏腹に、お父さまが優しく微笑んで俺を見る。
「お陰様で、もう大丈夫です。ベッドの上で退屈してます」
俺の冗談に、ガレスが声を上げて笑った。
「確かにお嬢がじっとしている姿は似合いませんな。どれ、私と久し振りに手合わせ致しますか」
ガレスに稽古をつけてもらえるなら、願ってもないことだった。
「やめよ」
俺が頷こうとした瞬間、先程までとは裏腹にお父さまが低く厳しい声を発した。
俺もガレスもびくっとして、お父さまを見る。
肘を突き、眼前で手を組んだお父さまが射る様な鋭い眼光でガレスを睨んでいた。
騎士団長の、あのガレスが気圧されたように一歩下がり、引きつったような苦笑を浮かべた。
「失礼致しました。お嬢はまだ病み上がりでしたな。無理をさせる訳には参りません。お嬢、また今度に致しましょう」
確かに唯たちに安静を命じられているのに、剣の稽古もなかったかな…。
俺は「また、よろしくお願いします」とガレスに微笑んだ。
今は剣の稽古の話どころではない。
ちょうど侯爵家の主要メンバーが集まっているのだ。
ラウル君の魔獣研究の考察と俺の体験や考えを聞いてもらい、今後の対処を考えられれば…。
「お父さま!」
俺が声を弾ませてお父さまの隣に進む。
「ん、どうしたのだ、カナデ」
先程の氷のような表情から一転し、にこっと笑うお父さまに、俺はラウル君の手紙を差し出した。
「何かな」
お父さまが文面に目を走らせる。
その表情がだんだんと曇る。
「お父さま。そのラウル君の説が正しいとすると、魔獣は膨大な数に膨れ上がっている可能性があります。もしかしたら、ラブレ男爵の制御を外れている可能性も…」
どんっ!
俺の言葉を遮り、お父さまが手紙を机に叩きつけた。俺は驚いて身を竦ませる。
「カナデ」
低い声が俺を貫く。
「お前はもう魔獣のことなど考えずともよい」
はっ…?
俺は一瞬その言葉が理解出来なかった。
「お前はもう戦わずとも良い。そんなに、障気で倒れるまで傷つき戦うことなど、もうせずとも良いのだ」
「お父さま!」
俺は抗議しようとして、しかしそれしか叫べなかった。
今回倒れてしまったのは、俺の不注意からだ。
でも、俺はこれからもっと頑張ると誓ったのだ。
侯爵家やお父さま、領民のため、エリーセお姉ちゃんの分も。
「わしが愚かだった。自らの病を理由にして、カナデに頼りすぎた。お前は、これ以上無理せずとも良い」
「お父さま、それは!」
無理などしていない!
「リリアンナ!」
控えていたリリアンナさんがすぐさま書斎に入って来ると深々と一礼した。
「カナデを休ませてやってくれ」
「お父さま、違うんです!私はただ、お父さまのお役に…」
「カナデ、政務は手伝って欲しい。頼りにしておる。しかしお前は、もう剣を握らずとも、魔獣と戦わずともよいのだ。魔獣や剣は、お前には似合わぬ。」
「お父さま…」
俺はどうしたらいいかわからなくて、ただお父さまを見つめた。
顔を曇らせたお父さまが俺を見返す。
「カナデさま。お身体に障ります。お部屋に…」
その睨み合いのような硬直を解くように、リリアンナさんが俺の背を押してくれた。
俺は…なんだか少し悲しかった。
普段はベッドが恋しいのに、病気で寝ているときはベッドが嫌になります…。
ここしばらくは戦いのお話だったので、少し休養のお話が続きます。
読んでいただいて、ありがとうございました。




